11.キャンプ二日目(和やかに見せかけて戦争勃発)
こんばんは、なんとかアップ出来ました……。
すっかり週一更新になってますね。うぐぐ、どうにか週二更新してみたいのですが難しいでござる……。
お気に入り登録数2300名様突破有難うございます! 着実に増えていて見るたび興奮してしまいますふおー(´Д`*)
「―――と、云う事なんですけど。伯母様、どう思います?」
『我が娘ながら突きぬけたわねーって感じかしら?』
規則正しい生活を心がけるようにと、消灯時間は九時であるのだが。
綾小路龍治は十時を回った頃に、トイレにこもって頼りになる美貌の伯母・風祭幸子に電話をかけていた。
携帯は当然のようにスマートフォンの最新機種。機能ありすぎて面倒くせーよアプリこんなにいらねーよが本音だが、父が大変珍しくも笑顔でくれた物なのでありがたく使わせて貰っている。慣れれば確かに便利だと思うが、慣れるまでは大変だった。
最も龍治の場合、頻繁に使用するのは通話・メール・アラームくらいなのだが。ツリッターとか一々呟く事もないし、巷で評判のREINはなんか面倒臭そうと云う、開発者泣かせの理由で使用しない。
それを周りの人々は、「龍治様は古風な方」とか扱うので微妙な気持ちだ。いや多分これ、ゼンさんからの影響だ。あの人腐ってる癖に、この手のコミュニティツール「だるい」の一言でやらなかったから。
腐ってるならツリッター辺りで妄想垂れ流せよ、と意味不明な罵倒が浮かび、ゼンさんの記憶が「めんどいモノはめんどい」とバッサリ切り捨ててきた気がする。ちなみにゼンさんは、妄想を垂れ流さないで全て作品に昇華していた。そっちの方が面倒が多いのではないだろうか。謎である。
「俺、マジで記憶にないんですよ。記憶力には自信ある方なんですけど」
『赤ん坊の頃の記憶まであるもんねぇ、龍ちゃんって』
「えぇまぁ。少しですけど」
着せられていた産着の柄だとか、初めて見た父がその時見に付けていた物だとか、上手なのか下手なのか分からない祖母自作の子守り歌だとか。そう云う、乳児期の記憶が僅かながら龍治にはあった。
自分の記憶と云うよりも、周りから取り込んだ情報を脳内で再構築させて、まるで在るかのように思えるだけではないかと考えていたのだが。祖母の自作歌が決定打になった。祖母は龍治が二歳になる前に他界している上に、彼女の歌は独特すぎて誰にも復元出来なかったのだ。映像や音声記録にも残し損ねたと祖父が嘆いていた事も未だに覚えている。
しかし龍治がふとした拍子にその歌を再現してしまい、他にもあれこれ覚えている事が芋蔓式に発覚し、記憶力の凄まじさが証明された、と云う経緯があった。
ちなみに。祖母の歌を再現した時、父と祖父が泣き崩れたと云うとんでもエピソードがあったりするが、それは今は関係ないので語らないでおく。
『可能性として一番高いのは、うちの旦那かばーさん辺りが吹き込んだって奴だけど』
「そう、なんですか? いくらなんでも……」
『嘘だって発覚した時の事は勿論考えてるだろうけど。大体の人間って悪い事や後ろ暗い事する時って、「自分は大丈夫だ」って思うものよ。眞由梨が本当に婚約者になればチャラとでも考えてやらかしてる可能性はやっぱり高いわよ』
「うーん……。眞由梨が思い違いをしている、と云うのもあり得ますよね。周りの態度から「自分はかつてこう云う事を云われたに違いない」、みたいな感じで」
『夢見がち女子の代表みたいな部分あるから、それも可能性としてはありね。後は……』
少し唸る声がした後、幸子は「あっ」と声を上げた。
「どうしました?」
『うん、龍ちゃんは怒るかもしれないけど、本当に龍ちゃんが云った可能性もあったかな、って』
「えっ? 俺ですか? でも俺……」
『龍ちゃんの記憶力の良さは私もよぉっく知ってるわ。でもね、私も今思い出したんだけど……龍ちゃんって、五歳以前の記憶、曖昧な所が多いって前に云ってなかった?』
今度は龍治が「あっ」と声を上げる番だった。
乳児期の記憶が薄らあったり、普段は意識してなかったり、前世の記憶がやたら鮮明に思い出せるので忘れがちなのだが。龍治は、前世の記憶有と自覚した五歳以前の記憶が虫食いまみれなのだった。
それが、膨大な容量の記憶を得たせいなのか、それとも熱を出したせいなのかはわからない。しかし、覚えていてもよさそうな幼児期の記憶にたくさんの穴があるのは事実だった。周りは後者――熱のせいで忘れたのだろうと思っていて敢えて話題に出さないので、龍治の中でどうでもいい事にカテゴライズされている。大事なのは今だ。
なので、伯母から云われるまで、すっかり忘れていた。
「五歳前の俺が云った可能性ですか。……あると思います?」
『ない、とは断言しないわね。龍ちゃん、小さい頃からませてたし』
「ませてました?」
『一歳の時点で大人と会話が成立してたからねー。割としっかり』
「我が幼児期ながら気持ち悪いんですが」
幼児なんてものは、わーきゃーと歓声をあげつつ駆け回り、大人を振り回すものだろう。それがしっかり大人と会話が成立するとか、凄いを通り越して気持ち悪いと龍治は思った。自分なら全力で避けるぞそんな幼児。ゼンさんの記憶すらノーコメントだった。酷い。
そんな龍治の思いを、幸子はケラケラと笑い飛ばした。
『竜貴さんや使用人達は手が掛からないって喜んでたわよー。我が侭してたけど、度は越してなかったしねぇ』
「はぁ……」
世間知らずの母は当てにならん、と思うので、曖昧な返事しか出来なかった。綾小路視点の度は越してない我が侭は、世間一般にすればとんでもないレベルの糞ガキ様だと思うのだが。
『同じ子供なんて、みーんな幼稚すぎて相手にしてなかったわねぇ。眞由梨だけは従姉妹ってのもあって、一緒にいる事多かったけど』
「そうでした?」
『一緒に居るって云っても、今みたいに眞由梨が追いかけ回してたんだけどね。それでもあの頃の眞由梨は大人しかったから、龍ちゃんはさほど鬱陶しがってなかったみたいで、敢えて追っ払ったりはしてなかったわねぇ』
「うーん……」
云われ思い出そうとするが、やはり記憶にない。そう云えば眞由梨っぽい子がいたかな、程度だ。幸子の話で多少肉付けはされたが、鮮明にはならなかった。
『だからね、可能性としてはその頃だと思うのよ』
「伯母様的にはどうです? 俺って云いそうでした?」
『そうねぇ……、そこまで眞由梨を気に入ってるようには思えなかったわ。うるさくないから側にいても許す、みたいな』
「とんだ傲慢幼児ですね俺……すいません」
『あら、別にいいわよ。どう考えても時効だもの』
「……時効ですよね?」
『時効ね』
仮に、当時の龍治が幸子の見立て違いで眞由梨を気に入っていたとして、「嫁にこい」的な事を云っていたとしてもだ。そんな幼い頃の口約束、どう考えても無効である。例えばそこに保護者なり誰なり居て、その言葉を聞いて眞由梨を正式な婚約者としていたら話は別だが、そんな事実はない。
あくまで龍治の婚約者は東堂院花蓮で、眞由梨は従姉妹だ。其れ以上でも其れ以下でもない。
五歳以前の結婚の口約束。恐らく、誰にでも有り得る事だろう。異性の幼馴染がいたら、それなりの確率で云うのではないだろうか。しかしそれを現実にする者は少ないだろうし、相手が別の誰かを選んだのを「幼児の時に結婚の約束したんだから、自分と結婚するべき!」などと云って非難したら確実に痛い人扱いだ。それ以前に怖い。ストーカーとヤンデレの香りがする。
『とりあえず、私の方で眞由梨の話が本当かどうか、探ってみるわね』
「いいんですか? ……と云うか、大丈夫ですか?」
『ばーさん達はスルーして、使用人達に聞いてみるわ。じいや辺りなら何か知ってるかもだし』
「すみません、お手間おかけします」
『可愛い甥と大事な娘のためなら手間じゃないわよー。っと、つい話込んじゃったわね。もう遅いから、龍ちゃんは寝なさい』
「はい、有難うございました伯母様。おやすみなさい」
『はーい、おやすみー。いい夢見るのよー』
通話を終了し、龍治は一つ溜め息をついた。
(俺が本当に云った可能性か……。確かに、ないって断言出来ないよなぁ)
なんせ記憶がないのだ。云った証拠もないが、云わなかったと云う証拠も無い。
ただ、可能性はあるだけで、低い気はするのだが。
(本当に云ってたら、眞由梨は風祭のおばあ様には確実に報告してたんじゃないかなぁ。そんでそこから話が大きくなってた気がするけど……)
しかしそんな話は聞いた事がない。だから龍治はキャラを忘れ、眞由梨の前で「云ってねぇよ!」と喚いてしまった訳である。
敢えて黙っていると云う可能性はあるか。あり得るかな、と云う気もした。眞由梨ががっちり龍治を射止めてから、「幼い頃約束していた二人が本当に結ばれる」とかブチ上げる気だったとか。
……考えたら寒かった。どこの少女漫画かと。
(……まぁとにかく、結論は変わらないよな)
自分の嫁は花蓮一択な事に変更はないので、あれこれ思考を巡らせていても仕方がないだろう。結論は出ている。後はどう誘導するかが問題だ。
(あいつの思い込みを論破するの、結構楽に出来るしな)
あの時は思いもよらない発言に頭を抱えたが、後から考えればかなり楽に論破出来る事に気付いた。まぁそれをやるには、かなり自分を性格悪しに演出しないといけないが。自分の将来を考えれば、嫌われ役どんとこい。予行練習だと思えと云う所だろうか。後は周りをフォロー出来れば完璧だと思う。多分。
そこまで考えて、幸子に云われた通り、今日はもう寝るかと用を足してトイレを出た。
ドアを開けると正座待機状態の岡崎柾輝が真正面に居たので、夜にも関わらず最大音量の悲鳴を上げそうになったのは余談である。心臓が止まるところだった。
*** ***
「……よく寝てしまった」
「気持ちよさそうに寝てましたよ」
キャンプ二日目は夕方まで自由行動だった。
ほとんどの生徒が施設内に居る事を選ぶ中。龍治達一班はハイキングを共にした先生に引率され、コンシェルジュの一人を伴い、宿泊所近くの川へ向かった。
川の底まで見えるほど透き通った水が流れ、深さは最大で大人の膝下までと云う子供の遊び場に丁度良いところだった。それでも、水着に着替えて水遊び、と云う訳には行かないのが『瑛光学園』である。川に来ても、足だけ浸したり、魚を観察したり、川辺でのんびりしたりする程度だ。
それでも室内にこもってるよりよほどいい、と云う龍治の主張により、本日の一班は川遊びである。
最初こそ浅瀬でぱちゃぱちゃと水遊びをしていたのだが、前夜の夜更かしが悪かったのだろう。龍治は眠気に襲われてしまい、柾輝に勧められるまま、川辺の木陰で横になった。少しだけのつもりだったのだが、目を覚ませば軽く二時間は経っていた。
「せっかく遊びに来たのに時間勿体ねぇ!」と起きた直後は嘆いたものの、結局は柾輝と鬼塚恵理香以外も昼寝を選択したらしい。
起きたら右側には座った状態で自分を笑顔で見下ろしている柾輝、左側には幸せそうに眠っている花蓮が居た。花蓮の隣には浅井莉々依、さらに隣りには禅条寺玲二が寝ていた。玲二の隣には恵理香が座っていて、扇子で皆をぱたぱた煽いでいた。
先生とコンシェルジュの優しい眼差しが恥ずかしい。
「まだ遊ぶ時間はありますから、あまり気になさらない方が宜しいですよ」
「……そうだな。それにしても気持ちよさそうに眠ってまぁ……」
つい、つんつんと花蓮の頬を軽く突いてしまう。些細な悪戯だが、恵理香からは「まぁ、龍治様ったら」と咎められてしまった。
「花蓮様も気持ち良く眠ってらっしゃるのですから。いたずらはほどほどに」
「はい」
神妙に返事をする龍治に、周りから穏やかな笑いが零れた。恵理香も楽しげに笑ってくれたので、ホッと安堵する龍治であった。
ただ、柾輝が少し硬い笑みを浮かべていたような気がしたけれど。気のせいだろう、多分。
その後花蓮達も目を覚まし、川辺の草花を見て回ったり、龍治と玲二が喜び勇んで捕獲したセミに莉々依がマジ泣きしたり、柾輝が鮎をまるで鮭を捕る熊のように狩ったり、女子陣が作った花冠を先生とコンシェルジュ含む男性陣が装備する破目になったりしているうちに、時間はあっと云う間に過ぎてしまった。
自由行動が終わっても、夏であるためまだ空は明るい。もう一時間もすれば空が橙に染まり始まるだろうが。
本日のメインイベント。
龍治が密かにどころかオープン気味に楽しみにしていた、カレー作りである。
野外だったら云う事無しだが、残念ながら室内だ。意味がわからない。キャンプの単語をどこへ吹き飛ばしているのだ、『瑛光学園』は。
「ご飯だけは飯盒炊爨ですけど」
「やるの教師じゃないかっ。野外で料理ってすっげーやりたかったのに!」
「まぁ、龍治様ったらワイルドですわっ」
「さすがは龍治様です……ッ」
「いつかやる機会あるよ。今度はみんなで本格的なキャンプするとか」
「玲二の意見採用。全員、夏休みに予定あけとけ!」
「まぁ!」
「楽しみですわっ。本格的なキャンプってどんなものでしょう?」
「今夜家に連絡を取って予定をあけますわ!」
本格的とは云っても、キャンピングカー使用のものには違いないが。学校の名ばかりキャンプよりはよほどキャンプらしいものになるだろう。その話にみんなが乗り気で嬉しい限りだ。
とにもかくにも、カレー作りである。
立派な設備のキッチンにて、各班ごとに調理するのだ。
レシピは事前に配られていて、そのまま作ってもよし、アレンジを加えてもよしとかなり自由度が高い。こんなところで「自主性」だけは保障された。材料はあり余るほど用意され、そこから自分達が必要だと思う分だけ持って行く。肉はブランド物、魚介類は今朝港から直接仕入れた新鮮なもの、と。調理実習の枠を超えているのは毎度の事なので、龍治ももう突っ込まない。そう云うものなのだと諦める。
国民食であるカレーライス。その起源はイギリスであると云う説が有力らしい。
クリームシチューを作っていたある主婦が、苛立ち紛れにカレー粉を鍋に叩きいれた事によって出来上がったとか。
他にも色んな説があるが、龍治はこの説が一番面白いなと思ってる。肉じゃがの起源に勝るとも劣らない。料理の起源なんて、そう云う偶然がものを云うのかも知れない。
カレーと一口に云っても、作り方は千差万別。各家毎に違う。自分の家と違うからと云って、間違いと云う事はない。ある意味、全ての作り方が正解と云ってもいいだろう。卵かけご飯に各人流のやり方があるのと一緒だ。
とりあえず龍治達は、トマトを使ったハヤシ風カレーを作る事にしていた。指揮を取るのは、無論龍治である。
「任せろ……。この日のために、我が家の食事と賄いが連日カレーになるくらい作ったからな!」
使用人達はともかく、両親は途中で泣きが入っていた気がする。カレー美味しいのに。
「そ、そんなに作ったんだ?」
「美味しかったですよ。僕も手伝いましたが」
「ず、ずるいですわ柾輝様! 龍治様のカレーを一人占めなんてっ!」
「僕一人が食べてた訳じゃないですよ? おかわりはしましたけど」
「ず、ずるいですわー!」
「大丈夫です花蓮様! 今日はたくさん食べられましてよっ」
さてまずは材料を取りに行こうと、男子陣が連れだって先生方の元へ向かう。材料を吟味し、肉を選び、ルーを手にする。
「お肉ってどれがいいのかな。なんか、色々あるんだけど……」
「牛肉の薄切りだ。煮込む時間を短縮したいからな」
「あ、なるほど」
「ルーは甘口だけですね。龍治様のお好きな中辛がありません……」
「そこら辺は仕方ないだろ。小学生だし。……あ、このルー、うちが贔屓にしてるホテルのだ……」
「帝王ホテルの? わー、贅沢ーぅ」
「……大半の奴らが、駄目にするのにな……」
「龍治様、それは云わぬが花というものです」
「まぁ、その……仕方ないよねー」
遠い目をして呟く龍治に、困った顔の柾輝と曖昧な笑みを浮かべる玲二が答える。
いくらレシピがあろうとも、設備が整っていようとも、選りすぐりの材料があろうとも。普段から料理をしない者に料理の神様は微笑まない。何事にも守るべき基礎がある。料理が出来ないやら下手だとか云う人間は、その基礎が出来ていないのだ、と龍治は思うのだ。
基礎が出来てないから、素っ頓狂な事をやらかす。それは料理だけでなく、様々な事に共通するのではないだろうか。ルールを知らずにスポーツが出来ないのと一緒だ。料理のルールがわかってなければ、料理なんて出来る訳がない。
世の中には、「料理は愛情」とほざいて「愛があれば食べれるでしょ?」と不味い飯を人に食わせる者がいるそうだが。龍治とゼンさんの記憶に云わせれば片腹痛い。
「料理は愛情」の意味は、「愛さえあれば不味くても喰える」ではない。それは頭に花畑が展開した阿呆の云い分だ。「愛があれば、作り方は自然と丁寧になる。その結果、美味しくなるだけ」なのである。
故に料理に要求されるのは、基礎、知識、技術、情熱、愛である。これら全てが揃っていれば、美味しい料理はプロでなくとも作れるのだ。
そしてこの場に居る子供達のほとんどが、それらを満たしていない。
……必然的に、失敗作ばかり出来上がると云う事である。
花嫁修業として料理を学んでいる者は、初等科において実は意外と少ない。何故ならほとんどが大層な金持ちの家の子女。料理などは使用人の仕事である。彼女たちに求められるのは人前に出て恥ずかしくない立ち振る舞い、夫を支える為の胆力であった。
大財閥の令嬢でありながら、料理を学んでいる花蓮の方が珍しかったりするのである。
「食べ物を無駄にする事が前提って云うのが厭だ」
「学校側に抗議しておきますか?」
「綾小路家が云ったら、来年からキャンプそのものが中止になる可能性があるからやめてくれ。楽しみにしている後輩たちが可哀想だ」
「心得ました」
「まぁ、僕らはちゃんと作って、大事に食べようよ」
「……そうだな」
それしかないだろうと頷いて、龍治達は必要な食材をステンレス製のバットに載せて一班の調理場へと戻った。
戻って、玲二が小声で「げっ」と呟いた。龍治も眉間に皺を寄せてしまう。
短時間の事だと云うのに。戻ってみれば、またもや花蓮と眞由梨が対峙していたのだ。周りが恐々としながら、それでも興味津津な表情で二人を見ている。だが、龍治が戻って来るのを見るやいなや、慌てて目をそらしたり、龍治へ「風祭様がまた……」「東堂院様がお困りです」とか奏上してきた。
それに頷きだけを返して、龍治は花蓮達の元へ行く。
「花蓮、戻ったぞ」
「あ、龍治、様……」
花蓮の顔色が悪かった。声も、歯切れが悪い。
眞由梨へ目を向ける。彼女は勝ち誇った顔で花蓮を見た後、龍治へ向けて優しい笑みを浮かべた。
「花蓮さんは御気分がすぐれないようなので、わたくし、これで失礼しますわね」
「……あぁ」
「龍治様、花蓮さんの料理の腕に問題があったらいつでも仰って下さいな。わたくし、いつでも龍治様の為に尽力致しますので。……それでは」
ふん、と鼻で高飛車に笑いながら、眞由梨は取り巻き達の元へ戻る。その背中を、恵理香が射殺さんばかりに、莉々依が激怒に濡れた涙目で睨みつけていた。
――どうやら今回は、花蓮が負けたらしい。
「花蓮」
「あの、わたくし」
「何を云われたかは聞かない」
「そんな、」「龍治様っ」
花蓮が息を飲んだので、恵理香と莉々依が代わりに非難するような声をあげる。龍治の横に来た柾輝が、二人を牽制するように見据えた。
眞由梨が何を云ったか。聞かなくても、予想はつく。己の能力を誇り、花蓮が至らないと責めたのだろう。体力では花蓮に分があるが、料理などの細かい作業では眞由梨の方が分があったからだ。
ハイキング前に眞由梨をへこませた花蓮が、今度は調理前に眞由梨によってへこまされた訳である。
因果応報と云う言葉が一瞬脳をかすめるが、それを口にするほど龍治は人で無しではない。
「お前が頑張ってるのは知ってる。外野の声は気にするな」
「は、い」
「花蓮が作る料理、俺は好きだぞ」
「は……はい!」
ぱっと笑顔になった花蓮に安堵する。
(我が婚約者ながら、素直でよろしい)
玲二が「ちょろくない?」と呟いたので、脇腹に肘鉄を入れておいた。ちょろいのではない。素直で可愛いだけである。
ゼンさんが「花蓮たんマジチョロイン」と呟いた気がしたので、あんたは黙ってろと念じておいた。たんって云うな、たんって。自分の前世の癖に、言葉のセンスが気持ち悪くてこれは酷いと思った。
龍治指揮下で作られた、新鮮トマトたっぷりのハヤシ風カレーライスは、皆の努力のおかげで大変美味しく作れた。周りはまぁ、推して知るべし状態だが、一班以外にも成功した班が二つある。
老舗旅館の娘――母が女将、父が板長――がいる四班と、眞由梨率いる二班であった。他の班はものの見事に失敗したので、シェフが作ったカレーを食べていた。
成功した班の中でアレンジを加えていたのは一班だけだったので、周りから褒められまくり、花蓮も自信を取り戻したようだったので龍治は安心したのだった、が。
食事も恙無く終了し、今日は遊んで料理して疲れたからと早々に部屋へ引き揚げた龍治達の元へ、とんでもない話が飛び込んで来る事になる。
龍治は今夜、眞由梨との決着を付ける予定だった。幸子からの連絡はまだだが、例えどんな理由であっても結果は変わらないのだ。眞由梨と一対一になって彼女の心を圧し折り目を覚まさせるべく、龍治は脳内シミュレーションの最終調整を行っていたのである。
柾輝すら連れて行かないのは、眞由梨一人に対して自分側が複数なのは卑怯だろうと思ったからだ。正々堂々、正面から彼女を圧し折ってこそ意味がある。柾輝が側に居ては困るのだ。
故に、失敗は許されない。しくじる自分を許せない。だからこそ、綿密な言葉選びを脳内で行っていたのだ、が。
突然、部屋のドアがけたたましく叩かれた。部屋に居た全員がびっくりする中、素早く正気に戻った柾輝がすぐにドアへと向かう。
「どちら様ですか?」
「A組の剣ヶ峰ですっ! 大変です龍治様っ!」
「委員長か? 柾輝、開けてくれ」
「はい」
ドアを開けると、血相を変えたクラス委員長・剣ヶ峰三鶴が入って来た。人をまとめるのが上手でも、大人しいタイプである彼が珍しい。
「どうした、何があった?」
「と、東堂院さんと風祭さんが、取っ組み合いの大喧嘩をしてるんですっ!」
「はぁ?!」
龍治だけでなく、柾輝と玲二すらギョッとした。
彼らは、品格の高い二人の令嬢が、厭味の応酬ではなく取っ組み合いにまで喧嘩を発展させた事に驚いていたようだが、龍治は「なんでよりにもよって今日の今なんだよ!」と焦っての事だった。
「先生方も間に入れなくって……龍治様でしたらと。お二人を止めて下さい、お願いします!」
「行くぞお前ら!」
「はい!」
「わわ、ちょ、待って待って!」
龍治は即行で飛び出し、柾輝もすぐに続く。玲二はベッドで寝転がっていたので、靴を履くのに時間がかかるようだったが、すぐに追って来るだろうと待つ事はしなかった。
外に出ればすぐに分かる。部屋から顔を出した奴らが、恐々と階下を窺っている。その階下からは、『瑛光学園』に似合わない喧騒が聞こえてきていた。
龍治は転がるように階段を駆け降りる。何で世の中はこうも思い通りにならないのだと、頭の中で吐き棄てながら。
そんな龍治にゼンさんの記憶は静けさを維持する。ただ、静かな声が「守るものを間違えないように」と囁いていたような気がした。
「料理は愛情」云々に関しては、学生時代の先生の言葉を使わせていただきました。
料理は愛情だけで作れるほど生易しいもんじゃないのよ、と優しく微笑まれて、我ら生徒は云い知れぬ恐怖を味わったものです。
先生……過去に何かあったんですか……。
間違い修正しました! お恥ずかしい……ご指摘有難うございます!