第14話 先生
あのさ……君に訊きたいことがあるんだ。
でも、先にお礼だけは渡しておくよ。忘れるといけないから。
どうやって手に入れたかは、聞かないでくれ。
ただ言っておきたいのは、これは正しいってことなんだ。だって、この金貨は南大陸の人間の、血と汗と涙の結晶みたいなもんなんだからね。
それを俺は取り返しただけなんだ。
そのまま使ったら絶対に捕まるだろうから、うまく町の故買屋でも使ってくれよ。イグマスみたいに大きな町なら、誰か絶対にいるだろ?
俺が訊きたいのは、君と同じような沼人の姉妹の行方なんだ。
名前は忘れちゃった。
でも、顔を見れば分かると思う。
別れてから、まだ二年ぐらいしかたってないからね。
別れた場所?
南大陸にある名もない小さな村さ。
いまの南大陸がどんな状況になってるか、君は知ってる?
そう、知らないか……。
たぶん、イグマスにいる市民は何も知らないんだろうな。
知ってるのは、騎士や兵士だけだ。
でも、奴らは自分たちが何をしてきたか、口を噤んでいるんだろう。自分の家族には決して話せないようなことをやってきたんだから。
俺があの村を訪ねたのかは……たぶん先生のことから話したほうが良さそうだ。どうして一緒に旅をするようになったかについてさ。
俺は十一歳で故郷を捨てた。
南大陸にある、とある地方だ。
大きな火山がそのまま海に落ち込んでいるような土地で、夏はとても暑くて、海はとても綺麗なところなんだ。
故郷は大好きだったけど、いろいろあって俺は離れなくちゃならなかった。
数か月後、南大陸北部にある大きな町に俺は流れ着いた。
そこで、たくさんの子供たちと知り合った。
戦争孤児ってやつさ。
タタリオン軍の侵攻で、家族を無くし、住むところも無くした子供たちだ。
まだ赤ん坊みたいな子供もいれば、大人になりかけている子もいた。みんなが橋の下で肩を寄せ合って暮らしていたんだ。
みんながみんな、必死に生きていた。
掏摸や盗みで稼いでる子もいた。
体を売ってる子もいた。それも女の子だけじゃなくて、俺も誘われた。
男同士の関係を否定するわけじゃない。ただそのときは、金のためにそういう気にはなれなかったんだ。丁重に断ったよ。
まだ盗みにも抵抗があった。
だから俺は、君みたいに物乞いをして何とか生きていた。
その頃はがりがりに痩せていた。
まるで骨と皮で出来てるみたいだった。ぎらぎらと目だけ光らせてさ。
ある日、町に年老いた奇術師がやってきた。
見物客が隠した骰子を掌から出したり、ポケットから大きな鴉を出現させたり、若い娘の考えていることを言い当てて、彼女の頬を赤らめさせたりした。
最前列に座った俺は、夢中になって見ていた。
昔から好きなんだ。
そういう手品とか変身とか、びっくりさせることが。
なんでかな……。
ここではない、どこか不思議な場所へ連れていってくれる。
だからサーカスも大好きで、ダマリと仲良くなったのはそれもあると思ってる。でもちょっと先走り過ぎたかな。ダマリのことはまた後では話すよ。
身を乗り出して、俺は奇術師の指先の動きを食い入るように見ていた。
俺は目はいいんだ。
何とかして老人のトリックを解き明かそうとしていた。
そうしたら、せっかく楽しんでいた俺の肩を、隣の少年がつついた。彼は俺の耳にこう囁きかけた。
「なあ、あの奇術師から金を盗もうぜ」
俺は嫌な気分になった。
夢の世界が消えて、現実に引き戻された。
目の前で、勝手に種明かしでもされたような感じだった。
そんな俺の気持ちにも気づかずに、奇術師を見て少年は嬉しそうに続けた。
「見ろよ、よぼよぼの爺さんだ。ちょろすぎるぜ」
確かに、奇術師は年老いていた。
背筋はしゃんとしてたし、ちゃんとした身なりをしていたけど、顎からは山羊のように白い髭を垂らして、その年齢は隠しようもなかった。
「爺さんは町はずれの廃屋で寝泊まりしているみたいだ。だから、みんなで襲えば簡単に奪えるさ」
少年は卑しげな表情で、くっくっくと笑い声をあげた。
「どうせ流れ者だろうからな、俺たちが総督府の連中に捕まることはない」
そんなこと俺はしたくなかったけど、その場では適当に相槌を打った。老人には気の毒だけど、仲間との関係のほうが大切だったんだ。町に辿り着いて、まだ半年も経っていなかったから、誰かと仲が悪くなったら、仲間外れにされる可能性があった。そうしたら俺はこの町で生きていけない――。
夜になった。
廃屋の前に、俺たちは集まった。
二階の窓からは、灯りが微かに漏れている。
腐りかけた階段を音が軋まないよう、仲間は注意深く昇った。俺はいちばん後ろをついていった。
足を忍ばせて廊下を進み、扉を開けて部屋に入る。
大きなテーブルに、子供でも抱えられそうな小箱が置いてあった。開け放たれた窓からは微風が入り、テーブルの上に置かれた蝋燭の炎を揺らしている。
小箱の前に、鈍く輝く銀貨が落ちていた。
そしてその扉は、誘うかのように僅かに開いている。
仲間たちは無言で顔を見合わせた。
ひとりの少年が頷き、テーブルに近づくと、小箱の扉をそっと開いた。
小箱の中には、生首が置いてあった。
その生首が「うわはははははは!」と哄笑した。
その瞬間、ばたばたという羽音とともに、黒い影が仲間たちに襲いかかった。仲間の伸びきった長い髪を、何度も鋭い爪で掴んだ。
少女が、
「きゃああああー!」
と両手を上げ、金切り声で絶叫した。
少年は、
「魔人だ! 逃げろ、逃げろ、逃げろ!」
と恐怖に顔を歪めながら部屋を飛び出すと、階段を駆け下り、転がるようにして廃屋から去っていった。
俺だけが部屋に残って、逃げていく仲間を二階から見下ろしていた。
小箱の中から、生首がぎょろりと目を剥いた。
「お前はなぜ逃げない?」
「だって鏡でしょ」
と俺は醒めた声で生首に答えた。
テーブルの下から奇術師が這い出てきた。袋に鏡をしまいながら、
「昼間の子じゃな」
と尋ね、俺は頷いた。
奇術師が、値踏みするように俺を見下ろした。
老人は俺の前で屈むと、じっと俺の目を見つめた。
「この町の役人に突き出してもいいが……仕事を手伝う気はあるかね?」
「昼間やってたやつ?」
驚いた俺は、目を輝かせて尋ねた。
「それだけではない」
老人は長い顎髭をしごいた。
「むしろ、雑用のほうが多くなるかもしれんのう」
こうして俺は、奇術師と鴉とともに、南大陸を旅をすることになった。
奇術師は、右手に大きな目立つ指輪を嵌めていた。
老人がカードを捌き、コインを弾く。
すると、相手の目はどうしても、その右手に吸い寄せられてしまう。
そして、相手が口を開けて老人の技術に見とれているあいだ、老人の左手は相手のポケットを弄っている――。
そう、奇術師は掏摸の名人だったんだ。
俺たちは南大陸の村から町へ、町から村へと移動した。
老人は道を尋ねると、人の好さそうな商人の若者から小銭を掏り、広場で奇術を披露して信用を得れば、招かれた名士の家から上質な酒瓶をくすね、未亡人になった奥方の悲しい物語に頷きながら、思い出の指輪をこっそりと頂戴して、人々に惜しまれつつも彼らの誘いを振り切って、ばれないうちに大急ぎで町を立ち去った。
「掏摸は芸術じゃ」
というのが奇術師の口癖で、節くれだった両手を焚火にあてながら、
「強盗、追剥なんかは野蛮すぎて論外じゃよ。相手を傷つけず、相手にも気づかれない掏摸こそが、最高の芸術なんじゃよ」
と俺によく語ったものだった。
老人の雑用(つまり掏摸のこと)を手伝ううちに、俺の腕も少しずつ上達した。
掏摸とは要するに、
相手の注意力を操作することなんだ。
ポケットから、真っ黒な鴉を取り出す奇術と変わらない。
でも最初の頃は、やっぱり掏摸を手伝うのは良心が痛んだ。べつに俺だって最初から騎士たちを憎んでたわけじゃない。ふつうに尊敬していた。町の金持ち連中にだって、しかるべき敬意は払っていた。
それが変わったのは、もう少し後のことだ。
だから、それまでは掏摸の技術を磨くことより、目の前で起きる毎日の旅の出来事に心を奪われていた。
まだ俺は子供で、すべてが目新しく、興味深かった。
それが俺ひとりだったり、子供だけだったら、それほどじゃなかったと思う。でも奇術師の老人が、この世界の仕組みを教えてくれた。
街道で切株に腰かけながら、道行く旅人の職業や過去をふたりで言い当てたりした。注意深く観察すれば、様々な手掛かりに溢れていた。
この世界が驚きに満ちていること。
人は見かけによらないこと。
誰もが心の奥深くに、人には言えない秘密を抱えていること。
そういうことを、老人は教えてくれた。
心酔した俺は、奇術師を「師匠」と呼ぼうとした。けど照れたのか、老人はせめて「先生」にしろと注文した。
「師匠なんて人前で呼ばれたりしたら……恥ずかしくてかなわんからな」
仕事には厳しい「先生」だったけど、家族を失った俺にとって、先生は暖かい祖父みたいな感じだった。二人と一羽で南大陸を回った三年間は、俺にとっていちばん幸福な時間だったのかもしれないな――。
先生は貧しい者からは盗まなかった。逆に、分け与えることもしばしばだった。訪れた半島の村でも、そんなことがあった。
この村が、俺が探してる姉妹が暮らしていたところだよ。




