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メイン攻略キャラだけど、ヒロインなんていりません!  作者: くもま
一章 向かう所敵なしのお子様、小学生篇
16/42

16.アナスタシア

 今回も文字数どどーん。10811字です! お時間がある時にどうぞ!(´Д`;)ヒィィィイ


 評価、お気に入り、感想、いつも有難うございます!

 活力いただいておりますわー!

 服装に関して駄々をこねた龍治だったが、結局時間がなくて泣く泣く諦めた。男なのにニーソックスと云う罰ゲームではあったが、どうせ見るのは身内だけだと割り切る事にする。街を歩く訳ではないのだからと。

 ただ、この格好に伊代子刀自が何を云うのかだけは心配であった。服を選んだ柾輝が何か云われやしないだろうか、別の意味でハラハラである。

 そんな龍治の心など気付かず、柾輝と花蓮は何故かご機嫌であるのだが。本当に解せない。



 東堂院家邸宅から花蓮のご母堂と弟君を始めとし、大勢の使用人たちにまで見送られて、龍治達は一路、風祭伊代子刀自の薔薇園へと車で向かった。

 外出の際にはいつも花蓮に付いていると云う三人の護衛も同乗しているが、薔薇園へ一緒に入るのは一人だけだ。名目が一応“デート”なので、仰々しいのはお断りだからである。本当なら刀自に会う手前、龍治達三人だけになりたい所だが、龍治側が使用人枠である柾輝を連れて行くのに、花蓮側からは一人も連れて行かないは通らない。故の妥協であった。


(大丈夫ですわ。弥栄やさかは口の堅い男ですから、伊代子様との事は内緒にしてくれます)

(そうか)


 花蓮の言葉に頷いて、広い車内の隅に居る男へちらりと横目を流す。

 ベリーショートの黒髪に、眼鏡をかけた細面な弥栄は、護衛ボディーガードと云うより秘書のような雰囲気を持っている。しかしこの見た目に騙されてはいけない。とある流派の徒手空拳としゅくうけんを修めている立派な武闘派である。

 ちなみに、徒手空拳とは素手、何も持っていない事を意味する。武器を使わない格闘技を示す時にも使われる言葉だ。


 龍治の視線に気付いたらしい弥栄が、ゆっくり瞬きをして目線を合わせて来る。それから軽く頭を下げられたので、龍治は驚いている事が覚られないように静かに頷いた。

 分かりやすく見つめていた訳ではないのに気付く辺り、龍治が未熟なのか、弥栄が鋭いのか。今の龍治では判断が付かないので保留する事にした。


(頼もしくはあるよ、うん)



 *** ***



 伊代子刀自の薔薇園を前に、龍治は静かに、けれど深い呼吸を三回繰り返した。


(さぁて、鬼が出るか蛇が出るか……って、この例えは失礼か)


 出て来るのは刀自のはずなのだから、鬼やら蛇やら云うのは確かに失礼である。しかし、龍治の心情的には正しかった。伊代子刀自に対して、と云うよりは、自分の将来的な意味で。


「……入ろうか」


 入り口でうだうだしていても仕方ないと、龍治は呟くような声で云った。柾輝も花蓮も「はい」と頷く。

 花蓮は残る護衛の二人に顔を向けた。


「では、行って参りますわ」

「はい、お嬢様」

「楽しんで来て下さいね~」


 薔薇園の外で不審者が来ないか見張ると云う二人に龍治もひらりと手を振った。楽しんで来れるかどうか――まず楽しめない可能性が高いが、勿論、それについては何も云わずに。

 弥栄と柾輝がさっと先に出て、観音開きの扉を開く。中からふわりと漂う、薔薇の香りが嗅覚を刺激した。

 龍治はエスコートするように花蓮の手を取ると、柾輝と弥栄を従えて薔薇園へ足を踏み入れる。

 強くなる薔薇の香りに目を細めながら、煉瓦が敷き詰められた小道を歩く。両脇には薔薇園の名に相応しく、色取り取り、数多の種類の薔薇が咲いている。薔薇だけでなく、龍治が名前も知らない花も沢山あって、それが目についた。


「薔薇以外にも花があるな」

「同種の植物だけを植えておくと、病気に弱くなってしまうそうなのです。敢えて別種のものを植える事で、抵抗力を上げているのですわ」

「なるほど」


 ふと思い出す。子供を育てる時、無菌状態は逆に好ましくないと云う話だ。抵抗力・免疫力を上げるために、敢えて動物を飼って一緒に育てるといい事もあるらしい。部屋にこもりきりの子供より、野を駆け回る子供の方が丈夫に育つのも似たような理由だろう。勿論、例外もあるだろうけど。

 自分はどうかな、と振り返る。前世の記憶の影響で発熱する事はあったが、それ以外の理由で掛かった病気はさほど多くない。水疱瘡みずぼうそうとかりんご病とかに掛かった事はある気がする。けれどそれら以外で、と云われたら特にはないと思う。自分は丈夫寄りなのだろう。



 薔薇の小道を進んで行くと、丸く開けた場所へ出た。

 ガラス越しの太陽光が降り注ぐ明るい場所に、龍治は夢を幻視してくらりと目眩を覚える。

 根性でフラつきなどしなかったが、脳裏にはべっとりと永劫の花園がこびりついていた。終わりのない明るい薔薇園。優しい世界でありながら、それが酷く恐怖を煽って来る。

 軽く己の腰を抓って、しっかりと顔を上げた。広場――とは云っても、人が二十も集まればいっぱいになりそうなそこには、ティーテーブルのセットが置かれていた。丸い卓に白いテーブルクロスが眩しい。椅子は四脚。その側にはワゴンがあり、ティーセットと茶菓子が置いてある。


「お待ちしておりました」


 老いた年齢を感じさせるが、それでいて圧力は与えてこない静かな声がした。目を向ける。ティーテーブルから離れ、白薔薇が咲き誇るその側に、一人の貴婦人が佇んでいる。

 確かめるまでもなく、風祭家の刀自、伊代子であった。

 年齢的に白くなっていてもおかしくない髪を、丁寧に黒く染め上げ上品に結い上げている。椿の花を模した白いかんざしが目を引いた。簪と揃いにした白い椿の花咲く和装は、落ち着いた藤色だった。

 皺が刻まれた顔は前に会った時よりやつれて見えたが、色艶はさほど悪くない。相変わらず、上品でありながらどこか強気を感じさせる顔立ちは、若い頃はさぞ美しかっただろうと容易に想像させられた。

 彼女は僅かに伏せていた暗黒色の瞳を、龍治へと向ける。そして、驚いたように見開いた。この衣装がやはり刀自から云わせればあり得ないのだろうと思った龍治に、刀自は柔らかく微笑む。


「――驚きました」

「すみません、普段とは違う格好で驚かせましたか」

「いいえ。服は見慣れないものですが、貴方にとてもよくお似合いですよ。――ただ」


 過去を懐かしむ目をして、刀自は遠くを見た。

 その眼差しに、何故か龍治は“ゾッとする”。



「アナスタシア様に、ますます似て来ましたね、龍治さん」



 ――アナスタシア。


 美しき、平面の祖母ひと



 今、その名前が出た事に違和感を覚えるべきなのか。いや、刀自は祖母と同年代、立場上親しい付き合いもあった。ならば、龍治を母ではなく祖母に似ていると云う事は、自然の流れだろう。

 しかし、どうにも、彼女の眼差しが龍治の心に引っかかった。


「……そうでしょうか。俺は、母に似ていると思います」

竜貴たつきさんがそもそもアナスタシア様に似ていらっしゃいます」

「そう、ですか?」

「えぇ。――それが理由で、治之はるゆきさんに選ばれたのですから」

「え……」


 聞き捨てならない事を云われたような気がした。思わず刀自を強く見つめる。

 彼女は、微笑んでいた。


「立ち話もなんでしょう。どうぞ、お座りください。お茶の準備は出来ています」


 花蓮の手が、ぎゅぅと強く龍治の手を握って来た。横顔をそっと窺い見ると、緊張からか強張った顔をしている。震える瞳が、刀自を警戒するように睨んでいた。

 自分より幾分か小さく柔らかい花蓮の手を、優しく握り返す。花蓮が驚いたような顔で龍治を見たので、安心させたくて微笑んでみせた。すると彼女は、頬を淡い赤色で染めて、柔らかく笑う。その表情に自分の方が安心してしまった。


 花蓮の手を取ったまま、ティーテーブルへと向かう。柾輝と弥栄が各主の椅子を引いてくれたので、刀自に一言云ってから座った。

 刀自自らが茶の準備をしようとするのを弥栄がやんわりと止めて、彼が給仕を始める。外見には合っているが職業上からは不一致である業務を、彼は丁寧にこなした。


 柾輝が刀自の分の椅子を引く。彼の顔も多少、強張っている。それに気付いているだろうに、刀自は優しげな顔で柾輝に礼を云うだけだった。指摘されても困るだけなので別にいいのだが。

 最後の椅子に、刀自の許可を取ってから柾輝を座らせる。柾輝が窺うように弥栄を見ると、彼は一つだけ頷き、給仕を終わらせてから花蓮の斜め後ろに立った。それを見届けてから柾輝も座る。

 座席順は龍治から見て右手が柾輝、左手が花蓮、そして正面が伊代子刀自となった。


 ティーテーブルには四人分の紅茶と花を模したケーキが用意された。一度も口にしないのは失礼だろうかと考えていると、刀自が話を切り出した。


「今回は、眞由梨の事で迷惑をかけましたね」


 話の内容がどストレートだった事に驚いたが、龍治はすぐに気を取り直す。相手が回りくどい言葉でこないなら、自分も正面から迎え撃つのみである。

 そもそも、この老齢の女性相手に小童である自分の話術が通用するなど到底思えない。下手に言葉を弄するよりも、ストレート勝負の方がまだ“勝ち目”も見えて来よう。


「貴方にその自覚があったとは驚きです、伊代子おばあ様」

「あら、ハッキリ云いますね。珍しいこと」

「貴女相手に曖昧にやり過ごすのは、失策もいい所だと思いますから」


 刀自が微笑む。龍治も微笑んだ。絡んだ視線が、熱を生む。


「上手く行けばいい、とは私も思っていましたよ。可愛い孫の、初恋ですから」

「その割に、やり方が稚拙でしたね。眞由梨をけしかけるだけで、俺をどうにか出来ると思いましたか?」

「いいえ。ただ、使える策がありませんでしたから」


 刀自の視線が、花蓮を捉えた。黒い眼差しに物理的な力がこもっていたかのように、花蓮は勢いよく顔を上げ、刀自の視線を受ける。負けはしないと、花蓮の凛々しい瞳が語っていた。

 刀自はまた微笑んだ。


「東堂院家のご令嬢相手では、ね。治之さんも、憎い人選をなさるものです」

「貴女の人脈を使えば、巻き返しも計れたのでは?」

「ふふ、私の“友人たち”を評価して頂けるとは嬉しいこと。ですが私も老いました。昔のような気概はありませんよ」

「……」


 そう云いながら、刀自の瞳は強く輝いて見えた。何かを、望んでいる目だ。何を、何かを、欲しがっている。強欲の色がちらついている。


「……それで、眞由梨の事なんですけど」

「なんでしょう?」

「彼女が云っていたのですが、俺は三歳の時、眞由梨にプロポーズしたそうです。ご存じでしたか?」


 あの夢は実際にあった過去の表れだと、龍治は確信している。何故確信しているのかと云えば、龍治がそう思うからだとしか云えない。自分の過去だから、自分にはわかるのだ、と。

 しかし、散々知らぬ存ぜぬで通して来た今、莫迦正直にそれを口にする事は出来ない。それは相手に攻撃のチャンスを与える事になる。刀自相手にそれは自殺行為に等しかろうと判断したが故に、とぼけてみたのだ。

 花蓮と柾輝への配慮もあったが、完全に自分の都合である。嘘も方便と云う奴だ。


「まあ、あの子がそんな事を……」


 刀自が心底困ったような、いや、困惑しているような顔をして、呟いた。その表情から虚偽の匂いはしない。刀自は本当に、龍治からの情報に驚いているようだった。

 まさか本気で知らなかったのだろうかと、龍治が驚いてしまう。

 三歳のプロポーズは刀自による捏造ではない。事実であった。それは龍治自身が保障する。

 しかし眞由梨は本当に一言も、誰にも、漏らしていなかったのだろうか。二人だけの秘密だと、ずっと隠していたのだろうか。刀自の表情からは、そう思うしかない気がした。

 ――それならば、何故刀自は、じいやを始めとした使用人たちに、幼少期の事を口止めしたのだろうか?

 龍治が疑問に思うと同時に、刀自が云った。



「龍治さんの恥になるから、誰にも云ってはいけないと、キツく申し付けておいたのに」



 その言葉に、これまで構築した思考が崩壊する。

 どう云う意味だ。龍治の恥? 誰にも云ってはいけない? キツく申し付けた?

 情報が統合されない。ばらばらになる。繋がらない。――刀自は何を云っている?


「……どう云う意味ですの、伊代子様」


 内心混乱を極めた龍治を助けるかのように、花蓮が硬い声音で云った。刀自の目が、花蓮へ向く。刀自は静かな表情をしていた。


「云った通りの意味ですよ、花蓮さん。三歳の子供が戯れに云った言葉を本気にして騒ぎ立てて、こちらが恥を掻くだけならば良いですが、龍治さんまで要らぬ恥を掻いては一大事です。だから眞由梨には口止めしておいたのですよ」

「あ、あの」


 柾輝が思わず、と云った声で刀自の言葉を止めた。刀自は怒りもせず、柾輝へと目を向ける。


「なんでしょう、柾輝さん」

「あの、……龍治様が、眞由梨様へ求婚した事は、事実、なのですか?」


 花蓮が息を飲んで、龍治を見た。龍治はその視線に気付いたが、敢えて見ないでおいた。ここで龍治が途惑った態度を見せるのは宜しくない。


「事実ですよ。私が見ています。余りにしつこい眞由梨に、龍治さんが渋々と云った感じでしたね。ですが、龍治さんが覚えていない上に三歳の時の事ですから、時効でしょう」

「……」


 特に何の感慨もない顔で、刀自は云った。奇しくも刀自は、龍治と幸子と同じ結論を出していた。

 しかし、あの現場を見られていたのか。そう思うと、龍治は尻の座りが悪くなった。孫へ毒を吐いた龍治に対して、刀自はなんとも思わなかったのだろうか。


「だから、誰にも云ってはいけません、と云っておいたのです。一部の使用人には云ってしまったようでしたから、彼らにも口止めしていたのですが……。まさか眞由梨自らが、それも龍治さんに云ってしまうだなんて……。我が孫ながら、愚かな事です」


 ここに来て龍治は、風祭伊代子と云う女性が一体“なんなのか”、わからなくなった。


 刀自は自分の孫である眞由梨を可愛がっている。これは、間違いないと思っていた。甘やかし、慈しんで、けれど、礼儀に反した場合は叱る。一般的な祖母として正しい対応をしていると、龍治自身は感じていた。孫は子供より可愛いとも云う。だから疑う事なく、刀自は眞由梨を大切にしていると、そう“思い込んでいた”けれど。

 今の言葉では明らかに、眞由梨より龍治を慮っていた。


 どう云う事なのか。分からない。確かに親戚として長い付き合いはある。あるが、所詮、龍治は他人だ。風祭家の嫁である幸子の甥。眞由梨達とは血の繋がりはあっても、刀自とはない。綾小路家が他家へ行った者でも自分の家の者として扱うから、自然と関わりは深くなったけれど。

 でも、他人だ。血の繋がった孫以上に、龍治を大切にする理由が、一体どこにある。綾小路家とはそこまで巨大か? 自分の家をないがしろにする程に、優先しなければいけないモノか?

 現実的に考えれば―――そう云った、無情な行いをしなければいけない時も、他家にはあるかも知れない。綾小路より弱い家ならば、そんな事態に陥る事もあるだろう。幼くして親元から引き離された柾輝が証明している。

 だが、風祭家は幸子を嫁に取った家だ。驕った態度は慎まねばならないが、必要以上に委縮する事もないだろうに。刀自自身は謙遜したが、彼女の人脈は立派に戦力の一つと数えられる。刀自は力の無いただの老婆などでは決してないのだ。女の身でありながら激動の時代の最中さなか、風祭家の主として君臨し導いて来た女傑なのだから――。


 そうして混乱する龍治の脳裏に、ふと、幸子の言葉が蘇えった。



 ――そりゃ龍ちゃんの事は可愛いわよ。うちのお母様そっくりだし、―――



 その一言が、全てのものを繋げた。

 脳のエンジンが全力で回り出す。急速に理屈が構築される。不条理と不安定が排除され、道理と納得が呼び込まれる。全ての言葉が繋ぎあわされ、不快なほど歪な形から気味が悪いほど正常な形へと成る。

 そうして出た結論に、龍治は僅かに唖然として――それから、急激に冷めて行った。


「刀自、貴女は、」


 わかった。理解した。この女が、なんなのか。

 導き出された回答に、龍治は腹の底から―――失望と恐怖を味わった。


「俺が―――いえ、あの人の事が、“もう死んでしまった人”が」


 話の中心に龍治を据えても、眞由梨を据えても、この刀自自身を据えても、歪になる。正しい答えにならない。不快な雑音ノイズとなるばかりで、美しい音色ものは聞こえてこない。


(ああ、だからこの人は、遠い過去を見たんだ。俺の姿を通して――)


 龍治は、ひたりと伊代子刀自を見据える。冷徹な感情を、こめたつもりだ。普段は向けている、親戚への情などは一切乗せず、ただひたすらに、冷然とした思いだけを。

 刀自はその目を向けられても、――微笑んでいた。



「“アナスタシアが、ずっと、欲しくてたまらなかったんだ”」



 龍治の導き出した答えに、伊代子はあでやかに笑い頷いた。一気に十以上は若返ったように、目をキラキラとさせて。ようやく自分の理解者が現れたと、喜ぶように。


 正解が貰えたのに、龍治はちっとも嬉しくない。喜べるはずもない。

 自分も、眞由梨も、花蓮も、柾輝も、幸子も、この刀自本人ですら、過去の人しにんに翻弄されていただなんて。

 だが、納得はした。大いに理解した。眞由梨に関連した騒動の中心に、龍治達ではなく祖母アナスタシアを据えてしまえば、笑えるほどに分かりやすい図面が出来上がる。


 刀自が眞由梨を可愛がっていた事は嘘ではない。本当だ。血の繋がった孫だ、愛しくて当然である。だから、初恋を応援もした。頑張りなさいとでも云って、背中を押したのだろう。祖母としてそれは、ある意味で正しい姿だ。

 それと同時に、“あわよくば”龍治を手に入れたかった。アナスタシアにそっくりな、アナスタシアの孫を。銀の髪と蒼い瞳を受け継いだ唯一の存在を。

 刀自は、咽喉から手が出るほどに欲したのだ。

 自儘に振る舞う己の孫が痛い目を見る事は、想定していただろう。けれどそれを己のうちへ押さえ込むほどに、彼女は龍治アナスタシアが欲しかったのだ。

 しかし、三歳のプロポーズは隠蔽いんぺいした。幾ら幼い子供の拙い発言とは云え、龍治の発言には一定の影響力があっただろう。眞由梨へのプロポーズが大人たちへ広まれば、いらぬ波紋を生んだのは想像出来るし、眞由梨が思い込んだ通りに婚約者に据えられた可能性も捨てきれない。

 それを、刀自は隠した。子供の言葉、いつか撤回されるだろう戯言、龍治自身が深く考えもしないで云い棄てられた求愛ことば。その程度のものに、龍治アナスタシアけがされる事が、彼女には我慢出来なかったのだ。

 だから隠して、無かった事にして、それでも諦めきれなくて――


 なんて歪。

 理不尽の塊、不条理の極み。

 歪んだ気持ちの集合体。

 誰にも理解されない、彼女の欲望。


 その全てが死者アナスタシアへと繋がって―― 一つの図面ゆめを描いたのだ。


「美しい人でした、あの方は」


 ぽつりと、刀自は呟いた。その声は、若々しい。彼女の心は今、過去へと飛んでいるのだろう。


「最初は、嫌いでした。憎んですらいました。幸治郎様は、私達の憧れの存在。誰もが隣りにありたいと夢見る貴公子でいらした。幸治郎様の愛を得られたら、其れ以上の幸せはないと、あの頃の私達は本気で思っていましたよ。けれど彼が妻にと迎えたのは、お父上が決めた異国の、野蛮な露西亜から来た娘でした。私達は憎みました。幸治郎様の隣りに図々しくも居座る異人の女を。こんなにも想い焦がれる私達を袖にした幸治郎様を。だから、粗を探してやろうと思ったのです。醜いものでした。大きな異国からちっぽけな島国へ嫁に来たあの方の気持ちすら考えず、貶めてやろうと思っていたのですから」

「……」

「けれど、あの方を前にした私達は、全員言葉も出せず呆けてしまったのです。おかしなもので、本当に美しい“物”を前にした時、人間は言葉どころか自分すらも見失ってしまうのですね。ただ、ぽうっと見惚れて、ふわふわ夢見心地になって、幸治郎様と並んだ時のあまりの美しさと完全さに心を奪われて―――あの方に優しく微笑んでいただける幸治郎様へ嫉妬する始末でした」


 過去へと心を飛ばしながら、伊代子は語る。

 龍治達は、ただ黙って聞き入るしかなかった。


「あの方はね、私達へ向かって笑わなかった。美しい顔で、氷のような冷たさで、冷然と私達を見据えていらした。それが、幸治郎様の側ではまるで花が咲くように可憐に笑われて……。互いに愛し合い、慈しみ合うその姿に、誰もが羨望を抱いて、叶わぬ夢を抱いて。あんなにも憎んでいた事すら都合よく忘れて、あの方と親しくなりたい、自分にも微笑んで欲しいと必死になったものです。まるで恋文のような手紙を出す者までいましたね。届いていたかどうかは知りませんが、あの方の元へ届く前に握り潰されていたかも知れません。届いていたとしても、あの方は一顧だにしなかったでしょうね。そう云う方でした。“望めば全てが手に入る方でしたのに、何も望まない方でした”。当たり前に手に入れた夫と、二人の子供を愛して、それだけで満足してしまった方でした。あの方が望めば、国の中心にだって立てたでしょうに。何も、欲しがらなかった」


 大仰な言葉だと、龍治は思った。

 全てを手に入れられる。国の中心にすら立てた、などと。

 あの人そぼにそこまでの魅力があったのか、力があったのかなど、龍治には分からない。知らない。かと云って、刀自の言葉をそのまま信じる事も出来ない。

 思い出は美化されるものだ。改変され、誤った情報を正しいと信じ込んでしまうものだ。それが、普通の人なのだ。

 刀自の中にある祖母は、いつまでも美しい、永久とわの人なのだろう。


「写真を嫌っていらしたのはね、あの美しさに狂ったもの達がこぞってその姿を“盗もうとした”からです。本人の許可を得ずに写真を撮ろうなどと、無礼にもほどがありました。でもそんな常識すらわからなくなるほど、皆があの方へ狂って行って――仕舞いには、あの方は屋敷に籠って出て来なくなってしまいました。幸治郎様の側には治之さんと瞳の色だけを受け継いだ幸子さんが居るようになって、多くの人が絶望して、悲しんで――幸子さんの争奪戦が始まりました」

「争奪戦……?」


 不穏な響きな言葉だ。

 漫画やゲームであれば、逆ハーレム的な面白おかしい展開を連想する言葉だが、現実で一人の人間が争奪されるなどと。

 それは、恐怖と云っていい状況ではないか。


「あの蒼い瞳だけでも欲しい、とね。そしてあわよくば、あの方との繋がりが欲しい、もう一度会いたい、と。本当に、醜いものでした。足の引っ張り合い、潰し合い、互いに憎み合って、幸子さんを望んで、欲して、強硬な手段に出るものすら居て。あの時の幸治郎様と治之さんは、正直に云えば怖かったですね。大事な娘、大切な姉を守るために、綾小路をさらに巨大にして行ったと云っても過言ではなかったでしょう。幸子さんへ群がる輩を踏み潰すために、あの二人はどれほど労力を使ったでしょうね。そのお陰で、今の巨大な綾小路家があると云えばそうなりますが」

「……よく風祭家は、伯母様を嫁に取れましたね」

「あの頃、私達風祭が一番まともで真っ当だったのですよ」


 つい零した龍治の言葉に、刀自は自嘲気味な表情を浮かべて云った。


「私はね、最初から諦めていたんです。あの方の事も、幸子さんの事も、綾小路家との繋がりも。欲を出しても碌な結末にならない、なんて、お伽噺でよく説かれているでしょう? あんな美しい方にも、その娘にも、強力な大財閥にも、手なんて届かない。出したら、潰されるのは自分達だと、よくよく分かっていて、醜い争いから一歩引いて、まるで対岸の火事を眺めるかのような姿勢でいたのです。それが、幸治郎様の目に留まりましてね。縁談を持ち込まれた時には、心臓が止まるかと思いましたよ。夫は卒倒するし、息子は喜びと驚きで混乱するしで……あの時は大変でしたね」


 その時の事を思い出しているのか、刀自は楽しげにうふふと笑った。その普通の笑顔と笑い方が、逆に違和感を龍治へと叩き込む。


「私の人脈による手回しと、綾小路家の圧力で、息子と幸子さんの縁談はスムーズにまとまりました」

「……祖父は、どうしてそこまでして伯母様を嫁に出したのでしょうか。綾小路で守っていれば良かったのではないですか?」

「どこかへ嫁に出さねば収まりが付かなかったのですよ。あの方だけでなく幸子さんまで屋敷あやのこうじに籠ってしまえば、恐ろしい何かが爆発すると、幸治郎様はお分かりだったのでしょう。どこでも良い訳ではなかったでしょうが、風祭もそれなりの家柄ですからね。不満の声は聞こえましたし、厭がらせもありましたが――すぐに収まりました。黙らせた、とも云うのでしょうけど。私はね、本当に嬉しかったんですよ。蒼い目をした幸子さんがお嫁に来てくれて、私の孫があの美しい色を受け継げるかも知れないと夢を見ました。――結果は、ご存じの通り。私の孫の中で、あの色を受け継いだ子供は一人もいませんでしたが」


 そう云ってから、刀自は龍治へと――正確に云えば、龍治の髪と目へと視線を向けた。その目は、物欲しげな色で染まっていた。ここに来て刀自は、完全に己の本心を隠す事を止めたようだ。

 その視線を真正面から受けて僅かに怯んだ龍治であったが、すぐに両隣りの存在を思い出した。今この場には、自分の味方が二人も居る。弥栄を入れれば三人だ。

 怯える必要はないと真っ向から見返せば、刀自は嬉しそうに笑った。


「幸子さんがお嫁に来てくれてから、私はあの方と再会出来ました。それが本当に、本当に嬉しくって。かつては視界に入りすらしていなかった私に、あの方は微笑んで下さったのですよ。「幸子を宜しくね」と、驚くほどに綺麗な澄みきった声で。あんなに美しい声を人間が出せるのかと、私は驚いて、私に声をかけてくれたのだと感動して……ただただ頷いて、頭を下げてばかりいましたね。そんな私に、あの方はまた笑って、手まで取って下さって……。私は、幸せでしたよ、本当に」


 この場にない過去を見つめるように、刀自は目を細めた。その細くなった瞳から、突然、憎悪が立ち昇る。


「――……その優しさは、私が自力で得たものではなく、幸子さんのおまけであると自覚すれば、ただの絶望となり果てましたけれど」


 暗い声だった。人は喜びの中、希望の中で与えられた絶望にこそ、本当の闇を見るのだと思い知らされるような声だった。

 テーブルの下で、花蓮と柾輝が龍治の手を握って来た。その手をしかと握り返し、龍治はこの絶望に負けぬようにと、刀自を見据える。

 刀自は笑う。暗い瞳のまま、それでも、笑う。


「でも本当の絶望は―――貴方が生まれてからでしたよ、龍治さん」


 絶望の深淵を覗き込んだかのような声に、龍治は硬直する。

 自分をひたすら見つめて来る刀自の執着と闇に息を飲みながら、それでも龍治は、負けじと腹に力を入れ直すのだった。


 長くってもいいよ! と有難い言葉をいただいておりましたが、全部入れると二万字行くんじゃねーかなこれ……と思ったのでキリの良い所で切ってみました。いい所で話を切る、と云う手法をやってみたかったのもありますが。←

 伊予子刀自との決着は次回へ続きます! すいません!

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