第20話 ダマリ
ああ、とうとう俺は言ってしまった……。
口に出してからエルは絶望していた。
だが、一度言葉にしたものは取り返せない。
禁呪を口にした魔術師のようにエルは、自分の行為に慄いていた。
路上の物乞いの少女とは違う。
相手はセウ家。
カルハースたちが一番嫌っている騎士たちのなかでも、帝国で最も影響力のある一族のひとつだ。
自分の身の可愛さに、俺は仲間を売ったことになるのか……。
だが、カルハースたちへの裏切り以上に、目の前のイオアンやバルバドスがどういう反応を示すかが予想できず、エルは不安だった。
〈首なし騎士団〉が皇帝に忠誠を誓う者を拒絶しているのは知っている。けど反対に、皇帝派の人間はどう思ってるんだろう? もしかして、盗賊よりも悪く思われるんじゃないだろうか?
天幕に奇妙な沈黙が訪れた。
怯えた表情でエルは、バルバドスの顔を見上げ、呆気に取られているバルバドスは、天幕を出ようとしていたイオアンの背中へ顔を向けた。
振り返ったイオアンはつかつかとエルに近づき、その前で立ち止まった。
熱っぽい表情でエルを見つめた。
動揺していたエルだが、自分の言葉が嘘でないことを証明するために、イオアンの目を見つめ返した。
イオアンの表情にはどこか狂信的なところがあった。
あの弟殺しの人形劇を見ていたときと同じ、熱病に浮かされてるような眼差し。
もしかしたら野良犬ぐらいに思っていた人間が、突然言葉を喋り始めたから驚いているのかもしれない。
イオアンとエルは数秒間見つめ合った。
その張りつめた空気を破ったのは、バルバドスの爆笑だった。
「うわははは、冗談はよせ。お前が〈首なし騎士団〉のはずがない!」
バルバドスは苦しそうに腹を抱えている。
まったく予想していなかった反応だったので、エルは困惑した。イオアンのほうへ顔を向けると、まだ自分を凝視している。ふたりの顔を見比べたが、まだバルバドスのほうが理解できそうだと感じたので、おずおずとエルは質問した。
「……なんで、そう思うんだよ」
「そりゃあ、農家の子供みたいな、お前の格好を見ればそう思うだろ」
バルバドスは涙を拭きながら答えた。
「いつも連中がどんな見た目なのか知らないのか? 黒く染めた馬革の上下を着てるんだ。ご丁寧に、顔には恐ろしげな髑髏の仮面まで被ってな」
「知ってるよ。でも俺は見習いだから、ああいう格好はできない」
「見習い? お前がか!」
へらへらと笑いながらバルバドスが口にしたので、エルもさすがにムッとした。
「そうだよ! もう一年は経ってる!」
「一年もいたら知ってると思うんだがな、あいつらが血統に拘っていることを。お前は南大陸のどこの生まれだ? まさか騎士の家柄ではあるまいな?」
と質問したが、まだバルバドスはにやにやしている。
「それは……」
とエルは口ごもった。
確かに、騎士団の他のグループはそうだった。
「でもカルハースは違うんだ。生まれとか見た目とかは気にしない。俺の前にはオークだって仲間に入れてたんだから!」
この発言が、またバルバドスの爆笑を引き起こした。
「うわはは、オークだと! 誇り高き〈首なし騎士団〉がオークまで勧誘するようになったら、こりゃ世も末だな」
「あんたは何も知らないんだな! オークはどんな種族よりも自然に近いんだ。馬の扱いだって上手なんだよ。だから、ダマリが怪我を治した軍馬をイグマスまで売りに来たんだ。ああ、もうっ! 待ち合わせに間に合わないじゃないか!」
「待ち合わせ? どこで待ち合わせだ?」
と急にイオアンが割り込んできたので、エルはぎょっとした。
「……それは旧市街の外だよ」
「旧市街の外のどこだ?」
とイオアンがさらに追及してきたので、エルは黙り込んだ。これ以上言うわけにはいかない。すると、バルバドスが笑みを浮かべて言った。
「ぜんぶ作り話なんだろ?」
「違う、嘘じゃない!」
このままだと牢獄塔に入れられて、処刑人に何か酷いことをされるに決まってる。
「本当だよ! 俺たち四人でイグマスまで取引に来たんだ!」
「だったら、どうしてお前は市場なんかにいた?」
「分かんないよ」
エルは泣きそうな声で答えた。
「俺だけ外されて、町を歩き回ってろって言われたんだ」
「あのな」
バルバドスが、エルの前でしゃがみ込んだ。
「ここ数年、タタリオン領での〈首なし騎士団〉との取引は禁じられてるんだ。だから旧市街にいるどの屋敷だろうが騎士だろうが、お前らの相手をするはずがないんだよ。別な言い訳を考えるこったな」
「そんなことは知ってるよ。だから大きな屋敷の商人に売ったんだ」
「お前の頭の回転が速いのは、じゅうぶん分かった」
バルバドスはエルの肩に手をかけた。
「そのとっておきの才能は、牢獄塔の尋問のときにでも披露するんだな。処刑人たちを楽しませてやってくれ。あいつらも辛い仕事だろうから」
「だから、違うんだって……」
とエルは訴えたが、目の前の優しげな笑みを浮かべているバルバドスは、エルが嘘をついていると確信しているようだった。もうこれ以上何を言っても無駄だと悟ったエルは、がっくりと下を向いた。
すると上から声が聞こえた。
「その旧市街の商人の屋敷は、どんなところだった」
エルが顔を上げると、イオアンが目の前に立って見下ろしていた。
エルは今朝、馬を連れていった屋敷を思い返した。
「石造りの建物で、地下にも大きな倉庫があって樽を運んでた。まわりからはワインのいい匂いがして、屋敷の看板には葡萄の房の絵が描かれてたよ」
「そりゃ、ワイン商の屋敷に決まってるだろ」
と突っ込んだバルバドスを手で制して、イオアンが続けた。
「お前の仲間だというそのオークは、どんな者なのか説明してみろ」
「俺の仲間のダマリはね……」
とエルは、バルバドスに口出しされないように早口で説明した。
「でかいんだけど臆病なんだ。気が弱いからいつもは黙ってるけど、怒ると手をつけられない。とんでもない馬鹿力だからね。でも本当は優しいんだ。いろいろ馬のことを教えてくれる。代わりに俺は字を教えた。たぶん、馬のことなら誰よりも詳しいんじゃないかな。詳しいっていうより、ダマリは馬の気持ちがわかる。ときどき馬と話してるんじゃないかって思うよ。今日売った軍馬だって、ダマリが面倒をみたから良くなったんだと思うし。だから、ダマリが取引に残るのは仕方ないと思う。それで俺だけが外されて……」
「分かった、分かった」
とイオアンがうんざりしたように遮ると、エルが期待するように尋ねた。
「じゃあ、信じてくれる?」
「そうだな、話は合っている」
と考え込むような表情でイオアンが答えると、バルバドスが立ち上がった。
「イオアン様、どういうことだ」
「アルケタたちと市場で会わなかったか?」
「アルケタ様と? いや」
「そうか。あいつの話では今朝、旧市街のワイン商で〈首なし騎士団〉との取引があったそうだ。アルケタ自身がその場にいたから間違いない」
「ほら、そうだろ!」
元気を取り戻したエルが自慢げに言った。
「嘘じゃないんだ! まだ見習いだけど、俺は本当に騎士団の一員なんだよ!」
「〈首なし騎士団〉が商人に軍馬を売る……?」
バルバドスは腕を組んだ。
「あんまり聞いたことがない話だな。でも、なんでアルケタ様がそんなところにいたんだ。夜警隊が関係してるのか?」
「そういうことだ。屋敷の者から助けを求められたんだ。馬鹿でかいオークが暴れているから、どうにかしてくれって。それでアルケタたちが駆けつけ、そのオークを取り押さえた。最終的にはアルケタが対応したようだ。幸い重い怪我をした者はいない。屋敷の一部は破壊されたようだがな」
エルは呆然としている。
「そのオークって……もしかしてダマリのこと?」
「お前の話からすると、どうもそうらしいな」
「なんでダマリが……」
「詳しいことは分からないが、その軍馬をワイン商に引き渡すときになって、急に暴れ始めたらしい」
「ああ……母親みたいに世話をしてたから……それでダマリはどうなったの?」
「夜警隊が牢獄塔へ連行した」
「牢獄塔! じゃあダルトンとブシェルは? 他にも騎士が二人いたはずだけど」
「ワイン商の屋敷から逃げ出したらしい」
「え!?」
エルは絶句した。




