第4話 信じることを、やめていた
翌日から、計画会議が始まった。
薬師小屋の小さなテーブルに、三人で向かい合う。
「まず、証拠を整理しましょう」
クローディア様が、羊皮紙を広げた。
「聖女の『奇跡』が嘘だと証明するには、三つの柱が必要よ。物証、証言、そして動機」
「物証は、エミリアの魔道具設計図だな」
レイナード様が、腕を組んだ。
「それがあれば、『奇跡』の正体が魔道具だったと示せる」
私は、小さく頷いた。
「設計図は……あります。聖女時代に控えを取っていました」
「見せてもらえるか」
「はい」
棚の奥から、古びた革袋を取り出す。
中には、何枚もの羊皮紙。私の字で書かれた図面と、調合の記録。
レイナード様が、一枚一枚を確認していく。
「……詳細だな。製作日時、材料、魔力の込め方まで記録されている」
「万が一、魔道具が壊れた時のために。作り直せるように、全部控えていました」
「これは使える。筆跡鑑定をすれば、お前が書いたものだと証明できる」
クローディア様が、満足げに頷いた。
「物証は確保ね。次は証言。神殿の内部に、協力してくれる人がいないかしら」
「神殿長は無理だろう。あの男は黒幕だ」
レイナード様の声が、低くなった。
「だが、下級神官の中には良心を持つ者もいるはずだ。『奇跡』の準備に関わった者なら、真実を知っている」
「私の侍女だった人たちは……」
言いかけて、やめた。
彼女たちは、私が追放された後どうなったのだろう。神殿に残っているなら、協力を頼めるかもしれない。でも——巻き込んでいいのか。
「焦らなくていいわ」
クローディア様が、私の手に自分の手を重ねた。
「時間はある。一歩ずつ進みましょう」
温かい手だった。
でも、私の中には、まだ冷たいものが残っている。
会議が終わり、クローディア様は情報収集のために村へ出かけた。
王都からの噂がどこまで届いているか、確認するためだ。
薬師小屋には、私とレイナード様の二人だけが残った。
沈黙が、重い。
この人と二人きりになるのは、初めてだ。
「……あの」
「なんだ」
レイナード様が、こちらを見た。
灰色の目。相変わらず、感情が読めない。
「お茶を……いえ、薬湯を淹れましょうか。疲労回復に効くものがあります」
「頼む」
短い返事。
私は、棚から薬草を取り出した。
清涼草、甘茶蔓、それに少しだけ月光花。
煎じながら、ふと思った。
——この人は、なぜ五年も調査を続けているのだろう。
審問騎士の任務なら、もっと短期間で結論を出すはずだ。五年も執着するには、何か理由がある。
聞いてみたい。でも、聞いていいのか分からない。
「……何か聞きたそうだな」
背後から、声がかかった。
心臓が、跳ねた。
「えっ、あの、いえ……」
「嘘を見抜くのは仕事だ。顔に出ている」
——やっぱり。
振り返ると、レイナード様がわずかに口角を上げていた。
笑った——わけではない。でも、少しだけ、表情が和らいでいる。
「……すみません。失礼なことを考えていました」
「構わない。だが、今は答えられない」
「はい」
それ以上は、聞かなかった。
この人にも、話したくないことがあるのだろう。私にもあるように。
薬湯を、器に注いだ。
淡い緑色の液体。湯気と一緒に、清涼な香りが立ち上る。
「どうぞ」
「……」
レイナード様が、器を受け取った。
一口、含む。
その瞬間、彼の眉が——ほんの少しだけ、動いた。
「……美味いな」
低い声。無感情なはずなのに、どこか驚いているような響き。
「この薬湯、疲労回復だけじゃないのか。味も考えているのか」
「あ……はい。飲みやすい方がいいかと思って」
「甘茶蔓を入れたな。苦味を和らげるために」
言い当てられて、驚いた。
「薬草に、詳しいんですか」
「多少は。審問騎士は毒や薬の知識も必要だ」
レイナード様が、もう一口飲んだ。
「だが、ここまで飲みやすく調合できる者は少ない。……いい仕事だ」
——いい仕事だ。
その言葉が、胸に落ちた。
じわりと、温かいものが広がる。
聖女の時、誰も私の「仕事」を褒めなかった。
「奇跡」を称える声はあった。「聖女様のおかげです」という感謝もあった。
でもそれは、「私」への言葉ではなかった。「聖女」という役割への言葉だった。
この人は、違う。
「奇跡」ではなく、「薬湯の味を考えた工夫」を見てくれた。
私の、努力を。
「……ありがとう、ございます」
声が、少し震えた。
「こんな風に言ってもらえたの、初めてで」
「初めて?」
「聖女の時は、誰も……私を見てくれなかったから」
言ってしまってから、しまったと思った。
重い話を、初めて会った人にするべきではない。
でも、レイナード様は眉をひそめなかった。
「……そうか」
短い返事。でも、否定も、憐れみもなかった。
ただ、静かに受け止めてくれた。
それが、ありがたかった。
夕暮れ時、クローディア様が戻ってきた。
三人で夕食を取りながら、情報を共有する。
「村の人たちは、エミリアのことを『薬師様』と呼んでいたわ。『聖女の奇跡より効く薬を作る人』って」
「……そうですか」
「良い評判よ。これは使える」
クローディア様が、微笑んだ。
でも、私の中には、まだ不安が渦巻いている。
「……あの」
「なに?」
「私……まだ、怖いんです」
二人が、私を見た。
「協力すると決めました。でも、心のどこかで……また利用されるんじゃないかって。信じて裏切られたら、今度こそ立ち直れないって」
正直に、言った。
隠しても意味がない。この人たちは、嘘を見抜くのが得意だから。
クローディア様が、少し考え込んだ。
「……ねえ、エミリア。私も怖いのよ」
「え?」
「告発した時、誰も味方がいなかった。父だけが『よくやった』と言ってくれたけど、社交界では『悪役令嬢』扱い。今でも、本当に正しかったのか分からない時がある」
クローディア様の紫の目が、少し揺れた。
「でもね、怖いからって何もしなかったら——もっと後悔する。だから、怖くても動くの」
「……」
「信じることを、やめないで。やめたら、本当に一人になってしまうから」
その言葉が、胸に染みた。
この人も、怖かったのだ。
それでも、私のために動いてくれた。
「……はい」
私は、小さく頷いた。
まだ、完全には信じられない。
でも、信じることを——やめるのは、やめよう。
少しずつ、一歩ずつ。
翌朝。
早馬が、辺境に駆け込んできた。
「王都からの急使です!」
トーマスが、血相を変えて薬師小屋に飛び込んできた。
「どうしました」
「王都で……疫病が発生したそうです」
三人の顔が、強張った。
「疫病? 魔瘴病か」
レイナード様が、鋭く聞いた。
「はい。しかも……」
トーマスが、言葉を詰まらせた。
「聖女様の『奇跡』が……効いていない、と」
沈黙が、落ちた。
聖女の奇跡が、効いていない。
当然だ。
私がいなければ、「奇跡」を演出する魔道具は作れない。ミレーユ様には、神聖魔法の力がないのだから。
「……これは」
クローディア様が、低く呟いた。
「チャンスであり、危機でもあるわね」
「ああ」
レイナード様が、腕を組んだ。
「聖女の無力が露呈すれば、民衆の信頼は揺らぐ。だが、神殿は必死で隠蔽しようとするだろう。下手をすれば——」
私は、その先を想像した。
神殿が追い詰められたら、何をするか分からない。
もしかしたら、私を「魔女」に仕立て上げて——。
「エミリア」
レイナード様の声で、我に返った。
「お前の薬は、魔瘴病に効くな」
「……はい。この辺境で、実績を積みました」
「なら、王都の民を救えるのは——お前だけかもしれない」
その言葉の重さが、胸にのしかかった。
王都。私を追放した場所。
でも、そこには——苦しんでいる人がいる。
「……考える時間を、ください」
「ああ。だが、あまり猶予はない」
窓の外を見た。
空は晴れている。でも、王都の空は今、どんな色をしているのだろう。
聖女の奇跡が届かない街で、人々は何を思っているのだろう。
私に、できることがあるなら——。
考えがまとまらないまま、その日は暮れていった。




