第7話 内なる声
マルセル・デュボワとの会合は、村外れの古い教会で行われた。
半ば廃墟になった石造りの建物。埃っぽい空気の中、木漏れ日が壊れた窓から差し込んでいる。
「……本当に、来てくれたんですね」
祭壇の前に立っていた男性が、振り返った。
三十歳くらいだろうか。温和な顔立ちに、疲れの色が濃い。目の下には深いクマがあり、頬はこけている。
眠れない夜が続いているのだと、すぐに分かった。
「マルセル・デュボワ神官ですね」
私は、一歩前に出た。
「はい……あなたが、エミリアさん」
彼の目が、私を見た。
恐怖と、罪悪感と——そして、かすかな希望が混じった目だった。
「お会いできて光栄です」
「光栄だなんて……私は、あなたを苦しめた側の人間です」
マルセルが、視線を落とした。
「聖女の『奇跡』の準備に、関わっていました。魔道具を運んだり、民衆を誘導したり……全部、知っていて、黙っていた」
「……」
「あなたが追放された時も、何も言えなかった。本当は、あなたが悪くないって分かっていたのに」
彼の声が、震えていた。
私は、静かに彼の言葉を聞いた。
責める気持ちは、不思議と湧かなかった。
この人も——縛られていたのだ。神殿という組織に、神官という役割に。
「マルセルさん」
「はい」
「なぜ今、協力しようと思ったんですか」
彼が、顔を上げた。
「……王都の疫病を見たからです」
「疫病を」
「民が死んでいくのを、見ました。聖女様に縋って、『奇跡』を待って……でも、何も起きない。私は知っていた。奇跡なんて、最初からなかったって」
マルセルの手が、拳を握りしめた。
「神官として、民を救うはずだった。でも私は、嘘の片棒を担いでいただけだった。それが……もう、耐えられなくなったんです」
その言葉が、胸に刺さった。
この人は、本物の信仰を持っている。
だからこそ、嘘に耐えられなかったのだ。
「証言してください」
私は、真っ直ぐに彼を見た。
「聖女の『奇跡』が嘘だったこと。神殿がそれを隠していたこと。あなたが知っていることを、全て」
「でも……」
マルセルの顔が、蒼白になった。
「家族がいるんです。両親が、地方で小さな教会を営んでいて……神殿に逆らったら、何をされるか」
「分かっています」
クローディア様が、前に出た。
「マルセル神官。あなたのご両親は、ヴァレンシア侯爵家が保護します」
「え……」
「私の父は、中立派の重鎮です。侯爵家の庇護下にある者に手を出せば、神殿といえども政治問題になる」
マルセルが、目を見開いた。
「そんな……侯爵家が、私のような下級神官のために……」
「あなたのためだけではありません」
クローディア様の声が、静かに響いた。
「真実のためです。そして——嘘に苦しんできた全ての人のために」
マルセルが、私を見た。
私は、小さく頷いた。
「私も……『聖女』じゃなかった。奇跡なんて、起こせなかった」
「……」
「でも、あなたは『本物の信仰』を持っています。それは、嘘じゃない」
言葉が、自然と出てきた。
「私は聖女の力がなかった。でもあなたは、本当の神官です。本当の信仰を守る価値がある。それを——証明しませんか」
沈黙が、落ちた。
マルセルの目に、涙が滲んでいた。
「……分かりました」
震える声だった。でも、確かな決意が込められていた。
「証言します。全てを——話します」
会合が終わり、マルセルはクローディア様の手配した馬車で安全な場所へ移動した。
彼の両親も、すでに侯爵家の別邸に匿われる手筈が整っている。
「これで、証言は確保できたわね」
クローディア様が、ほっと息をついた。
「物証はエミリアの設計図。証言はマルセル。あとは——」
「裁判だ」
レイナード様が、低い声で言った。
「王立裁判所に訴えを起こす。聖女の嘘と、神殿の隠蔽を」
私は、胸に手を当てた。
心臓が、早鳴りしている。
王都に戻る。私を追放した場所に。
「……行きます」
声に出すと、覚悟が固まった。
「王都に行って、裁判で——全てを終わらせます」
レイナード様が、私を見た。
灰色の目が、いつもより深い色をしている気がした。
「危険だ。神殿は、お前を消そうとするかもしれない」
「分かっています」
「それでも、行くのか」
「はい」
私は、頷いた。
「逃げていたら、何も変わらない。私は——自分の名前で、生きていきたい。そのために、戦います」
沈黙が、落ちた。
レイナード様が、一歩前に出た。
近い。
今まで感じたことのない距離に、心臓が跳ねた。
「俺が絶対に守る」
低い声。でも、どこか——震えている。
「審問騎士として……いや」
彼が、言い直した。
「俺は、お前を守る。何があっても」
その言葉の重さが、胸に落ちた。
「審問騎士として」ではない。
「俺は」と、言った。
「……ありがとう、ございます」
声が、掠れた。
「信じて、います」
翌日。
私たちは、王都へ向けて出発した。
馬車の中には、私とレイナード様。クローディア様は、別ルートで先に王都入りして準備を整えてくれている。
窓の外を、景色が流れていく。
辺境の山々から、徐々に平野へ。
王都が、近づいている。
「……眠れないのか」
レイナード様の声に、はっとした。
「あ……すみません。考え事をしていて」
「無理もない。明日には王都に着く」
彼の声は、いつものように低く、静かだった。
でも——どこか、優しい。
「少し休め。体力を温存しておいた方がいい」
「でも……」
「俺が見張っている。何かあれば起こす」
その言葉に、緊張が少しだけ解けた。
信じていいのだと、思った。
この人は——本当に、私を守ってくれる。
「……少しだけ、目を閉じます」
窓枠に頭をもたれかけた。
馬車の揺れが、子守唄のように心地いい。
瞼が、重くなっていく。
——大丈夫。
この人がいれば、大丈夫。
そう思いながら、意識が遠のいていった。
どれくらい眠っただろう。
ふと、肩に温もりを感じて、薄く目を開けた。
——マント?
黒いマントが、私の肩にかけられていた。
審問騎士団の、レイナード様のマント。
彼は、窓の外を見ていた。
私が起きたことに、気づいているのかいないのか。
——気づいて、いるんだろうな。
この人は、嘘を見抜く審問官だ。私が起きたことくらい、分かっているはず。
でも、何も言わない。
私も——何も言わなかった。
目を閉じて、マントの温もりに包まれる。
彼の匂いがする。
剣の油と、少しだけ、薬草の香り。
——薬草?
私の薬草園を、一緒に歩いたからだろうか。
そう思うと、胸がくすぐったくなった。
馬車は、王都へ向かって走り続ける。
明日、全てが決まる。
怖い。でも——一人じゃない。
それだけで、戦える気がした。
夜が明ける頃。
馬車の窓から、王都の城壁が見えた。
「……着いたな」
レイナード様の声に、私は顔を上げた。
白亜の城壁。金色の尖塔。朝日に照らされた、ルミエールの街並み。
二週間前、追放された場所。
でも今は——違う。
「行きましょう」
私は、マントを彼に返した。
「全てを、終わらせに」
レイナード様が、わずかに頷いた。
馬車が、王都の門をくぐる。
私の——本当の戦いが、始まる。




