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「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


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第45話 図書館の結界と、ファミレスの定位置

 体育祭の「号外」は、勢いで出し切った。

 けれど、学期末に出す新聞はそうはいかない。


 写真の整理というのは、だいたい「終わった」と思ったあとに、本当の審査が始まる。

 今、まさにそんな感じだ。


(この一枚、良い)


(でも、紙面に置くと主張が強い)


(じゃあこれ……いや、こっちか)


 脳内の審査員がやたらと厳しい。

 そのくせ、判断基準は曖昧だ。体育祭のときの熱気が、僕の感覚を少し狂わせているのかもしれない。


 ふと時計を見る。

 今から出ると、待ち合わせの時間を少し過ぎそうだった。

 ポケットの中でスマホが震えた。


『先についたし、席取っとくね 穴場の続きだよ』


 桜井からのメッセージ。

 穴場の続き、という言い方が桜井らしい。


『今出る 少し遅れるかも ごめん』


 短く返して、僕はノートPCを閉じた。

 メモリーカードと、選定候補の写真をバッグに放り込む。


(期末前に何やってるんだって話だけど)


(期末前だから、やってるんだよな)


 妙に納得して、僕は駅へと走った。



 日曜の図書館は、深海みたいに静かに混んでいた。

 静かに、というのがポイントだ。

 人口密度は高いのに、音だけがフィルターかかったみたいに消えている。

 椅子を引く音すら、全員で相談して音量を下げているような空間。


 自習席の列を抜け、奥の長机を探す。

 見つけた瞬間、視線が吸い寄せられた。


 桜井が、いた。


 いつもの制服ではない、緩いニットの私服姿。

 髪を高い位置で束ねたポニーテールが、窓からの光を透かしている。

 無防備に晒されたうなじが、教室の「優等生・桜井すみれ」とは違う、オフの空気感を漂わせていた。


 そして。

 なぜか桜井の席の隣の椅子に、バッグが鎮座している。

 図書館、隣の席というシチュエーションで一年の終わりの記憶がよみがえってくる。


(……えっと)


 あの時も、席は隣だった。

 ただ、別にそこが僕の席だと決まってるわけじゃない。


 けれど、そのバッグの置き方は雄弁だった。

 ここは予約済みです。関係者以外、立入禁止。

 そんな「結界」が張られているみたいだ。


 桜井が顔を上げた。

 僕と目が合うと、ふわりと表情が緩む。


「安藤くん、来た」


「遅れてごめん」


「ううん、大丈夫。……ちょっとだけ遅かったね」


 責めていない口調なのに、言葉の先端が少しだけ尖っている。

 刺すときの桜井は静かだ。

 図書館の空気に馴染みすぎていて、逃げ場がない。


「そのバッグって……?」


「席、取ってた」


「……ここ、僕が座るってことになってるの?」


「なってるよ?」


 言い切ったあと、桜井はふいっと視線を窓の外へ逃がした。

 その横顔が妙に真面目で、僕はふざけて返す隙を失う。


「これは占領では……」


「占領じゃなくて、確保だよ。確保」


 桜井は悪戯っぽく口角を上げると、バッグを持ち上げて自分の足元に置いた。

 ぽん、と空いた座面を掌で叩く。

 座れ、という無言の合図だ。


 僕が腰を下ろすと、彼女は何事もなかったように教科書を開き直した。


「写真、持ってきた?」


「持ってきたよ。遅刻の原因だけど」


「原因なんだ?」


「勉強からの現実逃避にはちょうどいいアイテムだから」


「ふふ。それ、分かる」


 桜井が短く笑って、ペンを握る。

 そのとき、反対側の椅子が引かれた。


「予定より五分遅刻した、ごめん」


 佐伯だ。


「遅れた人がもう一人増えた」


「私は誤差の範囲だよ」


「誤差って便利な言葉だよな」


「便利な言葉は、説明がいらないから」


 佐伯が淡々と言い切り、どさりと参考書を積んだ。

 そのドライなやり取りを、桜井が横から拾う。


「物は言いよう、だね」


「……うん」


 僕の返事が短くなったのは、たぶん図書館のせいだ。

 桜井との距離が、学校の机よりも近いせいではない。たぶん。


 佐伯が机の上を見回し、僕と桜井の配置を確認する。


「席、編集のときと同じだね、合理的」


「ほら」


 桜井が小声で言う。

 勝ち誇った感じはないのに、勝ちを確定させてくるトーンだ。


「何がほらなの」


「隣のほうが、相談しやすいでしょ」


「相談するつもりだったの?」


「……するつもりで取った」


 取った、という言い切り。

 席は物じゃないのに、彼女の中ではすでに所有権が発生しているらしい。


 佐伯がプリントを机に広げた。


「期末まで、残り十日だね」


「言葉で殴らないで」


「事実だから」


「事実で殴るのが一番痛いんだよね……」


 僕がぼやくと、桜井がノートの端を指でとんとん叩いた。

 静かに笑っている。


「じゃ、そろそろ勉強する?」


「そうだね。……写真は、休憩のときにでも」


「了解。まずは現実を見ようか」


「現実、見たくないなぁ……」


 僕はため息交じりにノートを開き、英語の長文読解を始めた。

 カリカリ、というペンの音だけが響く。

 静寂の中で、思考だけが滑っていく。


 ふと、視線を感じた。

 顔を動かさず、目線だけを横に向ける。


 桜井が、僕のノートを覗き込んでいた。

 近い。

 彼女のシャンプーの匂いが、古本の匂いに混ざって漂ってくる。


「……安藤くんの字、落ち着くよね」


「急に何」


「なんでだろうね?」


「それは僕が聞きたいよ……」


「私には、ちょうどいい字なんだよ、きっと」


 ちょうどいい。

 どうとでも捉えられるその言葉が、耳の奥に残る。

 覗き込む彼女のまつ毛が、瞬きのたびに震えているのが見えた。


 桜井自身も、口にしてから少し不思議そうな顔をした。

 単なる事実を述べただけ、という顔で小首を傾げている。


「……だから、隣で見ててもいい?」


「見てないで勉強しよう」


「ふふ。即答」


 桜井は視線を戻すと、付箋にさらさらと何かを書き、僕のノートの端に貼り付けた。

 「落とした」のではなく、明確な意思を持って「貼った」音だった。


(あの時の図書室でも、こんなことあったな……)


 文字を見る。


『集中できてる?』


(……できてないのがバレてる)


 顔を向けると、桜井は何事もなかった顔で問題集に戻っている。

 声を出せない代わりに、文字で刺してくる。

 このアナログな通信手段が、デジタルのメッセージよりも温度を含んでいる気がして、僕は少しだけ居住まいを正した。


 自分の付箋を一枚剥がし、短く返す。


『頑張ります』


 桜井のペン先が一瞬止まって、また動いた。

 止まった理由は分からない。

 けれど、机の上の空気が、ふわりと甘い成分を含んだ気がした。


 そのタイミングで、今度は別方向から椅子が引かれた。


「見ーつけた。遅刻しちゃったよ!」


 西村だ。

 図書館という空間に似合わない、極彩色のテンポで現れる。


「声」


 僕が言うと、西村は口元を手で押さえ、わざとらしく囁いた。


「静音モードですぅ」


「わざとらしい……」


「褒め言葉、あざっす」


 西村が空いている椅子に座ろうとして、僕と桜井の配置を見た。

 にやり、と口元が歪む。


「あれ、相変わらず夫婦席?」


「夫婦席じゃないよ」


 桜井が小声で即否定する。

 普段なら流すところを、珍しく反応が速い。

 食い気味だった。


「たまたまだよ」


 僕が付け足すと、桜井がすがるような目で僕を見た。

 ごまかして、と目が言っている気がする。


「はいはい。たまたまね、たまたま」


 西村がニヤニヤしながら、鞄を下ろす。


「で、湊。静かなハーレム形成中じゃん」


「図書館でハーレムって何だよ」


「静かだと余計に背徳感ない?」


 西村の囁きが、全然静かじゃない。

 すぐ背後から、咳払いが一つ、重たく落ちてきた。


「お静かにお願いします」


 司書さんの笑顔。

 笑顔の形をした、絶対零度の圧力。

 西村が反射的に背筋を伸ばした。


「すみません。反省します」


 反省の速度だけは速い。

 だが、その有効期限はカップ麺より短い。

 西村が限界そうな顔で小声をもらす。


「ここ、私には向いてないね」


「確かにね」


 思わず即同意してしまう。


「やっぱりきつかった。というか、もう無理。窒息する」


「限界早いね」


「だって静かすぎるもん。文字が私を殴ってくる」


 僕は机の上を片付けながら、桜井を見る。

 桜井は問題集を閉じて、少しだけ口元をゆるめて頷いた。


「移動しようか」


「……賛成。ここ、西村と相性悪いね」


 佐伯が結論を置く。

 結局、僕たちは静寂から追い出されるように、席を立つことになった。



 駅前のファミレスは、適度な喧騒に満ちていた。

 食器が触れ合う音、注文を繰り返す声。

 図書館の静けさと180度違うけど、ここでは心地よいBGMになる。


 四人掛けのボックス席。

 奥に佐伯と西村。

 手前に、僕と桜井。


 座る流れで、桜井は何の迷いもなく僕の隣を選んだ。


(……偶然、だよな?)


 そう思って、この件はいったん棚上げした。

 どうせ考えても結論は出ない。


 西村がドリンクバーのメニューを開きながら、ニヤリと笑う。


「はい、やっぱり湊ハーレムじゃん」


「さっきと同じネタだし。……いつもの編集部じゃん」


 僕はため息混じりに即答した。

 色気のない返しをしておかないと、西村の燃料になるからだ。


「なんか、編集部って呼び方定着したよね~。ほんとは(仮)がつくけど!」


 西村が茶化すように言う。

 佐伯が水を一口飲み、冷静に分析を入れる。


「席の並び、図書館のままだね。意図的かな?」


「意図的じゃない」


 僕が言う。


「意図的じゃ、ないよ」


 桜井も重ねる。


「一致してるじゃん」


 西村が笑う。


 僕は視線だけで隣を見た。

 桜井はストローの袋を丁寧に折りながら、何でもない顔をしている。

 だが、その肩は僕の肩と触れるか触れないか、ギリギリの距離にある。


(……何でもない顔が、上手すぎる)


 この数センチの隙間だけ、他人が入り込めない密度になっている気がした。


 西村が僕のノートを指でちょんと叩く。


「で、勉強会ね。サエ先生、今日の授業は?」


「先生ではないけど」


「先生だよ。最適とか合理とか言ってくるし」


「言ってないよ。今日は現実を言ってるだけ」


「現実がいちばん痛いんだってば」


 佐伯が容赦なくプリントを机に広げる。


「前提ね。期末まで十日だから」


「また殴った!」


「殴ってないよ。確認しただけ」


「確認がボディブローになってる……」


 西村が机に突っ伏す。

 その様子を見て、桜井が笑いを飲み込むように口元を隠した。


「ふふっ」


 楽しそうな声が、すぐ隣で弾ける。

 僕もつられて、少しだけ頬が緩むのが分かった。


 ハーレムなんて華やかなものじゃない。

 ただ、この騒がしくて、合理的で、少しだけ距離の近い空間が、今の僕の定位置になりつつある。


(……まあ、いっか)


 僕は桜井が開いた教科書の、ちょうどいい文字を眺めながら、ペンを回した。

 期末前の憂鬱さは、ファミレスの喧騒に紛れて、どこかへ消えていった。

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