表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

63/85

第63話 私の知らない言葉

 十一月に入ると、教室の空気が変わる。

 暖房の埃っぽい匂いと、窓の外の冷たい青が混ざって、息を吸うたびに肺が少しだけ真面目になるような気がする。


 ホームルームのチャイム。

 先生が教卓に「しおり」の束を置く音が、やけに重たく響いた。


「修学旅行の最終確認だ。班行動についてだが、以前伝えた通り、新聞係の四名は『取材班』として動いてもらう」


 担任が淡々と告げる。

 要するに、行動班もいつもの四人で固定ということらしい。


 その瞬間、教室の中央付近から「えー、桜井さん取られたー」という悲鳴が上がった。

 視線を集めた桜井が、周りに申し訳なさそうに、けれど少し困ったように手を合わせているのが見える。


 僕は窓際の、後ろから二番目の席――勝手に「特等席」と呼んでいる場所から、その様子を眺めていた。


 思わず、ため息をつく。

 ――桜井が絡むと、どうしてこう、目立つ。


 ……そう言い切ってしまえたら、たぶん楽だ。


 けれど、胸の奥に引っかかったのは、もっと別のものだった。

 あの文化祭の終わりの時の空気。

 言葉が放たれた瞬間の、外の静けさ。

 思い出すな、と言われるほど鮮明に、勝手に脳裏へ差し込んでくる。


 嫉妬だとか、焦りだとか。

 そういう名前をつけた時点で、僕は一歩踏み込んでしまう気がした。


 期待して、関係を壊すのが怖い。

 だから僕は、いまだけは観察係の仮面を被り直す。


 役割に集中していれば、安全だ。

 考えなくて済むから。


「……湊、『面倒』とか思ってる顔になってるよ」


 右隣の席から、冷静な声が降ってくる。

 佐伯だ。

 彼女は涼しげな瞳で、黒板の予定表を書き写している。


「別に……。新聞係としては効率的だなと思っただけだよ」


 嘘ではない。

 嘘ではないけど、それだけでもない。

 口にできる範囲の理由だけを選んで出す。


「……だね。取材班として動くなら、固めておいた方が話が早い」


 佐伯はペンを止めずに答えた。


 教室の中央にいる西村が、こちらを振り返ってニカっと笑い、口パクで『よ・ろ・し・く』と伝えてきた。

 その横で桜井も、少しだけこちらを見て、ふわりと微笑む。


「で、バスの座席だ」


 担任の声で、教室の空気が一段階上がる。


「基本は班ごとに固まって座ること。班内での席順は自由とする。揉めるようなら、くじ引きでもしろ」


 班ごとの席指定。

 つまり、僕たち新聞係の四人は、自動的に一塊ひとかたまりになるということだ。



「席順、どうしようか!」


 休み時間、西村が僕の席まで跳ねるようにやってきた。桜井も後ろからついてくる。


「私はどこでも平気」


 佐伯が手元のノートを閉じた。


「……くじにする? それが一番早くて公平」


 佐伯が手早くルーズリーフをちぎり、即席のあみだくじを作り始めた。

 こういう時の手際の良さは、さすがだ。


 結果。


 僕の隣は、佐伯になった。

 そして僕たちの後ろの座席に、桜井と西村が座る形に決まった。


「あーあ、湊とサエかぁ。バスの中で物理の授業とか始めないでよ?」


 西村がケラケラと笑う。

 桜井は、くじの結果を見て一瞬きょとんとしたが、すぐにいつもの柔らかい笑みを浮かべた。


「当日よろしくね、安藤くん。……あ、酔い止め持ってるから、必要なら言ってね」


「ありがとう。たぶん大丈夫」


 いつもの会話。いつもの距離感。

 ……だというのに。

 桜井の視線が、僕と佐伯の間を一瞬だけ往復したのを、僕は見えてしまった。


 ◇


 そして当日。

 僕たちは修学旅行のバスに揺られていた。


 僕の隣では、佐伯が膝の上にしおりを広げ、赤ペンを構えていた。


「バスは三時間。着いたあとの動きを、先に決めておきたいね」


 佐伯がしおりの地図ページを指先でなぞる。


「今の時間だと、混むところにぶつかりそう。先に道順だけ決めておかないと、時間が削れる」


「……確かに。この時期だと、駐車場から直行するルートは他校の団体とかち合うかもね」


 僕は佐伯のしおりを覗き込み、自然と同意した。

 人混みは嫌いだ。避けられるトラブルは、事前に回避しておきたい。


「なら、こっちの裏道から回り込むのはどう? 距離は少し伸びるけど、団体の列には巻き込まれないと思う」


「いい。そのルートなら、途中で取材対象の『坂の上のカフェ』も経由できる」


 佐伯が赤ペンでルートを書き込む。

 話が早い。

 パズルのピースがハマっていくようで心地よかった。


 ……心地いいのは、たぶん、そこに“期待”が入り込まないからだ。

 仕事の話は、誰も傷つけない。

 少なくとも、僕が一番怖れている種類の失敗は起きない。


 だから僕は、赤ペンの動きだけを追いかける。

 余計なことを考える前に、次の段取りを埋めるように、気になっていたことを口にした。


「あと、自由行動の集合は、全員揃うのは遅れるかもしれない」


「理由は?」


 僕の頭に浮かんだのは、いつもの二人の動きだった。


「西村さんの買い物と、桜井さんの……『愛想の良さ』かな。

 他班に会うたびに話し込まれて、足が止まるかも。

 桜井さん、自分から会話を打ち切るのが苦手そうだし」


「……なるほど。優等生も楽じゃないね。メモしておくよ」


 佐伯が真顔で書き込む。

 僕は佐伯の赤ペンの動きに合わせて、必要なところだけ口を挟んだ。

 今ここで潰せる面倒は、ここで潰しておきたい。


「――ねえ」


 不意に。

 後ろの座席から、呆れたような声が割り込んできた。

 西村だ。


「あんたたちさぁ、ここバスの中なんだけど? 移動中くらいオフりなよー」


 西村が座席の隙間から顔を出し、面白そうに僕たちを見ている。


「バスが着いた後に困らないための準備だよ」


「はいはい、意識高いこと。……ねえ、すみれも呆れちゃうよね?」


 西村が隣に話を振る。

 僕は少し体を捻って、後ろを振り返った。


 桜井は、窓の外の景色を眺めていた。

 頬杖をつき、バスの窓ガラスに薄く映る自分の顔を――あるいは、その向こうから聞こえる僕たちの会話に、静かに耳を傾けているようだった。


「…………」


 数秒の沈黙があってから、桜井がゆっくりとこちらを向く。

 その瞳は、いつもの「共犯者」としての悪戯っぽい光を宿していない。

 かといって、怒っているわけでもない。

 ただ、どこか色が薄い気がする。


「楽しそうだなって、思ってただけ」


 桜井の声は、軽いはずなのに、どこか薄い。

 怒っているようには見えない。

 ただ、話題の外側に立ってしまった人の音がする。


「凛ちゃんと話してるときの安藤くんって、私の知らない言葉を使うんだね」


「……え?」


「論理的で、無駄がなくて、すごく『仕事仲間』って感じ」


 褒め言葉の形はしている。

 でも、胸の奥が少しだけざわついた。

 その言い方は、僕が“ここ”にいないみたいだったから。


「……私、今の会話には入れないな」


 桜井は笑おうとして、途中でやめたみたいに口元だけを動かして、窓の外へ顔を向けた。


 拒絶、というほど強くはない。

 ただ、目の前で静かに『準備中』のプレートを下げられたような、話しかける隙がない空気。


「……彼女の機嫌を損ねた可能性がある」


 佐伯が小声で言った。

 僕は短く息を吐いて、シートに背中を預け直す。


「……かもね。一旦、休憩しようか」


 しおりを閉じる。

 窓ガラスに映る桜井の横顔は、どこか遠くを見ているようだった。


 彼女が何を思ったかは、聞かない限り分からない。

 だから僕は、いまは余計な言葉を拾わずに、また「観察係」の仮面を被り直した。

 そのほうが、間違えにくいからだ。


(……これで、いい)


 胸の奥がチクリと痛むのを、僕は無視した。

 期待して踏み込んで、もし間違えたら。

 その後の空気が、取り返しのつかないものになる気がした。


 バスのエンジン音が、低く唸る。

 背中越しに感じる無言の圧力が、「それでいいのか」と問いかけてくる気がして、僕は目を閉じた。


 ◇


 一時間後、バスはサービスエリアに到着した。

 休憩時間は三十分。


 トイレ休憩を済ませ、人混みを避けるように駐車場の端へ向かう。

 冷たい風が、火照った頬を撫でていくのが心地よかった。


 軽く背伸びをして、息を吐く。

 その袖を、背後から誰かがくい、と引いた。


「……安藤くん」


 振り返ると、桜井が立っていた。

 手には、二つのお茶のペットボトル。


「はい、これ」


 有無を言わせぬ勢いで、一つが僕の胸に押し付けられる。


「……ありがとう。でも、なんで?」


「さっき、ちょっと変だったから」

 

 桜井はそう言って、視線を逸らした。

 謝っているのか、誤魔化しているのか、僕には判別がつかない。


「二人ともさ、すごい勢いで進めるじゃん。置いていかれると、ちょっと悔しい」


 冗談みたいな言い方。

 でも、言い終わったあとに一拍だけ、間が落ちた。


「……ごめん」


 僕は反射で謝ってしまって、続きの言葉を飲み込んだ。

 下手に踏み込むと、ここから先は危ない気がしたから。


「取材の段取り、あとで私にも共有して」


「うん。共有する」


 役割の話に戻す。

 それなら僕は、間違えにくい。


 桜井は、満足げに一つ頷くと、


「ありがと」


 とだけ言って、小走りで西村のほうへ戻っていった。


 手の中には、温かいお茶。

 温度はあるのに、胸の奥は冷えたままだ。


 期待するな。

 期待した瞬間、壊れる。


 僕はキャップを開けて、一口だけ飲んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ