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モブ志望の僕は、クラスの有名人に観察係としてスカウトされました  作者: もりぞー


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第7話 テスト前、キャラ変する教室

 期末テスト一週間前の教室は、いつもと空気の色が違う。


 普段なら、真ん中の席から笑い声がひっきりなしに飛んできて、

 窓際の僕の席まで、軽いBGMみたいに届いてくる。


 でも今は、そのBGMが、だいぶボリュームダウンしていた。


「ここ、明日テスト出るぞー。ちゃんと線引いとけよー」


 中村先生の声と、マーカーが板書をなぞる音。

 ノートにシャーペンを走らせる音が、いつもよりはっきり聞こえる。


 真ん中の席をちらっと見ると、桜井も前のめり気味にノートを取っていた。


 いつもの「はい出ました桜井語録」のテンションではなく、

 ちゃんと「テスト前の優等生モード」の顔だ。


(……ちゃんとやるときはやるよな、この人)


 当たり前だけど、人気者=勉強してない、ってわけじゃない。


 板書を写すスピードも速いし、

 たまに先生が例題を出すと、さっと答えを出しているのを何度か見たことがある。


 ただ、普段はそれをあんまり前に出さないだけだ。


(テスト前になると、みんな“隠し属性”を出してくるよな)


 普段はうるさいやつが、急に黙々とワークを解き始めたり。

 いつも静かなやつが、「ここ分かる?」とひそひそ声で質問してきたり。


 そういう変化が、教室のあちこちで起きている。


 その変化に、僕も巻き込まれていた。



「安藤〜、ここ教えてくれない?」


 数学の授業が終わった直後。

 教科書を閉じようとしたところで、前の席の大木がくるっと振り向いてきた。


「この二次関数の、グラフの交点求めるやつ」


「ああ、そこか」


 黒板の例題とはちょっと数字を変えた応用問題。

 途中までは合っているけど、計算の最後でミスっているパターンだ。


「ここまではいいんだけどさ」


「それ、こっち移項するときに符号ひっくり返すだろ」


「あっ……」


「で、そのまま代入して二つ解が出るから、あとは座標にして……」


 ペンを借りて、大木のノートの端にさっと計算を書いていく。


 途中で、隣の席の奥野も身を乗り出してきた。


「あ、それ俺も分かんなかったとこだわ」


「じゃあ一緒に見とけば」


 結局、周りの二、三人も混ざってきて、

 気づけば僕の席の周りに、ちょっとした「ミニ補習コーナー」ができあがっていた。


「安藤、塾行ってんの?」


「行ってないけど」


「なんでそんな分かるんだよ」


「いや、さっきの授業でほぼ同じのやってたし」


「マジか。ちゃんと聞いてなかった自覚はある」


 大木が頭をかきながら笑う。


 その後ろで、奥野が「あとで写真撮らせて」とノートを指さしてきた。


「自分で書けよ」


「それはそれ、これはこれ」


 適当なことを言い合いながらも、

 ノートには一応みんなそれぞれ赤ペンでポイントを書き込んでいる。


(……まあ、“教える係”は嫌いじゃないんだけど)


 こういうときだけ、ちょっとだけ「役に立ってる感」があるのは事実だ。


 ただ、前に立って黒板を使うようなガチの説明役にされると、

 それはそれで目立ちすぎてやりづらい。


 今くらいの、机の周りに数人が集まる距離感が、

 個人的にはいちばんちょうどいい。


 ふと視線を上げると、真ん中の席のほうで、

 桜井がこっちをちらっと見ているのが分かった。


 目が合うと、軽く会釈してくる。


 僕も、ペンを持ったまま小さく頷いて返した。


 それで会話が生まれるわけでもないけど、

 「お互い、テスト前モードだね」という無言の確認みたいなものはあった気がする。



 放課後。


 テスト前ということもあって、部活の時間は少し短縮されているらしい。

 それでも、運動部の連中はグラウンドに出ていって、

 文化部はそれぞれの部室や教室に散っていく。


 僕は、教室で数学のワークを一ページ分だけ進めたあと、

 ノートを閉じた。


(……場所変えるか)


 教室も悪くないけど、誰かが問題を持ってきたら、そのたびに手が止まる。


 さっきの大木たちみたいに、教える側になるのは嫌いじゃない。

 嫌いじゃないけど、自分の勉強もそろそろ真面目にやらないと、

 テストの結果が死ぬのは僕だ。


(静かで、誰も来なさそうなとこ……)


 頭の中で校内マップをめくる。


 図書室は、この時間帯ならそんなに混んでないはずだ。

 自習してるやつが数人いるくらいで、声をかけられる可能性も低い。


 そう判断して、僕は教科書とノートをカバンに突っ込んだ。



 図書室の前の廊下は、思った通り静かだった。


 窓の外から、グラウンドの掛け声がかすかに聞こえるくらい。

 さっきまで教室にいたときより、世界の音が一段小さくなった感じがする。


 ドアの前で、一応「満席だったらどうしよう」と一瞬だけ考えてから、

 ノブに手をかけた。


 がらり。


 ひんやりした空気と、本の匂いがふわっと押し寄せてくる。


 中は、ほぼ予想通りの光景だった。


 本棚の間に、数人の生徒が点々と座っている。

 教科書を開いているやつもいれば、小説を読んでいるやつもいる。


 そして。


 窓際の一番奥のテーブルに、見慣れた後ろ姿があった。


(……いた)


 桜井だ。


 問題集と、ノートと、シャーペン。

 その三点セットだけを机の上に並べて、黙々とシャーペンを走らせている。


 真ん中の島で見せる「中心モード」でもなく、

 屋上や雨の日に見せた「エッセイモード」でもない。


 多分これは、「テスト前の普通の高校生モード」だ。


 誰に話しかけるでもなく、ただ自分の目の前の問題と向き合っている横顔。


 図書室の静けさのせいもあって、教室で見るときより少し大人っぽく見えた。


 僕は、どうしようか一瞬迷う。


(ここでスルーして別の席行くのも、逆に不自然だよな)


 屋上で話して。

 雨の日に会議の話をして。

 コンビニでLINEを交換して。


 そこまでしておいて「図書室では見なかったことにする」は、

 さすがにモブをこじらせすぎだ。


 そう自分に言い聞かせて、足をそっちに向けた。


 近づく途中で、桜井がふっと顔を上げる。


 目が合った。


「あ、安藤くん」


 小声なのに、ちゃんと届くくらいのボリュームで。


「ここ、穴場なんだよ」


 開口一番が、それだった。


「穴場?」


「うん。みんな“勉強しなきゃ”って言いながら、結局教室か、ファミレスか、家でやるじゃん」


「まあ、そうだね」


「図書室は“真面目に勉強してそうな人しかいない”ってイメージあるから、逆に近寄ってこないんだよね〜」


 指先で問題集の角をつんつんしながら、桜井は笑う。


「だから、集中したいときはここ来ること多いかも」


「人気者の隠れ家ってやつ?」


「隠れ家ってほどオシャレじゃないけどね」


 そう言ってから、隣の席を軽く顎で示した。


「座る?」


「いいの?」


「図書室でまで“観察係一人でぽつん”は、さすがにネタになりそうだから」


「ネタになる基準がよく分からないんだけど」


 口ではそう言いながら、僕はその席にカバンを置いた。


 距離的には、教室のときより少し近い。

 でも、図書室の静けさのせいか、変に落ち着かない感じはあまりなかった。


 お互い、まずは教科書とノートを広げる。


 そこで、ふと気づく。


「あ、そのノート」


「ん?」


「この前、コンビニで買ったやつ?」


 桜井が広げているのは、あの透明な表紙の新品に近いノートだ。


「そうそう。早速デビューさせてみた」


 桜井は嬉しそうにページをめくる。


「一冊目より紙質がいい気がするんだよね。やる気出る」


「形から入るタイプだっけ」


「大事でしょ、モチベーション」


 ページをめくる音と、シャーペンの芯が紙をこする音だけが、テーブルの上に落ちていった。



 しばらくのあいだ、本当に何も話さなかった。


 二次関数の応用問題を解いて、

 別のページの図形の証明に手を出して、

 途中で分からなくなって、教科書に戻る。


 その一連の動作を繰り返していると、

 隣から聞こえるシャーペンのリズムが、いつのまにかBGMになっていた。


(これ、意外と悪くないな)


 教室だと、どうしても誰かの声が耳に入ってくる。

 家だと、スマホとか漫画とか、誘惑が多すぎる。


 図書室で、知ってる人が隣にいるけど会話はほとんどなくて、

 それでも完全に一人じゃない、くらいの距離感。


 テスト前には、こういうのもアリだと思った。


「……ねえ、安藤くん」


 何問目かの途中で、桜井がペンを止めた。


 声のボリュームはさっきと同じくらい。

 図書室の空気を壊さないギリギリの小ささだ。


「なに」


「“テスト前にみんなキャラ変する教室”って、ネタになりそうじゃない?」


 やっぱり、エッセイの話だった。

 桜井の声は小さいままなのに、ページをめくる音だけが妙に大きく聞こえた。


「さっきの数学のときもさ。

 普段ぜんぜん発言しない子が、“ここって先生、どうやって解くんですか”って聞きに行ってたり」


「あったね」


「逆に、いつも騒いでる組が、今日は異様に静かだったり」


「テスト範囲がヤバい科目ほど静かになるよね、あれ」


「そうそう」


 桜井は、笑いをこらえるみたいに口元を押さえた。


「そういう“テスト前限定の顔”を、ちょっとまとめて書いてみたいなって」


「“テスト週間だけ別のクラスみたいになる教室”ってタイトル?」


「それ、サブタイトルに良さそう」


 問題集の上に、消しゴムで軽くトントンとリズムを刻みながら、桜井は続ける。


「安藤くんもさ、“教える係モード”になってたじゃん」


「さっきの?」


「うん。大木くんたちに囲まれて、“そこ符号ひっくり返す”とか言ってたやつ」


「見てたのか……」


「見てた」


 即答だ。


「なんかさ、“先生に聞くほどでもないけど、誰かに聞きたい”みたいな空気が、あの辺にじわっと溜まっててさ」


「溜まってるって表現やめてくれない?」


「わりといい意味なんだけどなあ」


 桜井は、シャーペンのキャップをくるくる回しながら言う。


「そういうとき、“じゃあ安藤くんに聞こう”ってなるの、けっこう大事だと思うんだよね」


「大事?」


「うん。“クラスの中で、安心して質問できる相手がいる”っていう安心感。

 それをテスト前にちゃんと発揮してくれる人」


「なんか急にハードル上がってない?」


「観察係兼、“非公式チューター”みたいな」


「役職増やしがちなんだよな、桜井さん」


「だってそのほうが書きやすいんだもん」


 あっさり言われた。


 でも、「書きやすい」と言いながらも、

 その視線にはちゃんと「ありがとう」のニュアンスも混ざっている気がした。


「“テスト前にキャラ変する教室”の話、書くときはさ」


 桜井は、ノートの余白に何かメモを取りながら続ける。


「“いつも通り”を貫いてる人も、一人くらい混ぜたいんだよね」


「そういうやつ、いる?」


「いるじゃん。窓際の二列目に」


「それ、僕のこと言ってる?」


「テスト前になっても、観察係はちゃんと観察係してるからさ」


「してるつもりはないんだけどな……」


 テスト前でも、つい周りの空気を見てしまうのは、

 もう性格みたいなものだ。


 誰が眉間にしわを寄せて、誰がまだ余裕ありそうで、

 誰が笑いながらページをめくるスピードだけ速いか。


 そういうのは、嫌でも目に入ってくる。


「そういうのも含めて、“テスト前の教室”って感じがするからさ」


 桜井は、シャーペンをくるくる回してから、また問題集に視線を戻した。


「まあ、ネタとしてストックしておくだけだけどね」


「また、あのときの“会議回”みたいになるパターン?」


「かもしれないし、ならないかもしれないし」


 曖昧に笑ってから、


「とりあえず今は、この関数のグラフを倒すほうが先かな」


 と、現実に帰還した。


「そこ、分かる?」


 ノートを少しこちらに傾けてくる。


 見ると、さっき僕が大木に説明したのと、ほぼ同じタイプの問題だった。


「さっき教室で聞かれたのと同じやつだね」


「だから、観察係じゃなくて教える係モードも、ちょっとお願いしたいなって」


「観察とチューターの二刀流は、そんなに器用じゃないんだけど」


「大丈夫。“観察してから教える”って流れにすれば、仕事一個にまとまるから」


「雑な合理化しないでくれない?」


 小声でツッコミを入れながらも、

 結局、ペンを手に取って解き方を説明している自分がいる。


 図書室の静けさの中で、

 僕たちの会話は、紙の上を滑るシャーペンの音に紛れて、小さく溶けていった。



 その日の勉強タイムは、結局一時間くらい続いた。


 途中で何度か、「ここ分かる?」と聞かれたり、

 逆に僕が「この公式なんだっけ」と教科書を覗き込んだり。


 会話の内容自体は、ほとんど数学と英語の話だけだったけれど。


 その合間に挟まった、


「“テスト前にみんなキャラ変する教室”、タイトル候補に入れとくね」


 という一言だけが、妙に印象に残った。


(……どんな文章になるんだろうな、それ)


 エッセイは読まない、と決めたのは自分だ。


 決めたのは自分だけど、

 こうやって「ネタ候補」だけ聞かされると、

 完成形をつい想像してしまう。


「じゃ、今日はこのへんにしとく?」


 時計を見て、桜井がペンを置いた。


「そうだね。ありがとう、いろいろ」


「こっちも助かったし。お互い様ってことで」


 問題集とノートをカバンにしまいながら、

 僕たちはほぼ同じタイミングで椅子から立ち上がる。


 図書室を出る前、桜井がふっとこっちを見た。


「ねえ安藤くん」


「なに」


「“テスト前でも、あんまりキャラ変しない人”枠、ちゃんと書くとき大事にしとくから」


「それ、フォローになってる?」


「なってるよ、多分」


 半分あきれながらも、半分くらいは嬉しかった。


 図書室のドアを開けると、廊下の空気が少しだけ湿っていた。

 窓の外には、うっすらと雲がかかっている。


 テスト前で、みんながそれぞれのスイッチを入れ始めている六月の終わり。


 その中で僕は、観察係だか教える係だかよく分からない立ち位置のまま、

 教室の外にも少しずつ自分の居場所が増えていくのを、


 なんとなく、自覚し始めていた。

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