第15話 半島の村
最初、先生は村を素通りするつもりだった。
遠回りになるから。
でも、酒場で村の噂を聞きつけた俺が、寄っていこうと先生にせがんだ。
誰も近寄らない貧しい村で、異教の信者がひっそり暮らしているらしい。珍しいものに目がない俺は、是非とも訪れてみたかった。
いまでも、よく思うよ。
あのとき俺が言い出したりしなければ良かったって。
そうすれば、あの子たちも無事だったのかもしれない。いまでも平和に村で暮らしていたかもしれない。
俺は悪い心を持っている。
だから、あの村に災いを呼び寄せたんだ――。
分かってるよ。
考え過ぎだって言うんだろ。
確かに俺たちが訪れなくても、いずれ、ああいうことは起きただろう。
いまは、そういう時代だからね。
こんなことを話すのは、君が初めてだ。
カルハースたちにも、ダマリにも話したことはない。
だから話させて欲しい。
いままで俺が、心の底にずっと抱え込んでいた秘密を。
俺の願いを聞いた先生は、ぬくぬくと温かい街道の酒場でこう言った。
真冬には、なかなか広場にも人が集まらん。
だったら、天気が荒れそうなこれからの二週間、その半島の村で世話になってもいいかもしれんな。
こうして、俺たちはその村を訪れることにした。
荒々しい波が打ち寄せる海岸に、何とかしがみついているような村だった。魚はあまり獲れず、難破した船の漂流物を生活の足しにしている。
沼人たちの村だった。
彼らに接するのは、俺は初めてだった。
ダゴン教を信じている沼人たちは、ルラル教徒が多い南大陸では酷く迫害されているから、滅多に出会うことはないんだ。
村人たちは、文明から程遠い暮らしをしていた。
外からやってきた俺たちを最初は警戒していたのが、先生の奇術を目にすると目を丸くして驚き、子供のように喜んだ。
それからは神様の使いとでも思ったのか、貴重な食料を俺たちに差し出そうとしたけれど、逆に憐れに思った先生は、手持ちの金を、惜しみなく村人たちに分け与えることにした。
そのあいだ俺は、村長の家の姉妹と仲良くなった。
やっぱり名前が思い出せない。
ひとりは俺より年上で、もうひとりは年下だった。
その頃には、俺もそこそこの奇術ができるようになっていて、姉妹には毎日のようにせがまれた。
「縄抜けをやって!」
「それより、使い魔を召喚してみせて!」
ふたりに見つめられた俺は、
「魔法使いじゃないんだけどな……」
とぼやきながらも何度も技を披露した。おかげで腕は上がったと思う。
鴉のルー(これは、ふたりが勝手につけた名前だ)も不思議なほど、あの子たちには懐いていた。北風が吹きすさぶ村の凍った道を、肩に黒い影をちょこんと乗せて歩いていた姉妹の姿を、俺はずっと忘れないだろう。
やがて、天候が回復した。
また来るからと(俺たちがほとんど守ったことのない)約束を沼人たちにして、先生と俺とルーは、半島の村を去った。
それから一年後、状況は一変していた。
三日月大陸から、再びタタリオン軍が侵攻してきたんだ。
北部の小領主たちは、名門のシャニ家を盟主と仰いで団結し、エルフの公爵家に反撃した。でも一時は追い詰められていた公爵家も、セウ家の若いアルケタが前線に登場すると急に息を吹き返した。いまの俺とたいして変わらない年齢のはずだけど、たぶん異常なほどに人望があるんだろう。少しずつタタリオン軍が同盟軍を押し返し始めた。やがて旗色が悪くなった小領主たちは、次々に公爵家に降った。
二転三転する戦況を見極めながら、先生は巧みに戦いを避けて旅を続けた。やがて不公平な講和が結ばれ、エルフの軍団は三日月大陸へと引き上げていった。
再び俺たちが半島の村を訪れると、誰もおらず、村は廃墟になっていた。
街道の酒場で、何が起きたのかを知った。
シャニ家の残党が村に撤退し、それを狙ったタタリオン軍が制圧したんだ。一緒に抵抗した沼人の男たちは殺され、女子供は奴隷商人に連れていかれた。
広場には、セウ家の紋章が掲げられていたらしい。
エールのジョッキを片手に、店主から話を聞いていた俺の脳裏では、村の光景がありありと浮かんでいた。
焼け焦げた家からは煙が立ち上がっている。
黒焦げになった梁の下では、沼人たちが信じていた蛸の神様の置物が下敷きになって潰れているだろう。
通りには、銛を掴んだまま魚の仮面を被っている男の死体。
広場では奴隷商人の馬車が並び、泣き叫ぶ女や子供たちが押し込められている。
その前の柱の高いところに掲げられているセウ家の軍旗。
立ち獅子に十二の星の紋章だ。
酒場で俺は呆然としていた。
そんな俺を先生が心配そうに見てたと思う。
俺はいっつも、あの姉妹のことを先生に話していたから。
それからだよ、俺が騎士たちを憎むようになったのは。
村を道連れにしたシャニ家の残党も、村を滅茶苦茶にしたセウ家の騎士も、どちらも同じように憎んだ。
できることなら皆殺しにしたかった。
でも、そんなことができないのも分かっている。
俺はただの掏摸だ。
それも、未熟な半端者にしか過ぎない。
そのときからだと思う。俺が盗賊になりたいと思ったのは。
盗賊なら領主の屋敷にだって忍び込める。
短剣の腕を磨けば、暗殺者のように背後から騎士を襲えるかもしれない。
でも、どうやったら盗賊になれるんだろう?
盗賊ギルドの話は耳にするけど、町で看板を見かけたことなんてない。
ときどき先生は、町で怪しげな連中と話していることがあったから、盗賊ギルドの話を聞いてみた。
それまでは先生がそういう昔話をしても、俺は興味がなさそうにしていたから、自分から聞いてきたのを意外に思ったみたいだ。
とにかく先生の話をまとめると、こういうこと。
まず、盗賊ギルドなんてものは公には存在しない。何も知らない市民たちが勝手に想像しているだけだ。
ただ、似たようなものは存在する。
それは盗賊団でもなくて、個々の盗賊たちの緩やかで非公式な繋がりだ。
たいていは大きな町の牢獄で生まれる。
そこで同室になったり隣になった盗賊たちが、互いの情報を交換したり、新しい技を教え合ったり、ときには娑婆に出た後で組むことを誓い合うんだ。
でも、最初は喜んで話してくれていた先生も、しつこく俺が訊き出すうちに、途中から何も教えてくれなくなった。
たぶん先生は、そういう連中とは手を組まなくなっていたから、最新の情報を知らないんだろう――そのときの俺はそう思っていた。そうじゃなきゃ、先生みたいに一流の掏摸が、俺みたいな素人と手を組むはずがないからさ。
仕方ないから俺は、先生の下で掏摸の腕を磨くことに専念した。
どこかで盗賊団に知り合ったら、頼み込んで入れてもらい、セウ家の屋敷に忍び込んで、宝物でも盗んでやる――そんなことを夢想していた。
当時は、セウ家の屋敷がどこにあるかなんて、まったく知らなかった。
まだ南大陸にいたからね。
でも、あの子たちのことを忘れるためには、何か目標が必要だった。
それが、どんなに非現実的だったとしても――。
だから、先生が三日月大陸に渡ると決めたときには驚いた。
だってそれは、タタリオン家の領土に足を踏み入れることであり、セウ家の連中に近づくことになるからだ。
復讐の神が呼んでくれたのかと俺は喜んでたけど、もちろん先生はそんなことは知りもしない。たぶん、荒廃した南大陸に見切りをつけただけのことだろう。
こうして俺は〈海峡〉を渡ることになったんだ。




