始まりは急にして起こる
頬に揺れる灰色の髪、クラスではいつもその髪の色が邪魔をした。
日本人でありながら黒色ではなくその弱体版、灰色などと老けた老人のような髪を生まれながらにして持ち、世界に生み出た。16年間いい思い出なんて無かった。
だからか、この世界に未練は無い。荒城・隆一は森の小さな鳥居の前で妙なモノを前にしてそう思った。それは人ではなく、生物でもない存在。
彼は古く太古からこの土地を守りつくしてきた神なのだという、その神が荒城に持ちかけた。それは遠い彼方、神々の故郷であり神聖な土地、その場所は神の子が人々にまぎれて人々を監視し見守っている土地だとか、その土地に彼は荒城を送ってくれると言った。
理由は彼自身が神の因子を受け継ぐ神の子だからだ、灰色の髪はその影響によって及ぼされたとまで言った。この世界はもともと荒城の生きるべき世界ではないとまで言った。
退屈で無為な16年間にようやく始まりを感じた。進展を感じた。だから荒城は彼の手を取った。緑色の美しい髪をした色白の美青年の手を荒城は取った。
世界には多くの遺跡が存在する。
幸か不幸か遺跡には魔物と膨大な遺産が残され今も世界のあちこちに散らばっていた。
そんな遺跡の存在する北の国ベルセウス、その土地は古くから雨と雷に悩まされてきた。年間平均して2000人以上の死傷者が発生し、その多くは水害による土砂崩れや川の半壊による物がほとんどだった。雷に打たれて死ぬ者も中にはいるが、その数は100人にも満たない。水害の次に多いのが雷が落ちたことによる火事での死傷者だ、この辺りは雨も多いが火を起すのに適切な木々も数多く存在する。それらに雷が落ちればそれこそ大惨事を引き起こす。年間500人近くの火事による死者が出ている。その日も、酷い雨が振っていた。雲の先から数本に別れる雷の光、何度も酷く耳を刺す音が鳴り、轟かせていた。
視界が目に飛び込んでくる雨粒によってさえぎられながらもその手に握る手綱だけははなさいないと決めていた。幾度も響く振動はまたがる馬によって引き起こされ、胸に響く鼓動は背後から迫る者によってもたらされている。
「……本当にしつこいわね」
永遠とも思えるほどに続く切り開かれた森の中を少女の声がこだまする。
しかし彼女の声は空に漂う雲の先から訪れ神々の声によって吹き消されては雨へと消える。どれほどの時間こうして馬を走らせているのだろうか、彼らに追われてもうどれほどの時間がたったのだろうか。正確な時間はわからないが川沿いの町を過ぎてからずっと彼らに追われている。馬の息遣いからも限界が近いことを悟った。
「私なんて追いかけて金目の物なんて持ってないって言うのに」
彼らの狡猾さを知らないわけではない。男は奴隷商に売り飛ばされ、女は娼婦に仕立て上げられる。それが山に住むもの、略奪し、奪い、襲う。殺したければ殺し、奪いたければ奪う。それが山に住む彼らの本質。
「もう少しだけがんばってちょうだい」
姿勢を低くして馬の首筋をゆっくりとなでると彼女の思いを感じ取ったようにして馬は足を加速させた。馬はぐんぐんと背後に迫る男たちから距離を離していく。
これなら逃げ切れる、そう思った瞬間、目の前に光が走った。
それはいつも目にする空の輝きとはまったく違うものだった。
激しい緑色の閃光、耳を犯す爆音も感覚を奪う電流もなくそれはただ光を放ちそして目の前に現れた。目もくらむような光に馬は驚き大きく足を上げぬれた地面に倒れこむ。
瞬間、真紅のドレスに深い茶色の染みが浮かび上がり全身に強い衝撃がかかった。。
投げ出されたからだは何度も地面に打ち付けられまるで体の節々に痛みが伝染して伝わるかのようにして広がった。痛い、苦しい、このまま意識を手放せばどれほど楽か、そう考えた瞬間、視界の墨に二人の影が映りこんだ。やつらが追いついてしまったのか、そう即座に思い立ったが背後から荒々しい男たちの声と馬の足音が迫っていることに気がついてそれはないっと少女は判断する。しかしそれも時間の問題だ、彼女は必死に傷ついた体を起そうと足を手を全身を動かすように努力をした。けれどもそれは叶わない。何度もやっても体が起き上がらない。腕は自分の物で無いかのようにして沈黙を突き通し、足は操り手を失った人形のように頑として動かない。絶望、それが今この瞬間だと少女は思う。
(……どこで間違ったんだろう)
徐々に鮮明となっていく視界の中で彼女は暗闇の広がる空を見つめながら小さな指輪に目を移した。悲しげな視線の先に青色の宝石が輝き少女の瞳に移りこむ。
「……助けて」
枯れた声で生気の失せた言葉で、彼女は小さくそう呟いた。
雨の音ですぐに消えてしまうその声がノイズのように聴覚を通して響く。
(私をどうして置いて行ったの? どうしてあの時私を……)
心のどこかではわかってはいた。彼は何を言っても何を叫んでも助けに来てはくれないことを、生きているのか死んでいるのか、今では本当にわからない。けれど声に出せばこの絶望的な現実から救い上げてくれるかもしれない、そんな僅かな希望を抱いて少女は誰にも届かぬ声を呟いた。
「…………」