戦闘描写練習
とある会社の一室。朝九時という、世間一般的には活動を開始している時間であるが、そこにある人の影はまばらだった。
その影は数にして三つ。日の当たり難い奥の席で机に突っ伏しているのが、一つ。窓際の席で、湯気の立っている紅茶を飲みながら本日の新聞に目を通しているのが、一つ。そして最後の一つは、比較的出入り口の扉に近い席で何かを弄っていた。最初の一つは一般的な会社のオフィスに照らし合わせてもまあ問題ない範囲であろうが、最後の一人だけは明らかに異様であった。その肩上まである髪は鈍い銀色であり、その肌は病的な白。パーカーを着ており、サングラスに隠された瞳からは微かに紅い色が見える。そしてその手でいじっているものは何であるかというと、刀であった。そう、日本刀である。なぜか彼は黙々と日本刀を研いでおり、そしてそれを咎めるものは誰一人としていなかった。
そこに、扉を開いて新たな人物が現れる。
「おはようございます。初めまして、先輩方」
その髪は金に染められたショートカット。眠そうな目に、でかでかと耳につけられたピアス。彼もまた、どこかまた異様な雰囲気をかもし出していた。
新しく入ってきた人物を視認すると、銀髪の男が嬉しそうな声を挙げる。
「よぉ、待ちわびたぜ。てめえが『黄金の新卒』か」
それに対して金髪の男が出すのは挑発的な態度と言葉。
「だったら、どうします?」
「知れたことよ……」
立ち上がる銀髪の男。ゆらゆらと相手に近づき――、
「実力、確かめさせてもらうぜぇ!」
――突如として急加速した。
迫り来る脅威、それに対して金髪の男がした行為は、体を半身にして攻撃を受け流すことであった。
相手の勢いを殺さず方向性を変えることで、強力な一撃を受け流す。言ってしまえばそれだけのことだが、この金髪の男のそれは随分と手馴れていた。まるで、今までに何十回何百回と繰り返してきたかのように。
それに銀髪の男も気づいたのだろう。一端距離を取り、落ち着いた口調で問いかけた。
「認めよう、どうやら本物のようだな。てめえの名前はなんだ?」
そう問いかける男の態度は先程までの相手を見下したような雰囲気でなく、相手を自分と対等な存在として認めているようであった。
「冬原至鬼。鬼に至るものと書きます」
金髪の男、もとい至鬼がそう名乗ると、銀髪の男は、そうかい、と一言置いてからこう続けた。
「こいつも礼儀だ、俺の名前を教えてやるよ。
アイゼア。アイゼア・ザイフィティオー。総合請負会社『プラエドー』の第三位、『闇に潜む者』(フォルミードー)だ」
そう名乗るアイゼア。プラエドーとは至鬼が本日から入社予定の会社の名前であり、今二人がいる場所である。総合請負会社とあるように、プラエドーは何でも請け負う。法外な報酬を要求する代わりに、依頼された仕事は100%成功させる。世界の裏側の王であり、この世界で知らないことは無いとまで言われる超法的集合体。無論、最も盛んな依頼分野は暗殺であるのだが。
天才・異常者の集まりと言われており、特にプラエドーの内部でも上位の序列に位置する者は魔人と呼ばれ、人間を超越した存在であるとまで噂される。
「それで、お互いの自己紹介は終わったわけだが? 続けて必須試験を行わせてもらうぜ。実力調査だ、三分間だけ俺と戦いな」
そう言いながら、至鬼に構えを促すアイゼア。彼は両手をだらりと垂らしたままである。
「安心しな。本気は出しやしねぇから……よッ!」
言い終わらないうちに、至鬼に向かって放たれる打撃。それは先程の一撃よりもなお重く、鋭い一撃。
だが。それでも、至鬼に届くことはない。積み重ねた修練は、至鬼から隙というものを無くした。意識と無意識を同調し、空間の動きを先読みする。それはさながら局所的な未来予知。今の彼には数秒が限界であるが、それでもその存在は大きい。壁を越えた存在にとって、数秒とは十分な動き(アクション)を起こせる時間である。全力を出した至鬼に対し、僅かな例外を除いたあらゆる近接攻撃は意味を無くす。
先程と同じように攻撃を受け流し、さらにそこから繋げて動く。
受け流した勢いを利用し、相手の脇腹に向けて拳を繰り出す。
「――甘えよ」
だが、しかし。その例外がここに居る。魔人。人間を超越した存在、アイゼア。彼の動きは、まさしく人間を超えていた。刹那の動きすら悠々と回避する反射神経と運動性能。その前では、たとえ隙を突いた攻撃だとしても当てることは至難の業である。
至鬼の一撃は、当たらなかった。至鬼の体に叩き込まれる痛烈な一撃。先読みを上回る運動性能の結果であった。
ここに至り、実力の差を思い知らされる至鬼。だが、ここで負けるわけにはいけない。すぐさま体勢を立て直し、距離を取る。だが、その選択は間違いであった。
自分より運動性能の勝る相手に、自分から隙を作ってしまった。受身になってはいけなかったのだ。
その行動への答えは、怒涛の連撃であった。
攻撃どころか、防御すら厳しいほどの打撃の連打。蛇のようにしなやかで、日本刀のように鋭い打撃。
いくら先読みができても、こうも運動性能に差があっては回避もできなかった。
「ヒャアッハァー!」
防ぎきれないダメージは体に蓄積され、動きを鈍らせる。
徐々に鈍くなる至鬼の動き。誰がどう見てももはや、挽回は不可能であった。
アイゼアもそう思ったのだろう。
胸倉の服を掴み、最後の一撃を与えようとする。
ここで死んだところで何の問題も起きない。プラエドーに入社しようとするとはそういうことであった。過去に何度も繰り返されてきたことである。
だが――、
「――シッ!」
拳が当たったのは、アイゼアの体であった。
拳を円状の動きに乗せ、アイゼアの鳩尾へと全力で叩き込む。
それはさながら、型の決まった演舞であるかのように。
まだ至鬼の意識は健在であり、だからこそ決まったカウンターである。
「ッ、クハハハハ!」
笑うアイゼア。ひとしきり笑うと、自分の机に近づき、手をのばした。
求めるのは刀。彼の本当の戦闘スタイル。
だが。
「……あ?」
机の上に彼の刀はなかった。
それを疑問に思うと同時に、頭に軽い衝撃が走る。
「暴れすぎだ、この戦闘狂が」
そこにいたのは先程まで新聞を読んでいた男性。
そして、その手に持っているものは一振りの箒であった。
つまりそれが指し示す事実は。
「彼は俺が連れて行く。治癒の必要があるしな。
お前は掃除だ」
戦闘の余波によって入り口付近が半壊した部屋の掃除であった。