第6話 特級薬師の称号
神殿の動きは、予想より早かった。
「王都で、エミリア殿の逮捕令状が準備されているそうです」
トーマスの報告に、私は血の気が引くのを感じた。
「逮捕令状……」
「罪状は『禁忌の魔術行使』。神殿が王宮に働きかけ、審理なしの緊急逮捕を求めているとのこと」
クローディア様が、扇子を強く握りしめた。
「審理なしですって? 証拠もなしに?」
「『疫病の最中に魔女を野放しにはできない』という論理だそうです。民衆の不安を煽って、王宮を動かそうとしている」
私は、窓の外を見た。
青い空。穏やかな風。この辺境には、王都の喧騒は届かない。
でも——逃げても、意味がない。
「逃げません」
自分でも驚くほど、静かな声が出た。
「エミリア?」
「逃げたら、認めたことになります。私が『魔女』だと」
振り返って、二人を見た。
「私は魔女じゃない。禁忌の術なんて使っていない。それを——証明します」
レイナード様が、わずかに目を細めた。
「どうやって」
「薬師ギルドに、もう一度鑑定を頼みます。今度は、私自身を。『禁忌の術を使った形跡があるか』を、公式に調べてもらいます」
「……それは、諸刃の剣だ」
「分かっています」
もし鑑定で何か「異常」が出れば、それこそ終わりだ。
でも、私には自信があった。
私は、魔女ではない。禁忌の術など、使ったこともない。
だから——調べられても、怖くない。
「やってみる価値はあるわね」
クローディア様が、頷いた。
「薬師ギルドは神殿から独立している。彼らの鑑定結果は、王立裁判所でも証拠として認められる」
「そして、お前が『特級薬師』の審査を同時に受ければ——」
レイナード様が、続けた。
「『禁忌を使わずに、最高位の薬師として認められた』という事実が残る。神殿の捏造は、意味をなさなくなる」
三人の目が、合った。
同じ答えに、辿り着いていた。
薬師ギルドへの申請は、レイナード様の伝令網を通じて行われた。
返答は、三日後に届いた。
「ギルドが審査を受け入れた」
レイナード様が、羊皮紙を読み上げる。
「『辺境の薬師エミリアの特級薬師審査を、緊急案件として実施する。同時に、禁忌魔術の使用有無についても鑑定を行う』」
私は、深呼吸をした。
これで、勝負が決まる。
鑑定は、グランヴェル領に派遣されたギルドの検査官によって行われた。
二人の老人。どちらも厳しい目をしていた。
「では、始めます」
検査官の一人が、私の手を取った。
「魔力の流れを調べます。禁忌の術を使った者には、特有の『淀み』が残る」
目を閉じる。
検査官の魔力が、私の中を探るように流れていく。
心臓が早鳴りする。でも、怯えてはいなかった。
私は、何もやましいことをしていない。
「……終わりました」
検査官が、目を開けた。
その表情が——わずかに、驚いている。
「結果は?」
レイナード様が、鋭く聞いた。
「禁忌の術の形跡は……一切ありません」
ほっと、息が漏れた。
「それどころか——」
検査官が、もう一人と顔を見合わせた。
「この方の魔力は、極めて『清浄』です。これほど澄んだ魔力を持つ者は、珍しい」
「清浄……?」
「魔力の制御が完璧なのです。乱れがない。だからこそ、魔道具の製作に向いている」
もう一人の検査官が、私の薬を手に取った。
「この薬も、調べさせていただきました。禁忌の成分は一切含まれていません。純粋な薬草学の技術——いえ、それ以上です」
「以上、とは」
「配合の精度、薬効の引き出し方、飲みやすさへの配慮。どれを取っても、一級品です。我々二人の合議により——」
検査官が、居住まいを正した。
「エミリア殿を『特級薬師』に認定いたします」
私は、言葉を失った。
特級薬師。
王国に十人もいない、最高位の称号。
それが——私に。
「おめでとうございます」
検査官が、頭を下げた。
「あなたの技術は、本物です。誰に恥じることもない」
涙が、滲んだ。
嬉しいのか、安堵なのか、分からない。
でも——認められた。
「聖女の奇跡」ではなく、「薬師エミリア」として。
自分の力で、自分の名前で。
その夜。
私は、薬草園で薬草の手入れをしていた。
月明かりの下、銀葉草が静かに揺れている。
今日の出来事を、まだ消化しきれていなかった。
「こんな時間に、何をしている」
背後から、声がかかった。
振り返ると、レイナード様が立っていた。
「あ……すみません。眠れなくて」
「眠れない理由は」
「嬉しすぎて、だと思います」
正直に答えると、レイナード様の眉がわずかに上がった。
「……変な理由だな」
「自分でも、そう思います」
私は、銀葉草に目を戻した。
「でも、こうして薬草を見ていると、落ち着くんです。シスター・マリアンと一緒に、よく夜の薬草園を歩きました」
「そうか」
沈黙が落ちた。
でも、気まずくはなかった。
レイナード様は、黙って私の隣に立っていた。
「……あの」
「なんだ」
「お戻りにならないんですか?」
「護衛だ」
短い返事。
私は、思わず笑ってしまった。
「護衛? この薬草園で、何から守るんですか」
「夜道は危険だ」
「薬草園の中ですけど」
「……野生動物がいるかもしれない」
レイナード様の声が、少し硬くなった。
私は、彼の顔を見上げた。
月明かりに照らされた横顔。相変わらず表情は読めないけれど——耳が、少し赤い気がした。
「本当に、護衛だけですか?」
「……何が言いたい」
「薬草に興味がある、とか?」
第4話で、そんなことを言っていた気がする。
「……薬草に興味がある」
「嘘ですね」
思わず、言ってしまった。
レイナード様が、ぴくりと眉を動かした。
「……審問官に嘘と言うな」
「でも、さっきから銀葉草と月光花の区別がついていないご様子でしたので」
私が指さした先で、レイナード様が固まった。
彼が見ていたのは、明らかに月光花だった。銀葉草は、反対側にある。
「…………」
「…………」
沈黙。
レイナード様が、ふいと視線を逸らした。
「……眠れないなら、付き合う。それだけだ」
その声が、少しだけ柔らかかった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることではない」
「いいえ。嬉しいです」
レイナード様は、何も言わなかった。
でも——その沈黙が、否定ではないことは、分かった。
二人で、月明かりの下の薬草園を歩いた。
私が薬草の説明をして、レイナード様が時々頷く。
それだけの、静かな時間。
でも——今までで一番、心が穏やかだった。
翌朝。
クローディア様が、目を輝かせて薬師小屋に飛び込んできた。
「いい知らせよ、エミリア」
「何かあったんですか?」
「神殿の内部に、協力者になりそうな人物がいるの」
私とレイナード様は、顔を見合わせた。
「協力者?」
「下級神官よ。聖女の『奇跡』の準備に関わっていた人物。良心の呵責に耐えられなくなっているらしいわ」
レイナード様の目が、鋭くなった。
「名前は」
「マルセル・デュボワ。地方の小教会を営む両親を持つ、真面目な神官だそうよ」
内部告発者。
聖女の嘘を、内側から証言できる人物。
もしその人が協力してくれれば——。
「会えるの?」
「交渉中よ。でも、彼は怖がっている。神殿に逆らえば、家族に危害が及ぶかもしれないから」
「……そうですか」
私は、考え込んだ。
その人も、「役割」に縛られているのかもしれない。
神官として、神殿に従わなければならない。でも、良心が許さない。
その苦しみは——私にも、分かる気がした。
「私から、話せませんか」
「あなたが?」
「はい。同じ……『役割に縛られていた者』として。伝えられることが、あるかもしれません」
クローディア様が、少し驚いた顔をした。
でも、すぐに微笑んだ。
「……分かったわ。手配してみる」
窓の外を見た。
空は、今日も青い。
でも、私たちの戦いは——ようやく、本当の意味で動き始めようとしていた。




