表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/85

第68話 閑話 田中陸は、観客席を立つ兆しを見る

 湊が変わったな、と思ったのは、あいつがスマホを構えたときだった。


 十二月の頭。

 期末テスト前の、平日感を引きずった土曜日。

 駅前のファストフード店は昼時で混雑していて、カウンター近くまで列が伸びている。


 俺は窓際の二人席を確保して、先にチキンナゲットを開けていた。


 湊が来るまで、あと五分くらいだろう。

 あいつは時間にルーズなタイプじゃない。早く着きすぎると目立つからか、いつもぴったりに現れる。昔から、そこだけは一貫している。


 ガラスの向こうに見える駅前ロータリーを眺めながら、ナゲットにケチャップをつける。


 定期連絡。

 どっちかがなんとなくLINEを送って、なんとなく合う日に会う。それだけの集まりだ。


 ただ、今回は俺のほうから呼んだ。


 最近の湊のLINEが、妙に引っかかるのだ。

 前は「テスト前だるい」「今日も生存報告」程度だった内容が、最近は「放課後に記事のレイアウトやった」「写真選びで意見が割れた」みたいに具体的になった。

 あいつは基本、聞かれなければ自分から語らない。なのに、わざわざ日常を切り取って送ってくる。


 何かが変わっている。

 その「何か」を、俺はまだ掴めていない。


 ◇


「……悪い、ぎりぎりになった」


 湊が向かいの椅子に座ったのは、約束の二分前だった。

 マフラーを半分ほどいた状態で、片手にはコンビニのビニール袋。


「いや、予定通りだろ。お前いっつもぴったりだし」


「そうかな」


「そうだよ。遅刻しないけど早くも来ない。絶妙に目立たないタイミング」


「……それ、褒めてる?」


「観察してる」


 湊が微妙な顔をした。

 観察って言葉に引っかかったのか、それとも別の何かか。


「てか、お前先食ってんじゃん。ナゲット」


「腹減ってたからな。お前の分はない」


「別にいらないけど」


 湊はトレイの上にハンバーガーのセットを並べ、ドリンクのストローを差した。


 少しだけ肩の力が抜けているように見えた。

 前に会ったとき――秋ごろだったか。あのときは、もう少し張り詰めた空気を纏っていた気がする。新聞係の人間関係がどうとか、佐伯さんとの距離感がどうとか、そんな話をぽつぽつとしていたっけ。


 今の湊は、あのときよりいくらか穏やかだ。

 穏やかだけど、どこか――落ち着かなさそうでもある。


「で、どうよ」


「何が」


「近況。テスト前で死にそうか」


「まあ、それなりには。古典がやばい」


「古典は知らん。俺のとこ、そもそも出題範囲が違うし」


「聞いたのそっちだろ」


「雑談のフリをした情報収集だよ」


 湊は呆れたように息を吐いて、バーガーの包み紙を開けた。


 しばらく、どうでもいいテストの話が続く。

 俺の高校の数学教師がやたら癖のある問題を出す話。湊のクラスの世界史の先生が板書をノートに写す速度を前提にしていない話。


 こういう時間は嫌いじゃない。

 くだらないことを喋ってるだけで、空気が温まっていくのが分かるからだ。


 ◇


 ポテトが半分くらいになったころ、湊がふとスマホを取り出した。


 LINEの通知を確認した、という感じの動きだ。

 画面を一瞬見て、ロックし直す――はずだった。


 湊の指が、止まった。


 画面を見つめたまま、数秒。

 それから、何かを思い出したように窓の外に目を向けて。

 おもむろにカメラを起動した。


 窓の向こうには、駅前ロータリーの植え込みがある。

 街路樹の枯れかけた葉が風に揺れていて、その隙間から冬の曇り空が覗いている。


 正直、絵になる風景かと言われると、微妙だ。

 映えるわけでもないし、記録に残すほどの情景でもない。


 なのに、湊はシャッターを切った。


 一枚。

 それから、少しだけ角度を変えて、もう一枚。


「……何撮ってんの」


「え? あ、いや。なんとなく」


 湊はスマホをテーブルに伏せた。


「なんとなく、ね」


「うん。なんとなく。……枯葉の色合いがちょっと良かったから」


「お前、いつから風景写真撮る人間になったわけ」


「別に、撮る人間ってほどじゃ――」


「前はそんなことしなかったろ」


 湊が黙った。

 図星、というほど大げさじゃない。ただ、反射的に否定しなかった。

 それだけで、俺には十分だった。


 俺はポテトを一本つまみながら、なるべくさりげなく聞いた。


「それ、誰かに見せるために撮ってない?」


「……は?」


「自分が『きれいだな』って思ったから撮ったんじゃなくて、『あの子ならこれ気に入るかな』って思って撮ってるだろ」


 湊のポテトを持つ手が、ほんの一瞬だけ止まった。


「……違うよ」


「へえ」


「本当に違う。たまたまだよ、今のは」


「はいはい」


 俺は深追いしなかった。

 ここで追い詰めたところで、湊は余計に殻に引っこもるだけだ。あいつは追われると逃げるタイプで、でも逃げたあとに自分で考えるタイプでもある。


 ただ、一つだけ言っておきたいことがあった。


「湊」


「何」


「お前さ、最近"主語"が変わったなって思うんだよ」


「……主語?」


「うん。前のお前って、何かを見るとき"自分がどう感じるか"が先だったじゃん。教室の空気とか、人の動きとか。全部、"僕から見てこうだった"っていう一人称の話だった」


「……そりゃ、僕の話なんだから当たり前だろ」


「茶化すなって。……最近のお前は、"あの人なら、これをどう見るか"が先に来てる」


 湊が、ドリンクのストローを咥えたまま動きを止めた。


「自分のために見てるんじゃなくて、誰かのために見てるだろ」


 数秒の沈黙。


 ファストフード店の喧騒が、急にクリアに聞こえた。

 レジの電子音。隣のテーブルの笑い声。ドリンクサーバーの氷が落ちる音。


 湊は、視線を窓の外に逃がした。


「……別に、そういうわけじゃ」


「否定しきれてないぞ、それ」


「……」


 黙った。

 湊が黙るときは、だいたい二パターンある。本当に何も考えていないか、考えすぎて言葉が出てこないか。


 十何年の付き合いで当てる精度には自信があるが――今のは、たぶん後者だ。


 ◇


 会話の空白を埋めるように、俺はドリンクを一口飲んだ。


 押さない。

 今日は、押さないと決めている。


 前に会ったとき、俺は「裏方って逃げ道になってないか」と言った。あのときの湊の顔――図星を突かれたような目と、それを認めまいとする口元が、ちぐはぐに動いていた。


 あれから何ヶ月か。湊は変わった。

 少なくとも、「誰かのために風景を撮る」程度には。


 それが桜井さんのためだってことくらい、俺でも分かる。

 千夏ちゃん経由の情報と、湊の断片的なLINEを繋ぎ合わせれば、大体の輪郭は見える。


 ただ、湊の変化には妙な硬さも混じっていた。


「なあ、湊」


「……まだ何かあるの」


「文化祭のあと、なんかあった?」


 湊の肩が、ぴくりと跳ねた。


 ほんの一瞬だったが、見逃さなかった。

 幼稚園から十何年、あいつの動揺の種類くらいは見分けがつく。


「……別に。普通に忙しかっただけだよ」


「ふーん」


 嘘だな、とは思った。

 でも、そこを掘る気はない。


 湊が何かを見て、何かを感じて、それを飲み込んだ。

 たぶん、そういうことだ。

 で、飲み込んだあとで「観察係」っていう殻を、前より固くしている。


 分かるのは、そこまでだ。


 俺は幼なじみであって、エスパーじゃない。

 あいつの問題は、あいつが解くしかない。


「……ま、聞かないけどさ」


「助かる」


「ただ、一個だけ」


 湊が、警戒するように目を細めた。


「さっきの写真」


「……だから、あれはたまたま――」


「いや、たまたまでもいいんだよ」


 俺は、ナゲットの最後の一個をソースに浸しながら言った。


「"誰かのために何かを見る"って、モブの発想じゃないだろ」


 湊の視線が、テーブルの上のスマホに落ちた。

 伏せられた画面。さっき撮ったばかりの枯葉の写真が、その裏側に眠っている。


「お前の目線がどこに向いてるか、本人が一番分かってないのが面白いよな」


「……お前に面白がられても困るんだけど」


「面白いって言うか」


 俺は立ち上がって、トレイを持った。


「心配、かな」


 ぼそっと言ったつもりだったが、湊にはちゃんと届いたらしい。

 あいつの目が、少しだけ丸くなった。


「……心配って、何が」


「お前が"観客席"に座ったまま、試合終了のホイッスル聞くことが」


 軽く言った。

 軽く言ったつもりだったけど、声に少しだけ本気が混じったのは、自分でも分かった。


 湊は何も答えなかった。

 ただ、視線をドリンクのグラスに落として、溶けかけの氷をストローでかき回していた。


 ◇


 店を出ると、十二月の風が頬を切った。


「じゃ、俺このあと買い出しあるから」


「ん。……今日はありがとう」


「何もしてないだろ、飯食っただけだ」


「まあ、それはそうだけど」


 湊が、マフラーを口元まで引き上げた。

 白い息がマフラーの隙間から漏れて、すぐに冬の空気に溶ける。


「あ、そうだ」


 思い出したように、俺は足を止めた。


「お前、今日撮った写真さ」


「……まだ言うの」


「消すなよ」


 湊が、怪訝そうにこっちを見た。


「たまたまだろうが、誰かのためだろうが。お前が撮りたいと思った瞬間があったのは本当なんだから。それ、なかったことにするなよ」


 言い終わる前に、湊は視線を逸らしていた。

 マフラーに半分埋もれた口元が、何か言いかけて閉じるのが見えた。


「……うるさいな、お前は」


「外部相談役だからな。うるさいのが仕事」


 手を振って、反対方向に歩き出す。


 十歩くらい進んだところで、俺はちらっと振り返った。


 湊は、まだそこに立っていた。

 ポケットからスマホを取り出して、さっき撮った写真を見ているのか、画面を見つめている。


 消さなかったらしい。


 ――よし。


 まだ動かない。

 あいつはまだ、観客席から立ち上がれていないように見える。


 でも、あの席の居心地が前ほど良くなさそうなのは、さっきの顔を見れば分かる。


 俺にできるのは、ここまでだ。

 背中を押すのは、もう少し先でいい。


 さっき「文化祭のあと」って聞いたとき、湊の肩が跳ねた。

 あれが何だったのか、俺には分からない。

 ただ、あいつの殻が前より窮屈そうに見えたのは、たぶん気のせいじゃない。


 冬の風が、吹き抜ける。

 俺はポケットに手を突っ込んで、駅へ向かった。


 ま、いいさ。

 あいつが自分で動くのを待つしかない。

 外部相談役は、待つのも仕事だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ