14.無我の境地と云う名の怠惰
回を重ねるごとに文字数が増えて行ってる気が……!
長ったらしい文章読ませてしまって申し訳ない限り。でも無駄な文字は一文字もない心意気で書いてますので、良かったら読んでやって下さい!
お気に入り登録数2600名様を越えました! 有難うございます!
前回が前回だったので、「……減りそう」とか後ろ向きに考えてましたが逆の結果で嬉しい限りでございます。
皆様ありがとうございますです!
キャンプ以降、龍治は何もせずぼんやりする時間が増えた。
勉強はきちんとしている。テスト類は変わらず満点だ。
運動も適正量行っている。体育の時間はこれまで通り問題ない。
習い事も休まずこなしている。先生方からよく褒めて貰える。
周りとの関係も良好だ。最近は会話する相手が増えたくらいだった。
だが、自由な時間があると、ぼんやりしてしまう。
自室の窓辺の一つ――日当たりのいい場所に設置して貰った安楽椅子に腰かけて、ぼけっと窓の外の庭を見る。それだけだ。
キャンプ以前なら、自分が好きに使える時間があると、散歩に出たり父の書斎に籠ったり柾輝や花蓮達と遊んだりしていたのだけれど。
どうしても義務以外で体を動かせる気がせず、龍治は今日もぼんやりしている。死期が近い老人のようだ。死人の記憶があるので洒落にならない表現かも知れないが、事実そんな感じなので仕方がない。
自室での事なので、恐らく父や母にはばれていないだろう。使用人達もそこまで干渉して来ないので、多分知らない。部屋で何かしてると思ってるのではないだろうか。実際は何もしてないけれど。察しのいい者は気付いているかも知れないが、問題行動を起こしている訳でもなし。わざわざ父に報告しないだろう。
解決しなければいけない大きな悩みがあるのに、それについて考える事を放棄している。それを龍治は自覚しているが、どうにもならない。
正直、やり遂げたい事は決まっているのだ。
(―――ゲームの通りになりたくない)
それは絶対だ。
花蓮と柾輝を守りたい。ヒロインなどと云うポッと出女に全てを壊されるなど我慢ならない。自分は自分のままでありたい。不幸になる周りを見過ごしたくない。幸せにしたい人達がいる。
だが、そこに至るまでにどうすればいいのかが、龍治にはわからないのだ。
(答えは出てるのに、式がわからない)
わからないなら、わかるまで突き詰めればいいのに。わかるように、情報を集めればいいのに。それだけが、子供の自分に許された武器だと云うに、それをやる気がしないのだ。
重症もいい所である。心が重傷か。全然上手くない。空しい。
溜め息をつく。そうしてまた頭を空っぽにしようとすると、肘掛においた手に柾輝の指先が触れた。
視線を落とす。龍治が座る安楽椅子の側、床に敷いたクッションへ腰を降ろしている柾輝が居る。泣きそうな目で龍治を見ていて、それが厭で目を逸らす。
そうやって冷たい態度をとっても、柾輝の手は離れなかった。
(……莫迦だなぁ)
最近心の口癖になってしまった言葉を胸の内で呟きながら目を細め、龍治は頭をからっぽにする。
触れて来た手はそのままに、握り返す事も振り払う事もしなかった。
*** ***
夏休みが始まり、皆と約束したキャンプを楽しんで、家族旅行もこなし、一族内で行われる行事の中でも大規模に当たるお盆を迎えてもまだ、龍治はぼんやりと過ごしていた。
全てを虚ろに過ごした訳ではない。
花蓮達と改めて行ったキャンプは、学校行事では体験出来なかった事、しなかった事が楽しめた。皆で見たホタルが舞う幻想的な光景は、一生ものの思い出になっていい代物だった。
家族旅行は毎年の恒例で、今年は龍治の希望で国内になった。「人が少ない所でのんびりしたい」と云った所、知る人ぞ知る秘湯に連れて行かれて色々な意味で度肝を抜かれた。こんな山奥でひっそりしていて経営成り立つのか、とか大変失礼な事を考えたものだ。
旧いながら手入れの行き届いた旅館――と云うか旅籠と云いたくなるような建物にて、やんごとない身分の方々とばったり遭遇したのには驚いた。のんびりするつもりが余計疲れた気がする。温泉は気持ち良かったけれど。
そしてお盆。
首都圏辺りは七月十三日から十六日当たりを指す事が多いそうだが、綾小路家では八月十三日から十六日を示す。これは綾小路家のご先祖様が元々住んでいた土地の影響だそうだ。
綾小路の直系傍系全てが集まる血縁のみの行事で、他家へ嫁や婿に行った者でもこの期間だけは帰って来る。己の配偶者の家のお盆に参加はしないし、相手も強要などしない。むしろ笑顔で送り出す。じゃないと綾小路家が「うちをないがしろにした」と怒るので。他家へ行った者でも自分の家の者として扱い、それが罷り通るのが綾小路家なのだった。
ただし、他家で生まれた子供は相手の家の子として扱うので、連れて来る人は少ない。連れて来るのは、子供が希望したとか、子供にも綾小路家のしきたりを仕込んでおきたいとか、理由がある場合のみだ。
直系であり次期当主でもある龍治は勿論参加だ。今の精神状態から云って参加するのは億劫であったが、面倒臭がっていい行事と悪い行事がある。これは面倒くさがってはいけない部類の行事なのだ。
他家へ行った者でも帰って来る――ので、当然、風祭家へ嫁に行った伯母・幸子もやって来る。
相変わらずの美貌であったが、少しやつれたように思えた。血縁の変化には敏感な父がすぐさま気付き顔を顰めたので、幸子は「夏バテ気味なのよね」と笑顔でさらっと嘘をつき、龍治も「あぁ、今年は特に暑いですからね」とフォローに回った。風祭家を守る為の必死の努力を、自分たちのせいで無に帰す訳には行くまい。
毎年幸子は、子供達の中で娘の眞由梨だけは連れて来ていた。それは眞由梨が望んだからであり、祖父・幸治郎の希望でもあったからだ。
しかし、今年は来なかった。当然だと思う。今龍治と顔を合わせるのは、彼女にとって苦痛でしかないだろう。
故に幸子一人だったのだが、祖父は寂しそうにしていた。
「眞由梨は来てないのかい?」
祖父は五人の孫を全員可愛がっているが、祖母によく似てるらしい龍治と、唯一の孫娘である眞由梨を特に溺愛しているのだ。
祖父の幸治郎は基本、日本に居ない。世界各地を飛び回って、友人知人を訪ねている。
勿論、隠居したとは云え、綾小路家最高位である事に変わりない人なので、友人知人も各国の要人である事が多く、祖父が訪ねるだけで綾小路家の利になるのだ。外国とのパイプは大事な財産である。
そんな龍治の祖父は、父・治之がそのまま年を取ったような外見をしている。
白髪交じりの髪を撫でつけた初老の紳士。日本人の老人世代にしては背が高く細身でスラっとしていて、シルクハットとステッキが似合いそうな人だった。
最も本人は和装する事を好むので――本日も藍鉄色の渋い長着に銀鼠の袴、家紋入りの瑠璃紺の羽織りで大層決まっている――、洋装は外国のパーティに出る時くらいか。最近では外国でも、相手から望まれて和装をする事が増えたらしいが。
外国の日本ブームがこんな所にまで影響している。
「すみません、お父様。眞由梨はこの暑さで体調を崩してしまって」
「そうか……。幸子も気をつけなさい。アナスタシアの血なのか、お前たちは暑さに弱いから」
祖父が痛ましそうな顔をして云う。自身の父から労わりの言葉を貰い、幸子は少し苦笑気味にお礼を云った。事実は違うのだから、嘘をついている心苦しさもあるのだろう。
祖父が口にした名前、アナスタシア――龍治の祖母の事である。
曾祖父がロシアに渡った際に「是非とも息子の嫁に」と望んだ女性。若い頃の姿は肖像画でしか知らないが、孫の目から見ても大層美しい方だった。
絵の中の祖母は、輝くように力強い顔で笑っているのに、容姿は雪で作った花のように儚げだった。印象的なのは、緩く波打ち腰まで届く銀の髪と、長い睫毛に彩られた切れ長い蒼の瞳。
――その色を忠実に引き継いだのは、子孫の中で龍治だけだった。
意外な事に、祖母の若い頃の姿は肖像画にしかない。あの頃にも白黒とは云え写真があったのに、だ。祖母が大層写真を嫌ったせいらしい。祖父は妻の美しい姿を残したい一心で、なんとか説得し、肖像画だけは了承して貰ったとか。
だから祖母の写真は一枚も無い――訳ではない。どう云う心境の変化か、龍治が生まれてからは気にしなくなったらしい。
だから、龍治と一緒に写った写真だけは山とある。アルバム何十冊分あるのか数えるのが億劫になるくらいある。写真撮影の許可が出た事を喜んだ祖父が撮りまくったそうだ。
その写真の中で祖母は――肖像画より老いていたけれど美しく、赤ん坊の龍治を抱いて最上の幸せを感じてるような顔をしていた。
「龍治も気を付けなさい。いくら暑さに強いと云っても、油断は禁物だよ」
「はい、お祖父様」
そんな祖母は、極寒の国ロシア生まれのお陰なのか、寒さに強く暑さに弱かったらしい。父も伯母達もその体質を引き継いだのか同じだった。アナスタシアの血筋の中で、龍治だけが暑さに強くて寒さに弱かった。個人差と云う奴だろうか。
ちなみに、母・竜貴は山の手のお嬢様なのにどちらに対しても強い。羨ましい限りである。
龍治の素直な返事に、祖父はにこにこと嬉しそうな笑顔を浮かべた。愛しい妻似の孫が可愛くて仕方ないらしい。
似てると云っても、龍治からすると色素だけだろ、と思うのだが。顔の作りはどう見ても母似だ。
しかし、祖母と会った事のある人達からは、一度も母に似てると云われた事がなかった。
もしかして外見以外の、例えば雰囲気とかについて云われているのかな、と思った事もある。しかし、確かめる術はあれど、納得出来る当てはなかった。
最早龍治にとって祖母は、平面の中で笑う美しい人でしかないからだ。会う事は叶わない。人の口にしか上らない、お伽噺のお姫様と一緒だった。
そんな人に似てる似てると云われて、強固に反論する気は起きなかったが、納得も出来ずにいる。
「お父様、今回はいつまで滞在なさるご予定ですの?」
「うん、このまま龍治の誕生日と正月を迎えたい所なんだけど、英国からお誘いが来ててね。九月にはロンドンへ渡るよ」
「まぁ、ロンドンですか。羨ましいですわ」
「古い友人からの誘いでね。その後もヨーロッパを回る事になりそうだ。でも、お前の誕生日には帰って来るからね、龍治」
「はい、お待ちしています」
一線を退いても各地で引っ張りダコな祖父に微笑みながら、龍治は頷いた。
龍治の誕生日は、十二月二十五日のクリスマスだ。しかし毎年、綾小路家ではクリスマスより龍治の誕生日が優先されている。一応、二十四日のイヴにクリスマスパーティ的な事はやるが、次の日の誕生日パーティに比べれば地味である。
正しいと云えば、正しい姿か。そもそもクリスマスは異国の宗教的な祭りで、日本ではそれにかこつけたお祭り騒ぎに過ぎない。息子の誕生日を優先させる方が親として正しい選択かも知れない。
龍治もクリスチャンではないので、クリスマスに拘りはない。ただ、家族以外の関係者にも龍治の誕生日を優先させるのは心苦しくはあった。
クリスマスは家族や恋人で楽しむ日なのに、龍治のせいで他人の誕生日を祝わなければいけないのだから。
ゼンさんはどうだったか――と検索しようとして、止めた。そして、いつもならざわりと動いて、何かしら情報を提示するゼンさんの記憶も、沈黙を守っている。
キャンプ以降――つまり“あの夢”を見てから、龍治も腑抜けた醜態をさらしているが、ゼンさんの記憶の方も似たような状態だった。
だんまりを決め込み、揺らぎも騒ぎもしない。静寂を保って、ただ脳に居座っている。龍治の事を励ましも叱責もしない、慰めもしない。ただ、そこにあるだけだった。
見限られたのか、それとも、ゼンさんの方も決まりが悪いのか。そんな事、龍治にはわからなかった。
ただ龍治自身が、彼女の記憶に触れるのを恐れるようになってしまった事は、確かだった。
(また、あんなものを見るのは、ごめんだ)
ようは、怖気づいているのだ。臆病風に吹かれて、自分の頭の中から逃げたがっている。
――とんだ腰抜けだ。
一番の問題は、自分の無様さを理解しているのに、解決しようとしない姿勢だけれど。
「……」
溜め息を一度ついて、ついでに頭をからっぽにする。無心になるのが得意な小学生とかどうなのだろうと雑念がよぎるが、それすらも消してから、改めて祖父を見上げた。
祖父は優しく微笑んでいる。龍治が可愛くて仕方ないのだろう。伸ばされた手は、銀髪を優しく撫でて来る。
「龍治、お盆が終わったら、どこかへ一緒に出かけようか。お前の好きな所へ行こう」
「俺、今は工場見学にハマってるんですけど、いいですか?」
「へぇ、面白そうだね」
大らかに笑う祖父に、龍治も笑った。この人、孫のやる事ならなんでも許すんじゃないかな、とか思いながら。
*** ***
お盆を終えれば、夏休みは残り大体二週間。この間に、祖父を始めとした家族と龍治希望の工場見学に行く予定だ。
しかし祖父も日本に住む友人知人に会わねばいけないらしく、行くのは八月末辺りに決まった。今回は乳製品の工場だ。一応、楽しみではある。
しかし一週間以上は先であり、それまでの予定は空いていた。龍治の精神状態を慮った柾輝の采配である。
余計な事を、などとは思わない。流石にそこまで擦れた感想は抱かない。ただ、そんなに気を使わなくていいのに、とは思う。
(こんな状態でも、柾輝にとって俺は主なんだな)
すっかり腑抜けた駄目主を、それでも大事にしようとする柾輝に少し泣けた。実際涙は出ないけれど、心情的な意味で。
見限ってもよさそうなものだが、それは無理な話だと分かってもいる。岡崎が綾小路を見限るのは、無理だ。今が戦国時代ならともかくとして、資本が物を云う現在においては不可能だろう。どんな糞主だろうと、主人自らが解雇するまでは側を離れるのは無理だ。そんな事をしたら柾輝の未来が潰れるだけだ。
だからこそ、ゲームの『岡崎柾輝』は涙を飲んで『綾小路龍治』に従っていたのだろう。
(やな事思い出した……)
それと同時に、怖い事も思い起こす。―――眞由梨から連想された、怖い事を。
龍治は、自分が生きる今の世界をゲームの世界じゃないと思っている。正確に云えば、思いたいと考えていると云うべきか。
幼い自分が自我を持って生きている上、前世の記憶などと云うおかしな要素まで兼ね備えているのだ。ゲームの世界だと云うには無理があるだろうと、そう思うのだ。
その龍治が行動した結果、今のところ花蓮はゲームの『花蓮』と違い高飛車でもなく高慢でもなく、淑やかで可愛らしい婚約者で、柾輝も――龍治から見れば――憎しみも怒りもなく、ひたすら忠実に仕えてくれる世話役だ。
龍治の影響かどうかは知らないが、玲二もゲームのようなぶっ飛んだ性格にはなっていないし、恵理香、莉々依も同様である。
彼女たち二人も、実はゲームに出ている。苗字はなく名前だけの端役だが、『花蓮』の取り巻きとしてヒロインに立ちはだかっていた。
『花蓮』と同じく高飛車気味なお嬢様たちで、『恵理香』は『龍治』に取り入る為に『花蓮』を利用している腹黒系、『莉々依』は他と比べれば大人しめだったが、とあるルートでは『花蓮』も『龍治』も切り捨てる怖いキャラだった。
その片鱗は、今のところ見当たらない。
恵理香は勝気だが世話好きな優しい子だし、莉々依は大人しくはあるが一本筋が通ったしっかり者だ。ゲームキャラの要素は、薄い。
彼女たちの変化が龍治の影響であると断言は出来ないが、バタフライ効果と云うものがある。些細な出来事が後々大きな変化を齎すと云うあれだ。日本風に云えば“風が吹けば桶屋が儲かる”と云う奴か。
龍治が花蓮に対してまともな対応をしたから、その影響で彼女たちの性格も変わった、と云えなくもないと云う事だ。
考えてみれば、怖い事だと思う。龍治の行動が、色々な人の人格へ影響を与えていると云う事なのだから。
(最初は良い事だって、思ってた、けど)
眞由梨の存在が、その考えを覆した。龍治の起こした行動の負の部分に当たるシワ寄せが、全部眞由梨へ向かったように思えたからだ。
『龍治』の傲慢さも、『花蓮』の悪意も、下手をしたら『柾輝』の憎しみすら、彼女一人へと。
それは、酷く恐ろしい事だった。眞由梨があのままだったら、問題行動が激しくなって行った事は想像に難くない。それは、眞由梨の人生の崩壊を意味する。
龍治のよかれと思ってした行動が、人一人の人生を狂わせる所だったのだ。
(いや、現在進行形で、狂わせてるのか)
伯母から教えて貰ったのだが、眞由梨は部屋にこもってしまい出て来ないらしい。
食事を部屋の前に置いておくと数時間後空になっている為、一応拒食にはなっていないそうだ。眞由梨の部屋には龍治の部屋と同じくトイレも風呂もあるらしいから、衛生面も多分心配ないとの事である。しかし、部屋に入ろうとすると手がつけられない程荒れ狂うため、手の出しようがないと云っていた。
龍治がよかれと思って、彼女を拒絶したからだ。それが眞由梨の為だと思ってした行為が、ただ彼女を追い詰めるだけになってしまった。
伯母は龍治を一言だって責めなかった。表情もそうだ。どうしてか、龍治への労わりすら感じた。
――「龍ちゃんは自分の精一杯をやってくれたんだから、気にしなくていいのよ」
そう云って、伯母は微笑んだけれど。
(……そうかな。俺は、精一杯やったのかな……?)
大いに疑問だった。
自分は、本当に全力を尽くしたのだろうか。これ以上にないほど、手を尽くしたのだろうか。眞由梨の為に、自分は自分に出来る事を全てやっただろうか。
――とても、そうとは思えなかった。
(一番楽な方法を考えて、合理性で選んだだけじゃないか)
あの時の最善は、眞由梨を正しく拒絶する事だけだと思い込んで。彼女の気持ちも祈りも見ないで、ただ、追い払った。
――とんだ人で無しである。
そうして得たその結果が、別の方向から龍治を苛む。
花蓮と柾輝を大事にする事で、これから先も眞由梨のような存在を生み出してしまうのではないか――その疑念が消えないのだ。
花蓮と柾輝を守りたい、大切にしたい、ゲームのような末路を行かせたくない。それは絶対に変わらない気持ちであり、龍治の行動概念の基盤のようなものだ。
けれど、その為に本来は別の道を歩み、まともに生きて行くかも知れなかった人の人生を狂わせていいかと云われたら、龍治はどうしても首を横に振ってしまう。
(プライドの問題かな。それとも、二人に対して後ろめたい気持ちになりたくないからか……)
両方かも知れないし、両方違うかも知れない。既にその辺りが曖昧になっている。よくない傾向だ。こんな中途半端な精神では、何も出来ないから。
だから今、龍治はこんな状態になっているのだろう。
ぼんやりと腑抜けて、柾輝を拒絶も許容も出来ず、他の誰にも弱味を見せないで。
どん詰まりだ。小学生にして、行き止まりについてしまった心地になる。
(どうしたらいいのかなぁ……)
そうやって考えようとすると、悪い想像とか怖い事ばかりが頭を占領するから、龍治はすぐに何も考えないようにしてしまう。
酷い悪循環だ。厭な連鎖である。それでも――どうしたらいいのか、分からない。
(……切っ掛け、とか、あればいいの、か)
多分、それが今の龍治に一番必要なものだ。そんな漠然とした気持ちを抱く。
切っ掛け――。
現状を打開するものか、継続させるものか、それとも打ち崩すものか。そんなものは分からないし、どうしたらいいのか分からないから、どの切っ掛けが欲しいと云う希望もない。
改めて―――駄目人間だ。
「……はぁ」
大きめに溜め息をつく。
今日も空いた時間を安楽椅子で過ごす龍治の側に、やはり床に座って侍っていた柾輝が、視界の端で顔を上げた。釣られるように柾輝を見下ろすと、僅かに微笑まれる。それに応えないで、整った優しい顔立ちを見つめた。
(……俺には勿体ないなぁ)
そんな考えが頭をよぎる。そしてふと、思ったのだ。
(……そっか。その手もあるのか)
ゲームの記憶があるせいか、個人的な好意があるせいか、龍治は「柾輝は自分の手元に置いて幸せにしたい」と云う気持ちがある。
だからこそ逆に、敢えて手放すと云う選択肢があるのではないか。
(役に立たないから、じゃなくて、自分には勿体ないからって方向で出来ないかなぁ)
現実的に考えて難しそうだが、難しいだけで不可能ではない気がした。
例えば、自分の側に置いていた事で充分に成長したので、もっと困ってる人に仕えさせてはどうか、とか。龍治の能力が高い事は皆知っているので、いける気がする。
(……我ながら名案じゃないか?)
久しぶりに建設的な事を考えられたので、自画自賛してみた。
花蓮については――彼女は婚約者なので、他の男の元へやりたくないと云う気持ちが強いけれど、自分の側に縛り付ける事で不幸を呼ぶくらいなら、龍治の認める男へ嫁がせた方がいいのではないだろうか。
よく考えれば、柾輝と花蓮って似合いの二人じゃないか? 気が合うのか仲もいいし、見た目も釣り合うし。問題は家格の差だが、龍治が云えば通るかも知れない。
(二人がくっ付いて幸せになったら、俺も嬉しいし)
そこに龍治が居ないのは寂しいが、二人の幸せのためなら涙くらい幾らでも飲んでみせる。
思い付いたら即実行。
さっそく柾輝に聞いてみる事にした。
「柾輝」
「! は、はい! なんですか?!」
「お前、鞍替えする気ない?」
「……は、ぃ?」
「俺以外の奴に仕える気はないかって聞いてる」
云い切った直後―――柾輝の顔色と目の色が、一瞬で変わった。
顔色は蒼白に、目の色は暗く、例えるなら――ハイライトが消えた、的な。
(……あれ?)
「りゅう、じ、さま、なんで、ですか」
「え?」
「僕のこと、いらない、ですか……?」
「いや、そうじゃな」
「いやだ、棄てないで、ください」
「えっ、その」
「棄てないでぇ……!」
「え、えー……」
座る龍治の膝に縋り付いて、柾輝が泣きながら云う。傍目に見たら危ない光景じゃなかろうか。
何故か愁嘆場が出来てしまったので、龍治はとりあえず諦めた。あっさり頷かれたらそれはそれで寂しいなぁとか思っていたので、厭がって貰えて嬉しい気持ちも複雑ながら確かにあるのだ。
しかし、お茶のお代わりを持って来た使用人の一人が、今にも吐血しそうな顔で「申し訳ありません……」と云いながらそっと扉を閉めたのでそれどころではなくなった。あらぬ方向へ変な誤解をされたと直感したので、「何でもないから」と弁解する破目に陥る。
とにかく柾輝を「棄てないよ」と宥め、「側に置いてくれますか」と云われたから是と答えた事でなんとかその場は収まった。柾輝のハイライトも戻って来て一安心である。
何故ここまで強固に厭がるのだろうか。――名案だと思ったのだけれど。
やはり現実は、ままならないものだった。
だめだこりゃー(・ω・`;)
こう云う、主人公がうだうだ悩んで行き詰ってる話がお嫌いな方もいらっしゃるとは思うのですが。
龍治が成長する過程で、この悩みに直面する事は避けてはいけないなと思ったので書かせていただきました。
苦悩多き小学生、復活なるか?! 続きをお待ち下さい。(´∀`)タハー