表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

70/88

第70話 二人の記憶と、四人の写真

 期末テストが終わった。


 テスト期間の一週間は、あっけないくらい早く過ぎた。

 あの放課後に完成させた新聞も、テスト明けに配られて、教室の後ろのコルクボードに貼り出されている。

 十二月の最終週。答案返却も終わり、教室には冬休み前特有の弛緩した空気が流れていた。

 黒板には先生が書いた「冬休みの課題一覧」がびっしりと並んでいるが、誰もメモを取っていない。そういう日だ。


「打ち上げ! 打ち上げしよう!」


 西村が、四時間目の終了チャイムと同時に声を上げた。


「テスト明けの打ち上げ! イルミネーション見に行こ! 駅前、今年もやってるってインスタで見た!」


「……打ち上げにイルミネーション?」


「テスト頑張ったご褒美に、きれいなもの見るの。最高でしょ」


 西村の理屈は毎度シンプルだ。やりたいからやる。理由は後からつける。


「サエも行くよね?」


「……今日?」


「善は急げ、ってやつ」


「急いでるのは善意じゃなくて千夏の衝動だと思うけど」


 佐伯が淡々と返したが、ペンケースをカバンにしまう手は止まらなかった。

 つまり、行く気はあるらしい。


「すみれは?」


「うん、行く行く。安藤くんも行くよね?」


 桜井が、当然のように僕の方を向いた。

 選択肢を与えない笑顔だ。


「……まあ、予定はないけど」


「決まり!」


 西村が拳を突き上げる。


 僕は内心、少しだけ身構えていた。

 駅前のイルミネーション。去年も行った場所だ。

 ただし去年は、二人だった。


 ◇


 夕方、五時半。


 駅前ロータリーは、去年と同じ白い光で埋め尽くされていた。

 街路樹に巻きついたLEDが枝の形をなぞり、駅ビルのガラス面にはスノーフレークのプロジェクションが映し出されている。

 簡易ツリーも健在だ。去年よりひと回り大きくなった気がする。


「おー! めっちゃきれい!」


 西村がスマホを掲げた。改札を出て三秒で撮影を始めている。


「駅ビルの投影、力入ってるね。ツリーとの色の組み合わせも計算されてる」


 佐伯が冷静に分析する。イルミネーションを見ても感動の前に構造が出てくるのが、この人らしい。


「去年は二人で行ったんでしょ? 今年はうちらも混ぜてよね」


 西村が、カメラを構えたまま振り返った。


 心臓が跳ねた。


「去年は取材だったの!」


 桜井が、僕より先に声を上げた。

 声が半音高い。


「あー、はいはい。取材ね。二人きりの取材ね」


「千夏、その言い方やめて」


「間違ってないよ」


 佐伯がぼそりと援護射撃を入れる。味方のふりをした砲弾だ。


「凛ちゃんまで……!」


 桜井がマフラーの中に顔を沈めた。

 耳の先端が、イルミネーションの白い光の下でも分かるくらい色づいている。


 僕は視線をツリーに逃がした。

 去年のことを思い出す。まいにスーパーの袋ごと置き去りにされたこと。桜井の「ガードマン」という雑な肩書き。缶ココアの熱さ。「共犯者が必要なの」という、冬の空気によく通る声。


 あれは確かに、取材だった。

 取材だったのだと、僕も思っておきたい。


「はい、そこ並んで!」


 西村が、突然僕と桜井の肩をそれぞれ掴んだ。


「え、なに」


「ツリーバックでツーショット撮るの! ほら、もうちょい寄って!」


「いや、別に僕は——」


「寄る!」


 西村に背中を押され、桜井との距離が半歩詰まった。

 コートの袖が触れる距離。桜井はマフラーに顔を埋めたまま、抵抗しなかった。


「千夏、強引すぎ……」


「はいチーズ!」


 パシャ、と軽い音。


「もう一枚! 湊、顔死んでるからもうちょい自然に!」


「自然にって言われて自然にできる人間いないだろ」


「すみれー、もうちょい湊の方に寄ってー」


「……これ以上は無理だよ」


 桜井の声がマフラーの中でくぐもる。

 でも、離れようとはしなかった。


 佐伯は僕たちから少し離れた場所に立って、自分のスマホを構えていた。

 ツーショットではなく、西村が写真を撮っている僕たちを含めた全体を、引きの構図で撮っている。


 記録者のポジション。

 被写体の中に入らず、でも確実に残す。


「サエも入りなよ!」


 西村が佐伯の腕を引っ張った。


「……いい。私は撮る側で」


「ダメ。四人で撮るの。タイマーあるでしょ」


 佐伯は一瞬だけ逡巡したが、西村の手を振り払わなかった。

 西村がスマホをツリー横のポールに立てかけ、タイマーをセットする。


「十秒! 走って!」


 西村が佐伯を引きずるように列に加わる。

 左から、佐伯、西村、桜井、僕。


 タイマーのカウントダウンが点滅する。


 佐伯は姿勢を正したまま、正面を見ている。

 西村はピースサイン。桜井はどこに手を置けばいいか迷っているみたいに、コートの裾を握っていた。


 パシャ。


「よし! いい感じ!」


 西村が回収したスマホの画面を覗き込む。四人が横一列に並んだ、少しぎこちない集合写真。


「……悪くない」


 佐伯が画面を一瞥して、静かに言った。


 ◇


 人の波に流されながら、駅ビル二階のデッキに上がった。

 去年と同じ場所だ。手すりに沿った青と白のライトが点滅し、眼下のロータリーには車のテールライトが赤い川を作っている。


 去年は、桜井と二人で端っこに避難した場所。

 今年は、四人で真ん中あたりに立っている。


「あったかいの飲みたーい」


 西村が自販機の方を指差す。佐伯が「カフェオレ」とだけ言って財布を取り出した。


「桜井さん、ココアでいい?」


 気づいたら、口が動いていた。


 桜井が目を丸くする。


「え、いいの?」


「自販機、すぐそこだし」


 去年は桜井が二缶買ってきた。「はい、給料」と言って。今年は、僕が行く番だ。

 四人でいるなら、友達に飲み物を買うだけの話だ。それだけの話のはずなのに、自販機に向かう足取りが妙に早い。


 温かい缶ココアを二つ——一つは自分の分——買って、戻る。

 佐伯と西村はカフェオレの缶で手を温めながら、デッキの手すりに肘をついていた。


「はい」


 桜井に缶を差し出す。


「ありがとう」


 桜井が受け取って、笑った。

 特別なことではない、という顔。いつもの笑み。


 それだけだ。

 それだけなのに、缶を渡した右手が、ポケットに戻しても熱を持っていた。


「……去年と逆だね」


 桜井が、缶を両手で包み込みながら呟いた。


「去年は、私が買ってきたでしょ」


「覚えてるんだ」


「当たり前じゃん。『現物支給かよ』って言ったの、安藤くんだよ」


 僕のセリフまで正確に覚えている。

 指摘する気力はなかった。僕だって、「はい、給料」を覚えているのだから。


「今年は安藤くんがおごってくれるんだ。出世したね」


「出世というか、去年の返済というか」


「じゃあ来年はまた私の番だね」


 来年。

 その一語が、胸のどこかに落ちて、小さな波紋を作った。


 桜井は来年の話を、さも当然のようにする。

 来年もこの場所にいること。来年も僕がここにいること。それが前提になっている。


 視線を逸らす。

 イルミネーションの白い光が、冬の空気に滲んでぼやけて見えた。


「あ、ねえ見て。この角度だと、ツリーの上のほうの飾りが星に見える」


 桜井が手すりから少し身を乗り出した。

 コートの裾が揺れて、ココアの缶が傾く。


「こぼすよ」


「大丈夫、持ってるし」


 大丈夫じゃない持ち方をしている。

 僕は何も言わず、桜井のコートの裾を軽く引いた。

 引きすぎないように。でも、手すりから落ちない程度に。


 桜井が振り返る。

 少し驚いた顔。でもすぐに、ふっと目尻が下がった。


「……ガードマン、健在だね」


「契約更新したんで」


 桜井が「何それ」と小さく笑った。

 去年、桜井が言った「独占契約」の延長線上にある言葉だ。たぶん桜井も分かっている。分かっていて、笑っている。


 少し離れた場所で、佐伯がスマホの画面を見つめていた。

 さっき撮った集合写真を確認しているらしい。


「……文集に使えるかも」


 佐伯の呟きは、イルミネーションの喧騒にほとんどかき消された。

 でも僕の耳には、不思議と届いた。


 ◇


 デッキを降り、駅の南口から住宅街へ向かう帰り道。


 いつの間にか、隊列が分かれていた。

 西村と佐伯が前を歩き、僕と桜井が少し後ろ。

 西村が佐伯の腕を取って何か話しかけているのが見える。佐伯は迷惑そうな顔をしているが、振り払わない。


 冬の夜道は暗い。街灯がぽつぽつと並び、吐く息だけが白く浮かぶ。


「……去年より、賑やかだったね」


 桜井が、前を歩く二人の背中を見ながら言った。


「……うん。でも、去年も悪くなかったよ」


 僕が答えると、桜井の歩みが一瞬止まった。


 半歩。ほんの半歩だけ遅れて、また歩き出す。


 横を見ると、桜井はマフラーに顔を埋めていた。

 目から上だけが見えている。街灯の光が、その瞳に小さく映り込んでいた。


「……うん」


 マフラーの奥から、くぐもった声。


「去年も、よかった」


 それだけ言って、桜井は少しだけ歩く速度を上げた。

 僕の半歩前に出て、追いつかせないくらいの距離を保つ。

 でも、離れていくわけでもなかった。


 マフラーから覗く耳が、街灯の下で赤い。

 寒さのせいだと、思っておくことにした。


 前を歩く佐伯が、ふと右手をコートのポケットに入れた。

 何かに触れたのか、歩みが一瞬だけ止まる。

 すぐにまた歩き出して、何事もなかったように前を向いた。


 ポケットの中に何があったのか、僕には分からない。

 ただ、佐伯の横顔が、ほんの一瞬だけ柔らかくなったように見えた。


「ねー、年末どうする? 初詣とか行かない?」


 西村の声が、夜の住宅街に響く。


「気が早いよ、千夏」


「いいじゃん。四人で行こうよ、初詣!」


「……予定を確認してから答える」


「サエ、それ『行く』って意味でしょ」


「……好きに解釈して」


 前方で続く軽い口喧嘩を聞きながら、僕はポケットの中のスマホに触れた。


 去年は、二人だけの時間だった。

 今年は、四人の思い出になった。


 どちらがいいかなんて、比べるものじゃない。


 ただ——隣にいるのが同じ人なら、どちらでも悪くない。


 桜井が、半歩前を歩いている。

 マフラーに顔を埋めたまま、時々こちらを振り返る。目が合うと、すぐに前を向く。


 その仕草が繰り返されるたびに、ポケットの中の右手が少しだけ熱くなった。


 名前はまだつけない。

 つけたら、この距離が変わってしまう。


 でも、来年もここにいるだろうという予感だけが、冬の夜道を歩く足取りを、少しだけ軽くしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ