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綺麗な首飾り|孤独なエルフの貴公子と、居場所のない盗賊の少年が、深くつながる物語  作者: 神代紫音
第一章  セウ家の馬小屋|昼|イオアンが魔法の馬を救うために一計を案じる
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第26話 診断

「ふざけんなよ! こんなの〈魔の馬〉のはずがない!」

いきり立ったエルがイオアンに詰め寄った。

「こいつを俺の餌にしたんだろ!」


「落ち着け!」

エルの非難に、イオアンは顔を強張らせた。

「ブッケルムが〈魔の馬〉かはどうでもいいだろう。病気の原因を調べてくれさえすれば、お前は外に出られるんだ」


「本当だな? 報酬も忘れてないよな?」

「ちゃんと用意してある」

「……ならいいけどさ。〈魔の馬〉だと思って期待してたのに。こんなのを診るために、俺はセウ家の屋敷に忍び込んだのかよ……」


エルはぶつぶつ言いながら、隣の馬房へ近づいていった。


エルがゆっくりと柵の前に立つと、ブッケルムはさらに馬房の奥へ後ずさり、エルのほうへ頭を向け、低く下げた。

威嚇するように鼻を鳴らし、耳を後ろに伏せている。

引っ掻くように前肢で地面をこすり、いまにも飛びかかってきそうに見えた。


エルは柵をくぐって、ブッケルムの馬房に入った。

「大丈夫、大丈夫……」

両手を広げ、ゆっくりとした低い声でブッケルムに話しかける。まだ馬は警戒しているが、前肢をこする動作をやめた。


小さなブッケルムの肩の高さは、エルの目線と同じぐらいだった。普通の軍馬なら一回り大きく、〈魔の馬〉ならもっと大きいだろう。肩も、脇腹も、尻のあたりも肉が落ちている。病気という感じはしないが、小さな傷跡があちこちにあった。


「あの傷は? 最近できたみたいだけど」


エルの様子を観察していたイオアンが後ろから答えた。

「誰かが馬房に近づくと、さっきみたいに襲いかかろうとして、横木や柱に体をぶつけるからだと思う」


「なんで、そんなに攻撃的なんだ」

「昔はそうじゃなかったんだが、いろいろあった」

「いろいろ?」


イオアンがそれ以上説明しなかったので、エルはブッケルムに視線を戻した。両手をゆっくりと広げ、子守歌のように優しい声で話しかけた。エルが左手を差し出すと、ブッケルムが匂いを嗅いだ。


「よし、いい子だ」とエルが頭や首筋をさする。


さらにブッケルムは身を乗り出し、エルの体に鼻面を押しつけてきた。イオアンから見ても分かるほど、明らかにブッケルムの興奮がおさまってきている。


「お前の匂いで落ち着いてきたようだ」

「俺のじゃない。いままで俺が世話をしてきた馬の匂いさ。何十頭もの匂いが服に浸み込んでるから」

「そういうものか」

「そう。馬は目より鼻のほうが利くみたいなんだ。馬同士なら匂いで、相手が牡なのか牝なのか、健康状態や気分、発情期、群れでの地位……そういうことまで分かるってダマリが言ってた」

「例の捕まった仲間のオークか?」


集中しているエルは返事をしなかった。ブッケルムの頭が床に触れるほど下がり、その耳のあいだを掻いた。そのままゆっくりと首筋、肩から尻へと指先で触れていく。いまやブッケルムは完全にリラックスしていた。


「驚いたな」

とイオアンが感嘆の声をあげた。

「私以外でそこまで馴れたのは、お前だけだろう」


「うん……」

生返事をしたエルは、ブッケルムに触れている指先に神経を集中させている。

「疝痛じゃないと思うけど、外で変なものを食べたりしてないよね」


「前は私が遠乗りに連れていっていたが、それは絶食するずっと前だ。いまは他の馬と同じ餌を与えている……食べはしないが」

「その他の馬はどこにいる」

「軍馬のことか?」

「セウ家の屋敷なんだから、相当いい馬を揃えてるんじゃないかって楽しみにしてたんだけど」

「軍馬たちの厩舎は別にある」

「こいつが〈魔の馬〉なら、なんでこいつだけ?」

「いろいろあったんだ」

「だから、そのいろいろって何だよ」

「他の馬を脅かす、馬丁を怪我させる、前を通る者を威嚇する……それで、ここに隔離させられた」

「へえ、お前は小さいくせに、ずいぶん性悪なんだな」


そう言って馬の首筋を撫でているエルの視線は優しかった。見つめ返すブッケルムの大きな黒い瞳も、今では眠たげなものになっている。エルはブッケルムの鼻面を軽く叩くと、柵をくぐって、イオアンのいる馬房へ戻ってきた。代わりにポカテルが、ブッケルムの足もとで寝そべった。


エルはイオアンの顔をちらりと見たが、何も言わない。


イオアンは我慢しきれず、

「どうだ?」

と祈るような気持ちで尋ねた。


あっという間にブッケルムを手懐けただけに、エルの見立てに期待していた。同時に、もし悪い答えの場合、受け入れるしかないことを恐れていた。


質問されたエルは答えずに、しばらく隣の馬房のブッケルムを眺めていた。やがて、ゆっくりと口にした。


「病気でも、怪我でもないと思う」

「じゃあ原因は……」

「悪いけど、俺にも分からない」


「やはりそうか……」

がっくりきたイオアンは木箱の上に座って、両手で顔を覆った。それを見たエルが気の毒そうに口にした。

「……せめて、もう少しちゃんと面倒を見てあげたらいいと思うけど」


「すまない。私の毎日の世話が行き届いていないせいだ」

「そんな謝ることはないだろ。だって、あんたは馬丁じゃないんだろ?」

「彼らが嫌がるから、代わりに私がしている」

「あんた……何者なんだよ?」


イオアンが顔を覆ったまま答えないでいると、エルがしつこく質問した。


「あんた僧侶でもないよな? あんな大金を物乞いにあげるはずがない。でもセウ家の人間なんだろ? なあ、あんたは一体何者なんだよ」


どう答えるべきか、イオアンは迷った。

結局ブッケルムの病気の原因が分からなかったせいで、自暴自棄な気分になっており、いっそ自分の正体を明かそうかと思った。

さぞかしエルは驚くことだろう。

その顔を見てみたいとも思ったが、セウ家に憎しみを持っているエルが騒ぎ立てれば、自分が父親に叱責されるのはもちろんだが、エルの命まで危うくなる。

天幕のときは、エルをただの小汚い盗賊だと思っていたが、ブッケルムの扱い方を見て、微かな尊敬の念が芽生えていた。


イオアンは両手で顔を隠したまま、

「私は学者だ」

と小さな声で答えた。

できるかぎり、不自然ではない身分を選んだつもりだったが、


「学者ぁ?」

とエルは疑わしそうな声を出した。

「なんで学者が、セウ家の屋敷まで馬の世話に通うんだよ。おかしいだろ」


「その……私は家庭教師なんだ」

言い訳を思いついたイオアンは顔を上げて答えた。

「そう、私はアルケタ様の家庭教師なんだ! 彼は剣のほうは一流だが、学問のほうが疎かになっていてね。それで仕方なく泊まり込みで教えている」


「そう言えば、確か……」

エルは思い出すような顔になった。

「あそこでも、アルケタがどうのこうのって、あんたは言ってたな……」


「そ、そうだな。つい馴れ馴れしく呼び捨てにしてしまう」

「セウ家に仕えてるのは金のためかよ。それで、しょっちゅう金貨が貰えるわけだ」


「べつに金など欲しくはない」

ムッとしてイオアンがそう答えても、エルは信じていないようだった。

「じゃあ、なんでこの屋敷にいるんだよ」


「お前には分からない、大人の事情というものがあるんだ」

「俺が分からないのはさ、ただの家庭教師に過ぎないあんただけに、どうして性悪のブッケルムが懐いたのかってことだよ」

「それはおそらく、私が調教に参加していなかったからだろう」

「……調教?」


「あれを調教というのか訓練というのか、私にはよく分からない」

そう言って、イオアンは沈痛な表情を浮かべた。

「そもそもの始まりは、お前たち〈首なし騎士団〉の男が、ブッケルムを屋敷に売りに来たところから始まったんだ……」


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