27.痛ましい事故でしたね?/???
この物語は、
<R-15>の<残酷な描写あり>です。
上記を胸に留めてお読み下さいまし。
“この世界では”麻倉亜麻音と呼ばれる少女は、あの日からずっと自室に軟禁されていた。
いや、ほとんど監禁と云っていいかも知れない。学校が冬休みであるのをいい事にあの父親は、排泄と入浴以外での外出を厳しく制限しているのだ。
「お前の為だ」「大人しくしていろ」「此れ以上手を煩わせないでくれ」そんな冷たい言葉を吐いて、娘である亜麻音を閉じ込める。最低な親だ。亜麻音は強くそう思う。
最低なのは父親だけではない。母親と姉もだ。いや、この家に居る者は全て亜麻音にとって最低で最悪で酷かった。
誰も亜麻音を庇ってくれない。慰めてもくれない。好きな人の為に頑張ったのに。酷い子供に泣かされ辱められた亜麻音に、誰も優しくしてくれないのだ。
母親は「どうしてあんな事したの。そんな子じゃなかったのに!」とまるで亜麻音が悪いかのように泣き濡れる。姉は冷たい目で亜麻音を見下し「もう妹だとは思わない。莉々依にも合わせる顔が無いわ」と憎々しげに云い放った。
なんて酷い人達なのだろう。母親と姉の癖に。娘を、妹を悪者に仕立てあげて恥ずかしくはないのか。亜麻音は不思議で仕方がない。
“せっかく『ヒロイン』の家族にしてあげた”と云うのに、なんて酷い奴らなのだろう。
その家族に従う使用人達も言語道断で劣悪な連中だ。少し前までは亜麻音の顔色を窺い、媚び諂っていた癖に。家族が亜麻音に冷たくなったら、それに倣い始めたのだ。目を合わそうともしない。入浴など以外で部屋を出ようとすれば、力づくで押し込めようとして来る。口も利かなくなった奴らまで居る。
最悪だ。亜麻音の味方はどこにも居ないのだ。なんて酷い家に生まれてしまったのか。いいや、違う。
“何故神様は、こんな家の娘にこの『ヒロイン』たる自分を据えたのだ。”
どう考えてもおかしいではないか。『ヒロイン』ならもっとよい家の娘に据えるべきだ。あの『綾小路』すら敵わないような、最上位の家の娘にするべきだ。とんだ手抜きである。酷い詐欺にあった気分だ。
苛立ちが募り、ギリリと歯ぎしりをする。もう何もかも気に食わなかった。
そもそもこの家が気に入らない。短くはない歴史を感じさせる典型的な日本家屋――つまりは古臭い旧式の遺物だ。自分に似合うのは、最新の建築技術を駆使した真新しい洋館ではないのか。畳みの臭いなど大嫌いだ。一階は先祖の仏壇があって抹香臭くて堪らない。そう云えば母は常に和装だ。あんな面倒くさい衣装を、さも素晴らしい物であるかのように着こなして鼻につく。良妻賢母を気取る愚劣な女だ。
亜麻音がそれまでの黒髪を茶色に染め、緩くウェーブをかけた時にも、母はうるさかった。麻倉家の娘として恥ずべき姿だと。黒髪ロングストレートなど、その方が恥ずかしい。陰気臭くて厭になったから変えてやったのだ。あの莉々依とか云ったモブでさえ、ビスクドールのように愛らしい格好をしていたのに、何故『ヒロイン』たる自分が辛気臭い格好をしなくてはならないのだ。意味がわからない。
ぐしゃりと前髪をつかむ。両手で額を押さえて、亜麻音は項垂れた。
本当ならベッドに寝転がりたいのに、この家は布団しかない。ベッドが欲しいと云っても「麻倉に相応しくない」などと云って買ってもくれない。下らない。布団に寝転がるのが厭で、椅子に座っているのだ。目の前のテーブルには何もない。全部床に落としたからだ。
畳み張りの部屋には、桐製の箪笥や棚がある。これがまた古臭くて厭で、亜麻音は徹底的に破壊してやった。中身を全部ぶちまけて、引き出しをひっくり返して。どうせ片付けるのは気に入らない使用人共なのだから、どうだっていい。苛立ちを解消する役に立ててやっているのだ。有難く思えばいい。
「……どうしてよ」
憎悪を込めて呟く。誰も聞いてないから、誰も答えてなどくれない。それでも云わずにはいられなかった。
「……私が、『ヒロイン』なのに……!」
何度繰り返しただろう。この世界の真実を、素晴らしき事実を。
亜麻音は『ヒロイン』なのだ。この世界の中心に座す、何よりも愛されて然るべき存在。誰も彼もが亜麻音を愛し、慈しみ、丁重に扱うべきなのだ。それが当然の事なのだから。
ゲーム―――『世界の全ては君のモノ』はそうだった。『ヒロイン』は誰からも愛された。あの傍若無人な『綾小路龍治』からも、年が離れたカッコいい幼馴染の『久遠椋太郎』からも、己が人生に絶望していたはずの『岡崎柾輝』からも、他の全てのカッコいい男たちから、愛されていた。
その愛される様に嫉妬した醜い女達は悉く駆逐され、『ヒロイン』は天上の幸福を手に入れる。それが正しい世界の姿なのだ。
だって――“プレイ動画で、そう云うルートがあった”のだから。自分だって、そうなるべきなのに。
これはどう云う事なのだと、頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
「……神様に騙されたんだわ……!」
『ヒロイン』になれると云ったくせに。新しい人生を歩ませてくれると云ったくせに。加護を与えるとも云ったくせに。
何もかも、嘘だった。
「……っ!」
憎悪が迸る。それと同時に哀しみも湧き上がる。
何も悪い事をしていないのに、どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのかと。世の中の理不尽さに、無性に泣きたくなって―――
「――どうしてそうなった」
あんまりにも馬鹿馬鹿しくなって、【ソレ】は“麻倉亜麻音”の心を辿る事をやめた。ついでに、呆れを十割含んだ呟きも口にする。
「だ、誰?!」
部屋に居るのは自分だけだと思い込んでいた“亜麻音”は、驚いたのか椅子を倒す勢いで立ちあがり、怒りを滲ませた表情で部屋を見回した。
仕方なく【ソレ】は“亜麻音”の前へと姿を見せる。部屋の隅、闇から這い出るように、ずるりと。ように、ではなく、事実“闇から這い出た”のだがそれはまぁどうでもいい事だろう。
“亜麻音”が怯えるように、僅かに身を引いた。仕方ない事だろう。“亜麻音”の目には【ソレ】が、人の形をした黒い塊にしか見えないのだから。推理物のアニメに出る、真犯人の正体を隠すための演出である、あの黒い人間のような感じに見えているのだ。あれはアニメだから演出で済み、正体とかけ離れた体格は笑いの種になるだけだが、現実で目の前に黒い人形が現れたら怖いだろうなぁと【ソレ】でも分かる。
「こんばんは、お嬢さん。手前は神様の使いっぱ……ごほん、神の御使いデス。今日は」
「あんた神様の手下なの?! 来るのが遅いのよどう云うつもり?! 私がこんな目に遭ってるのに、何をのんびりしてたのよ役に立たないわね!」
自己紹介及び目的を話そうとしたら、これである。怯えを見せたのが嘘のようだ。マシンガンの如く罵詈雑言が飛んできて、さしもの【ソレ】もイラッと来た。
神様の使いっぱしりは神様の使いっぱしりなので、神様以外の上から目線はとっても腹が立つのだ。
「……ちょっと黙ろうかビッチ」
パチン、と指を一鳴らし。それだけで、“亜麻音”は声を奪われた。突然声が出なくなった事に、“亜麻音”は顔を青くして咽喉を押さえる。それから、怒りの表情で【ソレ】を見た。
その強気根性だけは評価していいと思う。役に立たないけれど。
「君がそんな目に遭ってるのは、君自身の責任だろお? なぁんで僕が責められなくちゃぁいけないのかなァ?」
「……! ……!」
「あはは、何云ってるかわっかんねっ! そうしたのは俺だけどね! その顔間抜けでとってもいい感じだぞ!」
「……!」
「プライドだけは高いにゃぁ。怒るとこそこにゃの? え? あぁ云ってる事分かるよー。ただ声が不愉快だから消音しただけにゃー。……あ、ちなみにさっきから口調変えてるのはわざとだから、大いに気にしてくれていいんだよ! ほらぁ、口調統一しないと不愉快な違和感感じるジャーン? それ狙ってるから、遠慮なく苛ついてね!」
「――ッ!」
おどけて云ってやれば、“あの子”とは違って気の短い少女は怒りの表情で飛びかかって来た。本当に、その強気だけは買いだ。無駄買いに違いないと思うが。
大人しく殴られてやる気もないので、さらっと避けてやる。勢いのまま、“亜麻音”は壁に激突したので面白くなって【ソレ】は笑った。
「あっはっはっはっはっ! ……莫迦なの?」
「――ッ!」
「あのさぁ、私、神の御使いって名乗ったよね? それって、人間じゃないモノですって意味なんだけど、その辺ちゃんと考えてる? 考えてねーよなァそのザマじゃ! だーかーら、リュウジ君に負けてマサキ君に泣かされてそうなってんじゃーん?! ……いい加減、反省したら?」
自業自得の痛みで蹲る“亜麻音”に遠慮なく云ってやる。二週間も我慢して観察していたのだから、これくらいのイジワルは許されて当然だと【ソレ】は思った。
誤解されないように云っておくが。
【ソレ】はそもそも人間が大好きである。人間のどんな生き方も称賛するし、楽しめるし、愛せる自信があったし、それは紛れも無く事実でもあった。
しかしだ。二週間延々と同じ思考を観察し続ければ、飽きる……と云うか、なんと云うか。どんなモノでも愛せるが故に、停滞だけはいただけないのだろう。成長しないものは見ていてつまらない。どんな方向性でもいいから、変化が、成長が、進化が欲しかった。
例えば“亜麻音”が世界を呪っても神を呪っても別段否定する気はない。彼女の自由性を保障しようと云うものだ。そこから更に世界崩壊を望んでも神の死を望んでもOKだ。それを実行に移そうとしたら大喜びの拍手喝采だった。「何それ面白い! そこまで自分以外のもののせいに出来るってむしろ天晴れなのだよ!」と大声で云っていた自信がある。こうして目の前に現れる事も無く、彼女の行く末をニッコニコで見守っていただろう。
逆にこれまでの己を振り返り、反省してくれても良かった。自身の身勝手さを自覚して、周囲に謝罪し、罪を償い、真っ当な道を歩み出す。――素晴らしい事ではないか。「あぁ成長したのだなぁ、良かったなぁ」と微笑ましい気持ちで涙ぐみながら見守ったと断言出来る。そんな健気な子、応援しない訳がない。ひっそりこっそり見守って、場合によっては陰ながら手助けだってしただろう。素直なよい子は報われていいと思うから。
けれど残念な事に――本当に、残念な事に。
“亜麻音”には停滞と怠惰しかなかった。
いつまでもいつまでも、自分以外の全てを呪い、自分は悪くないと云い続け、周りが悪いのだと念じるだけ。
「私がこんなに可哀想なのに、どうして誰も助けてくれないの?」――そればっかり。
最初は面白かったが、二週間も続くと流石に飽きた。もう面倒くさい。どうでもよくなって来た。こんなのにいつまでも構っていたら、他の大事なモノを見過ごしてしまう。
だから【ソレ】は――終わらせに来たのである。尻拭いをしに来た、とも云うけれど。
「そもそもさぁ……可哀想だとは思わないのぉ?」
「……?!」
「いや、君じゃなくって。“君に殺された『麻倉亜麻音』”が可哀想じゃん、幾らなんだって」
「?!」
立ちあがった“亜麻音”が――“『麻倉亜麻音』に乗り移ったした少女”が、人聞きの悪い事を云うなと叫ばんばかりの顔になる。
だが、“事実だ”。
「君みたいなアホの子に体を乗っ取られたばっかりに、それまで積み上げてきた信頼も信用も親愛もぜーんぶ無くなっちゃって。犯罪者の汚名まで着せられちゃってさぁ。かっわいそーよねぇ。『亜麻音』ちゃん、なんにも悪い事してないのに」
「……?! ……ッ、……!」
「え? 私だって悪い事してない? ふほーしんにゅーは犯罪でーす。ストーカーは法律で禁止されてマース。“殺人はしてはいけない事”だよーぉ」
少女が首を左右にぶんぶんと振る。顔色は最悪だ。青を通り越して白い。脂汗をかき始め、体が小刻みに震え始めた。
その様はつまり――自覚があると云う事だ。
「神様ちゃんと云ったよね? 君の望みを聞く時に云ったわね? 「貴女はトラックに轢かれて死んでしまいました。突然の出来事で茫然としている事でしょう。我々にとっても貴女の死は運命から外れています。だから転生させてあげようと思います。ですが貴女の望むその世界には転生先を用意出来ません。その世界に行きたいなら、そこに生きる人を乗っ取らなければいけません。それでも貴女は“『世界の全ては君のモノ』の世界”へ行きたいのですか?」って。懇切丁寧に説明して云い聞かせたジャン。君、それに対して一も二もなく頷いたよなァ。「そんな事どうでもいいから、早くして!」って。あんたに乗っ取られる存在の事なんて歯牙にもかけないで。そこからどうやって楽しむかしか考えねぇでさぁ。ねぇわかる? わかってる? 貴女に乗っ取られたイコール、本来の魂の消失――つまり死亡。君がやった憑依って、“魂の殺人”に他ならないんだけどぉ?」
「……! ッ!」
「……なんか独り言云ってるみたいで寂しくなってきた。喋っていいよん」
またもやパチンと、指を一鳴らし。声帯から声が出て、少女はひ、ひ、と息継ぎをする。せっかく声が出るようにして上げたのだから何か喋ればいいのに、と思って【ソレ】は微笑んだ。
「ねぇ殺人犯サン。今どんな気持ち、ねぇどんな気持ち?」
「ち、違、う。わた、わたしが、悪いんじゃ、ない……!」
「こ、ここまで来てもそう云うか……! いっそ見事と云いたくなってキタわぁ……!」
口元に手をやって、あわわと呟きつつそう云ってやる。【ソレ】なりのちょっとしたお茶目なのだが、少女は無反応だった。己の――借り物の体を抱きしめて、ガクガクと震え出している。ボケを流されると寂しい。
「かみさまが……そうよ、神様が悪いのよ! わ、私の体をちゃんと、用意してくれれば、こ、こんな、こんな事に、ならなかったんじゃない!」
「それも一理あるけどねぃ。でも望んだのは君だろ? 神様叶えてくれただけなのだよ。自分の望みが叶ったのに、それを叶えてくれた存在のせいにするって……どうなの?」
「うるさい! 私は悪くない! 私のせいじゃない! だって、だって知らなかったもん!」
「知らないで済んだら死刑執行人は三人もいらぬ。そもそも知らない訳ないじゃん。ちゃぁんと神様説明したやん? あんたがこの世界に行きたいのなら、罪の無い無関係の人が一人消えますよーって! それでもいいって、云っただろ。今更無しにするつもり? ないわぁ、激しくないわぁ」
「うるさい黙れ! だ、大体、あいつだって嘘ついた! わ、私を『ヒロイン』にしてくれるって云ったくせに! なってないじゃない!」
「え? 嘘ついてないよ。“『ヒロイン』になれる”とは云ったけど、“『ヒロイン』にする”なんて神様一言も云ってにゃいし」
「同じ事でしょ?!」
「んな訳ねーだろ」
すっぱり切り棄てる。そのとんでもない勘違いを正さなければ先に進めない。
「あのねぇ、神様はちゃんと、君が『ヒロイン』になれるような能力を与えてるんだよ? よっく考えてごらんなさいな。まず立ち位置。本来の『ヒロイン』の幼馴染が勤めていた学校に通える程度の知力と財力。次に容姿。君が余計な事しなければ、清楚な大和撫子として『東堂院花蓮』たちにも並び立てる美貌だった。さらには人徳。溢れんばかりにあったんだよねぇ、それはもう素晴らしいくらいに。この三つをうまーく活用すれば、お前さんは『ヒロイン』に“成り変われた”。頭を使えばどうとでも立ち回れた。ねぇ、“生前の世界”で沢山読んだだろ? 夢小説とか、転生系恋愛小説とか。そこでさぁ、モブ的な役割にありながら一躍ヒロインに躍り出れた子、たっくさん居たじゃん? その子達頑張ったでしょォ? 調子に乗らないように気を付けて、知識を駆使して立ち回って、いつの間にやら逆ハーに! そんな展開、腹いっぱいなくらい読んだジャン。なんで実行しないの? なんで頭使わないの? なんで疑問に思わないの? どうしてそうなっちゃったの? 莫迦なの? なんなの? 魂腐ってるの? 勿体ない! 実に勿体ない! 能力の無駄遣いとはまさにこの事! アンタが莫迦じゃなかったら、“この物語”は君の素敵な逆ハー物になってたのに! 本当に惜しい! 勿体ない! 無駄にも程がある! まったく、綾小路龍治君を見習って欲しいものだ! あの子あんなに頑張ってるのに!」
「……どう云う、意味?」
「ん?」
「なんで、『龍治』が、出てくる、の?」
「気になるのそこ? 目の付けどころがいいのか、アホなのか……。まぁいいか、教えてあげる」
【ソレ】はにっこり笑ってみせた。少女が怯えて震える。酷いなぁと思ったが、思えば今の【ソレ】は黒い人形だった。怯えられても仕方がないと思い出し、軽く咳払いをする。
「だって龍治君“記憶持ち”だもん。前世の記憶を保持して転生してんだって」
「何よソレ! 反則じゃない!」
「はい?」
「あたしと同類って事でしょ?! ゲームキャラに転生したからって調子に乗ってあたしをいじめたんだ! 酷い! ムカツク! 最低だわあいつ! 絶対にゆるさな」
「黙ろうか“莫迦雌”」
指鳴らしを三回目。少女はまた声を奪われて喘ぎ、【ソレ】を睨み付けて来る。この回復力、凄いとは思うが見習いたくない。
「同類? 何云ってるの? 君は相手の魂を殺した“憑依”、龍治君は前世の記憶を持ってるだけの“記憶持ち”。全然違うけど?」
「――!」
「うぅ、お前みたいな莫迦に説明しても理解して貰えないだろうから面倒くさくてやりたく無いけど、一応説明してあげよう。アタクシって親切だから。
龍治君の前世はね、ちゃんと“この世界に転生先があった”真っ当な人だよ。どうして記憶を持ったままなのかは“機密事項”に当たるしボクの“管轄外”だから云えないけど、あんたと違って居場所がある人なの。お前とは全然違うの。現に主導権はちゃぁんと“現世の龍治君”が持ってるもん。前世は前世、現世は現世。明確にわかれていて、そこには違法性も犯罪性も卑怯もない。“報われている”だけさァ。
それに引き替えテメェは最悪だ。この世界で真っ当に生きていた居場所のある善良な人の魂を殺して乗っ取ったんだから。酷いねぇ、怖いねぇ、最悪だねェ。『麻倉亜麻音』ちゃんがそのまま生きていたら、とっても幸せになれたのに。良家の子女、成績優秀、大和撫子、婚約者もそのうち決まって順風満帆な最良の人生! 人によっては退屈って云えるかも知れないけど、平穏には違いない。運命の人だって誠実で真面目な今時珍しい硬派で素敵な人だったんだけどねぃ。もうダメだね。おしまいだ。君が乗っ取った時点で、『麻倉亜麻音』ちゃんの素晴らしい人生は終了してしまいました! あぁなんと云う悲劇! 哀しいねぇ、辛いねぇ。でもどうしようもない事だから仕方ない! だって世界は理不尽に満ちている! どんなに頑張っても、真っ当に生きても、善良にしていても、いっそ普通に生活していたって、理不尽と云う名の不幸は突然やって来る! そこに魂の貴賎はない! それを前には誰もが平等ナンダ! 報われないのが人生だ! 人は理不尽な目に遭うんだ仕方がない! それが厭なら死ぬしかないんだ! ……人間って大変だね。こんな不安定な世界で先もわからず一日一日を悔いなく生きなくちゃいけないなんて。それすら出来ない人間も居るなんて! あぁなんて不幸なんだろう! 呪うなら人間に生まれてしまった自分の運命を呪ってね! 神様何も悪くないから! ただ見守ってるだけだから! 怠惰なんて云わないで! 人間たくさん居すぎて、神様の目が全部には届かなくなっちゃったんだよォ。……それが厭なら人間が減るしかないね。……あれ? なんの話してたんだったかにゃー。興奮して忘れた、ちょっと後悔してる。あ、今の笑うところねー?」
茶目っ気たっぷりに云ったのだが、少女はガクガク震えて壁に背中を押しつけていた。頑張って説明したのに、酷い態度である。確かに狂気入ってた気がするし、ただの人間には怖かったかも知れないけど【ソレ】はちょっと傷付いた。すぐにまぁいいかと気を取り直したけれど。
「ところで問題」
「……っ」
「あたくしみたいな存在が、君みたいなゴミに懇切丁寧に説明する理由って、なにかしら?」
「……?」
「やっぱり分からない? 駄目駄目だねちみ。終わってるゥ。そこに痺れもしないし憧れも出来ない! だから慈悲丸出しで教えてあげよう!」
両手を広げて高笑い。これぞ悪役を演出しまくって、【ソレ】は大変満足だった。
「“悪者”が全てを語る時って云うのはネ―――自分が終わっちゃうから相手に最悪の傷をつけるべく盛大に暴露するか、もしくは……相手が終了しちゃうから、最期の慈悲として出し惜しみなしにしてあげてるかのどっちか、なんだよねぃ?」
「――ッッ!」
「さぁ、君はどっちかなァアア?!」
盛大に笑って“最期の”指鳴らしをしてあげれば、少女は「助けて殺されるッ!」と悲鳴を上げて部屋から逃げ出した。それにゲラゲラ笑って指差して腹を抱えて蹲る。つまらないと思っていたが、ここまでテンプレだと逆にうける。【ソレ】は目尻に盛り上がった涙を拭って、ヒーヒーと笑った。
「うへ、ぶふふ……いやぁ、最期に笑わせて貰ったわぁ。オレの二週間が報われたのね!」
少女は気付いているだろうか。屋敷が静まり返っている事に。
時間は夜の七時。まだまだ皆が起きてる時間。そろそろご飯の時間でもある。なのにどうして屋敷が静かなのか――云っておくが、【ソレ】は物騒な事など何一つしていない。屋敷の者達を殺して回ったなどと、野蛮な事は一切してない。
ただ、“眠って貰っているだけ”である。
少女との“最期の”語らいを邪魔されたくなかったので、お邪魔しますと同時に眠って貰ったのだ。神様の使いっぱしりだから、この程度はお茶の子さいさいと云う奴である。崩れ落ちるようにゆっくりと眠って貰ったので、怪我をした人はいない。怪我をしそうな人にはちゃんとフォローしておいた。仕事は丁寧に間違いなく。無関係の人を怪我させるのはよくない。
目を閉じる。瞼の裏に、少女の姿が映し出された。血相を変えて、死に物狂いで走る姿が。
『亜麻音』の部屋は二階だったから、少女は急いで階段へと向かった。とにかくおかしな奴から逃げなければと、それしか考えていない。逃げなければ殺されると信じて、廊下を走り、一階へ続く階段へと急ぐ。
階段側の廊下に、一人の女性が倒れている。【ソレ】が眠らせた、使用人の一人だ。
その使用人について語らせて貰えるならば――彼女は、実に健気な女だった。『亜麻音』に受けた恩を忘れず、人が変わってしまったとしか思えないお嬢様に対しても誠実に対応した。真摯に仕えた。どんな事があろうと自分だけはお嬢様の味方でいると想い続け、実際に居続けた素晴らしい女だった。
少し言葉が少なくて、少女には伝わっていなかったようだけど。でもそれは少女が悪い。真剣に彼女と向き合っていれば、その真摯な気持ちは必ず伝わっていたのだから。
彼女は傷付いているであろうお嬢様の為に、ハーブティーをお盆に乗せて二階へと向かっていた。旧い家であるが故に、段差が急で滑りやすい階段をゆっくりと。
同僚には止められた。お嬢様は昔のお嬢様ではないのだと、放っておきなさいと。それはきっと賢く正しい選択で、同僚は彼女の為を想って云った言葉だったし、彼女にもそれは分かった。けれど、それでも彼女はお嬢様を見棄てる事が出来なかった。必ず以前の心優しいお嬢様に戻り、罪を償って下さると信じていた。
そうして階段を上り切った所で急激な睡魔に襲われて、崩れ落ちる。お盆は廊下に転がって、茶器は落下して砕け散り、お茶は零れて流れ出て、“廊下と階段はしとどになった”。【ソレ】はそのお茶で彼女が火傷しないように、茶器の破片で切り傷を受けないようにとフォローはしたが、濡れた床はそのままにしておいた。掃除する気はなかったからだ。
さて。
必死になって終わりから逃れようと足掻く少女に、倒れる彼女の姿と濡れた床の存在は認識出来るだろうか――答えは、否である。
少女がもう少し心優しければ、倒れる彼女を心配して足を止めただろう。少女がもう少し賢ければ、濡れた床に気付きそのまま進んだ先の己の末路を予測出来ただろう。
しかし少女には、優しさも賢さも足りなかった。
倒れた彼女に気付いたけれど、邪魔だと顔を顰めて乗り越えて。急いでいたから濡れた床に気付きもしないで――呆気ないにも程がある。案の定、濡れた床に足を滑らせた。
その後は、目を閉じなくてもわかる。
急な階段。滑りやすい床が濡れてさらに滑りやすく。
少女は自分の体が宙に浮いた事に「どうして?」と思う事すら出来ず、頭から落ちて行って――
どんっ、だんっ、――ぐしゃっ。
「――……あ~ぁ」
その気の抜けた声の意味は、特にない。ただ【ソレ】は、「あーぁ」と思っただけだ。それだけだ。
のっそり立ち上がり、ゆっくり部屋から出る。少女が走って行った後を辿って、倒れる彼女に改めて傷がないかを確認して無傷な事に安堵して優しく微笑む。そうして、階段の下を覗き込んだ。
「うわ、グロッ」
ちょっと素が出た。うっかりである。誰も見ていないからいいけれど。
頭から落ちた少女は首が折れていた。首だけではない、右腕もイカれている。どちらもあり得ない方を向いていた。見開かれた目はほとんど白目。口からは泡になった血が溢れていた。元が良いだけに凄惨だ。酷い事故現場が出来上がったものである。
少女の自業自得とは云え――これでは『麻倉亜麻音』が可哀想だろう。そう思った【ソレ】は階段を適切な速度で降りると、『亜麻音』の遺体の側にしゃがみ込み手を合わせた。経は唱えず、ただ、哀れみだけを思う。
それから次にした事は、遺体を抱き起こす事だった。余計な力が入ってこれ以上体を壊さないように、ゆっくり慎重に階段へ座らせる。折れ曲がった首が酷い事にならないように手を添えて、見開いた目をそっと閉じさせて、血で汚れた口元を袖で拭ってやり、顔を整える。懐から取り出した定規を首に当て、白い布で固定する。慎重に壁に凭れさせてやれば、傍目には階段に座り込み眠っているように見えるだろう。顔から血の気が引けているので、近付けばわかるだろうが。足を揃えてやり、手は上品に膝へと重ねる。居間にあった花瓶へ差してあった百合の花たちを引き抜いて花束に。戻ってその花束を持たせてやる。あとは化粧かな、と思い付いて『亜麻音』の母親の部屋へと向かい、口紅を一本取ってきた。紫色になり始めた唇に真っ赤な紅を引いてやれば、なんとも可愛らしい等身大のお人形の出来上がりだ。
「うん、これでいいか」
満足げに頷いて、口紅を玄関に備え付けられた靴箱の上に乗せる。
こんな事をすればこの後どんな騒ぎに発展するか分かっていたが、敢えてやった。だって可哀想だったから。あんまりな遺体だったから。それだけの理由で、【ソレ】は騒ぎの種を撒いたのだ。
「お邪魔しましたー」
誰も答えない事などわかっているが、それでも礼儀として【ソレ】は挨拶を口にして、“堂々と玄関から出て行った”。そして数歩も行かない内に――どろりと闇に溶けて消えたのだった。
【ソレ】が出て行って数分後―――麻倉家は、蜂の巣を突いたような大騒ぎになる。
お読みになって下さった読者様が、
苛立ちとか吐き気とか怒りとかを覚えて、
不愉快とか気持ち悪いとか違和感酷いとか思って下さったら
作者の勝ちです。←
【ソレ】の正体に関してと、【ソレ】が云っていた話の内容に関しての質問には答える事が出来ません。
聞かれても「答えは小説の続きで!><」と申し上げるので精いっぱいで御座います。
ご了承くださいますよう宜しくお願い致します。




