第11話 尾行2
若者は再び、目的も無さそうにふらふら歩いている。
エルは先程のチャンスを逃したことを悔やんだ。
だいたい、ひとりで擦ろうとするのは無理があるかもしれない。
先生の話じゃ、一匹狼の掏摸もいるけど、たいていは何人かでチームを組むそうだ。
当たり屋がカモにぶつかり、謝りながら気を逸らしたところで、いちばん手先の器用な奴がカモから擦る。そいつは別の運び屋にすぐに預けて、疑われてもばれないようにする。
場合によっては、さらに馬を用意して現場からすぐに離れられるように準備をしておくこともある。そして、このチームを指揮する経験豊かなリーダーが必要だ。たいていは、そのリーダーが良いカモを見つける目を持っている。
それだけの人数を揃えるのが無理なら、せめて若い女と組みたい。そいつに胸元がはだけたような服を着させて、男の前で何か落とさせるんだ。男の視線はぜったいに女の胸に釘付けになるから、そのあいだに俺が擦ればいいわけ。
そんなことを考えているあいだにも、時間は刻々と過ぎていく。
エルは青空を見上げ、眩しそうに目を細めた。
もうすぐで待ち合わせだ。
早くしないと手ぶらで、みんなのところに戻るはめになる。
エルの頭から汗が流れ落ち、背中につたっていった。
傷に沁みたエルは、思わず顔をしかめた。
数か月前の傷跡だ。
あのときは山の中の小さな村で、定期市が開かれていた。
何となく、やばいかなって思ったけど、俺は気持ちを抑えられなかった。
ときどきそうなるんだ。
心が渇くっていうか、とにかく刺激が、興奮させるものが欲しくなる。
擦るのは、べつに何でも良かったんだよ。
それで木彫りの小さな熊を盗んだ。立ち上がって魚を咥えているようなやつだ。
売れ残っていて、かわいそうに思えたんだ。
森に返してやろうとでも思ったのかな?
自分でも、何で盗もうと思ったのかよく覚えてない。
市場から離れようとしたら、爺さんが全力で追いかけてきた。
小っちゃくて痩せてるくせに凄く力が強くて、振り払おうと揉み合ってるうちに、他の村人たちもやってきて、俺は袋叩きになった。
気がついたら村長の家の、木の檻みたいな牢屋に入れられてた。
俺が熊になったみたいだった。
ああいう辺鄙な村じゃ、帝国法なんて通用しない。
安っぽい木彫りの熊を盗んだ代償に、右の手首を斧で切り落とされそうになったところで、助けに現れたカルハースが、金で何とか解決してくれた。
それでも、村の広場で二十回の鞭打ちの刑を受けた。
もしかしたら俺を懲らしめるために、わざとカルハースが譲歩したのかも。
そのあとカルハースから、今度こんな問題を起こしたら、次は追い出すからなと宣告された。みんなには笑いながら話してたけど、目は笑ってなかった。
あれは本気だ。
だから、今度こそ掏摸を成功させて、みんなの鼻を明かしてやりたい。
この屈辱的な体験をエルが苦々しく思い返していると、衛兵たちが突然わらわらと市場に現れ、エルは肝を冷やした。
咄嗟に近くの壺売りの店に隠れる。
店頭には、エルが入れそうな大きな甕が置いてあり、その中に入って蓋をすれば絶対に見つからないと思ったりしたが、そもそも、まだ掏摸をしたわけでもないのに、そんなことをするのは馬鹿馬鹿しいと気づいて、エルはやめることにした。
衛兵たちかと思ったが、それにしては変な物を持ち歩いている。
ツルハシとかバケツとか毛布とか。
兵士たちは十人ぐらいだったが、そのうちの派手な兜を被った指揮官らしき男が、市場の辻で若者と話し始めた。
壺の後ろに隠れて窺っていたエルは、じりじりする思いだった。
こっちは時間がないんだからさ。
世間話なんて、とっとと切り上げてくれよ。
そろそろ待ち合わせ場所に向かわないと、ひとりだけ置いていかれる。
そりゃ俺だけでも帰れるけど、まずいだろ。
まだ見習いなんだからさ。
だが、ふたりは話しながら市場の通りを歩き始めた。その後ろを、がちゃがちゃと金属音をたてながら、兵士たちがついていく。
仕方なくエルも、見つからないように距離をおいて尾けていった。
市場の奥で、若者と兵士の指揮官が分かれた。
やっとかよ、とエルが思っていると、若者は人だかりが出来ているほうへ進み、姿が見えなくなった。
エルも慌てて、その人だかりの中へ入っていった。
大人たちを押し分けて進むと、空き地のような場所で舞台が作られていた。
だが、あの若者はいない。
きょろきょろとエルはあたりを見回した。
組み立てられた舞台は小さく、人形劇のようだった。
舞台の前では男女の人形遣いが、幕や人形や小道具を広げて用意しており、少年がバイオリンのような楽器を弾いていた。
そのまわりでは準備が終わるまで、子供から老人までじっと見守っている。
町の子供たちから買い物帰りの親子もいれば、ドワーフの石工たち、派手な格好をした傭兵、貴族の娘と侍女など様々な者たちがいる。けど、やっぱりあの若者はいない。背が高いからすぐに見つかるはずなのに。
ここまで時間をかけたのに見失ったのかよ――。
エルが情けない気持ちになっていると、しわがれた笑い声が聞こえ、舞台の後ろから年老いた闇エルフの人形遣いとあの若者が姿を現した。
エルが胸を撫で下ろしていると、芝居が始まる合図のベルを少年が鳴らした。
すると見守っていた子供から大人までが舞台前に殺到し、波に巻き込まれたようにエルはもみくちゃにされながら、一緒に流されていった。
まわりは大人ばかりで、背の低いエルにはどっちが舞台かも分からない。
少年の口上が聞こえてようやく方向が掴めたが、振り向くと、あの若者がすぐそばにいてエルはぎょっとした。
まずい、気づかれる。
書籍商のところで顔を見られているのだ。
若者から離れようとするのだが、後ろの観客が舞台に近づこうと押しているので、エルは身動きが取れない。
まずい、まずいぞとエルは焦った。
不審に思った若者が叫んだりしたら、逃げることができない。
あの山奥の村のように、袋叩きにされるだろう。
口上が終わり、少年が再びベルを鳴らした。幕が開いたようだった。
そのとき、再びエルの頭に天啓が降りてきた。
これはむしろ――チャンスじゃないのか?
これだけ、ぎゅうぎゅう詰めになっていたら、密着していても、若者も観客もおかしいとは思わないだろう。それに、みんな人形劇に夢中なんだ、誰も俺のことなんて気にしてなんかいない。
なんとか体を反転させて若者のほうを見ると、まっすぐ舞台に向いている。
エルは笑いたくなった。
これ以上、擦るのにもってこいの状況はないな。
エルは何とか体を押し込ませると、若者のそばに立った。
さあ、これからがお楽しみの時間だ!




