8.キャンプ一日目(ハイキング前に不穏な空気)
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バスが走りだして一時間半弱。ほぼ予定通り目的地に到着した。途中の休憩でちょっとしたもめ事が何度か起きたが、大した事では無いので詳しい説明はしない。
ただその事で、龍治は少しだけ疲労を感じていた。
「龍治様……」
「あー、大丈夫大丈夫。だからそんな顔するな、柾輝」
起こるべくして起きた諍いである。確かに疲れはあるが、気にするだけ損と云うもの。
二泊三日の遠出を一学年全員で行っているのだ。普段より気分は高揚気味だろうし、いつもなら気にならない事でも気になってしまうのは仕方がない。
小競り合いが起きた場合、それを起こした原因追求よりも、その場をとにかく治めてしまう方が良いと龍治は考えている。
常日頃からやんちゃ行為をするような奴相手なら、お灸を据えるくらいはした方がいいだろう。しかし場の雰囲気に当てられてやらかした子の場合は、「それはやめなさい」と止めればあっさり正気に戻って自分の行動を反省するものだ。実際、それで済んだ。
その数が、ちょっと多かっただけで。
「黄門様の印籠になったような気分だけど」
「そこは水戸のご老公様になった気分の方が正しい気がします」
「そうか? 俺が出た途端ぱっと終わるなら、やっぱ印籠だろ」
ご老公はもめ事の前に出て行っても、「田舎爺の分際で生意気な!」とか悪役に罵られる事が多い。しかし印籠は出た途端に全員恐れ慄くのだ。
ならば、龍治が出て来た瞬間に「しまった!」と顔色を青くして争いをやめてしまう奴らにとって、龍治は水戸黄門と云うより印籠ではないかな、と思うのだ。
「……あんまり水差すのもどうかって思うんだけどなぁ」
「そうでしょうか? 喧嘩はする方が悪いと思います」
「火事と喧嘩は江戸の華って云うじゃないか。盛り上がりに水を差してる気もする」
「龍治様……」
何故だか僅かに切なげな色を見せながら、柾輝は、
「気にしすぎです」
――キッパリと云い切った。それも真顔で。
一刀両断の勢いで云われてしまったので、龍治は「そ、そうか」と納得の言葉を云うしかなかった。
「ただいまー。あれ、どうしたの?」
お手洗いに行っていた玲二が戻って来た。なんとなく柾輝にタジタジしている龍治に気付いたのだろう、首を傾げながらそう云った。
「いや、何でも」
「龍治様のお心配りの深さについて少々」
間違いではない気がする。
玲二は分かって無い様な顔で「ふーん?」と云っていたが、すぐにぱっと楽しげな顔になった。
「早く出発したいねっ。僕、ハイキングって初めて!」
「そうなのか?」
「崖は登らされた事あるんだけど」
「そ、そうなのか」
齢十にして、中々ハードな経験をしているようだ。
崖登りはしたけどハイキングはまだ、と云う人は珍しいのではないだろうかと龍治は思う。禅条寺家の教育方針だろうか。だったら怖い。
かく云う龍治は、崖を登った事もないし、山に入る事すら初めてである。
家族旅行で高原や森に行った事はあるが、その近くにあった山には入らせて貰えなかった。危険だからと云うのもあるだろうが、両親としては、せっかく家族で旅行に来てるのにわざわざ疲れる事をしたくない、と云うのもあったかも知れない。
(まぁ、ゼンさんの記憶にはあるんだけど……)
別にゼンさんはアウトドア派な人ではない。自然を嫌ってはいなかったし、テレビで雄大な様を見るのは好きだったようだが、自ら行きたいかと云われたら首を横に振る人だったようだ。アマゾンはテレビで見るもの。実際に行ったら死ぬから厭だ、と云う感じだ。
そんなゼンさんの記憶にある山登り及びハイキングは、今回の龍治のように学校行事によるものだった。小中学校の記憶を漁ると、その林間学校の記憶が出てくる。
龍治と同じく、自然豊かな山にバスで来て、川で遊んだり強制的にハイキングさせられたり、カレーを作ったりキャンプなファイヤーを囲んだりしている。
で、その強制ハイキングなのだが――なんだか酷い記憶だ。
ゼンさんは特別ひ弱でもなければ運動音痴と云う訳でも無い、極普通な体力と能力の持ち主だったように記憶は語る。
しかしそのゼンさんが、途中でひぃひぃと息を荒げ「もうやだ吐く」と云って泣きながら山を登っている。凄い所を登らされたなゼンさん、と龍治は思わずにはいられない。険しい坂道など、出っ張った岩に足をかけ、ロープを掴んでぜいぜい云いながら登ってる。そして泣きながらヘロヘロになりながら、それでも最後まで登り切り山頂でぶっ倒れたゼンさんは凄いと龍治は素直に思ったし感激もした。
自分も彼女のように、最後まで諦めない人間になりたいものだ。
最も龍治達向けに先生方が用意したハイキングコースは、そんな過酷なものではない。景観を壊し過ぎない程度に整えられた九十九折りの道を、景色を楽しみながらのんびり歩く、と云うものだ。距離は確かにあるが、途中で休憩所がいくつも用意されているし、傾斜が高くないので子供やご老体向けの爽やかコースとでも云うのだろうか。
――ゼンさんの記憶が「舐めてんのか」と冷ややかに云った気がする。怖かった。
「今回の希望者は僕らと二班だけだそうですね」
「勿体ないよな」
「だよねぇ。せっかく山に来たんだから、登らないと!」
しかもこのハイキング、希望者のみである。
上流階級の子息子女の皆さんは、汗を流しながら山道を登るなんてしたくないそうで。毎年、山頂付近にある宿泊施設へはロープウェイで行く子供がほとんどだった。
わざわざハイキングをするのは、龍治のような変わり者か、玲二のようなお家の教育方針が荒っぽいかのどちらかである。
そう云う訳で、龍治達は麓の休憩所で制服から体操服に着替えていた。背負うのは弁当や水筒、タオル入りの苦にならない程度の重さのナップサックのみ。靴はローファーではなく、この日のために履き慣らしておいたスニーカーだ。
他の荷物は、別のバスに乗って来ていたコンシェルジュ――子供の我が侭を聞く雑用係みたいな大変な職業の人達である――が運んでくれる。こんな所まで付いて来るのか、と思ったが、常に複数の使用人に傅かれて居るような子供がほとんどであるため、必要不可欠と云えばそうなのだろうと龍治は納得した。
一応名目が「親元を離れ、自主性を養う云々」としている林間学校なので、自宅から使用人などは連れて来れないのだ(柾輝は学校の生徒でもあるので例外である)。
コンシェルジュの皆さん、セレブクソガキ共のお世話、お疲れ様です、と龍治は心の中で同情する。ある意味先生方より大変かも知れない、後でお茶の差し入れをしようと決めた。
さて、今回のハイキング希望者は龍治達一班と眞由梨率いる二班のみである。
他のクラスから参加はなく、体操服姿の龍治たちを見て「龍治様がハイキングを……?!」と驚いていた。同じクラスの子たちからは、「気を付けて下さいね」「怪我をなさいませんように」と甲斐甲斐しい言葉を貰った。
龍治は「お前らは俺の親か」と突っ込みたくなったが、無駄なような気がしたので「わかった。ありがとう」とだけ返しておいた。賢い選択だった気がする。
「と云うか、眞由梨たち登れるのか……?」
「途中でロープウェイに乗れる場所があるそうですから」
「柾輝君、遠まわしなように聞こえるけど、ストレートに「無理だ」って云ってるよねソレ?」
「……ふふ?」
「何その曖昧な笑顔、初めて見たぞ!」
柾輝が腹黒い笑顔を浮かべたような気がして、龍治は慌てて肩を揺さぶった。
「でも、健気だねぇ風祭さんも。ハイキング参加、龍治君と一緒に居たいからでしょ?」
「あいつを健気と云えるお前が凄い」
ケロっとした顔で玲二が凄い事を云い出した。なんとなく、柾輝から不穏な空気が漏れ出たような気がして、龍治はふわふわしたその頭をガシガシと乱暴に撫でてやる。猛獣を手懐けている気分だ。
「見方の問題だよ。確かに性格キツいし、柾輝君と花蓮さんに喧嘩腰だけど、それって龍治君の側に自分が居たいからじゃん? 怖いけど健気だと思うよー」
「まぁそうだが……喧嘩腰なのが困るんだ」
「そりゃそうだね。……無事に終わるかな」
「ですからロープウェイが」
「あ、うん、そうだな!」「あ、うん、そうだね!」
あくまでも「眞由梨は途中で脱落必至」と云う柾輝に、龍治も玲二もどこか空々しい笑顔で同意をするのだった。……確かに、あの蝶よ花よで育てられた温室育ちの百合の花が、山道を――お子様向けの物とは云え――登り切れるとは思えない。
「それを云うなら花蓮さんは? 大丈夫なの?」
「いや、あれで花蓮は持久力と根性があるんだ」
瞬発力には乏しいし、云ってしまえば「トロい」花蓮であるが、体力はあった。短距離走で記録を残せなくても、長距離マラソンは完走出来るタイプである。
現にこれまでの体力テストは五十メートル走や反復横とびは絶望的でも、シャトルランと踏み台昇降はかなりいい記録を出していた。
「ハイキングの際の注意事項は教えてあったし……あいつも山登り好きな親戚から色々話聞いたらしいから大丈夫だろ。恵理香は根性で付いて来るだろうし、心配なのは莉々依かな」
「そっか。まぁ浅井さんくらいなら僕らでもフォロー出来るし、大丈夫かな?」
「他の班は遅れたら置いていけばいいですしね」
「そ、そこまでは云わないけど!」
「柾輝お前……」
どうやら柾輝は、雇い主である龍治の父の目がないのでプチ弾け状態のようだった。普段ならここまで露骨に、眞由梨を邪険にしない。
(まぁそれだけ溜め込んでたって事だろうけど)
幸子伯母の娘と云う事で遠慮が先立ち、眞由梨に何か云われても我慢したりやんわりとかわす事が多かった。思えば、バスで見せた不愉快顔もこの弾け状態故に露出したものかも知れない。
(大丈夫かこれ……)
今回の林間学校で、眞由梨とケジメを付けようと思っていた龍治は頭をかく。
柾輝がこれなのだから、花蓮もまた我慢を放り投げている可能性は高い。親の目がないと云う状態は意外にも――むしろ妥当にも?――子供達を無法へ導くようだ。
ならば眞由梨も、同じ状態であるのは考えるまでもない事である。あの眞由梨が、普段敵意と悪意を向けている柾輝と花蓮から、逆に負の感情をぶつけられたらどうなるか。
――厭な予感しかしない。
あまり眞由梨との事を大袈裟にしたくない龍治であったが、腹を括る必要が出て来たなと溜め息をついた。
「龍治様、お待たせいたしました!」
「申し訳ありません」
「お待たせしましたわ」
龍治が決意を新たにしている所へ、ようやく女子陣がやって来た。女の支度は男より時間がかかるものである。そして男は待たされた事に文句など云わず、穏やかに微笑むべしとゼンさんの記憶が云っていた。
振り返ると、龍治達と同じ体操服に着替えリュックを背負った花蓮達が駆け寄って来る所だった。駆け寄ると云っても、案の定、トロいけれど。歩くスピードとあまり変わらないのは御愛嬌だ。
女子制服のブレザーは男子と同じ形と色だが、中のシャツはフリルがついていたり、色も白・黒・桃の三種類から選べる。下も短パンではなく、膝丈のプリーツスカートだ。さらに男子はネクタイだが、女子は大きなリボンである。
こうして並べると制服の方はかなり男女差があるが、体操服は全く同じだ。青い線で模様が描かれた白いシャツに、紺色のハーフパンツ。
女子はお洒落として、シャツの袖に好きな柄の刺繍をしている事が多い。あまり派手な色でなければ教師も黙認している。花蓮は桃色の花を刺繍していた。
「あ、髪結ってたんだ。似合うねー、三人とも」
「そ、そうなんです。それで時間がかかってしまって……」
『瑛光学園』の女子は髪を長く伸ばしている事が多く、花蓮達三人も違いはあれどロングに該当する長さだ。
そのままではハイキングで邪魔だろうと思っていたら、花蓮は頭の下の方で二つのお団子に、恵理香はポニーテイルに、莉々依は二つのお下げにしていた。
「花蓮」
「は、はい、龍治様」
「お団子可愛いな」
思った事はストレートに云っておく。可愛いは女性にとって褒め言葉に当たるし、事実可愛らしいので嘘は云っていない。変に照れたり遠まわしに云うと逆に恥ずかしいので、こう云う場面では率直に述べた方がよいのだ。
花蓮はポッと顔を赤らめると、もじもじしながら「有難うございます」と礼を述べてきた。むしろ龍治の方が可愛いものを見せてくれてありがとう、なのだが、ここは一度頷いておくだけにする。
それから、恵理香と莉々依の方へ目を向けた。
「二人も似合ってるな。センスがある」
二人とも、己の性格と顔に似合う髪形を熟知していると感心して頷く。すると二人も花蓮と同じく顔を赤くして頭を下げて来た。そのように畏まった反応が返って来るとは思っておらず、僅かに目を見開く。
玲二がつんつんと、肩を突いてきた。
「龍治君」
「どうした?」
「そのまま成長すると修羅場作るタイプの色男になるから気を付けてね」
「いきなり何だ?!」
恐ろしい託宣を受け、思わずのけぞった。
修羅場作るタイプの色男ってなんだ。不吉でしかない。
「花蓮さんがどっしり構えてるから大丈夫だとは思うけど。女心と秋の空だよ」
「玲二、俺はたまに、お前が何云ってるかわからない時があるんだが」
「大人になればわかるよー」
「いや、同じ子供のお前に云われてもだな」
玲二の言動にあれこれと云い募っていたのだが、ふと気がついた。
――眞由梨達が来ない。
花蓮達と一緒に着替えに行ったのだから、同じくらいに戻って来ていいはずだ。しかし来ない。来る気配さえない。
「……眞由梨はどうした?」
つい、口に出してしまった。
恵理香と莉々依が顔を見合わせる。花蓮が頬に片手を当て、にこりと微笑んだ。
「もう少し時間がかかりそうでしたわ。わたくし達は先に参りましょう?」
「……そう、か」
思わず、「そうスか」とか云いそうになってしまったが根性で耐えた。
自分のキャラと違いすぎる言動は宜しくない。
どうやら、龍治の目が無くなった途端、また一戦やらかしたらしい。
そして敗北を喫したのは、眞由梨だったのだろう。
龍治が今回のキャンプで、眞由梨とケジメを付けようと決意していたように。
花蓮もまた、何らかの決意を固めていたのは間違いないようだ。
先に行こうと提案した声には、大変珍しく、有無を言わせぬ圧力があった。
「――先生、時間があまりないのは事実です。先に行きましょう」
「あ、あぁ、そうだな。行こうか……」
花蓮の威圧感のある微笑みに顔を引きつらせていた、一班引率の教師が、なんとか笑みを取り繕いながら頷いた。彼もまた、花蓮と眞由梨の間に何があったか悟り、恐怖に慄いていたようだ。
その時だ、――恐らく、龍治が見ていないと思ったのだろう。
花蓮と柾輝がこっそり、本当に小さく、お互いに向かって親指を立てた拳を突き出していた――。
(―――……不安になってきた)
自分の決意がいかにちっぽけな物か思い知った気分だ。
龍治は眉間のシワを揉み、バレないように溜め息をつく。
(ハイキングしつつ、探りを入れてみるか)
二人が何を考えて、どこまでやらかす気なのか。それが分からないと、立ち回りようもない。
龍治の婚約者である花蓮と世話役である柾輝。二人を同時に敵に回して平然としていた眞由梨だったが。
――この二人が共闘した場合の事は、恐らく、考えてすらいないだろう。
あくまで花蓮は恋敵、柾輝の事は邪魔な障害物とみなしていたようだから。
(東堂院家と岡崎家はこえーぞ眞由梨……)
さらに下手を打てば、そこに“本気で綾小路家が加わる”のだから。
(……やばい。幸子伯母様に連絡入れよ……)
さっそく雲行きが怪しくなってきた今回のキャンプに、龍治は僅かに胃が痛むのだった。
花蓮と柾輝が仲良しと云う事が確定したのでしょうか……。
この二人のタッグって想像以上に怖い気がしました。
龍治の胃が痛み始めてさぁ大変。ハイスペック王子様のくせに胃痛持ちとか格好付かないぜ龍治!(笑)