第5話 奇跡が届かない街で
王都からの続報は、日を追うごとに深刻さを増していった。
「死者が出始めています」
伝令の声が、薬師小屋に響いた。
「現時点で確認されている死者は十二名。重症者は百名を超えました」
私は、拳を握りしめた。
十二人。
救えたかもしれない命が、もう失われている。
「聖女様は、どうされているの」
クローディア様が、鋭く聞いた。
「毎日、神殿で祈りを捧げておられます。しかし……『奇跡』は起きておりません」
当然だ。
ミレーユ様には、神聖魔法の力がない。私が作った魔道具がなければ、「奇跡」を演出することすらできない。
でも、民衆はそれを知らない。
「聖女の奇跡が効かない」という事実だけが、不安と不満を広げているはずだ。
「レイナード」
クローディア様が、審問騎士を見た。
「王都の状況、あなたの情報網ではどうなっているの」
「芳しくない」
レイナード様が、腕を組んだ。
「神殿は『疫病は民の信仰心が足りないせいだ』と説いている。だが、それで納得する者は少ない。王宮にも焦りが見える」
「信仰心のせい……」
私は、唇を噛んだ。
苦しんでいる人々に、そんな言葉を投げつけるなんて。
「私の薬なら……」
声が、自然と出た。
「私の薬なら、魔瘴病を治せます。この辺境で、実績を積みました」
三人の視線が、私に集まった。
「届けられるなら、届けたい。王都の人たちを——助けたいんです」
レイナード様の目が、わずかに細くなった。
「お前を追放した連中を、か」
「……はい」
矛盾しているのは分かっている。
私を「偽聖女」と断罪し、追放した人たち。その人たちを、なぜ助けたいのか。
でも——。
「苦しんでいる人に、罪はないから」
言葉にしてみると、不思議と心が定まった。
「断罪したのは王子と神殿です。でも、疫病で苦しんでいるのは普通の人たち。彼らは、私を追放しろとは言っていない」
クローディア様が、ふっと微笑んだ。
「……あなた、本当にお人好しね」
「そう、でしょうか」
「褒めているのよ。私なら、そこまで割り切れない」
レイナード様が、立ち上がった。
「方法を考えよう。辺境から王都まで、薬を届ける手段を」
計画は、すぐに動き出した。
私は薬の大量調合を始め、クローディア様は輸送ルートの手配を、レイナード様は王都側の受け入れ先を探った。
しかし——。
「妨害が入った」
三日目の夜、レイナード様が険しい顔で戻ってきた。
「どういうこと?」
クローディア様が眉をひそめる。
「神殿が情報を流している。『辺境から薬を送ろうとしている薬師は、追放された偽聖女だ』と」
心臓が、冷たくなった。
「……そんな」
「『偽聖女の薬など、何が混ざっているか分からない』『魔女の呪いかもしれない』——そういう噂を、意図的に広めている」
私は、椅子に崩れ落ちそうになった。
助けようとしているのに。
ただ、苦しんでいる人を救いたいだけなのに。
「神殿め……」
クローディア様の声に、怒りが滲んでいた。
「自分たちの無能を隠すために、エミリアを悪者にしようとしているのね」
「このままでは、薬を届けても受け取ってもらえない可能性がある」
レイナード様が、テーブルに手をついた。
「だが、方法はある」
「方法?」
「薬師ギルドだ」
私は、顔を上げた。
「薬師ギルドは、神殿から独立した組織だ。彼らが『この薬は安全だ』と認めれば、神殿の妨害は意味をなさなくなる」
「でも、薬師ギルドが……追放された私の薬を、認めてくれるでしょうか」
「認めさせる」
レイナード様の声は、静かだが、強かった。
「ギルドは実利を重視する。効く薬があるなら、誰が作ったかは問題ではない。それを、理解させればいい」
翌日。
レイナード様は、審問騎士団の伝令網を使って、王都の薬師ギルドに連絡を取った。
私の薬のサンプルと、辺境での治療記録を添えて。
返答は、思ったより早く届いた。
「ギルドが動いた」
伝令を読み上げるレイナード様の声に、かすかな安堵が混じっていた。
「『当ギルドは、辺境より送られた薬剤を検査した。禁忌の術は一切含まれておらず、薬草学の正当な技法による調合と認める。王都への供給を許可する』」
私は、息を吐いた。
認められた。
私の薬が、正式に。
「よかった……」
「まだ終わりじゃないわ」
クローディア様が、厳しい表情のまま言った。
「神殿は、これで引き下がらないはず。次の手を打ってくるわよ」
「ああ。だから——」
レイナード様が、懐から羊皮紙を取り出した。
審問騎士団の紋章が押された、公式文書。
「先手を打った」
「それは?」
「審問騎士団副団長の権限で、神殿に通達を出した。『現在、聖女の奇跡に関する調査を行っている。調査対象者であるエミリアへの妨害行為は、調査妨害と見なす』と」
私は、目を見開いた。
「調査対象者……私、ですか」
「形式上はな。これで、神殿はお前に直接手を出せなくなる。少なくとも、調査が終わるまでは」
その言葉の意味を、理解するのに少し時間がかかった。
レイナード様は、自分の権限を使って——私を、守ってくれた。
「……ありがとう、ございます」
「職務だ」
短い返事。
でも、その声がいつもより硬いことに、私は気づいていた。
そして——彼が「職務だ」と言う時、わずかに視線を逸らすことにも。
「レイナード」
クローディア様が、意味深な笑みを浮かべた。
「あなた、最近『職務』って言葉をよく使うわね」
「……何が言いたい」
「別に。ただの感想よ」
二人のやり取りの意味が、私にはよく分からなかった。
でも、クローディア様が楽しそうなのは確かだった。
それから数日。
私の薬は、王都に届いた。
薬師ギルドを通じて配布され、患者たちに投与された。
効果は——劇的だった。
「王都からの報告です」
伝令が、息を切らせて駆け込んできた。
「辺境の薬師の薬が、効いています。重症者の容態が安定し始めました。死者の増加も、止まりつつあります」
私は、膝から力が抜けそうになった。
間に合った。
救えた命がある。
「民衆の間で、噂が広がっているそうです」
「噂?」
「『聖女様の奇跡より、あの薬師の薬の方が効く』と」
その言葉に、複雑な感情が湧いた。
嬉しい。認められたことが。
でも同時に、怖い。
この噂が広がれば、聖女と神殿の立場は——。
「神殿は、面白くないだろうな」
レイナード様が、低く言った。
「聖女の無力が、民衆の目に晒された。これは、ただの疫病対策の問題ではなくなる」
「政治的な問題になる、ということ?」
「ああ。神殿の権威、聖女制度の正当性——全てが揺らぎ始める」
クローディア様が、腕を組んだ。
「追い詰められた神殿が、何をするか。それが問題ね」
その時。
別の伝令が、駆け込んできた。
今度は、クローディア様の侍女だった。
「お嬢様。王都の協力者から、緊急の報告が」
「何があったの」
侍女が、声を潜めた。
「神殿長ガルディス様が、側近たちに命じたそうです。『あの女を魔女として告発しろ。禁忌の術を使っていると』——と」
空気が、凍りついた。
魔女。
その言葉が、頭の中で反響する。
「……私を、魔女に」
「証拠を捏造するつもりだろう」
レイナード様の声が、鋭くなった。
「お前の薬が効いたのは『禁忌の魔法を使ったから』だと。そう仕立て上げれば、聖女の無力を隠せる」
私は、拳を握りしめた。
人を助けようとしただけなのに。
それが、罪になるの。
「……どうすれば」
「方法はある」
レイナード様が、真っ直ぐに私を見た。
灰色の目に、強い光が宿っている。
「神殿より先に、動く。お前の実力を、公的に証明する。捏造では覆せないほど、確かな形で」
「公的に……?」
「薬師ギルドの認定だ。最高位の——『特級薬師』の称号を、取る」
特級薬師。
王国に十人もいない、薬師の最高位。
そんな称号が、本当に——私に?
「できる」
レイナード様が、断言した。
「お前の実力なら、できる。俺が、保証する」
その言葉に、胸が熱くなった。
信じてくれている。
この人は、私の力を——本当に、信じてくれている。
「……やります」
私は、顔を上げた。
「やります。私は——魔女なんかじゃない。それを、証明します」
窓の外では、日が沈み始めていた。
王都の空は今、どんな色をしているのだろう。
でも、怖がっている暇はない。
戦いは、始まったばかりだ。




