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綺麗な首飾り|孤独なエルフの貴公子と、居場所のない盗賊の少年が、深くつながる物語  作者: 神代紫音
第一章  セウ家の馬小屋|昼|イオアンが魔法の馬を救うために一計を案じる
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第27話 調教

ブッケルムが屋敷にやってきたのは、三年前、寒い日のことだった。


ちょうどサトゥルナリア祭の頃で、真っ白な雪が積もった坂道を、黒装束の男が仔馬を連れて登ってきた。

髑髏の仮面を被った〈首なし騎士団〉の男だった。


屋敷の門番は驚いた。

それは騎士が〈首なし騎士団〉だったからじゃない。

当時は、セウ家も騎士団との取引はよく行っていて、むしろお得意様だったと思う。いまも厩舎には騎士団から購入した〈魔の馬〉の血を引く良質な軍馬がたくさんいる。伯爵様も信頼していたはずだ。


門番が驚いていた理由は、あと一週間で新年を迎えるという年の暮れで、それも予告なしに一人きりだったからだ。いままで騎士団は、いつも決まった時期に数人で屋敷を訪れていたから、掘り出し物の軍馬でも連れてきたのかと門番は思った。


だが、連れてきたのは可愛い仔馬だった。

いまとなっては信じられないかもしれないが、仔馬の頃のブッケルムは人懐っこい愛嬌のある馬だった。馬丁たちも最初は可愛がっていたものだ。

門番は騎士に用件を尋ねた。


すると髑髏の仮面の騎士は、

「この馬はルベルマグナの血を引いている。セウ伯爵を呼んで欲しい」

というような言葉を告げたらしい。


詳しい内容は知らない。

そのとき私は現場にいなかったからな。

この冬の取引や、その後の調教に関しては、すべて人から聞いた話だ。


門番は、騎士が冗談を言ってるのかと思った。

仔馬はどこかの農耕馬のようだし、いきなり門まで伯爵様を呼びつけるなんてことができるはずがない。

たぶん男は、サトゥルナリアの祭りで酒を飲み過ぎたのだろう。


だが騎士は執拗に繰り返した。

伯爵をここに呼んで、その目で、この馬を見てくれと。


面倒になった門番は追い払おうとした。

しかし騎士は居座る。

そのうち口論を聞きつけて、屋敷の者たちが集まってきた。

馬丁や使用人、兵士や奥方様の侍女――サトゥルナリア祭のせいで酔っていたのは黒装束の男ではなく、屋敷の者たちのほうだった。


屋敷の者から、面白おかしくからかわれることに苛立った騎士はこう言った。

「いい加減にしないと、他所の屋敷に連れていくぞ」


屋敷の者たちは顔を見合わせた。

まさか、この仔馬がルベルマグナの子供だとは思えないが、しかし何かの間違いでそうだった場合、それを逃したとなれば伯爵様は激怒するに違いない。

その特大の雷を受けるのは、誰だって嫌だった。


酔ったセウ家の騎士が提案した。

骰子で決めようと。


こうして運の悪い従者の少年が、伯爵様に報告することになった。ほとんどの者は伯爵様が〈塔〉から出てこないことに賭けていたから、姿を現したときには驚きのあまり、一気に酔いが醒めた。


もちろん伯爵様は、サトゥルナリア祭だろうと飲んではいない。

伯爵様はブッケルムの前で立ち止まると、いつも通りの厳めしい表情で、屋敷の者たちを見回し、〈首なし騎士団〉の男を眺めた。

騎士の顔は分からないが、声音から、門番は三十ぐらいだろうと言っていた。


伯爵様はブッケルムの状態を確かめた。

あの頃はまだ仔馬だったが、お前も見ての通りの不格好さだ。

前脚は短く湾曲していて、その関節は老人の指のように節くれだっていた。

伯爵様は鼻面を押さえつけ、唇をめくった。


「何歳だ」

「三歳になったばかりだ」と騎士は緊張した様子で答えた。

「この馬を、どこから連れてきた」

「イザナミア属州から」


さらに伯爵様は声を低くして、イザナミアのどこだと確かめた。騎士は誰も聞いたことのない牧場の名前を口にした。


しばらく、じっと考え込んでいた伯爵様は最終的に、

「いくら欲しい」

と尋ねた。


騎士が震える声で「金貨五百枚」と口にしたとき、この男の頭はおかしいと屋敷の者は確信したが、伯爵様が「三百枚なら、どうだ?」と値切ろうとするのを聞くと、御主人様まで気が触れたのかと卒倒しそうになった。


私は軍馬の値段は詳しくないが、名のある騎士が乗るような最上級の軍馬でも金貨百枚といったところだろう。それが金貨五百枚といったら――そんな値段がつくのは、皇帝が乗るような馬ぐらいじゃないのか?


「それは……」

と騎士が渋る様子を見せると、伯爵様が告げた。

「他の屋敷にあたるなら好きにしろ。だが分かっておるだろう。お前の言葉を信じるのは私ひとりだけだ」


このやり取りを見て、さすがに騎士も馬丁も執事も反対した。この男に騙されているのではありませんか――と伯爵様に遠回しに伝えようとした。


だが伯爵様は、

「私はルベルマグナを知っておる!」

と家臣たちに言い放つと、有無を言わさず、屋敷から金貨三百枚をかき集めさせ、騎士に重たい革袋を手渡した。


せめて、この馬の売買証書だけでも――と屋敷の書記が進言したが、

「そんな紙切れは不要だ!」

と伯爵様はじろりと書記を睨みつけた。

このとき、証拠を残すのを伯爵様が嫌がったのには理由があって、それは後々の調査で分かることになる。


〈首なし騎士団〉の騎士は、まわりの敵意をひしひしと感じていたのだろう。余計な口をきかず、すぐに退散した。それ以来、誰もあの男を見ていない。


伯爵様が呆けたんじゃないかって?


馬鹿を言うな、まだ六十を過ぎたぐらいだ。

頭ははっきりしている。

いまだって、タタリオン家における軍の総指揮官なんだぞ。

むしろ屋敷の者たちが反論できなかったのは、伯爵様の長すぎる戦歴のせいだ。


オウグウス・セウ――。

この伯爵様の名前は、若くして爵位を継承してから帝国じゅうに広まったが、まずは前公爵の有能な右腕としてだった。

先代のテオドル様は、恐ろしい〈魔の馬〉ルベルマグナに跨って、南大陸に遠征しては版図を広げ、帝都では皇帝の復権にも手を貸した。そしてテオドル様の隣には、三十年のあいだ、いつも伯爵様が控えていたんだ。


それは、ルベルマグナの雄姿を伯爵様がずっと見続けていたということでもある。あの馬が死んだと言われてから、もう十年は経つだろう。セウ家の騎士でも間近に見た者はほとんどいない。だから伯爵様が断言すれば、誰にも否定はできなかった。


お前の「ルベルマグナが子供を作らずに戦死したはず」という反論については、後でゆっくり話すから、暫くは辛抱して聞いていてくれ。


こうして伯爵様は、家臣たちの反対を押し切ってブッケルムを購入したわけだが、すぐにアクィア属州に呼び戻された。馬丁や従士たちに軍馬としての訓練を命じると、イグマスを離れた。


それから訓練が始まった。

だが、ブッケルムが軍馬には向かないことは、すぐに分かった。

いつも寝てばかりで、起きるのは餌を食べるときだけ。

突撃訓練のために他の馬と競わせても、いつも列のいちばん後ろを、申し訳程度にのろのろと走るぐらい。

何とか嫌いな訓練をさぼろうと、ブッケルムは騎士たちに甘えるふりもした。

とても賢い馬だからな。

どんな光景や臭いにも驚かず、どれほど騒がしくても目を覚まさない鈍感さは軍馬向きだったが、すぐにブッケルムは太り始めた。


やがて、伯爵様が戦地から戻ってきた。


そして、数か月間の成果を、近衛兵の訓練場で披露することになった。

もちろん、見るまでもなく結果は散々だった。

太り過ぎたブッケルムは走らなかった。乗り手である騎士の指示にも、馬鹿にしたように従わなかった。


それを見た伯爵様は、自らブッケルムに跨った。

そして、セウ家の厩舎でいちばん速い馬を隣に用意させた。この馬も〈魔の馬〉の血を引くとされている名馬だった。

合図が鳴ると、例のごとくブッケルムがのろのろと走り出した。もう一頭はすでに遥か先を走っている。伯爵様が、ブッケルムに強く拍車をかけた。驚いたブッケルムが慌てて駆け出した。さらに伯爵様は何度も鞭を振るった。


ブッケルムにとっては、初めての拍車と鞭だった。

なぜなら、任されていた従士たちは、金貨三百枚の馬を傷つけることを恐れて、できるだけ優しく扱っていたからだ。


ブッケルムは短い脚でどんどん速度を上げていった。伯爵様が鞭を振るうたびに加速していき、とうとうブッケルムはもう一頭に追いつき、最後には口から泡を吹きながら追い越してしまった。


「厳しく調教しろ」

ブッケルムを降りた伯爵様は、従士たちにこう命じた。

「この馬を走らせ、走らせ、走らせるのだ。父親のルベルマグナもすぐに怠けようとする狡賢い馬だった。誰が主人なのか体に覚え込ませてやれ」


やがて伯爵様は、今度は南大陸の軍団を統括するため〈海峡〉を渡った。


残された従士たちは、今度は拍車と鞭でブッケルムを調教した。重い馬鎧を装着し、険しい山道、ぬかるんだ沼地を抜けて、長距離を踏破させた。

みるみるうちにブッケルムから無駄な肉が落ちた。どれだけ走らせてもブッケルムは音を上げなかったが、伯爵様が走らせたときの、あの夢のような速度を出すことは二度となかった。

なぜなら拍車や鞭を当てると、ブッケルムは従士を振り落とそうとしたり、とんでもない方向に走り出すようになったからだ。賢いブッケルムは新しい遊びを覚えたわけだ。いかに乗り手を翻弄するかという遊びをな。


怪我をする従士や馬丁が続出した。

とうとう誰もブッケルムに近づかなくなった。


再び伯爵様が戻ってきた。


調教の成果を見せるように命じたが、誰もが首を振り、ブッケルムに跨ろうとはしなかった。伯爵様の命令を拒否するなどあり得ないことだ。処罰は後ですることにして、今度も伯爵様は自らブッケルムに跨った。従士や馬丁たちは怖ろしい思いで、どうなることかとハラハラしながら見守った。


伯爵様が拍車をかけると、ブッケルムは順調に速度を上げていった。そして、かなりの速度になったところで、突然ブッケルムは急停止した。

油断していた伯爵様が宙を飛んだ。

青ざめた騎士たちがわらわらと、倒れている伯爵様のもとに駆けつけた。ブッケルムは勝ち誇ったようにいななき、周囲を駆け回っている。


幸い大怪我にはならなかったが、それ以後、伯爵様がブッケルムに訓練を命じることはなくなった。屋敷でその名を口にすることすら憚られるようになり、ブッケルムはこの馬小屋に閉じ込められ、世話もされなくなったんだ。


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