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メイン攻略キャラだけど、ヒロインなんていりません!  作者: くもま
一章 向かう所敵なしのお子様、小学生篇
15/42

15.綾小路龍治、復活の兆し

 柾輝のハイライト消失事件――龍治が心の中で命名した――が起きた晩の事だった。

 安楽椅子から皓皓こうこうと光る月を見上げ、そろそろ眠ろうかと思っていた龍治の元へ、ばあやが訪ねて来たのだ。

 ぼんやり顔を、普段の物へ戻す。柾輝以外の人間に、堕落しきった様を見せるのはまだ抵抗が大きかった。


「ばあや? どうした、珍しいな」


 柾輝の取次で入室したばあやに、率直な言葉を口にする。事実、彼女が直接龍治の部屋を訪れるのは珍しい事なのだ。


 ばあやは今より幼い頃の龍治の面倒を見ていてくれていた人だが、龍治が小学校三年生に上がった辺りから徐々に自分の仕事を柾輝と三人の使用人へ移行させて行き、今では女中頭としての仕事に専念していた。

 世話役を外れた今でも、龍治を実の孫のように慈しんでくれている事に変わりはないが、部屋を直接訪ねたりする事は随分と少なくなった。当然、接触も前に比べれば極端に減っている。

 世話役でなくなった自分が頻繁に龍治の元へ訪れたり、執拗に構うのは、今の世話役である柾輝と使用人達を信用してないと取られかねない――そう思っているらしい。柾輝達に気を使っている訳だ、彼女は。


「夜分に申し訳ありません、坊ちゃま」

「いや、別にいいけど。何かあったか?」

「――内密にお話が御座います」


 綾小路家で未だに龍治を「坊ちゃま」と呼ぶ唯一の女性は、深々と頭を下げてそう云った。

 龍治は椅子に座ったまま、ばあやを見つめる。離れて控えていた柾輝が、さっと龍治の側へと侍った。それをチラリと見遣ってから、龍治は改めてばあやに視線を向ける。


「……柾輝の前で話せない事なら、俺は聞かないぞ」

「そう云った類のお話では御座いません。ご安心を」

「そうか。……わかった、話を聞く。顔を上げてくれ」

「坊ちゃま、有難うございます」

「長くなるなら椅子を用意させるけど」

「お気遣い有難うございます。お願い出来ますか?」

「柾輝」


 一声かければ、柾輝がさっと動き、部屋の隅にある客人用の椅子を持ってきてばあやへの側へと置いた。「どうぞ」と小声で柾輝が告げれば、ばあやは優しげな微笑みと共に礼を云って椅子に座った。

 柾輝が側に戻って来てから視線で続きを促す。ばあやも心得たと頷いて、口を開いた。


「――風祭家の伊代子いよこ様が、龍治様とお会いしたいとの事です」

「おばあ様が……」


 風祭伊代子――眞由梨の父方の祖母であり、実質風祭家に君臨するお刀自とじ様だ。

 風祭家の今は亡き先代は入り婿だったらしく、先代は刀自には頭が上がらず、それは息子である当代も同じ事。

 今も昔も、刀自の意向が風祭の行き先を決めている。


 その人が、龍治に“今”会いたいと云う。


(……十中八九じゅっちゅうはっく、眞由梨の事だろうなぁ)


 想像を巡らせるまでもなく、それしかない。

 これまで龍治が風祭家を訪ねたり、何らかの集まりで顔を合わせた際に、世間話のようなものはした事はあるが、二人きりで会話に興じた事はない。

 それなのにわざわざ綾小路家のばあやを通して、このタイミングで内密に、である。眞由梨の事だとしか思えない。可能性はゼロではないだろうが、他の話題であったら驚く。


「俺と二人きりで、と云う事か? なら断るしかないが……」

「いえ、大旦那様と旦那様、そして奥様にだけは決して漏らさぬようにとの事ですから」

「ふぅん……」


 保護者に知らせるな、と云うのは通常であれば怪しむ所であるのだが。眞由梨の事であるならば、それは致し方ない事かと龍治は思う。

 刀自としても下手に綾小路を刺激したくないのだろう。そこは龍治も賛成する。好々爺然としながらも傑物には違いない祖父も、歩く地雷原のような父も、その二人に影響を与えられる母も、龍治に対してドロ甘なのは周知の事実。龍治の不興を買ったら、この三人から何をされるか分からない。その恐怖は誰であれ感じるだろう。

 あまりに些細な事であれば、三人も気にしないだろうと思うが。……ただの希望かも知れない。


「――柾輝は同伴させていいって事か」

「はい。願い出る側から条件を付けて申し訳ない、と言付かっております」

「ふむ」


 あのお刀自様は、自分の一族には高圧的だと云うのに、龍治に対してはどうしてか腰が低い。綾小路家次期当主ではあるが、刀自の孫と同い年の従兄弟でもあるのに、だ。


 確かに刀自は眞由梨に対しても甘かった。可愛い孫娘として大切にしていた。それでも、眞由梨が所謂“おいた”や礼儀マナー上の粗相をした時には流石に叱っている。

 しかし龍治には、そのような事一度もなかった。

 手を滑らせてお茶を零した時にも、つまずいた先で障子を破った時にも。

 血相を変えて駆け寄って来て、火傷はしていないか、怪我はないかと大慌てで、無事だとわかると心底安堵したような顔をした。

 いくら綾小路家が絶大な力を持っているからと云って、刀自の性格から考えれば不自然なように思えるのだ。


(現に、伯母さまには結構キツい態度らしいしなぁ)


 綾小路家に脅威を感じるなら、伯母の幸子をもっと大事にするだろう。現当主の実姉なのだ、気を使うべき相手である。

 しかし伯母から聞く話によると、世間でよく聞く嫁姑関係と近い。嫁に厭味を云ったり、邪険に扱ったり。最も、我慢出来ないほど酷くないし、実害や損害はないからムカつくけど別にいい、とは伯母談である。昼ドラにあるような手酷い嫌がらせまでは受けていないようなので、龍治も口を挟む気はなかった。


 しかしそんな刀自が、龍治にはまるで目上相手のような態度をとる。

 それを不自然に感じてしまうのだ。


(さて、どうしようかな)


 正直に云うと、面倒くさくて厭だ。凄まじく億劫だ。眞由梨についてあれこれ云われたくもないし、今の精神状態で余計な面談などもしたくない。

 しかし、だ。

 心のどこかで、「これは切っ掛けだ」と囁く声がする。

 今の惰性から抜け出す、大事な切っ掛けだ、と。

 その声はゼンさんのものかと思ったが、どうやら違う。それは、「このままではいけない」と訴える龍治の理性こんじょうから湧き出る声だ。


「……」


 自分で、少し驚いた。

 怠惰に過ごしていたけれど、なんとかしなくてはと漠然と思っていたけれど、それは“何か”に対して格好つけているだけで、本心では「もうどうでもいい」と諦めきっているのではないかと思っていたのだ。

 それなのに、理性は正しく龍治ほんたいを導こうとしている。

 龍治は自身で思うより、ずっと諦めが悪いのかも知れないと今初めて知った。


「――わかった。会おう」

「龍治様っ」


 答えは即答に近い。実質、悩んだ時間など十秒くらいだ。いくら今は鈍っているとは云え、元々の頭の回転が速いと秒単位の間にあれやこれやと考えられるもので。

 つまり龍治にしてみれば熟考に値する思索から出た答えでも、他者から見れば即断に見える訳である。

 だから柾輝は、驚いたように龍治の名前を呼んだのだろう。


「なんだ、柾輝。反対か?」

「い、いえ。その、驚いて……」

「まぁ、気持ちはわかるが」


 柾輝の頭をぺす、と撫でるように叩いてから、ばあやへ視線を戻す。ばあやはまだ、真剣な顔をしていた。


「その話はおばあ様から直接来たのか?」

「いえ、風祭家の家令を経由してです」

「あぁ、そう云えばばあや達は交流があったな」


 ばあやの夫と風祭家の家令が竹馬の友と云う奴らしい。それが切っ掛けで、ばあやは家令ともその妻とも親しい付き合いがあるとか。確かに話を通し易いだろう。


「父さんたちに内密、以外の条件は? 日時とか、話したい場所とか」

「お会いになる日は、龍治様のご予定に合わせると。場所は伊代子様の薔薇園をご希望との事です」

「薔薇園――」


 そう聞かされて脳裏によぎったのは、夢に出てきた永劫の薔薇の園だった。

 いつまでも続く、終わりの無い園。思い出して、背筋が粟立つ。美しいのに恐怖を掻き立てる場所だった。


(……そっか。あれは、おばあ様の薔薇園だったのか)


 だから幼い龍治と眞由梨は、自由に歩き回れていたのだと理解する。刀自管理の薔薇園内なら大きな危険はなく、ある程度は放っておかれたのかも知れない。もしくは、傍から見れば仲良さげに見える龍治と眞由梨に“気を使った”とも考えられるか。


 夢を思うと行くのに躊躇ちゅうちょする場所だが、否定する明確な理由がない。「夢を見て怖かったから」では情けないにも程があるし、刀自の薔薇園に対し「厭な思い出があるから」では幾らなんでも礼を欠く。

 我慢して行くしかないだろう。


「わかった。ただ、薔薇園に行くとなると、ちょっと考えないとな」


 龍治が外に出る場合、行き先を家の者に伝え、いつ頃戻るかもある程度目処を立て、さらに護衛も連れて行かなくてはいけない。この時に嘘をつくのは考えものだ。

 龍治が叱られるのではなく、龍治に“嘘をつかせた”周りがお咎めを受けてしまう。それは厭だ。龍治と刀自の都合で、職務を全うしている者達にきずを付けるのは如何なものか。

 しかし、せめて護衛だけでも外さないと、内密に会いに行けない、が。


(あのおばあ様がその辺を考慮してないとは思えないけど)


 風祭に君臨する人は、愚かでも莫迦でもない。なのに、身内には内緒にしながら、自分の庭まで会いに来いと云っている。

 それはつまり――。

 龍治なら、自力で護衛や家をどうにかして、極秘で自分に会ってくれるだろうと思っている訳だ。


(買い被りだよなぁ。俺、そんな有能じゃないけど―――あ、そうだ)


 良い事を思いつく。


 キャンプに行ってからは、家が忙しいからと理由を付けて会ってない子が居る。

 大事な女の子。格好悪い所など、絶対に見せたくない相手。

 だから、こんな状態になってからは、意識的に遠ざけていた。

 ふとした拍子に己の虚ろさに気付かれたくはないと、必死に背中を向けていたけれど。


 この切っ掛けに乗るのならば彼女の存在は必要不可欠だと、何故か強く思うのだ。

 挑みに行くのなら、隣には柾輝と――花蓮に居て欲しい。

 二人に、龍治の側に居て欲しい、と。


 だから思い付く。

 ――花蓮に会う“ついで”に、刀自と面会すればいいと。

 そうすれば家族にはばれず、会いに行ける方法を取れるのだ。


「――柾輝」

「はい」

「明日になったらなるべく早く、花蓮の今週の予定を問い合わせろ。昼から夕方まで時間のある日をな」

「花蓮様のですか? わかりました。お伺いします」

「ばあや。日時の決定は明日まで待ってくれ。“花蓮を巻き込む事にした”」

「坊ちゃま? それはどう云う……」

「風祭のばあ様がわざわざ俺を呼ぶって事は、話の内容は多分眞由梨の事だろう?」

「……恐らくは」

「なら、巻き込む……は正しい表現じゃないかもな。花蓮も当事者だ。連れて行く。構わないだろ?」

「条件には反していないと思われます。問題はないかと」


 しっかり頷くばあやに、龍治も頷きを返した。


「では、また明日」

「はい。……夜分に申し訳ありませんでした、坊ちゃま」

「いや、いいよ。……きっと、“丁度良かった”んだ」


 その言葉にばあやは不思議そうな顔をしたが、龍治は笑って誤魔化した。


 椅子から立ってばあやを見送り、それから改めて窓辺へ向かう。

 月が明るい。太陽光を反射して一度死んだ光が、等しく大地へ降り注ぐ。


「龍治様」

「ん?」

「いつものお顔ですね」


 嬉しそうに柾輝が云うので、視線を月から彼へと移した。

 柾輝は久々に屈託ない笑みを浮かべている。ここの所、全然見せていない笑顔だ。哀しい色など欠片もない、柾輝の笑顔。随分久しく感じる。

 それと同時に、気が早いな、と思う。


(全然本調子なんかじゃないさ。頭の中は、まだぐちゃぐちゃだ。腹が立ってるし、苛立ってるし、どうしようもないって絶望もしてるし、どうしたらって哀しくもあるし、どうにもならないかもって恐怖でいっぱいだ)


 未だ、ここ一ヶ月以上の間、龍治を苦しめる負の感情からは抜け出せていない。ずっぷりと嵌まり込んで、抜け出す事など無理なように感じる。

 けれど龍治は―――自分の脳のエンジンが、虚ろに空回るばかりだったそれが、徐々に重々しく手応えを持って回り始めている事を感じていた。


(この切っ掛けを逃すな。俺にはまだ―――きっと、何かが、出来る)


 そう思い込みたいのか、信じたいのか、騙されたいのか。わからない。それでも龍治は、“まだ諦めきっていない自分”を実感出来た事が嬉しくて、口の端で笑えたようだった。



 ――脳の奥底。

 膨大な記憶の塊が久方ぶりに、小さく動いた気配がする。

 それはまだ普段とは程遠い幽かな揺らぎだったが、それでも、確かに“彼女”が動いた。



 その感触を実感しながら、龍治は拳を強く握った。



 *** ***



 ばあやの訪問から三日後。

 昼食をとってから直ぐに、龍治達は自宅を出た。


「では、行ってきます母さん」

「奥様、行って参ります」

「えぇ、気を付けて行ってらしてね、二人とも。花蓮さん達に宜しく」


 たおやかに微笑む母に見送られ、龍治と柾輝は車に乗り込む。その後に、母に挨拶をした運転手と護衛が一人だけ車に乗る。護衛は助手席に座った。普段は最低三人は付く護衛が一人だけなのは、今日は花蓮の家へ送って貰うだけだからだ。


 エンジンによる振動をほとんど感じさせず、車が発進する。龍治は窓の外へと目をやった。


「龍治様、お迎えは五時頃で宜しゅうございますか?」

「んー……。いや、のんびりする予定だから、こっちから電話する。呼んだら来てくれ」

「承知致しました」


 運転手の言葉に、龍治は肘掛に頬杖をついて隠した口元で笑う。龍治が笑った気配を察したのか、ガラス越しにうっすらと見える柾輝が微笑んだ。何だってそう聡いんだと思いながら、龍治は目を閉じる。


(さて、上手く行くかな)


 そう思う龍治だが、よほどの不手際がない限りは大丈夫だろうなとも思っている。

 どんな作戦であれ――緻密に面倒な策を取るよりも、単純明快なものの方が案外上手く行くものである。だからこの場合、ポカさえなければ大丈夫だろう。莫迦げたミスさえしなければ、無事に事は済むはずである。


(……花蓮を連れて行くのだから、失敗は許されないな。想定外なんて、云い訳にもならない)


 世の中、思い通りに行かないものだ。数多の可能性が絡み合って複雑に現実を成している。だから、龍治は考えなければいけない。

 どんな事態になろうと、対応出来るように、と。

 最善と最悪を常に想定し、道筋を把握しなくてはならない。

 自分にはそれが出来る程度の能力はあると、責任を背負って。


 目を開く。見知った景色が流れて行く。花蓮の家へ行く時の、いつも通りの道。見慣れたものは心を落ち着かせてくれるものだ。

 龍治はまた微笑んで、ふっと細く息を吐いたのだった。



 *** ***



 龍治の家に負けず劣らずの大邸宅である東堂院家へ着くと、すぐに花蓮達が出迎えてくれた。

 花蓮のそれはもう嬉しそうな笑顔に、自分の不甲斐無さ故に会いに来なかった事を悔む。彼女は何時だって自分を待っていてくれているのに、この体たらくは何なのだろうか、本当に。


(終わらせよう、いい加減に)


 せっかく棚から牡丹餅的に切っ掛けが訪れたのだ。これを活用出来なくては、龍治は問答無用で駄目人間だ。これ以上、綾小路龍治の株を自分で失墜させる訳に行くまい。


 運転手たちを帰らせ、龍治と柾輝は花蓮の案内で東堂院邸へお邪魔した。花蓮の父親は仕事で留守、兄も友達と遊びに行ったらしく、家人は彼女の母と弟だけだった。


 花蓮のお淑やかな上流階級の令嬢らしい性格から、彼女は一人っ子か姉妹が居ると思われがちだが、意外な事に花蓮には年齢の離れた兄と弟が居るのである。しかも兄の方は結構奔放で粗野な感じだ。優秀な人ではあるのだが、それと同時に一筋縄では行かない性格をしている。

 ちなみに弟の方はまだ十ヶ月。人見知りが始まって大変だと花蓮のご母堂は云っていたが、龍治が挨拶した時にはご機嫌だった。赤ん坊の笑顔は大変癒しになる。運が良かったと思おう。


「お兄様が留守で良かったですわ! すぐ龍治様にイジワル云うのですものっ」

「いや、まぁ。お兄さんとしては面白くないだろ、可愛い妹の婚約者なんて」

「わたくしの事を可愛いなんて思ってませんわ。わたくしにだってイジワルなんですから」

「うーん」


 花蓮に対しての場合は、可愛さ勢い余っての意地悪だと思うのだが。それを説明し説得するのは龍治では無理だろうと即座に判断し、話題を変えた。


「その、今日はありがとな。協力してくれて」

「龍治様のお力になれるなら、この花蓮、力は惜しみませんわ。さ、こちらへどうぞ」


 導かれた先は当然のように花蓮の部屋だった。ここに来るのは初めてではない。東堂院家に来た時には、大抵お邪魔している。今より幼い頃から知っている。しかし来る度に緊張するのは、やはり好きな子の部屋だからなのだろう。異性の部屋と云うだけである種の脅迫感すらあると云うのに、それが好意を持っている相手となれば尚更と云う事だ。

 無論、そんな態度はおくびにも出さないが。突っ込まれたら恥ずかしすぎる。



 花蓮の部屋は、まさにお嬢様と云うテイストと彼女らしさが上手くミックスされた内装だ。

 壁紙はほんのり桜色。カーテンは薄いレースと厚手の若草の二重。出窓は洋風の両開きで、棚の所には花の鉢植えやガラス製の置物が飾ってある。床はフローリングで、龍治の部屋と同じく、必要な所にはカーペットが敷いてあった。

 窓辺には天蓋付きの可愛らしいベッド、勉強机や洋服ダンスなどの白亜の家具は猫足になっていて、ヨーロッパのお姫様のようだと思う。しかし二つある本棚はいやに重厚な黒色であり、どっしりと構えて存在を主張している。この辺が花蓮らしかった。

 花蓮は部屋の中央に設置してあるティーテーブルへ龍治と柾輝を招いた。龍治が花蓮の椅子を引くと、彼女は照れ臭そうに笑ってお礼を云ってくれる。それに対して龍治も嬉しくなったが、自分も柾輝にしてみれば椅子を引かれる側だと云う事に気付いてちょっと目を閉じた。婚約者の前でまで完全エスコート体制は控えて欲しい。云っても無駄だが。


 三人が座った事を見計らっていたのだろう。ワゴンを押してメイドが入って来た。花蓮の側によく控えているショートカットのメイドは、ソツの無い動きでお茶を入れると三人の前へ優雅に茶器を置いて頭を下げた。


「御苦労さま。下がっていいわ」

「はい、畏まりましたお嬢様」


 花蓮の言葉にスカートを軽く持ち上げて侍女の礼を取った彼女は、龍治と柾輝にも律儀に挨拶をして部屋から出て行った。

 メイドの出してくれた紅茶から、ふんわりと優しい香りが漂う。この前来た時、龍治が美味しいと云った銘柄だと気付いて、少し笑った。細かい所に気を回してくれるものだ。


「さて」


 龍治が口火を切る。花蓮と柾輝の表情が引き締まった。


「改めて云うが、今日はありがとう。花蓮。助かった」

「むしろわたくしがお礼を云うべきですわ、龍治様。眞由梨様――風祭家の事、わたくしも無関係ではありませんもの。除け者にしないで下さって、嬉しいですわ」


 口元に手をやって花蓮は微笑んだ。しかし龍治は、その言葉に僅かな引っかかりを感じた。思わず見つめてしまうと、花蓮がちょっと意地悪そうに笑った。

 ――花蓮が「イジワルですわ!」と怒っている兄君によく似た笑い方だ。


「この所、わたくし、仲間はずれにされていたようでしたから」

「仲間はずれって、」

「龍治様、何かありましたのでしょう? わたくしに話せない、“何か”が」


 龍治は思わず柾輝に目をやった。柾輝は慌てた様子で首を横にぶんぶんと振る。何も喋ってません、との事らしい。

 勿論龍治とて、柾輝がべらべら主の現状を口外するような人間ではないと分かってはいるが、花蓮の言葉にまさか、と思ってしまったのだ。

 花蓮がころころと笑う。まさに鈴を転がすような笑い声だ。


「柾輝様は何も仰ってませんわ。どれだけ問い詰めてもダメでしたもの」

「問い詰めてたのか」

「えぇ、龍治様がお会いして下さいませんけど、何かありましたの? って。「何もありません、少々お忙しいだけです」の一点張りで、少しイジワルしてしまいましたのよ?」

「……ちょっと怖かったです」

「それはその…………すまなかった」


 頭を撫でてやりついでに謝ると、柾輝は「勿体ないです」と呟いた。

 謝るくらい、勿体なくもなんともない。むしろ柾輝は、もうちょっと不満を態度に出しても良い気がする。岡崎の人間としての矜持故、使用人にあるまじき態度は取らないと分かってはいるけれど。

 花蓮も笑いながら柾輝に謝って、どこからか取り出した飴玉をそっと差し出した。なんだか小さい子を相手にしているような感じである。柾輝は礼を云って受け取っていたので別に気にしてないだろうが。


「……気付かれてるとは、思ってなかったんだが」

「まぁ龍治様。女の勘を侮ってはいけませんわ」

「女の勘か……確かにな」


 理屈も道理も無視して発動する“女の勘”は確かに侮れない。何の判断材料もないのに、的確に真実を射抜く時があるのだ。

 そして今回花蓮は、会わずとも何も知らずとも、龍治に何かあったと覚ったのだろう。龍治の多忙さは彼女もよく知る所なので、「忙しくて会えない」なら誤魔化せると思っていた龍治が甘かったと云う事でもある。


「悪かったな。その……色々あって」

「宜しゅうございますわ。龍治様は男の子。女のわたくしに知られたくない事もあるでしょうし」

「……変な誤解はするなよ。まぁ、男として自分が情けなくなった事は事実だが」

「えぇ、龍治様はお優しい方ですもの。眞由梨様の事、気に病んでいらしたのでしょう?」

「……」


 何も知らないのに、本当に的確に見抜いてくれるものだ。

 勿論、彼女が考えている気に病む理由と龍治が実際に気にしている内容は違うだろうが。それでも、本質はわかっているのだろうなと云う事が察せられて、龍治は居心地が悪くなる。

 普段は龍治に癒しをくれる花蓮だが、こう云った状況になるとむしろ神経を使わされる相手なのだと云う事を初めて知った。

 龍治が思うよりずっと、花蓮は手強い相手だと云う事だ。


(……俺、何を知った気になってたんだろうなぁ)


 三日前から掛かり始めているエンジンが、花蓮を前にした事でさらに回転数を増して行く。そうなる事で、周りがよく見えるようになって来た。閉塞されていた視界が、開いて行く。



 ――きっと、父も母も、祖父すら龍治が悩んでいる事に気付いていた。

 幾ら忙しくて会う時間が少なくたって、龍治を大事にしてくれている三人なのだから。

 何か云いたげな父の表情や母の寂しげな目を、今なら思い出せる。祖父は出かける際に、見送る龍治を何度も振り返っていたではないか。

 使用人たちだって、柾輝以外を不自然に遠ざける龍治に哀しそうな目を向けていたように思う。

 食卓には龍治の好物が頻繁に上がったし、部屋の前の庭には新しい花や木が植えられて、普段は焚かれないリラックス効果のあるアロマだって用意されて。

 思い起こせばこんなにも分かりやすく心配されていたと云うのに――龍治の眼は、随分と曇っていたようだ。



 知らない事、分からない事が多すぎて、目眩がする。

 前世の記憶があるからと云う理由で、随分と調子に乗っていたようだ。


(自分の事ばかり考えて……とんだ傲慢野郎だ、俺は)


 脳が回る。龍治の活力を燃料に回転数を増して行く。

 本調子にはまだ遠い。足りないものは多い。見えて来ないものは、沢山ある。

 ――それらを、今日、手に入れられる。

 そんな予感がするから、龍治は小さく笑って見せた。


「花蓮、柾輝」

「はい」「はい」

「俺は、眞由梨が嫌いじゃない」

「はい」「はい」

「いとこだ。大事な伯母の娘だ。俺が守って行くものの一つに、眞由梨も入っているべきだ」

「はい」「はい」

「このままでいたくない。終わりたくない。“その程度でありたくない”」

「はい」「はい」

「だから、風祭のおばあ様にも会おうと思う。でも、まだ、俺は弱いから。足りない物が多くて、一人では無理なんだ」


 弱音だ。紛う事なき弱音だ。それでも二人は、莫迦にもせず、失望もせず、真剣な顔と目で龍治を見つめて来る。

 その視線を受けながら、龍治は頼んだ。



「だから、俺の側に居て、助けてくれるか」



 情けない事を云う龍治に、二人はついに願いが叶ったとでも云わんばかりの笑顔で是と答えた。龍治が驚くくらい嬉しそうだ。弱味を見せた事が、そんなに二人には嬉しいのだろうか。また分からない事が増えた。二人に聞いても、にこにこ笑い合うだけで明確な答えも返って来ないし。

 ――だが、それでも良いと思った。その気持ちは、それはそれで正しい気がした。


「風祭のおばあ様が何を云うのか、俺と何を話したいのか――正確にはわからない。眞由梨の事だとは思うけど、それ以外の事の可能性だって、一応、ない訳じゃないだろう。相手は俺達より何倍も生きている風祭家のお刀自様だ。腹括らないと、こっちが喰われる」

「えぇ、伊代子様のお相手のお供、わたくしだけでは頼りないかも知れませんが、柾輝様もおります。大丈夫ですわ」

「龍治様の背中は僕が守ります。お任せ下さい」


 二人の言葉に、はふ、と龍治は息を吐いた。

 柾輝と花蓮なら龍治の期待通りの言葉をくれるだろうと思ってはいたけれど、本当に貰えたものだから力が抜けてしまった。

 一人で煮詰まって、飽和状態になって、虚ろな無様さをさらしていた自分が莫迦らしくなる。

 でも、あの苦悩がいつか――何かの糧になっていると実感できる日がくればいいとも、思う。


「では、話もまとまりましたし。そろそろ参りましょうか?」

「そうだな。時間的にも丁度いいか」


 壁にかけられた時計に目をやり、龍治は花蓮の提案に頷く。

 花蓮を伴い、東堂院宅から伊代子刀自の薔薇園へ赴くのだが――ここに来た理由は、花蓮も連れて行くし話もしたいから、だけではない。


 単純な事だ。

 龍治が出かける際には護衛が必ず付くが、例外がある。例えば、伯母と一緒の時は彼女の護衛が居るので連れて行く必要はないし、他家へ遊びに行く時も送り迎えの時だけで常時付き添われはしない。

 他家――特に、婚約者である花蓮の家へ行った時まで護衛が随行していると、東堂院家のセキュリティを信用してないと思われるのである。故に、この時ばかりは護衛が外れる。東堂院家に居る限り、龍治の身辺警護は東堂院家に委ねられるわけだ。


 龍治達はそこを利用した。

 両親には「花蓮の家へ遊びに行く」とだけ云う。これは本当の事なので嘘ではない。だから護衛は外れる。そしてその花蓮の家から“デート”と称して薔薇園へ向かってしまえば、付くのは東堂院家の護衛だ。綾小路家に伊代子刀自と会う事は露見しない。

 この“デート“も、花蓮のご母堂に「両親にばれると恥ずかしいので、内緒にして下さい」とお願いしておけば易々とバレない。人は秘密とか誰にも云わないでとか云われると、逆に話したくてたまらなくなると云う心理が働くそうだが、花蓮のご母堂は賢い人だ。このお願いに、龍治と花蓮からの信頼が掛かっているとわかっているので、大変真剣な顔で「任せて下さいな」と頷かれている。それと同時に、凄く嬉しそうな顔もされたが。二人が秘密の“デート”をするくらい仲が良い事が嬉しいのだろう。多分。

 場所は流石に聞かれたので答えたが、不審な顔はされなかった。恐らく、咄嗟に伊代子刀自の薔薇園だとは気付かなかったのだろう。あまり公にされていない場所である。云われたら「あぁ」と思い出しただろうが、そうでなければ意外と思い至らない。


 こう云った内緒事を実行する時は、緻密にしすぎるといけない。それに固執してしまって、不測の事態に対応できなくなる。この程度の方が、臨機応変が効くものだ。



 少し冷めてしまったお茶を飲み干して三人は立ち上がる。

 一度顔を見合わせて互いに頷けば、それだけで良かった。


 部屋を出て、廊下を歩きながら龍治はふと口にする。


「そう云えば花蓮、今日はいつもと服の感じが違うな」

「えぇ、これはわたくしの戦闘服ですわ!」


 そう云って胸を張る花蓮の服は、いつもの淡いピンク色や白色を基調としたふんわり系の私服とは違い、黒をベースに赤や金が入った――所謂ゴシック・ロリータ系であった。小さなシルクハット型のヘッドドレスまでしている。

 レースやボリュームなどは抑え気味なので、敢えて突っ込むほど際立った服装ではないが、普段との違いを思うと気になった。

 その答えは戦闘服と云う物騒なものだったが。


「戦闘服?」

「普段とは違う格好をする事で士気を高めているのです」

「なるほど、流石は花蓮様です。僕もそう考えて龍治様に普段とは違うお洋服を」

「? ……――お前ら共謀してたのか?!」


 ある種の緊張から自分の服にあまり気を配っていなかったが。

 柾輝の言葉に己の服をよく見れば、こちらも控え目ではあるが、ゴシック系である事に違いはない。やたら黒いと思ったら。


「いえそんな」

「滅相も無いです」


 即否定してくる仲良し感が余計に怪しかった。絶対共謀してた、この二人。


「男にニーソはないだろニーソは!」

「素直にはいて下さったのに今更文句云わないで下さい」

「朝から色々考えてたから周りが疎かになってたんだ! て云うか、狙ってただろ?! 俺が集中してるのわかってて着せたな?!」

「え、柾輝様、靴下までお世話していらっしゃるの? その辺り詳しくお願いしますわ」

「花蓮も変な所に喰いつくな!」

「僕だってゴス系ですよ!」

「お前は長ズボンで執事っぽいじゃないか! 何で俺はホットパンツなんだ?! あー、今からでもいい! 着替える!」

「時間がありませんわ龍治様」

「我慢して下さい龍治様」

「お前らこんな時ばっかり仲良すぎるだろ?!」


 抵抗空しく。

 ゴス系衣装の龍治は「いやだー」と悲鳴を上げるも、ずるずると二人に引きずられて行った。


 龍治元気になってきて良かったね!←

 次回はいよいよ噂の風祭家のばー様登場ですぞ☆


 誤字修正致しました! ご指摘有難うございます!><;

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