第23話 誓い
エルの質問に、イオアンとバルバドスは顔を見合わせた。
「ブッケルムっていうのが、その馬なんだろ?」
とエルはさらに問いかけた。
しばらく返事をするのをイオアンはためらっていたが、バルバドスがどうするんだというふうに顔を向けると、
「そうだ。お前には、ある馬を診てもらいたい」
と、意を決したように答えた。
エルは安堵の溜息をついた。
ふたりの会話から、そうじゃないかと想像はしていたが、これでようやく、イオアンの仕事を引き受ける気になった。
「でも、なんで隠そうとしてたわけ? 馬を診るだけなんだろ? 変な想像をしちゃったじゃん」
「特別な馬だからだ。それ以上は言えない」
「じゃあ、本当にその馬を診ればいいだけなんだな? それ以外に危険なことをさせたりしないよな?」
「その通りだ。約束する」
エルはふたりの顔を見比べ、バルバドスの納得のいっていなさそうな表情が気になったが、最終的に頷いた。
「いいよ。やるよ」
「では、具合の悪い馬の状態を視認して、原因を究明する仕事を、〈首なし騎士団〉の見習いであるお前が引き受ける、という契約でいいんだな?」
とイオアンが回りくどい表現で確認すると、
「だから、その馬を診るって」
とエルが面倒臭そうに繰り返し、イオアンはホッとした表情を浮かべた。
「では、バルバドスに屋敷まで案内させる」
「その前に縄を解いてくれよ。これじゃ歩けないだろ」
とエルが口にすると、イオアンが心配そうにバルバドスに尋ねた。
「大丈夫だと思うか?」
「仕方ないだろ。俺が担いでいくわけにもいかんだろうし」
「手も解くのかということだ」
「縛ってたら、むしろ人目を引くと思うぞ。解き方を教えてくれ」
「いや、短剣で切ってくれ」
ふたりの会話を聞きながら心の中で、隙あらば逃げようと考えていたエルだが、いまは神妙な顔をしていた。ここがどこかも分からない。逃げ出すのは勝算が見えてからだ。それまでは従順な振りをしている必要がある。
バルバドスは縄を切ると、エルに短剣も返した。ただの見習いのエルには、似つかわしくないほど美しい短剣だった。縄を解かれたエルは顔をしかめながら、ぎこちなく手足を伸ばし、縛られた跡をさすった。ゆっくりと立ち上がると上着を着て、大事そうに短剣を腰に下げた。
ぶら下がった肉塊に当たらないように、エルは伸びをしながら、
「それで、どんな馬なのさ?」
とイオアンに尋ねた。
「詳しい話は、後だと言っただろ」
「仕事を請けたら教えてくれるって約束したじゃん。ただ馬を診るっていったって、いろいろ心づもりが必要なんだよ。誰かに話すわけじゃないし、先に話しておいたほうがお互いやりやすいじゃん?」
「〈魔の馬〉だ」
渋々といった感じでイオアンが教えると、ひゅーとエルは口笛を吹いた。
「本当かよ!?」
「名前をブッケルムという」
「〈魔の馬〉なんだろ? 聞かない名前だな」
「ずっと屋敷で囲われていたからな。知る人が少ないのだろう」
「で、何が問題?」
「餌を食べない。あとは実際にブッケルムを診て、判断してくれ」
「ふーん、なるほどね」
エルは考え込むような表情を浮かべたが、実際には馬のことは何も考えておらず、逃げ出すことだけを考えていた。
だいたい、本物の〈魔の馬〉など見たこともない。
帝国では貴重な〈魔の馬〉は〈首なし騎士団〉の他のグループでは扱っているようだったが、カルハースたちのところまでは回ってこなかった。
理由は分からない。
過去に何かの事件を起して、絶縁されているらしかった。
だから、隠れ家は使わせてもらっているが、他の〈首なし騎士団〉との交流はほとんどない。
いまだに、その過去の事件をカルハースからは教えてもらえず、他のメンバーも聞けるような雰囲気ではなかった。
そんなわけで、曖昧な表情を浮かべていたエルに、
「お前は〈魔の馬〉の世話をしたことがあるのか。見習いになって、まだ一年しか経っていないんだろ?」
とバルバドスが疑いの目を向けた。
「うん、まあねえ……」
とエルは言葉を濁した。イオアンはともかく、世慣れたバルバドスに嘘をつくと、墓穴を掘ることになりそうだった。
案の定、目を逸らしたエルを見るとバルバドスは、
「どうせ、こいつは何も分かってないぞ」
と断言した。
「ブッケルムを診させるのはやめておけ。こいつは屋敷で問題を起こすだけだ。だったら、まだ俺が牢獄塔に連れていくほういい」
だがイオアンが、
「何かあれば責任は私が取る。診るだけ試してみたい」
と頼み込んだ。するとバルバドスは、
「責任を取るって取れんのかよ。何かあったら、俺まで巻き込まれるんだぞ」
と不満を口にしたが、それ以上は言わなかった。
薄々感じていたことだが、このやり取りを見て、エルは確信した。
第一に、バルバドスは口で何と言おうが、主人であるイオアンには逆らわない。
第二に、主人であるイオアンは、ブッケルムという馬を救うためなら、どんな犠牲を払っても惜しくないらしい。
素晴らしい!
エルは心の中で拍手喝采していた。
この若者にとっては、命よりも大事な馬みたいだ。
つまり、イオアンにとってブッケルムというのは――一番の弱点なのだ。
人は誰しも、そこに触れられただけで力が抜けて、床に崩れ落ちてしまうような柔らかいところがある。
これは旅のあいだ、先生から口酸っぱく言われたことだった。
この弱点を見つけ出し、そこを揺さぶれば、たやすく相手をコントロールし、交渉も有利に運べるのだと。
この弱点は人によって様々だ。
親に刷り込まれた信念、信仰している神、自分の理想像、人には言えない秘密、守るべき家族、手放したくない財産や立場――。
敵を出し抜くには、この相手の弱点を見極めることが重要だ。
それは権力者や金持ちだって変わらない。
むしろ持たざる者より、持っている者のほうが、常に不安に晒されているものだ――そんなことを先生は教えてくれた。
試してみようと思ったエルは、さも心配そうに告白した。
「確かに……俺は経験が少ないんだ。でも見習いとして、みんなが〈魔の馬〉の世話をするのをこの目で見てきた。だから、その記憶を頼りに頑張るつもりさ。けど、牢獄塔に連れていかれるのか不安だと、集中ができなくて、ブッケルムとかいう馬をちゃんと診れないかもしれないな……」
すると、イオアンが約束した。
「分かった。絶対に牢獄塔には送らない。仕事に専念できるようにする」
「本当に? さっきこいつは俺に酷いことをしたんだぜ」
とエルは、バルバドスを指さした。
「何をしたんだ?」
とイオアンが顔を向けると、バルバドスは素知らぬ顔をした。
「べつに。熟睡してたのを起こしたから、それで小僧は気に障ったんだろう」
「ほら、信用できない!」
とエルが大袈裟に非難すると、
「私が約束するから、ブッケルムを診てくれ」
とイオアンが困ったような顔をして、エルに再び頼み込んだ。
「じゃあ、神に誓ってくれよ」
イオアンの顔色を確かめたエルが、狡そうに念押しした。
「本当に、その馬を助けたいと思ってるんなら、ちゃんと誓えるよね?」




