第3話 告発者と、審問官と
薬師小屋の前に、二人の人物が立っていた。
一人は、深紅のドレスに身を包んだ女性。赤銅色の髪を高く結い上げ、紫の瞳が夕日に照らされている。
クローディア・ヴァレンシア侯爵令嬢。
私を「偽聖女」と告発した、あの人。
もう一人は、黒い制服の男性。銀の刺繍が施された審問騎士団の正装。黒髪に灰色の目。整った顔立ちだが、表情が読めない。
二人の視線が、私に向けられた。
足が、すくみそうになる。
——逃げるな。
自分に言い聞かせて、一歩前に出た。
「……お待たせいたしました」
声が震えなかったのは、奇跡かもしれない。
「久しぶりね、エミリア」
クローディア様が、口を開いた。
あの断罪の日と同じ、澄んだ声。でも——どこか、柔らかい。
「何の、ご用でしょうか」
私は、警戒を隠さなかった。
隠しても無駄だ。どうせ顔に出ている。
「そう怯えないで。あなたを害しに来たわけではないわ」
「……信じろと言われても、難しいです。あなたは私を——」
「告発した。ええ、そうね」
クローディア様が、一歩近づいた。
私は、反射的に半歩下がる。
彼女の紫の瞳が、真っ直ぐに私を見た。
怒りはない。軽蔑もない。
あの日と同じ、静かな目。
——なぜ、そんな目をするの。
「エミリア。中で話せないかしら。立ち話には、少し長くなりそうだから」
薬師小屋の中は、狭かった。
作業台と棚と、小さなテーブル。椅子は二脚しかない。
「私は立っていよう」
審問騎士の男性が、壁際に立った。
低い声。抑揚が少なく、感情が読めない。
「あ、あの……どちら様、ですか」
「レイナード・クレスティア。王立審問騎士団副団長だ」
審問騎士団。
「真実を暴く」魔法を使う、王国唯一の機関。
その副団長が、なぜ私のような追放者の元に——。
「順番に話すわ」
クローディア様が、テーブルを挟んで座った。
私も、促されるまま椅子に腰を下ろす。
「まず、私があなたを告発した理由。……聞いてくれる?」
「……はい」
答えながら、身構えた。
言い訳を聞かされるのだろうか。「仕方なかった」とか、「あなたのためだった」とか——。
「あなたが、苦しんでいたから」
予想外の言葉だった。
「……え?」
「聖女として、六年間。あなたは一度も笑っていなかった」
クローディア様の目が、少し細くなった。
「社交界で何度か顔を合わせたわ。あなたはいつも、作り笑いをしていた。目が笑っていなかった。まるで——籠の中の鳥みたいに」
胸が、ぎゅっと締め付けられた。
見られていた。
私の「演技」を、見抜いていた人がいた。
「私は調べたの。あなたが孤児院出身で、神殿に『聖女』として連れて行かれたこと。断ったのに、無理やり」
「……それは」
「神殿長ガルディスが、あなたを脅していたことも」
息が、止まった。
なぜ、それを。
「『孤児院に災いが降りかかる』——そう言われたのでしょう?」
言葉が、出なかった。
誰にも言っていない。言えるはずがない。
「……どうして」
「神殿には、私の家の者が何人かいるの。情報を集めるのは、そう難しくなかった」
クローディア様が、小さくため息をついた。
「あなたは被害者よ、エミリア。聖女の力がないのに、『聖女を演じろ』と強制された。逃げることも、辞めることも許されなかった」
「……でも、私は嘘をついていました。『奇跡』は、私が作った魔道具の——」
「知っているわ」
また、驚いた。
「あなたが魔道具の天才だということも。『奇跡』の正体が魔道具だということも」
「……それなら、なおさら。私は詐欺師です。民を騙して——」
「騙したのは神殿よ。あなたは道具として使われただけ」
クローディア様の声が、強くなった。
「エミリア。あなたは『聖女を辞めたい』と言えなかった。言えば、孤児院を人質に取られていたから。だから私が——外から、あなたを引きずり下ろすしかなかった」
理解が、追いつかない。
頭が真っ白になる。
「……なぜ」
「なぜ、って?」
「なぜ、そこまで。私のために」
クローディア様が、少し笑った。
皮肉ではない。自嘲でもない。どこか、寂しげな笑み。
「同じだったからよ」
「同じ……?」
「私も、『役割』に押し潰されそうだった」
その言葉に、息を呑んだ。
「侯爵令嬢として、王子の婚約者として。求められる『クローディア像』を演じ続けた。本当の私を見てくれる人は、誰もいなかった」
クローディア様の目が、遠くを見た。
「アルベルト——王子も、最初は違った。でも、あの聖女が現れてから変わったわ。私の言葉は、もう届かなくなった」
聖女ミレーユ。
私の後任として「本物の聖女」に認定された人。
「だから私は、せめてあなただけでも解放したかった。同じ檻の中で苦しんでいる人を、見捨てられなかった」
沈黙が、落ちた。
私は、クローディア様を見つめた。
高慢で、冷酷で、私を陥れた「悪役令嬢」——そう思っていた。
でも、違った。
この人も、傷ついていた。
この人も、檻の中にいた。
「……方法は」
声が、掠れた。
「方法は、最悪でした」
「ええ、そうね」
クローディア様が、苦笑した。
「謝るわ。もっと他のやり方があったかもしれない。でも、時間がなかった。あのまま放っておいたら、あなたは壊れていた」
——壊れていた。
そうかもしれない。
あのまま聖女を続けていたら、私は本当に壊れていただろう。
「……ありがとう、ございます」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
「クローディア様。あなたのおかげで、私は——自由になれました」
「さて」
壁際に立っていた審問騎士——レイナード様が、口を開いた。
「感動的な再会のところ悪いが、本題に入っていいか」
低い声。無感情な響き。
でも、どこか——不器用な感じがする。
「あなたは、なぜここに?」
私は、彼に向き直った。
「審問官として、聖女の『奇跡』を調査している」
灰色の目が、真っ直ぐに私を見た。
「五年前から、ずっとな」
五年前。
その言葉に反応した時、彼の目が一瞬だけ鋭くなった。
——何か、あったのだろうか。
聞けなかった。聞いていい空気ではなかった。
「聖女の『奇跡』が魔道具だということは、クローディアから聞いた。それを証明できる証拠が、お前にはあるはずだ」
「証拠……」
「魔道具の設計図。製作記録。何でもいい。お前が『奇跡』を演出していたことを示すものだ」
私は、考えた。
設計図なら、ある。
聖女時代、万が一に備えて控えを取っていた。「奇跡の種」がなくなった時のために。
あの記録は、断罪の時も持ち出した。捨てられなかった。自分が作ったものだから。
「……あります」
「なら、話は早い」
レイナード様が、一歩前に出た。
「俺は聖女の嘘を暴きたい。お前は名誉を回復したい。利害は一致する」
その言葉は、冷たかった。
でも、嘘がなかった。
「……協力しろ、ということですか」
「強制はしない。だが、一人で戦うより、勝算は上がる」
クローディア様が、頷いた。
「私も協力するわ。ヴァレンシア家の情報網と、社交界の人脈。使えるものは全て使う」
二人が、私を見ている。
敵だと思っていた人。
見知らぬ審問官。
なぜ、この人たちは——。
「……信じて、いいんですか」
声が、震えた。
「また利用されるんじゃないかって、怖いんです。聖女の時、近づいてきた人は全員——『聖女』を利用したかっただけだった」
正直に、言った。
隠しても仕方がない。どうせ顔に出る。
レイナード様が、少し眉を動かした。
「俺は嘘をつかない」
低い声。でも、静かな確信があった。
「それが、俺の仕事だ。審問官は、真実のためにいる。利用するつもりなら、最初から目的を隠す。俺はそうしなかった」
——確かに。
この人は、最初から「調査のために来た」と言った。
「助けに来た」とも「味方だ」とも言わなかった。
ただ、「利害が一致する」と。
その正直さが——少しだけ、信じてみようと思わせた。
「……分かりました」
私は、深呼吸をした。
「協力します。でも、一つだけ条件があります」
「言ってみろ」
「対等でいさせてください」
二人が、目を見開いた。
「私は『聖女』じゃありません。ただの薬師です。守られるだけの存在じゃなくて、一緒に戦う仲間として——見てほしいんです」
自分でも、驚くほどはっきり言えた。
聖女の時は、こんなこと言えなかった。
でも今は違う。私は、自分の足で立っている。
クローディア様が、ふっと笑った。
「気に入ったわ、その言葉」
レイナード様も、無表情のまま——でも、どこか満足げに頷いた。
「いいだろう。対等な協力者として、よろしく頼む」
差し出された手を、握り返した。
大きくて、硬い手。剣を握ってきた手だ。
その手が、思ったより温かかった。
夕日が、山の向こうに沈んでいく。
薬師小屋の前で、三人で空を見上げた。
「明日から、具体的な計画を立てましょう」
クローディア様が言った。
「まずは証拠の整理。そして、信頼できる協力者を増やすこと」
「神殿の内部にも、良心を持つ者はいるはずだ」
レイナード様が続けた。
「時間はかかるが、焦れば足元をすくわれる。慎重に進める」
私は、二人の横顔を見た。
一人は、私を解放するために「悪役」を演じた令嬢。
一人は、真実のために五年間戦い続けてきた騎士。
——私は、一人じゃなかった。
胸の奥が、じんわりと温かくなった。
「あの」
「なんだ」
レイナード様が、こちらを見た。
「……いえ。なんでもありません」
言いかけて、やめた。
「ありがとう」は、まだ早い気がした。
結果を出してから、言おう。
この人たちと一緒に、聖女の嘘を暴いて——自分の人生を、取り戻してから。
「明日から、よろしくお願いします」
私は、二人に頭を下げた。
クローディア様が微笑み、レイナード様が無言で頷いた。
三人の影が、夕日に長く伸びている。
聖女でも、悪役令嬢でもない。
ただの「エミリア」として——私の戦いが、今、始まる。




