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メイン攻略キャラだけど、ヒロインなんていりません!  作者: くもま
一章 向かう所敵なしのお子様、小学生篇
17/42

17.足掻いて歪んで欲しかったもの

 ひええ、遅くなって申し訳ないですっ!

 週一すらできないって貴様……! 叱られても正座して拝聴するしか選択肢がない。←


 お気に入り登録数2700件突破有難うございます! うわわ、嬉しい!

 その上、総合評価ポイントも7000越え……! ニッチ向け底辺に誠に有難うございますー!

 今後もと頑張りますね!

「でも本当の絶望は―――貴方が生まれてからでしたよ、龍治さん」


 こちらの心を凍らすように呟いた伊代子刀自に対し、龍治は改めて腹に力を入れた。

 相手の目を見据え、逸らさないように。怯え逃げを選べば負けだと、自分に云い聞かせて。


「……どう云う意味でしょう?」

「眞由梨達風祭の兄弟はみな、貴方より先に生まれました」


 龍治の言葉に答えているのか、それとも流されたのか分からないが、刀自は平坦な声で語り出した。黙って聞いていろと云う事なのだろうかと思ったが、龍治は相槌を打つ。


「そうですね。眞由梨も十一月八日生まれで、俺より先です」


 龍治の誕生日は十二月二十五日。ほんの一月と少しの差だが、確かに眞由梨も龍治より先に生まれた。

 しかし、それがどう“絶望”とやらに繋がるのだろうか。


「幸子さんが生んだ我が家の長男は、あの方にとっても私にとっても初孫となりました。それは喜んで下さってね。長男を抱っこして、まるで少女のようにはしゃいでいました。三日と間を置かずに孫の顔を見にいらしてね。あの方が喜ぶのも、我が家かざまつりに来て下さるのも、それは幸子さんのお陰だと分かってはいても、嬉しかったですよ。あの方にとって自分がいかに不要か、どうでもいいかを実感しながら、それでもね、会えて、お話出来て、お茶まで御一緒出来て――嬉しくて、楽しかった。後継ぎも生まれて、我が家は安泰で。これ以上望むなどしてはいけないと思ったものです。充分過ぎると、確かに思っていました。――けれどね、人は欲深いものでして。孫を得て喜ぶあの方の姿をもっと見たいと、私は思うようになりました。孫が増えれば、もっと我が家に来て下さるだろう、とね」


 花蓮が、龍治と繋いでいない――空いた方の手で口を抑えた。彼女もまさか、と思ったのだろう。


「刀自、貴方」

「一人では心配だ、兄弟は多い方が良い――そう、息子と幸子さんに云いました」


 柾輝も花蓮も、言葉で形容しがたい顔になった。恐らく、龍治もなっているだろう。

 こんな場所でこんな話題の中で、風祭の家族計画の話しなんぞ聞くハメになるとは。なんの因果だと云うのだろう。

 後、刀自には幾らなんでももう少し取り繕って欲しいものである。云える雰囲気ではないが。


「幸子さんは頑張って下さいましたよ。次男、三男と生んでくれて。それから間があきましたが――幸子さん自身がね、「女の子が欲しい」とずっと云っていたのですが、その願いが通じてかついに眞由梨が生まれました。初めての女の子。孫娘にね、あの方はそれはもう嬉しそうで。「女の子はおめかし出来ていい」なんて嬉しそうに女の子向けの服やおもちゃなどを沢山沢山買ってきて下さってね。眞由梨が大きくなったらあれしようこれしようと、楽しい計画までしてらした。幸子さんも苦笑していたわね。「しまった。またお母様の着せ替え人形さんが出来ちゃったわね」なんて。幼い頃は、幸子さんがその御役目でしたわ。あの方好みに着飾られて、美しく愛らしい姿を社交の場で見せつけて」


 龍治はふと思い出す。父の幼少期に興味を持ち、母に頼んで見せてもらったアルバムの中。

 幼い幸子は、ふんわりしたドレスを身にまとい、まるで妖精のような愛らしさで写真に収まっていた。

 あの時は単純に「似合うな」と思った。後から、「でも伯母様の趣味ではないような……」とも思った。しかし、年齢を重ねれば趣味が変わる事も往々にしてある話だ。伯母も、少女趣味からシンプル主義へ移行したのだろうと、特に深く考えずに思ったものだけれど。

 あれは、祖母の趣味だったのだろう。


「あの方は、生まれたばかりの眞由梨をにこにこ笑って見つめて、「はやく大きくなってね」「おばあ様と遊びましょうね」と語りかけて下さっていました。初めての孫娘にたくさん可愛い服を着せて愛でたかったのでしょうね。私も気持ちはわかります。あの子は、生まれた時から本当に可愛くて。もし目の色だけでも幸子さんから受け継いでいたら、今頃は眞由梨の周りも大騒ぎでしたでしょうね。顔立ちには少しだけ、あの方の面影があるようにも思えますから余計に。そうでなくても、私だって初めての孫娘が可愛くて可愛くて……その上、竜貴さんも産み月を迎え始めていましたからね。同じ年のいとこともなれば、親しい付き合いが出来るだろうと……女同士であれば親友に、異性であれば、恋仲になってくれないものかと、夢を見たものです。まるではしゃぐあの方に感化されたかのように、私も若返っていたのかも知れませんね。夢想と云うには図々しく、計画と云うには曖昧すぎる、そんな気持ちを抱いたものですわ」

「……」

「私はね、――あの方が好きでした」


 唐突な告白に、龍治は目を見開いた。

 刀自は微笑んでいる。

 それは、心の膿や闇など見えない、遠い過去に想いを馳せる憧憬の微笑だ。


「恋仲になりたいと思ったような、そんなものではありませんよ。でも、親愛と云うには熱く、友情と云うには甘く、けれど恋と云うには静かすぎる、そんな感情でした。何でもいいから、あの方の“何か”になりたかった。あの方の何かが欲しかった。でも、自分の力では何も手に入れられなかったから―――私は、歪んだのです」

「……」

「幸子さんを手に入れて、満足出来れば良かったのに。確かに幸せだったのに。あの白銀が欲しい、あの蒼が欲しい、あの美が欲しい、あの方の確かな心が欲しい――などと、欲望が尽きる事などなく。それでも私は、現実を見る事が出来ましたから、狂う事はなくてただ歪むだけでした。誰にも見せられない、語れない、曖昧で荒々しい醜い歪な欲望。それを押さえ込んで、ただ今あるだけの幸せを享受する日々。それで良いと思っていました。本当ですよ。

 ――けれど、その幸福な日々の中で、貴方が生まれたのです、龍治さん」


 テーブル越しに、刀自が手を伸ばして来た。両手は塞がっていたが、身を引いて避ける事も出来た。しかし龍治はそのまま大人しく、刀自を見つめていた。

 柾輝と花蓮の手に力が入ったが、大丈夫だと伝えたくて、優しく握り返した。

 枯れ枝のように細い指先が、龍治の髪に触れる。そのまま、二度、三度と撫でて、そっと離れて行った。

 刀自はどこか寂しげな目をして、龍治を見る。



「あの方の心、全てを奪って行った、あなたが」



 暗い声を落としながら、その表情は静かだった。


「綾小路の後継が生まれたと云う報が日本を駆ける前に、私達には幸子さん経由で貴方の誕生が知らされました。事前に準備していた祝いの品を持って、私と夫、息子、そして幸子さんと長男くうやの五人で病院へ駆けつけました。病院内は騒然としてましたね。綾小路の後継が生まれた、と云うだけでは説明出来ないほどに。私達の到着を知らされたばあやさんが迎えに来てくれてね、幸治郎様達の元へ案内して貰いました。部屋には、困惑気味の幸治郎様がいらして。孫が生まれたのにどうしてそんな顔をしていらっしゃるのかとお聞きしたら、無言でね、あの方の方を示された。あの方は、私達の到着など微塵も気付いてなかったのです。ベビーベッドにべったりとくっ付いて、一心に中の赤ん坊を――龍治さん、貴方を見つめていました。娘の幸子さんもいたのに、少しも、こちらを見て下さらなくて。幸子さんが何度かあの方を呼んで、ようやくこちらを見てくれたと思った時には、もう“いけませんでした”」

「いけない?」

「えぇ、心ここにあらず、と云うのですかね。目はとろんと蕩けていらして、頬は薔薇色、顔は至上の喜びに笑みを作っていらして。驚いた幸子さんが肩を揺さぶってどうかしたのかと云えば、あの方は幸子さんの頬を両手で包みこんで云ったのです。「“ようやく”私の孫が生まれたわ」と」

「ようやく、って……そんな、だって」

「私共も意味がわかりませんでした。ようやく、だなんて。もう既に、うちの空哉くうやを始めとして四人も孫がいたのですよ。それなのに、まるで初めて孫を得たようにそう仰って、あの方はまたベビーベッドへと戻ってしまわれた。私達は近付く事も出来なくて、ぎこちなく祝いの言葉と品を幸治郎様へお渡しして、具合が悪いと云う竜貴さんに労わりの言葉と軽い挨拶を交わして早々に部屋から辞しました。それから十日後、お見舞いとして私は一人でまた病院へと参りました。その時にはですね、あの方のようになった治之さんまでいらした。二人してベッドの中に寝ているだろう、赤ん坊の貴方を見つめていてね。流石に竜貴さんも苦笑いしてましたよ。幸治郎様も、自分も可愛くてたまらないけど、あの二人は行きすぎだ、なんて苦言を漏らしてました。私は不躾と思いつつ、我慢出来なくなってベッドを覗き込んで―――そして、納得しました」


 刀自が、目を細める。泣きそうな顔だと、龍治は思った。


「赤ん坊のまだふわふわしている髪は白銀で、開いただけの瞳は蒼色だったのです。ああ、と思いました。それ以外、何も考えられなくて。嬉しかったのか、哀しかったのか、それすらわからなくて。でも、貴方があの方の心を全部奪って行った事だけは、痛いほどにわかりました」

「……」

「風祭の孫達は、皆、黒髪黒目。あの方の色を受け継いだ者は誰一人いません。貴方だけが、あの方の色を持って、貴方だけが、あの方の孫になったのです」

「そんな、そんな事、は」

「“あったのです”。あの方が――どんな想いから、あぁなってしまったのかは、わかりません。でもあの方にとって、自分の色を忠実に受け継いだがどれだけ可愛かったかは、わかりました。龍治さんの側から片時も離れなくなって、龍治さんを産んだ竜貴さんを実の娘ゆきこさんのように可愛がるようになって、龍治さんと一緒なら写真すら許すようになって、龍治さんと一緒ならば社交の場にすら出てくるようになって―――……私達かざまつりは、見向きもされなくなりました」


 そう云って、刀自は目を伏せた。まるで、負け犬のようだ――違う、この人は負けたのだと、龍治は理解する。

 龍治へのみ向けられるアナスタシアの想いに、刀自は負けたのだ。アナスタシアを想う刀自の心は、彼女に届く事はなく。歪んで落ちて、死んで、終わってしまった。

 そう云う話なのだ、これは。



 祖母アナスタシア。

 何故彼女はそこまで、初孫やただ一人の孫娘すら棄てて、龍治一人を愛したのだろうか。

 祖母にとって、この銀と蒼は、そこまで重いものだったのだろうか。

 刀自や他の者達のように、欲しくて堪らない色だったのか。

 もしそうだとして、どうしてそこまで欲したのだろう。

 自分がもう持っているのに。原点オリジナルは手の内にあるのに。

 どうしてだ。わからない。もう、死んでしまった人だ。どうしてなんて聞いても、答えてくれる訳がない。


(――何もかも手に入れられたのに、何も欲しがらなかった人が、唯一欲しがったのが、いろかよ)


 笑えて来た。けれど刀自の手前、我慢した。今ここで笑えば、それは刀自を嘲笑ったように思われるだろう。それは、厭だった。

 歪んだけれど、終わったけれど、どうしようもなくなったけど。この人が本当にアナスタシアを好きだった事だけは、わかったから。


(だから欲しかったんだ。俺が。祖母の色を持って、祖母の愛すらも手に入れた俺を、この人は)


 その素晴らしいモノが自分の孫娘と結ばれてくれたら、とても嬉しいな、と。

 それだけの事だったのだ。


 刀自は現実がちゃんと見えている。

 欲しい物があった、どうしても欲しかった、手に入れたかった。

 そんな激しい欲求と同時に、それは無理だと冷静に分かってもいた。

 だからこの人は――酷く、中途半端になってしまったのだ。


(孫可愛さと自分の欲の複合で眞由梨を利用しつつ、結局俺の不利にはならないようにするって云うのがまた中途半端さに拍車が…………ん?)


 その中途半端さ、見覚えがある――いや、そんな覚束ないものではない。

 全力で、“身に覚えがある“。



(…………――俺じゃねーかッッ!)



 思わず、目の前のテーブルに頭を打ち付けそうになったが耐えた。自分の前にはもう冷め切っているとは云えお茶とケーキがある。そこに頭を打ち付けたらとんだ大惨事だ。両手が塞がっているので避けて改めて、と云う事も出来ない。いやそもそも、頭を打ち付けたいのは気分なだけであって、今ここで実際にやらかす訳にはいかないのでどうでもいい話なのだが。しかし家に帰った後で壁には打ち付けようと思う。


 とにかく龍治は、気付いてしまった。

 刀自の中途半端さが、自分にそっくりだと云う事に。


(ああああああ……何だこれ凄いもやもやして尻の座り悪い! そうだよこの人の考え方やり方俺じゃねーかまんま俺じゃねーか! そうか! 俺ってこんな中途半端で駄目な感じだったのか! ……死にたいッ!)


 恐らく、今龍治の顔は赤くなっている。湯気が出るレベルで赤くなっている。目を伏せている刀自には気付かれていないが、柾輝と花蓮は顔色を突然変化させた龍治に驚いているようだ。目に見えておろおろしている。だがそれに気を配る余裕はなかった。


 人は図星を突かれると逆上しキレやすいと云う。しかし、自ら気付いてしまえば羞恥が身を焦がすのだ。

 龍治は今、恥ずかしくて仕方がない。


(そうだよ俺だよ! 花蓮と柾輝が大事で、守りたいって思ってる癖に何も出来なくて! でもどうにかしたいってまごまごして! 周りを困惑させて心配させて、やってる事って云ったら刀自の懺悔を聞いてるだけだ! なにこれ駄目すぎて恥ずかしい死ぬ! 羞恥心で死ぬ! 駄目人間から自由財を取り上げる法律ってねーのかな?!)


 自由財とは、希少性がなくほぼ無限に近い量がある財の事で――まぁさっくり云ってしまえば空気とかその辺だ。しかし自由財は誰にでも自由に出来る財なので、残念ながら誰も取り上げてなどくれない。龍治を羞恥心で殺してくれる装置システムはないのだった。


 べちり、と龍治の頭に濡れた何かが乗った。それの冷たさにびっくりして顔を上げると、若干慌てた顔の弥栄が龍治の斜め後ろに立って顔を覗き込んできている。


「……大丈夫ですか?」

「あ、うん、大丈夫」


 すっかり存在をスルーしていた弥栄の突然の行動に龍治は驚いて、恥ずかしさから来る混乱が吹っ飛んだ。今は頭に何が乗ってるのかが気になる。多分、濡れタオルとかだと思うが。

 頭にそれを乗せたまま、龍治は深呼吸をした。

 自分の事は今はいい。それよりも、伊代子刀自の事だ。


 深呼吸が終わり改めて刀自を見ると、彼女は目をあけていた。龍治を見て驚いた顔をしている。当然だと思う。そして同時に凄まじく申し訳ない。大変まじめに自身の気持ちを吐露した御婦人の前で、自分は何をやらかしているのだと。


「……すみません。色々考えてたら、血の巡りがよくなってしまって」

「いえ、謝らないで下さいな。龍治さんが思慮深い事は私も存じておりますから」

(あちゃー)


 龍治にとって大変都合のいい方向へ誤解してくれたらしい刀自への罪悪感が半端無い。

 とにもかくにも。今は自分の事情は横に置く。棚上げだ。現在やるべき事は、自分の無様さを思い知らせてくれた刀自への恩返しだ。脳がフル回転しているのも、刀自のお陰なのだから。


 だから、今は。


(この人の哀しみに寄り添おう)


 龍治はきゅっと口を一文字にする。空気を察したのか、弥栄が頭の上にあった謎の物体をどかしてくれた。良かった、真面目な話をするのにどうしようかと思っていたのだ。

 刀自が少し笑った。今までとは違う、どこか軽い笑い方だった。


「……今更、貴方に何を云ったって、どうしようもない事ですのにね」

「おばあ様……」

「過ぎた去った事。過去の話。どうにもならない、変えられない事。でも、それを思わずにはいられない。過去に囚われて前に進めない無様さを自覚しながら、どうにも出来ないのです」

「……」


 また龍治の心をざっくんざっくんと削ってくれるものである。

 変えられない過去――その言葉を聞いて思い出すのは、前世の事。どう足掻いても変えられない、死ぬ前の人生の全て。ゼンさんと云う存在。避ける事は出来ても逃げる事は出来ない、囚われ続けなければいけないもの。


「あの方はもう、最期まで、いえ、最期になっても、貴方以外を見なかった。それが全てだと云うのに私は――過去をやり直したくて堪らなかったのです」

「やり直し、ですか?」

「そうです。あの方が欲しい、それは事実。けれどそれと同時に、あの方の人生は“あれで良かったのか”と、そうも思うのです。

 遠い異国から嫁に来て、素敵な旦那様と出会えて、それはそれで幸せだったでしょう。けれど、その後はどうでしょうか。周りの有象無象に群がられ、一方的な愛を向けられ、逃げるように屋敷に籠ってしまわれて。可愛い娘は自分の犠牲になるかのように騒動に巻き込まれて、他家へと嫁いでしまった。生まれてきた孫達はみな、彼女の色など一切受け継いでおらず、喜びながらも落胆されていたのでしょう。そして生まれてきた、自分の全てを忠実に引き継いだ孫一人に、全ての愛情を注がれて。もう他には何も要らぬと切り捨てて。そうして、亡くなってしまわれた。

 私には、ひどくさびしい人生に思えたのです。もっと、もっとあの方に相応しい、素晴らしい人生があったのではないか、と」

「それは……」


 最初は口ごもったものの、龍治は結局口にする事にした。


「余計な御世話ですよ、おばあ様」

「りゅ、龍治様……」


 敢えて否定的な言葉を云うと、花蓮が「云いすぎです」と言外に含ませながら名を呼んで来た。それに対しては頷き一つで答えておく。

 分かっている。自分の否定的な言葉は、傍から聞くと大変冷たく響くと。

 しかし刀自は――安堵したかのように、笑っていた。


「そうですね、その通りです」

「貴女は他人です、おばあ様」

「えぇ」

「幸子伯母を嫁に貰おうが、孫の眞由梨達がいようが、貴方は、祖母アナスタシアにとっては、他人だったんです。その他大勢の一人だった」


 刀自は微笑む。心安らいだかのように、凪いだ眼差しで。


 ――この人は、祖母の特別になりたかった。

 でも、そんな努力をする事すら許されなくて。

 ようやく手に入れたと思えた幸福は紛い物で。

 やり直したくて、どうにかなりたくて。

 しかし、全ては遅すぎて――。


 賢い人だから、きっと分かってた。自分がどうしようもなく矛盾していて、どうにもならないくらい歪んでしまった事を。中途半端すぎて、進む事も戻る事も出来なくなってしまった事を。

 わかっていて、それでもきっと―――許されたかったのだ。

 だから、もし、龍治にそれが、出来るのならば。


「だから――いいんですよ、別に。そんなに、自分を責めなくたって」

「……いいんでしょうか」

「“いいんです”。俺が云います。貴女が、気に病む必要なんてどこにもないです。アナスタシアの人生に関わらずにいて当然なんです。何も悪くありません。対岸の火事と眺めていて正解だったんです。“それで良かったんです”。何も、悪い事なんてありません」


 花蓮と柾輝に目配せをして、手を放して貰う。龍治は椅子から滑るように降りると、テーブルをぐるりと回って刀自の元へ行った。刀自は座ったまま、側に来た龍治を見ている。その目はやはり静かに凪いでいて――まるで、自分の死期を悟った猫のようだった。

 膝の上に綺麗に揃えられていた刀自の両手を、龍治は優しく握りしめた。刀自は驚いたように龍治を見て、それから泣きそうな顔になった。


「貴女は勝手だった。欲張りだった。どうしようもないほど、歪んでいたし、中途半端だった。……それでも、祖母アナスタシアを想ってくれた事だけは、本当だと思います。だから、家族を代表して俺がお礼申し上げます。祖母を愛して下さって、有難うございました」


 伊代子は目を見開いた。その目から一筋、ぽろりと涙が零れ落ちて。

 細く弱々しい手が、龍治の手をぎゅっと強く握って来た。それに答えながら、龍治は微笑む。


「アナスタシア、さま」


 呟くように零れた名前に、龍治はそっと目を閉じた。


 いつか自分も、こんな風に、許される日が来るのだろうか、と。

 全てを誰かに語れる日が、来るのだろうかと。

 そして、その日が来た時自分は、この人のようにその赦しを受け入れて、泣けるのだろうかと。


 そんな詮無い事を、考えた。



 *** ***



「龍治様はお優しすぎると思います」


 刀自に別れを告げ――こちらに向かって深々と頭を下げる彼女の姿は、未だ目に焼き付いている――車へ戻ると、柾輝が拗ねたような声で云った。

 弥栄達は何故か乗って来ないので、車内には龍治達三人だけである。行きと同じ席順であるため龍治を挟むように花蓮と柾輝が座っているのだが。その片側から予想外の事を云われ、龍治は驚いた。

 目をぱちくりさせる龍治に、花蓮が溜め息をつく。


「確かにそうですわ。龍治様はやはりお優しすぎます」

「花蓮まで何云ってるんだ」

「伊代子様をお許しになった事です。わたくしてっきり、引導を渡して差し上げるものかと」

「えっ、いや、その」


 そんな非道をする気はなかったと反論しそうになって、あ、と思い至る。

 自分の裁量と気持ちで許してしまったが、二人も充分刀自達に迷惑をかけられているのである。二人の気持ちも考えるべきだったと反省した。ハイキングの時にも似たような事で反省したと云うのに。自分はちっとも成長出来ていないのが悔しい。


「その……悪かった。二人の気持ちも考えるべきだったな。花蓮と柾輝も色々苦労したのに、俺の独断で刀自を許したから、その、勝手に悪かった。ごめん」

「……」「……」

「え、なんだその顔……」


 二人が口元をまるでアルファベットのAのような形にするものだから、龍治は若干引いた。なんでこんなに拗ねてるんだ二人は。謝ったじゃないか。


「龍治様はこれだから……」

「まったく、困ったものですわ」

「え、え、なんだよ、何なんだよ?」


 益々訳がわからなくなった龍治に、二人はさらに拗ねた顔になって行く。こうなるともう、龍治はどうしたらいいかわからない。眉を下げて、二人の顔を交互に見るだけだ。

 花蓮と柾輝は厳しい顔をする。怒っているのだろうか。


「龍治様、わたくし共は申し上げましたわ。遠慮は無用だと」

「頼って下さいと、お願いしました。僕らは、龍治様のお役に立ちたいのですから」


 そう云って二人は、龍治の手を片方ずつ手に取ってぎゅっと握りしめた。


「龍治様はいつも周りに気を使ってばかりおいでです。それを、悪い事とは云いません。龍治様は人の上に立つ御方。そう云った御配慮は必要だと思います。けれど、そうやって背負ってばかりいらしては、いつか龍治様が重みに耐えきれなくなって潰されてしまうのではないかと……僕らは心配なんです」

「わたくしも柾輝様も、龍治様が大切なのです。お側にいて支えたいといつも思っておりますわ。だから龍治様、どうか、もっとご自分の事もお考え下さいな。お優しい龍治様が、自分本位に動く事を好まれない事は重々承知ですわ。それでも、……時には、我が侭になっても、宜しいではありませんか。龍治様が自分の思うままに生きても、誰も、不幸になどなりませんわ……」

「……」


 二人が龍治を心配してくれている事はよくわかった。そして、その気持ちがとても嬉しい。

 確かに龍治は考え過ぎる所がある。出来る限り自分を律するようにもしているし、周囲への気配りも忘れたくないと思っている。

 しかしそれは、前世の記憶にある『綾小路龍治』を反面教師としているからだ。

 何故なら。


(俺が自儘に振る舞ったら、お前らバッドエンドルート直行なんだよー!)


 これである。

『龍治』が自分勝手、好き勝手に振る舞った結果、『花蓮』はズタボロの没落ルート、『柾輝』は切り捨て不幸ルートだ。

 そんなものは絶対御免だった。だから、己を律するべく常に意識しているのだ。


 その二人から、「もっと好きにしていい」と云われてしまうとは。

 どんな皮肉なのか。


「龍治様は我慢しすぎなんです」

「そうです、もっと我が侭になるべきですわ」

「我慢して悩んで、いつか胃を痛めてしまわれたらどうするのですか」

「あぁ、龍治様が胃潰瘍いかいようだなんて……!」

「そんな事になったら僕らどうしたらいいんですか。そうなる前にもっと自分を優先して下さい!」

「吐血する龍治様なんて見たくないですわ~!」

「いやいやいやいや……」


 何やらヒートアップしてきた二人にどう対処すべきなのやら。確かに龍治とて、胃を痛めた挙句穴を開けて血を吐く、なんて事は御免こうむりたいところだが。

 確かに今のままでは、そう遠くない未来において医者の世話になりそうな気がする。


(背負いすぎ、我慢しすぎ、かぁ……)


 むぅ、と考え込む。

 確かに前世の記憶を得てからと云うもの、空気を読んだり、我慢したり、口先を弄したりと、色々するようになったが。

 それは結局、自分の欲しい未来の為の手段な訳で。二人が云うほど深刻な我慢癖はついていないような気がする。むしろ全力で我が侭なのではないだろうか。


(ゲームの通りになりたくない。周りを不幸にしたくない。……二人とずっと一緒に居たい)


 それを望んで約五年頑張って来て、どうにもならないんじゃないかと哀しくなって、それでもどうにかしたいと足掻いて。

 今ここで、二人に挟まれて、「好きに生きて」と云われている。


(好きにねぇ……好きに……望むままに……?)


 ふと、脳裏に一つの言葉が過ぎる。それは、ついさっき聞いた言葉だ。



 ――望めば全てが手に入る方でしたのに、――



 祖母アナスタシアを端的に示した、刀自の言葉。祖母はその美しさから、望めば全てが手に入ってもおかしくないと思われていた。

 それなら――自分はどうだ?


(色は忠実に受け継いだ。美貌だってそっくりだって云われてる。それで、祖母では持ち得なかったものも持ってる)


 即ち―――綾小路家後継と云う名の、権威だ。その権威には、権力も財力も名声も含まれている。

 さらに云えば、頭は良い方だ。浅慮でも浅学でもないと自負している。運動能力だって高い。今から鍛えておけば、さらに上に行けるだろう。コミュニケーション能力も低くはない。人間関係は悲観するような物では無い。これから幾らでも拡げて行ける。話術だって悪くない。空気だって頑張れば読めるし、支配だって出来る。性格も極悪だとは思わない。そこそこまともだ。

 ――ここまで揃っていて、自分は何を恐れる?


(……一部だけ、望んだのがいけなかったんだ)


 自分の周囲だけの幸福を望んだから、“しくじった”のだ。眞由梨の事だってそうだ。最初から彼女も幸せにしたいと思っていれば、あんな事にはならなかった。中途半端に扱っていたから、眞由梨はあんな目に遭ってしまったのだ。

 だから、第二第三と眞由梨のような存在を生み出したくないのなら、それでも自分の望みを叶えたいのならば、“それしかない”。


(俺は誰だ? ……――綾小路龍治だ)


『綾小路龍治』ではなく、ただ一人の綾小路龍治だ。世界にたった一人の、前世の記憶を持ちえた、綾小路龍治だ。

 その自分が、何を恐れ怯え戸惑うと云うのか。


(最初から間違ってた。手探り忍び足の五里霧中じゃ後手後手に回って失敗して当然だ。俺はそう云う類の存在じゃないんだ。最初から―――全部望めば良かったんだ!)



 一を望まず全を、一人を望まず世界を、そうやって全部を望めば済んだ話だったのだ。

 龍治の視界に入る全てを欲して動けば、世界相手にだって勝ち目が見える。



「柾輝、花蓮」


 名前を呼ぶと、二人がシャキッと背筋を伸ばした。顔は全然似てないのに、行動はそっくりでそこが面白かった。くすりと笑うと、二人が何故か安堵したような顔になる。


「俺な、ずっと欲しい物があったんだ」

「まぁ」

「何が欲しいのですか?」

「お前らとずっと一緒に居られる、優しい未来が欲しい」


 龍治を挟んで、二人は顔を見合わせた。一瞬何を云われたのか理解していない顔をして、その後一気に顔が真っ赤になった。それが同時なものだからまた笑えてくる。


「その為に、やらなきゃいけない事がある。けど、そのせいで他人の人生が狂うかも知れない」

「そんな事は……」

「わたくし達、何があってもずっと一緒ですわ」

「うん。でもな、俺はそんな希望や曖昧な願いじゃ安心出来ない。お前達とずっと一緒に居られるって云う、絶対の確信が欲しい。二人を信じてない訳じゃない。信じられないのは俺自身だ。俺が力及ばないでお前らを守れない未来が来る可能性がある事が恐ろしい」


 二人は言葉が見つからないのか、おろおろと龍治を見るばかりだ。口は酸素不足の金魚のようにぱくぱくしているが、声は出ていない。それが可愛くて、二人の頬を片方ずつ、きゅっと抓った。


「だからやんなきゃいけない。人脈も広げて、学園も掌握する。周りは全部俺の縄張りにして、全部を取り込むぞ。敵は作らない。疑わしきは全て“取り込む”。全部俺のモノにしてやる」

「で、出来るんですか、そんな事……」

「柾輝、俺を誰だと思ってんだ?」


 むにむにと頬を抓ったまま、笑ってやる。



「お前の主、綾小路龍治だぞ? 俺に出来ない事なんてないね! 俺は全てを手に入れて、全てを幸せにするぞ!」



 そう断言した龍治に呆気に取られた後、二人はふにゃりと柔らかく笑った。


「はい、龍治様」

「お手伝い、致しますわ」

「おう、頼りにしてるからな」

「はい!」「はい!」


 強い声で返事をする二人の頬から手を放して、肩に手を回してぎゅっと抱きよせる。頬に二人の柔らかい髪が当たってくすぐったかった。

 花蓮の手が龍治の腕をつかみ、柾輝の頬が龍治の肩に擦り寄る。


(これでいい。これで良かったんだ)


 いつか。この日の選択を選んだ事を、後悔する日が来るのか、それとも良かったと思う日が来るのか。それは今の龍治にはわからないが。

 腕の中にある確かなものを手放すまいと決めた事だけは、決して間違いではないのだと確信して、龍治は久々に腹の底から笑った。




(……あ、そう云えば)


 一つ、確認し忘れた事がある。

 ――両親が結婚した理由だ。


(母さんがお祖母様に似てたから選ばれたって、伊代子おばあ様は云ってたけど)


 本当かどうか、今更刀自に確認しに行くのは気が進まない。しかし、両親に直接聞くのも憚られる。正面から「どうしてお二人は結婚したのですか」と聞くとか。なんか、すごく恥ずかしい気がする。


(……機会を見て、お祖父様にでも聞いてみるか)


 今は他にやる事もあるし、と結論付けて。龍治は両親の馴れ初めについては一時、忘れる事にしたのだった。




 Oh……(´Д`)

 なんかとんでもない方向に開き直ったような……。

 別の意味で心配になってきました、我が子よ。(笑)

 次の一話は閑話的な話になりますー。龍治が何をするか早く書きたい所ですが、押さえておかなければ子がおりますので、その子視点で☆

 連載初の龍治じゃない視点ですよー! さーて誰かなー?!(バレバレでんがな)

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