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メイン攻略キャラだけど、ヒロインなんていりません!  作者: くもま
一章 向かう所敵なしのお子様、小学生篇
32/42

31.待っていてと云ったのに、/久遠椋太郎

 こんばんは。うそつきです。

 更新遅くなってすみません……! 大変あほな理由で遅くなったので伏せさせて下さい! 私の尊厳的な意味で!!!

 お怒りの場合、感想欄で「うそばっかつきやがってこの豚野郎!」と罵って下さい。微マゾ疑惑があるので多分喜んでしまいますが。←


 総合評価が……10,000点を、超えました……!

 なんですかこの夢のような数字。私のような木っ端字書きがいただいて良い数字なのでしょうか……。

 お風呂入った後も数字が変わってなかったので夢ではないようですね。

 本当にありがとうございます……!!!

 感想もいただけて、評価も貰えて、お気に入り登録数も増えて……。幸せすぎてそのうち運使い果たして死ぬんじゃないかな……。←



 誰か待っててくれたと信じてます。

 鬱鬱な椋太郎視点ですっ!

 本当に鬱陶しいくらい鬱鬱してるんで、お気をつけ下さい!!

 久遠くどう椋太郎りょうたろうは、物心付いた頃からぼんやりと“何か”を探していた。


 普段は特に気にしていないのだが、ふとした時に、自分の側に居るべき“何か”が居ない事に“気付き”不安になるのだ。

“何か”が何なのか、それがさっぱりわからない。人なのか動物なのかそれとも物なのか。けれど居ない、足りないと確かに感じてしまう。胸がもやもやするような、心の一部が欠けているような、そんな不安に襲われる。しかしやはり、何を探しているのかが分からないから、「気のせいだ」と思って忘れるのだ。そうしてまた思い出して、不安になる。

 そんな事を繰り返していた。


 家族に話した事はない。父も母も教育に熱心なタイプの親で、子供の曖昧な感情の揺れに対して「無駄な事を考えるな」と否定的な事を云うような人達だったからだ。この不安をなんとか言葉に出来る年齢に達した頃にはそれを悟っていたので、決して口には出さなかった。

 兄はそんな両親が自慢に思うような、優秀で真面目な人だった。悪い人ではなかったし、兄なりに椋太郎を可愛がってくれていたと思う。けれどやはり、この気持ちを吐露出来る相手ではなかった。手を煩わせたくなかったとも云う。両親の期待を背負って励む兄に弱音や不安を云うのは、卑怯なように感じたのだ。



 そうやって胸の内に、もやもやした何かをぼんやりと溜め込んでいた。それをなるべく意識しないようにしていた椋太郎が十七歳になった頃、一つの出会いがあった。

 隣りに引っ越して来た三人家族。若い夫婦とその一人娘。そのはまだ三歳だったが、目を見張るような愛らしい子供だった。ご両親も自慢だったのだろう。女の子を腕に抱いた父親は、どこか誇らしげな顔すらしていた。

 名前まで可愛かったのだが、本人は何故かあまり好きではないようで、自分の事を「ゆぅ」と呼んだ。それに倣って椋太郎も「ゆぅ」と呼ぶと、花が咲くような笑顔を見せてくれたのだった。


 情けない話だが、椋太郎は子供があまり得意ではない。何を考えているか分からないし、こちらの話も理解してくれない。言葉が通じない事が煩わしくて面倒だ。だから子供と積極的に関わる事はしなかった。

 けれど「ゆぅ」とは、普通に接する事が出来た。「ゆぅ」は賢い子供だった。驚くほどにこちらの言葉を理解していたように思う。そしていつもニコニコ笑って楽しそうだから、こちらも一緒に居ると楽しかったのだ。

 どう云う訳か懐かれた椋太郎は、よく「ゆぅ」と遊んだ。立場としては――年齢が大分離れているものの――「幼馴染のお兄ちゃん」と云う奴だったろうか。「ゆぅ」が椋太郎を「お兄ちゃん」と呼んでくれる度に嬉しくて堪らなかった。兄しかいないから、下の弟妹きょうだいに憧れていた事は否定しない。その上「ゆぅ」は可愛くて賢くて優しい子だったから、兄のように慕われてささやかな自尊心が満たされた。

 それに「ゆぅ」と一緒に居ると、あの不可思議な不安感を覚える事がなかった。「ゆぅ」が居る間、椋太郎はその不安を忘れられたのだ。

 もしかしたら、自分が探していた相手は「ゆぅ」なのではないだろうか。そんな風に思った。思って、少し怖くなった。

 こんな幼い子供を探していたとしたら、自分の性癖は人に云えない類の物ではないだろうか、と。

 ただそれでも「ゆぅ」と一緒に居られたのは、安堵感があるだけで下劣な感情を覚える事がなかったからだ。これで「ゆぅ」相手に劣情でも催そうものなら、椋太郎は決して彼女に近づかなかっただろう。それくらいの分別はあった。――あって欲しいと、思った。

 だから正直なところ――椋太郎の大学卒業と共に、「ゆぅ」達家族が引っ越した時には、寂しく哀しい気持ちと一緒に妙な安堵があったのだった。


「ゆぅ」は沢山泣いた。「お兄ちゃんと離れたくない」と泣いてくれた。引っ越し先は遥か遠く、簡単に会える距離ではない。下手をしたら今生の別れかも知れない。

 だから椋太郎は「ゆぅ」と指切りをして、また会う約束と手紙のやり取りを約束をした。本音では自分も、これで御仕舞いは厭だったのだろう。笑って「約束ね!」と云った「ゆぅ」にこちらも笑顔で頷いたのだから。

 それでも相手は子供だから、そう長く続く約束ではないだろうとも思った。手紙のやり取りなど、三ヶ月続けば良い方だろうと。

 けれど椋太郎の予想を裏切って、「ゆぅ」との文通は途切れずに続いたのだった。



 *** ***



 日暮れ間近に、家へと帰る。

 そこは父の稼ぎに見合う立派な実家でも、カウンセラーとして勤め出してから借りたマンションでもなく、築二十年程の安いアパートだ。ここが今の椋太郎の家だった。

 部屋のドア横に取り付けられている、錆び付き始め塗装がところどころハゲているポストには、近所のスーパーのチラシが一枚と、白い封筒が一通入っていた。どちらも手に取りドアの鍵を開け、部屋へと入る。古い畳みの匂いと本の匂いがする自分の部屋は、僅かながら落ち着きをくれた。


(……あいつも飽きないなぁ)


 椋太郎は予てからの希望通り、カウンセラーになった。兄には多大な期待をしていても、弟の椋太郎に対しては過度に期待をしていなかった両親は、次男が選んだ職を祝福してくれた。兄より劣る弟がまともな職に就いたなら、それだけで良かったのだろう。人に恥ずべき職でない事は確かなので、世間体を気にする母はとても喜んでいた。就職先が有名な名門女子校だった事も良かったのかも知れない。

 兄も褒めてくれた。それと同時に、「お前は優しすぎる所があるから、心配だよ」とも云った。

 ――その兄の心配は、的中したわけだが。


(俺、たまにしか返事送ってないのにな……)


 チラシは適当に部屋の隅に放って、手紙はちゃぶ台の上に乗せる。この時にしか使わないペーパーナイフ取り出して、封を丁寧に切った。

 中から、花の香りがする便箋が出てくる。相変わらず可愛らしい物を選ぶなぁと、懐かしくなって少し笑った。

 小さな幼馴染の「ゆぅ」からの手紙。これだけが、今の椋太郎に許された癒しだった。


(こんな、俺なんかに……ゆぅ、は……――)



 ――――藤井ふじい美紗緒みさおと云う生徒が居た。

 成績はそれほど良くないが、溌剌と云う言葉がよく似合う子だった。いつも明るく笑っていて、藤井の友人たちは「ミサが側に居てくれるだけで元気になれる」と自慢の友人なのだと誇らしげに笑っていた。

 藤井とはよくカウンセリング室で世間話をした。悩みらしい悩みはなく、「勉強が難しい」とか「お気に入りのリップクリームが売り切れてた」とか、そう云う誰にでもある些細なものばかり。しかもそう云った後で、「でも頑張る」「せっかくだから他のメーカーも試してみる」など前向きな意見をすぐに云う。だから椋太郎も笑って、「そうか」と云って頭を撫でてやった。「藤井は凄いな」と思ったので素直に云うと、藤井は頬を赤くしてはにかんだ。

 藤井と話す事は楽しかったが、果たして自分は彼女の役に立てているのだろうかと、椋太郎はずっと疑問だった。カウンセラーとしての椋太郎は必要ないのではないか、こんなに強い子なんだから、新米な自分などお呼びではないだろうな、とすら。

 ――それが、間違いだった。

 ずっと助けを求めていたのだ、藤井は。それに、椋太郎は気付かなかった。誰も、気付けなかった。

 いつも笑っているから、悩みなんてないのだろう。いつも誰かに構っているから、問題なく幸せなんだろう。――などと、何故そんな莫迦な事を考えていたのか。

 その思い違いは、最悪な形で知らされた。

 自殺したのだ、藤井は。

 自宅の倉庫で、縄で、首を吊った。

 警察の話では、何度も失敗した跡があったと云う。縛りが弱かったり、縄が脆かったりして、何度か落ちた形跡があった、と。普通なら、そこで思いとどまるらしい。一度失敗すると次をする気力が削がれて、妙な云い方だが冷静になる事もあるらしい。どうして死のうとしたのだろうと自問して、やめてしまう事も、あると云う。

 けれど藤井は、やめなかった。何度も繰り返して、最後の最期――“成功”したのだ。決してあって欲しくない、成功だった。

 最初に見つけたのは庭師の男で、悲鳴を上げて駆け寄り、その体を持ち上げたそうだ。そうして大声で、同僚たちを呼んだ。

 対応として、間違えていなかった。縄を切る事が最優先のように思えるが、落ちたら怪我をする可能性が高い。出来る事なら、体を持ち上げて窒息状態から脱させるのが良い。もちろん、状況にもよるが。

 けれど、手遅れだった。一目見た瞬間に、庭師の男だってわかっていただろう。それでも大事なお嬢様だったから、その汚れた体を持ち上げて、救おうとしたのだ。立派だと思う。その人は何も悪くないと思う。けれど男は職を辞して、どこかへ行ってしまったらしい。会った事も無い庭師を思うと、椋太郎は哀しかった。

 藤井の自殺を知らされた時、椋太郎は愕然とした。どうして、なんで、とそんな詮無い事を考えた。職員室も騒然となって、シスターたちも大騒ぎだった。何より動揺したのは、藤井の友人達だった。なんであの子がと、酷く泣いて喚いて。

 警察が学校に来て、椋太郎も少し話を聞かれた。彼女に悩みはあったかとか、どんな事を話しただとか。ありのままを話せば、その刑事は痛ましそうな顔で溜め息をついていた。

 自殺の理由は後から聞いた。家庭内の不和。それに対して藤井は、不仲の両親を責めるのではなく、己を責めた。自分がもっとしっかりしていれば、優秀であれば、自慢出来る子供であれば、両親は仲違いなどしなくて済んだ、と。そんな事はない。藤井は良い子だった。誰にだって自慢出来る優しい子だった。

 通夜と葬式に参加した時、藤井の両親はおいおいと泣いていた。不仲だったなどと嘘のように、肩を寄せ合って、互いにすがるようにして、我が子に謝りながら。

 それを見て、椋太郎はやはり哀しくなった。お前らが仲違いなどしていなければ、もっと子供に気遣っていれば避けられた悲劇だ、などと詰る気持ちをどうしても持てなかった。

 ただ、哀しかった。

 死んでしまった藤井美紗緒が、彼女を想って嘆く両親が。ままならない人の感情が、世界が、ひたすらに――かなしかった。


 生徒を死なせるなどと云う最悪の事態に、椋太郎も職を辞すべきだと思った。しかしこんな時にこそカウンセラーが必要だと学長に乞われ、椋太郎はそのまま学園に留まり続けた。

 藤井の友人達がよく来るようになった。たくさん泣いて、悲しんで、時には椋太郎に怒りをぶつけて来る子もいた。致し方ない事だと思うし、当然であるとも思った。カウンセラーの癖に、人の心を救いたくて就いた職だと云うのに、椋太郎は何も出来なかったのだから。「どうしてミサを助けてくれなかったの」と「どうしてミサの話を聞いてあげなかったの」と詰られて、己の無力さを謝る事しか出来なかった。

 助けたかった。もっと話を聞けばよかった。「もっと他に悩みはないのか」と軽口でもいいから云ってやればよかった。それらは全部、後の祭り。後悔しか、残っていなかった。

 当然ながら、「ゆぅ」には云えなかった。まだ幼い少女に云うべき話ではなかったからだ。けれど何かを察したかのように、「ゆぅ」は優しい言葉を手紙に乗せて届けてくれた。不思議な子だと思う。その言葉は、確かに椋太郎を癒してくれたのだから。


 まだ頑張ろうと思った。藤井の死を辛いと、哀しいと思うなら、もう二度とそんな事がないように。今度こそ本当に苦しむ子を救えるようにと、そう、思っていたのに。

 ――潰れてしまった、その思いは。弱かったのだ、椋太郎は。弱い人間に、他人が救えるはずがなかったのだ。



 麻倉亜麻音と云う生徒がいた。椋太郎が記憶する限り、その学園によくいるタイプの清楚で真面目な少女だった。挨拶程度で話した事などほとんどない。一度もカウンセリング室に来た事もない。

 その事が少々気になっていたが、年頃の少女の気難しさや潔癖具合もよくよく思い知っていた椋太郎は、相手がアクションを取らない限り無理矢理話を聞く事はしなかった。それとなく気は配っていたけれど、無遠慮に踏み込む事はしない。

 それは何も麻倉相手だけでなく、椋太郎は藤井が居なくなった時からアンテナを広く設定し、ほぼ全ての生徒を気にかけていたと云っていい。その中で何人か心配になる子が居たので、意識して声をかけたりはしていた。そう云う子の中で数人、確かに悩みを抱えていて、恐る恐るではあったがカウンセリング室に来るようになった子もいる。二度と過ちは犯すまいと、気を張っていた。疲れはしたし辛かったが、同じ苦しみを分かち合ったシスター達と「ゆぅ」からの手紙が支えていてくれた。

 そんなある日、突然、麻倉亜麻音が豹変したのだ。


 ――貴方が『久遠椋太郎』ね! 私は麻倉亜麻音、貴方の運命の恋人よ! 私は貴方の事なら何でも分かってるの。貴方を苦しみから救ってあげられるのも勿論私だけ! 私が貴方を愛してあげるんだから、貴方も当然私を愛してるわよね! だって私の恋人になれば、幸せになれるんだから!――


 訳がわからなかった。何を云われたのかわからなくて茫然として、次には混乱した。この子は、何を云っているのだと。

 麻倉が近寄って来たが、咄嗟に割って入ってくれたシスターのお陰で事なきを得た。その時麻倉はシスターを悪し様に罵ったが、騒ぎを聞き付けた他のシスター達がやってきて連れ出されたのだ。

 一体何が起きたのか、理解出来なかった。

 教師達から麻倉との関係を問い詰められたが、本当に心当たりなどなかった。それについては、味方してくれたシスター達には感謝してもしきれない。彼女達が庇ってくれなければ、椋太郎は「カウンセラーの立場を利用して女生徒を惑わした不埒者」にされていただろうから。

 痛くない腹を探られる事が、あんなに辛いとは思わなかった。PTAからまで呼び出しを喰らった時には、いっそ気を失いたくなったくらいである。それでも椋太郎の身は潔白であったから、不当な処分は与えられずに済んだ。これもシスター達のお陰だろう。彼女達には迷惑ばかりかけてしまった。

 しかし麻倉の家は納得せず、椋太郎に罵詈雑言をぶつけ、学園を扱き下ろした。何故あそこまで酷い事を云われなければいけないのか、椋太郎にはわからなかった。麻倉と個人的に話をした事もなければ、触れた事すらない。麻倉との関係は希薄の一言だった。それなのに、まるで卑劣漢のように扱われて。

 そうして事態は悪化して行く。麻倉は事ある毎に椋太郎の生活を乱して行く。

 カウンセリング室に来て毎日喚く。椋太郎に恋人関係を迫り、それを止めるシスターを横恋慕をする売女だと罵った。カウンセリング室に通う他の生徒にも、「椋太郎に色目を使うのはやめろ」と難癖を付け、時には手まで上げたと云う。教室だろうが廊下だろうが、所構わず「私と椋太郎は恋人同士なのよ」と叫び、それを注意したり否定する人間へ嫌がらせを行った。

 果ては、自宅前で待ち伏せである。マンション前に立っていた麻倉を見た時、椋太郎は血の気が引き、息が出来なくなった。恐ろしくて堪らなくなり、近所の交番へ逃げ込んで学長へ連絡を入れた。

 それがとどめだった。耐えきれなくなって、椋太郎は今度こそ職を辞した。逃げたのだ、自分は。

 あの学園からも、藤井の死からも、麻倉の執着からも、何もかもから。



「……どうしようもねぇな、俺」


 呟いて、手紙を開く。相変わらず、子供にしては綺麗な字で優しい言葉が綴られている。その中に一言たりとも「頑張れ」と書かれていない事が、有難かった。


 職を辞した椋太郎に、両親は冷たかった。父親には散々詰られたし、母親は泣きながら恥ずかしいと嘆いた。

 兄は両親の手前表立って庇いはしなかったが、引越しの手伝いもしてくれたし、自宅でも出来る仕事を紹介すらしてくれた。「何かあったら連絡しろ」と教えられた連絡先をたまに眺めては、兄の隠した優しさを思い出す。


「ゆぅ」といい、兄といい。自分は、優しい人間に恵まれていると思う。

 こんな人間の屑に、二人は、優しかった。


「……」


 涙が流れた。手紙を汚さないようにと、慌てて机の上へ乗せ距離を取る。落ちた涙は、畳の色を変える。

 どうしようもない。どうしたらいいか分からない。こんな屑に、優しさを与えられる権利などないのに。辛い時に縋ってしまう無様さを自覚して、舌を噛み切りたくなる。けれどその度に、藤井の笑顔が脳裏をよぎるから、思いとどまる。

 あの子を救えなかった自分が死んで、どうすると云うのか。謝りにでも行くのか。自己満足のままに。お前を想って死にましたとでも云って。――そんなもの、屑の極みだ。藤井だって迷惑だ。くだらな過ぎて吐き気さえする。


「……」


 徐々に暗くなる部屋の中。椋太郎は俯いて、無言で泣き続けた。



 *** ***



 無為な日々を過ごしていた。狭い部屋で仕事をこなす以外は、歩くと少し距離がある公園へ出向いてぼんやり景色を眺める毎日。道行く人達を眺め、漠然と「幸せそうだな」と思うだけ。たまに自分へ向けられる訝しげな視線は気にしない事にした。

 何故自分は生きているのだろうかと、疑問に思う。仕事して、食って、寝る以外は、こうしてぼぅとして過ごすだけ。蟻の方がまだマシな生き方をしているんじゃないかと思う。虫以下である椋太郎が生きていて何になるのだろう。死んでしまった方が有益ではなかろうか。そう思うが――思うだけで終わらせる。

 死んだってどうにもならないし、こんな自分でも死ねば悲しんでくれる人がいる事を知っているのだから。


(……なんでこんな事になってんだろう……)


 ぼんやりと過ごす変わらない日々に、突然変化が訪れた。

 切っ掛けは、至って些細な事。「顔色が悪い」と栗毛の子供に心配され、こんな己を気にかけてくれた事が嬉しかったから頭を撫でて飴をやった。あげた後で、「知らない人から食べ物貰ったら、親に怒られないだろうか」と心配になったが、視線で追いかけた先に子供の親は居なかった。


 ――遠目でも分かるほどに美しい、銀の髪の子供がいた。


 チリリ、チリリと、胸が焼けた。妙な感覚だった。確かに見つめずにはいられない、稀有な美貌の持ち主だと思うが、だからと云って何故焦燥感を覚えるのか。

 どうして、「目を離すな」と本能が訴えかけてくるのか。

 わからなくて動揺するが視線が外せない。すると“銀髪”もこちらを見た。頭を下げられドギマギしてしまい、何でも無い風を装って懸命にそっぽを向いた。不躾な態度であったが、椋太郎にはそれ以外の事は出来なかったのだ。

 そうして何故か“銀髪”に興味を持たれ、スパイシーチキンチーズワンダフルを「飴のお返しに」と奢られて、それ以降、子供はたまに椋太郎を訪ねて来る。

 確かに、会いに来いよと云った。それはするりと、いつの間にやら口から出ていた言葉だった。

 本当なら、願い下げしたい相手である。

 シルクのような輝く銀髪、宝石をはめ込んだような蒼い瞳、それを彩る長い睫毛。つやつやした肌は白いのに、病的な印象などまるで受けない。顔の造形は完璧な左右対称。まるで作り物めいた美しさだと云うのに、表情が意外ところころ変わるから冷たさはまったくなかった。

 こんな美しい生き物が自分クズの側に居る事など、通常なら決して許容出来ない。自分に構わず他の所へ行ってくれと願うところだ。この美しい奇跡を万が一自分が汚してしまったら、それこそ死んだって償い切れるものではない。

 なのに椋太郎は初めて会った日、帰ろうとする子供に向けて云っていた。


 ――俺はいつでもココにいるから、また来いよ――


 云ってから後悔した。何故そんな事を云ったのか、椋太郎自身にもわからない。

 しかし子供は椋太郎の目をジッと見つめた後、まるで慈母のように微笑んで了承の意を示した。


 ――……えぇ、また公園ここに来た時には、貴方にも会いに来ますよ――


 とんでもない事をしたと、思った。物腰や話し方からも、普通の子供ではない事は察せられる。自分が誘いをかけて良い相手ではない。

 しかし、“ここで終わらせるな”と誰かが必死に云ったのだ。まるで縋るかのように。“コレを手放してはいけない”と。

 そんな莫迦な、と思う。初対面の、どう見ても自分とは住む世界が違う相手だ。なのに、どうしてか。離れる事が、我慢出来ないほど厭だったのだ。


(外国人の女の子かと思ったんだよなぁ。それで、マジで俺の性癖はヤバイのかと……)


「ゆぅ」にもこの子供にも、下劣な感情は勿論抱いていない。しかし安堵をくれたのは、どちらも幼い“少女”だった。己の性癖を再度疑うには充分すぎる。

 しかし子供は少女ではなく、綾小路あやのこうじ龍治りゅうじと云う名の少年であった。


(……ブッ叩かれるとは思わなかった……)


 思えば、あの時から龍治の化けの皮が剥がれて行ったように思う。

 大声で「女だと思ってました」と云い放った椋太郎の頭を、よりにもよって教鞭のような鞭で叩いた龍治。その後から穏やかな微笑や案ずる眼差しより、強気な笑いと小馬鹿にするような笑顔が増えた。「しょうがない人ですねぇ」と笑う龍治に、「子供の癖に」と思うよりも先に胸にふわりと甘い何かが広がったのは何故だろうか。

 不安や哀しみを食い潰して、安堵と平穏を得るのは、どうして。


「椋太郎さん」


 美しい顔に相応しい、その涼やかな美声で名を呼ばれて、どうしようもなく嬉しくなるのは、何故なのか。

 まだ会って間も無い子供を相手に、違和感なく心を傾けて行くのは――



 *** ***



 とんでもない事になってしまった、と椋太郎は頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。

 ――麻倉亜麻音が、ここまで追いかけて来たのだ。


(なんで見つかったんだマジで!)


 学長以外には告げていないので、学長が漏らしたかと一瞬思ったものの、あの人がそんな事をするはずがないとすぐに思い直した。しかしならば何故と思うが、答えを聞いても麻倉は「運命」を声高に喧伝するだけだろう。


「……久遠様。どこかでもう一度、休憩なさいますか?」

「あ、いえ、大丈夫です……っ」


 遠慮がちに声を掛けてくれた火々池かがちに、首を横に振りながら答える。これ以上手を煩わせるのは心苦しいどころではない。


 麻倉の尋常ではない様を見て、椋太郎の身に危機感を抱いてくれたらしい龍治は、自分の護衛をわざわざ椋太郎へつけてくれた。女子供でもあるまいに、成人済みの男が男に家まで送られるとかないだろうと思うのだが。「何かあった方が困る」と云われてしまえば、頷くしかない。

 本当に何故、龍治はここまで親切にしてくれるのだろうか。


(俺、全部話してないのに……)


 事情は話したが、所々端折ったし、本当でない事も話した。藤井の事はとてもではないが云えなかったし――「ゆぅ」についても、一切触れなかった。

 どうしてか、龍治に「ゆぅ」の存在を話したくないと思ったのだ。それがどうしてかは分からない。何故か“不愉快に感じる”のだ。だから、この件に「ゆぅ」は直接関わっていないから話さなくてもいいだろうと、勝手に判断した。

 罪悪感がある。全てを話していない、後ろめたさ。しかし龍治はそれすら許して微笑んだのだ。


「……」


 何故だろうと、思う。客観的に考えてみると、とても不思議だ。

 龍治のような子供が、どうしてこんなに椋太郎のような大人に親切にするのだろう。本人は、「気に入った人間に甘い」と云っていたし、その笑顔があまりにも妖艶に見えて動揺してしまい、流されるまま納得してしまったが。

 何故龍治は、椋太郎が気に入ったのだろう。ただの人間だ。いや、椋太郎は自分を人間のクズだと思っている。とてもではないが、常識的に考えて、龍治に関わる事を許される上等な人間ではない。特別な事も何もしていない。会う度に三十分から一時間ほどお喋りするくらいだ。世間話をする顔見知り程度の間柄だと、思っていたのに。

 まさか龍治から「友人」認定を受けていたとは、想像していなかった。

 その事に――チクリと“胸が痛んだ”。


「……?」


 何故、胸が痛んだのだろう。龍治に友人と思われていたならば、それは勿体ないくらいの栄誉ではないだろうか。

 なのに痛むと云う事は――友人である事が気に入らない、と云う事だ。

 それが解せない。自分自身でも、わけがわからない。


(友人じゃなかったら――何になりたいって云うんだ、俺は……?)


 理解出来ない感情を、首を振って追い払う。深く追求しても答えは出ないと――何故か椋太郎には“分かっていた”のだった。



 *** ***



 しばらくの間は、平穏だった。

 公園に出向かず、椋太郎は部屋で龍治を待っている。部屋にこもりっぱなしだと云うのに、椋太郎は陰鬱な気持ちにはならずに居た。

 自分でも健気だと思うほど、龍治が来るのを待ちわびている。遊びに行ってもよいかと云う連絡が来る度に、掃除をしたり茶の支度をしたりと、迎える準備に余念がない。茶菓子は龍治が毎回持って来てくれるので、それも楽しみの一つと云えばそうだ。


 そこで不思議に思うのが、龍治の買って来る菓子がそこそこ良い程度のランクである事だ。龍治のような大財閥の御曹司ならば、とても椋太郎の稼ぎでは買えないような菓子を持ってきても不思議ではない。しかし龍治が持って来るのは、「少々高いが椋太郎の腰が引ける程ではない」ランクのものである。この厭味でないささやかな気遣いを、龍治のような立場の人間が出来る事が、不思議だった。

 名門お嬢様校に勤めていた事もあって、椋太郎は上流階級に属する人と関わった事がある。価値観の違いは厭と云うほど味わった。椋太郎は中の上辺りの育ちなのだが、それでも上に属する人達について行くのは大変だったのだ。しかも上流の人間と云うのは、下の者への配慮に欠ける人間が残念ながら多い。ご立派な大人ですら、平然と下に属する者を見下してかかるので、それを見て育った子供がどうなるかなどお察しと云う話である。

 しかし龍治にはそれがなかった。日本どころか世界屈指の大財閥、名家『綾小路』の御曹司だと云うのに。

 そもそも、この部屋に初めて招いた時だって興味深そうに見てはいたが、驚きや嫌悪は一切なかった。護衛の佐々木が割と失礼な事を云った時など、即刻咎めて謝罪させたくらいである。

 不思議な子供だなと、改めて思う。


 そんな不思議な子供の元、この穏やかな日々はどれくらい続くのだろうかと、そう思った矢先であった。



「……」


 銭湯から帰ってきたら、部屋の電気が点いていた。

 椋太郎は出かける時、当然電気を消して行く。ドアの鍵だって閉めた事を二度確認してから出ている。

 なのに、部屋が明るい。

 合い鍵は誰にも渡していない。そのうち兄にでも渡そうかと思っていて、結局渡さず仕舞いだった。いっそ龍治に渡そうかと考えたりもしたが、「なんでだよ」とセルフ突っ込みをして無かった事にした。

 ならば、何故。


「……」


 銭湯の広く温かい風呂で温めたはずの体が、急激に冷えて行く。冷や汗を掻くほどの恐怖があった。

 まさかと思いつつ――そのまさかであると、第六感が喚いて来る。


 椋太郎はくるりと踵を返した。アパートからほど近い所に、交番がある。龍治がどう話を通したのか、椋太郎が性質タチの悪いストーカーに遭っていると上手く説明してくれたらしく、見回りを強化してくれたり、前を通ると声をかけて来てくれたりする。

 つまり今、この場で、最も頼りになる存在であった。


「あの……こんばんは、すみません……」

「おや、こんばんは」

「あれっ、久遠さんじゃないですか! どうしました?」


 交番には、渋い柄の湯呑みで茶を飲んで居る中年の警官と、今から見回りに出るらしき若い警官がいた。どちらも居る事に、僅かに安堵の息が漏れた。

 若い警官――早間はやまが親しげに歩み寄って来る。愛嬌があり人懐こい男なのだ。


「えっと、俺の勘違いだったらいいんですけど……」

「はいはい?」

「……確かに電気を消していったのに、部屋の電気が、ついてるん、です」

「……」「……」


 云って、「早まったかな……」と思ってしまった。

 冷静になってみると、情けない事を云っている。部屋の電気がついてたくらいで、わざわざ交番に来るとか。いい年した大人の男が。

 羞恥を感じ始める椋太郎であったが、警官達は真顔になっていた。中年の警官――塩野しおのが湯呑みを置いて立ちあがる。


「行くぞ早間」

「ラジャーです塩野さん!」

「えっ」

「綾小路様からお話は伺っています。何かあってからでは遅いですから、我々も行きましょう」

「あ、えと」

「久遠さんは僕らの後ろに居て下さいね!」

「あ、はい」


 本当に―――どう話を通したのだろう、龍治は。凄い速やかな対応なのだが。

 椋太郎のイメージでは、ストーカー系において警察の動きは遅いとある。手遅れ感があると云うか。近年は悪質なストーカーやそれに関連した殺人事件すら起きているので、対応が強化されているとは聞いていたけれど。これは流石に速やかすぎやしないか。


(どう云う風に話したんだよ、龍治……!)


 頼もしい背中を二つ見つめながら、椋太郎は小さな“友人”の底知れなさを再度味わうのだった。



 *** ***



 結論から云えば――不法侵入されていた。案の定、麻倉亜麻音に。

 この時ばかりは、椋太郎は本当に頭を抱えてしゃがみ込んだのである。お巡りさんに来て貰っておいて心底良かったと思った。頼って無かったら人生が積んでいたかも知れない。そう思ったら尚更怖くなった。泣かなかったのはなけなしの矜持プライドである。

 麻倉が大人しく捕まる訳もなく、大暴れしたのでとんだ騒ぎになってしまった。後で大家さんやアパートの他の住人へ菓子折りを持って謝罪に行かねばなるまい。正直なところ、追い出されても文句云えない気がしている。

 しかしそんな後の事より、今現在置かれた状況を打開する事の方が重要である。

 積りに積り続けた諸々のものが、もう色々と、限界に近かった。


 会議室のようなそこそこ広い部屋で、事情聴取をされた。塩野と早間はまた別の部屋で事情を説明しているらしい。麻倉も事情聴取されているようだが、娘がいない事に気付き慌てて追いかけてきていたらしい父親が存外早く警察署に到着してしまい、今は別室でこれまた大騒ぎをしているようだ。

 そのせいもあるのか。一応椋太郎が被害者なのだが、見た目がいかにも根暗なニートなので、周りの目が冷ややかに感じる。胃が痛い。何でこんな目に遭ってるのだろうか。

 自分と麻倉の関係については、隣県の樋熊ひぐま区に問い合わせて欲しいと頼んだが、本当に確認してくれたかも疑問だ。聞くに聞けないけれど。


「どなたか、身元を保証してくれる人はいますか?」

「身元、ですか……」


 胡散臭そうにこちらを見て来る人から云われ、頭に真っ先に浮かんだのは両親でも兄でもなく――龍治だった。

 脳裏に浮かんだ龍治が、「もっと早く頼ってくれません?」と半笑いで云って来た気がする。


(……大人にだって、一応プライドってもんがさ……)


 キリキリと胃が痛む。吐きそうだった。

 椋太郎は許可を取ると、震える手で電話をかけた。相手は勿論、龍治である。

 三コールほどで、龍治は電話に出た。


『はい、もしもし? 龍治ですけど』


 その声だけで一気に安堵をおぼえる自分は、間違いなく駄目な大人である。しかしもう、プライドなど気にする段階は過ぎてしまった。


「おう……俺だ……椋太郎だ……」

『どうしたんですか。絞殺される前の犬みたいな声出して』

「例えに悪意を感じるんだがまぁそれはいい。助けてくれ」

『藪から棒に。どうしました、麻倉亜麻音が来ましたか?』


 恥も外聞も放り投げた椋太郎の言葉に、龍治は軽い声でざっくり核心を突いてくれた。短く「来た」と告げると、『おや』とこれまた軽い声が帰って来る。


「――俺の部屋に不法侵入しやがった!」

『……』


 龍治は無言だった。まさかそこまでやらかすとは、龍治すら思っていなかったのだろう。龍治の想定を越えるのは凄い事だと思うが、こんな方向に超えなくてもいいだろうと心底思う。

 電話の向こうで、龍治が溜め息をついた。


『……今、どこですか』

うずら区の警察署。麻倉の親が来て騒いでんだよ……何でもするから助けてくれよもう……」

『今すぐ行きますから、何でもするなんて危ない事云わないで下さい。俺が足舐めろって云ったらどうするんですか』


 悲痛な声で訴えると、龍治は呆れを含ませた声で割ととんでもない事を云った。

 普段の椋太郎なら「何云ってんだお前は」とでも返しただろうが、様々な要因から限界に近かった椋太郎はそこで崩壊した。

 ぎゅぅと携帯を握りしめ、叫ぶように云う。


「喜んで舐めるわ! 足の裏から指の間までペロペロしてやるよ! もう厭だ! お願い早く助けて!」

『どこの追い詰められ系ヒロイン……あぁはいはいすぐ行きますから泣かないで。ちょっと待ってて下さい、ね?』

「待ってる……」


 素直に頷いて項垂れる。本当にもう、助けて欲しかった。情けなくて堪らないが、本当に駄目な大人だが――クズにこの状況から脱する力はない。

 椋太郎が思わず叫んだ言葉に周りの目がさらに冷たくなったが、もう弱り切った心には何も響かない。どうとでもなれと虚ろな目をしてしまう。ひたすら心の中で龍治の名前を唱えていた。

 少し前までは、辛い事や哀しい事があれば「ゆぅ」や藤井の笑顔を思い出して己を奮い立たせていたと云うのに。己が酷く薄情な人間に思えた。いやそれより、何故こうもすんなり龍治は、椋太郎の心へ入って来て腰を落ち着けているのだろう。それほどまでに相性の良い相手だとでも云うのか。


 ――ふと、頭の中に、“懐かしいヒト”の後ろ姿が過ぎった。


(……誰だ?)


 その背中に見覚えはない。背の高さも、髪の長さも、体型すらも曖昧な後ろ姿。でも確かに、その一瞬驚くほどに“懐かしさ”を覚えた。ぎゅぅと、胸が締め付けられるほど。見た事もないヒトのはずなのに。

 それに何故、今この時にその姿が過ぎったのだろう。「ゆぅ」と藤井の事を思い出し、龍治の事を考えていたこの時に。どうして、見た事の無いヒトを、“思い出した”?


 少し混乱しそうになったが、すぐに落ち着きを取り戻す。あまり深く考えるべきではないと、思った。対して重要な事でも、必要な事でもないと、無理矢理自己完結させる。

 そこへ、早間が駆けこんで来た。


「久遠さん! ご無事っすか!」

「早間さん……」

「ちょっと皆さん! その人被害者ですよ! 対応間違えてません?!」

「うっせーな。若造が口出すな!」

「若造だろうが古だぬきだろうが、間違ってる事には口出しますよ! 綾小路様の不興買っても知りませんからね!」


 その言葉に他の人間が、驚いた顔付きになる。なんでそこで『綾小路』が出てくるのか、わかっていない顔だ。それはそうだろう。椋太郎は麻倉との関係を問い質されただけで他の事は聞かれていないから、龍治との関係は話していない。早間と塩野はそれぞれ話したかも知れないが、この場に居る三人の耳にはまだ届いていないだろう。寝耳に水の状態に違いない。

『綾小路』の名前の影響力はそれなりに分かっていたつもりだったが、警察にまで有効なのかと少し驚く。そう云えば『綾小路家』の当主は代々財政界に大きな影響を与えられると云う話を聞いた事がある。本当だったのか。そうなると本当に、とんでもない友人を得てしまった事になるのだが。


 ぷんすこと怒りながら、早間が椋太郎へ近づいて来る。


「なんかな事されてません?」

「いえ、大丈夫です……」

「でも顔色悪いですよ。あ、お茶飲みますか。あんまり美味しくないですけど!」


 早間の軽口に、椋太郎は思わず笑った。気さくなイメージがある町の駐在さんそのままな人だなと思った。

 その後塩野も来て、手に持ったA4サイズの茶封筒を部屋の隅の方に居た――全然気付かなかった。それだけ切羽詰まっていたのだろうか――恰幅のよい男性に渡した。男性は中身を確認しながら、塩野の話を聞いているようだった。一々頷いて、たまに口を開いている。

 それを味の薄い茶を飲みながら横目に見ていると、今度は女性職員が部屋にかけ込んで来た。血相を変えて男性に駆け寄り、叫ぶ。


「あ、綾小路家の若様がいらっしゃってますッッ!」

「なんだと!」

「く、久遠さんのお迎えに上がったとか……!」


 部屋にいる全員の目が、椋太郎へ向いた。塩野と早間は「良かったですねー」と云わんばかりの顔だが、他の人達は「なんであんたを迎えに綾小路が出てくるんだ」と驚きの表情である。

 友達だからです、と云って納得して貰えるのだろうか。


 男性が塩野と早間にこのまま待機して椋太郎の側にいるようにと云って、他の三人と女性職員を連れて部屋から出て行った。二人は彼らを敬礼して見送ると、いつもの気の良さそうな顔をして椋太郎の近くへ来た。


「やれやれ、一時はどうなるかと思いましたが……」

「俺、何か疑われてるんですか?」

「あの人ら、単純に痴情の縺れだと思ってるんですよ。女子高生がストーカーするなんて思ってないような、頭固い人達ですから」

「え……」

「あぁ、大丈夫です、大丈夫です。久遠さんに頼まれた通り、樋熊区の警察署に問い合わせて事情聞きましたよ。それについては署長に説明しましたから、心配いりませんよ」

「そう、ですか……」

「しっかし災難っすなー、久遠さん。結構可愛い子でしたけど、あの暴走っぷりじゃぁ苦労したでしょ。俺まだ蹴られた腹ちょっと痛いっすもん」

「え、大丈夫ですか?」

「鍛えてるんでへーきですよ! あらら、また顔色悪いですよ。おまんじゅう食べて気分転換でも」

「早間、お前それドコに持ってた」

「…………てへぺろ!」

「……また勤務中に食うつもりだったな?!」

「違うんです塩野さん! 俺が買ったんじゃなくて梅田屋のおばあちゃんがくれたからー!」

「云い訳にもならんわ!」


 ぎゃいぎゃいと漫才のようなテンポで会話をする二人を見て、椋太郎も何だか気が抜けた。

 どうやら誤解は解けたようだし、龍治も来てくれた。もう大丈夫だろうと、そう、思った。

 ――思ったのが、悪かった。


 唐突に扉が開いた。ノックも無しだ。

 ぎょっとして扉の方を見て、椋太郎は顔色を真っ青にする。


「見つけたわ『椋太郎』! こんな所で何してるの?!」

「亜麻音! 勝手な行動は慎みなさ…………貴様、久遠椋太郎?! やはり貴様が娘を誑かしたんだな?!」

「私が不当に捕まってるのよ?! 恋人なら助けに来て当然でしょ! こんな所でのんびりして、何考えてるのよ! 薄情者!」


 勝手な事を喚き立てる二人に、塩野と早間が険しい顔をして椋太郎との間に入る。塩野が小声で、「何で容疑者自由にしてるんだ。杜撰すぎるだろ!」と誰かを罵っていた。

 早間が大声で外に呼び掛けたが、二人は警官二人など見えていないかのように部屋に入って来ると、乱暴に扉を閉めた。

 父娘は非常によく似た瞳をギラギラとさせて、椋太郎一人を見ていた。


 なんとびっくり、15724字でしたー! わー!

 龍治以外の攻略キャラ視点は長めに書く予定ではあったんですけど……予想外に……長い……。

 椋太郎鬱鬱しすぎだよ……。ここだけ梅雨が早めに来てるよ……。


 えーと、もう一話続きます。もう一回椋太郎視点です、マジすいません。

 その後一段落つけて新章入りますよー!

 もう少し奴の鬱っぷりにお付き合い下さいませー!(土下座)

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