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「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


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第44話 泥だらけの手と、正しすぎる写真

 体育祭当日の校庭は、いつもの倍の密度で音が詰まっていた。

 笛、太鼓、実況、歓声。それらが混ざって、ザラザラした砂の塊になって鼓膜を叩く。


 ポケットのスマホが震えた。西村が勝手に作った共有アルバムに、写真が追加された通知だ。

 写真係は、スマホ班と一眼レフ班(僕)の分業制だ。スマホ班が全生徒を網羅的に撮り、僕はその隙間を埋める役として、一眼レフで「紙面の核」を拾う。


 走るのは必要なときだけでいいし、叫ばなくていい。レンズというフィルターを一枚挟むだけで、この世界と安全な距離が保てる。


 バッテリー残量は満タン。予備もあり。

 ポケットの中には、昨日桜井に返してもらったメモが入っている。

 汗を吸って、紙が少しふやけていた。


「湊ー! 今のいい顔撮れた?」


 西村の声が、校庭の上を滑ってくる。

 あいつには実況の才能がある。いらない方向だけど。


「顔は撮ってないよ。手元を先に撮ってるから」


「手元優先。はい出た、地味に強い撮り方!」


「地味に強いって何」


 言い返したときには、西村はもう別の場所へ走っていた。

 台風みたいなやつだ。


 その直後、横から短い声が刺さってきた。


「安藤くん。次、トラック南側。逆光に気をつけて」


 佐伯だ。

 首からストップウォッチを下げ、体の向きがすでに「次」を向いている。


「了解」


「遅れたら次の走者が被る。アングル確保の猶予はあまりないかも」


「プレッシャーのかけ方がすごい」


「写真係の宿命だね」


 佐伯が淡々と返す。


 僕は走った。

 だいたいの位置取りは確認済みだ。


 トラックの南側。パン食い競走が始まっている。

 揺れるパン。必死に伸びる顎。爆笑。

 パンが落ちて、誰かが拾う。その指先が、競技そのものより真剣に見えた。


(こういう瞬間も体育祭だよな)


 僕はシャッターを切る。


 次はクラス対抗リレーの予選。

 バトンの受け渡しミス。空を掴んだ手。

 その「一瞬のズレ」にこそ、物語が宿る気がする。


 僕は静かにシャッターを切り続けた。

 向こうに桜井の姿が一瞬見えた気がしたが、ファインダー越しだと距離感が掴めない。

 きっと、気のせいだ。



 午前が終わり、午後に入る。

 喧騒が一段落し、みんなが水筒と日陰に群がる時間帯。


 僕は本部テントの横へ回り込んだ。

 そこには、昨日の会議通り、朝イチで佐伯が設置した段ボール箱が置かれている。


『質問カード 回収箱』


 角がガムテープで補強されただけの無骨な箱。

 砂まみれの机の上で、黙々と役割をこなしてる。


 ここに書いてもらった質問カードを入れてもらう段取りになってる。


 箱の前で、誰かが足を止めた。

 泥と砂で黒くなった手が、カードを一枚、ぎこちなくねじ込む。

 爪の隙間にまで、校庭の砂が入り込んでいる手だった。


(……地味だけど)


 反射的にシャッターを切る。

 構図は手元のアップ。箱の『回収』の文字が見切れるギリギリ。

 泥の感触が、レンズ越しに伝わってくる。


 そういうことをしてる間にも、共有アルバムが更新され、新しい写真が次々と追加されていく。

 僕は流れてくる写真をざっと確認し、足りない場面を埋めに走る。

 順調すぎる。

 けど何も起きないときほど、水面下で何かが起きている気がする。



 そろそろ体育祭の終わりに近い時間。

 テント裏で、佐伯が机に、先生から特別に借りた学校備品のノートPCを開いている。


 僕はカメラの再生画面を開き、昨日決めた「撮る順メモ」を思い出す。

 『スタート前のバトン』、『ゴール直後の顔(引き)』、『教卓の回収箱(コメント枠)』。


 今必要なのは全部じゃない。勝負になる数枚だけだ。

 僕は該当カットにだけチェックを付けていく。


「候補、送るね」


「三枚でいい」


「了解」


 佐伯の指示は短い。だから、僕の返事も短くなる。

 PCの画面に、写真が並ぶ。


「トリミングはいる?」


「いらない。これで問題ない」


「次はレイアウト組むの?」


「そう。組む」


 会話のキャッチボールが速い。

 パズルのピースが勝手にはまっていくような速度感。


「湊とサエ、会話が流れ作業すぎない?」


 西村が横から覗き込み、ケラケラと笑った。

 手には配布用の紙束。


「西村さんの実況がノイズなんだよね」


「ノイズは体育祭の華でーす」


「華なら何でも許されると思わないでよ……」


 佐伯は画面から目を離さないまま、平坦に告げる。


「体育祭の終わりに合わせて刷りたい」


「かなりギリギリだけど何とかなるかな~?」


「そのために今やってる」


 そのときだった。

 背後の空気が、ふっと下がった。


 振り返ると、桜井が立っていた。

 片手に印刷用の原稿。

 もう片手で、自分の体操服のズボンの裾をきゅっと掴んでいる。


 桜井の視線が、画面と、僕と、佐伯の間を往復した。

 そこに入り込む隙間を探すような、迷子みたいな目。


「……待って。いったん止めて」


 声は丁寧だった。

 けれど、その「待って」は提案ではなく、制動だった。


「え? 何か気になるところあった? 紙面的には大丈夫だと思うけど……」


 僕がそう返すと、桜井の眉がわずかに動いた。

 なぜか、いつも通りではない感じがする。


「正しいんだけど……“正しすぎる”」


「……正しすぎるって?」


「なんか、その……理屈っぽい正解の出し方、安藤くんと佐伯さん、似てる」


 西村が「おお」と小さく声を漏らす。面白がってるような音だ。


「え? 似てないよ」


 僕が即否定すると、桜井は唇を少しだけ結んだ。

 優等生の仮面が、少しだけズレている。


「似てるよ。言葉が短いところとか。……あと、二人だけで通じちゃってるところとか」


 最後の言葉は、独り言みたいに小さかった。


「……これだと紙面で、体育祭の、あの砂っぽい感じが消えちゃう」


 砂っぽい感じ。

 その抽象的なオーダーこそが、桜井だ。

 けど、今の僕には、その感覚の理解が追い付いていない。


「読者、置いてかれないかな」


 置いていかれるのは、読者か。

 それとも、桜井自身か。


 僕は一瞬、反論しかけて飲み込んだ。

 桜井が求めているのは、正誤じゃない。

 たぶん、僕と佐伯がスピードを求めて切り捨てた「温度」だ。


 佐伯が首を傾げた。


「温度……具体的に、何が足りない?」


「えっと……」


 桜井が言葉に詰まる。


「……うまく言えない。でも、違うの」


 西村が肩をすくめる。


「はいはい、編集長の直感タイム来ましたー。サエ、今の顔、ちょっと困ってたでしょ」


「うん、ちょっとね」


「目が『処理落ち』って言ってた」


「そこまでは困ってないよ」


「西村アイは誤魔化せない」


 西村の茶化しが入っても、桜井の表情は晴れなかった。

 彼女は頑固だ。

 納得できないものには、絶対に許可を出さない。


 僕は画面を見つめ直す。

 並んでいる写真は、どれも完璧な「体育祭」だ。

 笑顔、疾走、ゴールテープ。

 情報は揃っている。でも、揃いすぎていて、熱気が伝わってこない……のか?


(正しいのに、違う……?)


 僕の中で、さっき撮った「地味な一枚」が引っかかった。

 たまたま、だけど何となく気になって撮ったあのカット。

 そのカットを探して、佐伯のノートPCへ送信する。


 泥だらけの手。

 くしゃくしゃのカード。

 回収箱。


 この三つが入った写真が画面に映った。


「これなら、どう……かな?」


 僕が聞くと、みんなが画面に映る写真に目線が行く。

 桜井は瞳を丸くし、険しい色が消えていくようにみえた。


「……うん。温度がある」


 その一言で、正解が出た。

 温度とは、つまり「人の気配」だ。

 綺麗に整えられた結果じゃなくて、泥臭い過程が欲しかったのか。


「これ、見出しの横に置きたい。……泥だらけの手で、ちゃんと『つないでる』よって」


 桜井の声が弾む。

 佐伯も、画面を見て短く頷いた。


「なるほど。過程が大事なんだね」


 西村が笑う。


「でも、ちょっと分かる。泥はエモい」


 三人が納得したみたいで、空気が戻ってきた。

 それを感じて、僕はこっそりと息を吐いた。


 佐伯が時計を見る。


「もうそろそろ時間だね。印刷室へ行かないと」


「よーし、あとちょっとだ!」


 西村が笑いながら、紙束を抱え直した。


「号外だ号外だ!砂の匂い付けてくぞー」


「匂いは付けなくていいんじゃ?」


「青春は吸着性高いから、勝手に匂いがつくんですー」


 意味の分からない理屈だが、妙に説得力があった。



 印刷機が唸った。

 うぃん、がしゃ、という音が、体育祭の喧騒とは別のリズムを刻む。


 吐き出される紙は、片面のモノクロ。

 『学級新聞 体育祭速報、号外』。


「号外! 号外! できたてホカホカ!」


 西村が、インクの匂いのする紙を掲げて走っていき、みんなに配り始めた。

 それを受け取ったクラスメイトの声が聞こえてくる。


「泥の手、なんかすごくね?」


「これ誰の手だよ」


「うちのクラス、泥率高くない?」


 笑い声が上がる。

 たった紙一枚で、競技でピリついた空気が中和されていく。


 ……間に合った。

 胸の奥に溜まっていた息を、ようやく外へ逃がす。


 号外は、ちゃんと届いた。

 泥だらけの手も、僕らの言い訳も。


 閉会式前。

 僕らはテント裏で片付けを始めた。


 カメラの電源を落とし、レンズキャップを探す……けど。


 ない。


 ポケットを探っても、机の下を見てもない。


(どこかで落としたかな……?)


 探しに行かないといけないかもと考えていた、そのとき。


「これ」


 不意に、目の前に黒い円盤が差し出された。

 桜井だ。

 いつの間に拾っていたのか。そういうところは、本当に抜け目がない。


「……ありがとう」


 桜井の手からキャップを受け取る。

 その一瞬、彼女の指先が僕の指に触れた。

 意図的か偶然か分からないくらいの、ほんの一瞬。


「はい、観察終了だね」


 桜井が小さく笑った。

 そして、誰にも聞こえないような声量で囁く。


「お疲れ様、観察係さん。……ね、やっぱり、私の言った通りにして正解だったでしょ?」


 その呼び名を聞くと、変なスイッチが入る感じがする。

 教室では優等生。その呼び名のときは秘密を共有する共犯者。


「はいはい。編集長の言う通りです」


「ふふ。素直。……あの写真、とても素敵だったよ」


 桜井はそれだけ言って、すっと体を離した。

 何事もなかったような顔で、自分の荷物をまとめている。


 僕はつられて空を見た。

 夕焼けが、校舎の端に引っかかっている。

 写真よりも色が濃い。

 肉眼の補正機能は、やっぱり優秀だ。


 そのとき、ポケットのスマホが短く震えた。

 佐伯からのグループメッセージだ。


『号外配布が終わったよ。反応もかなり良い。「泥」が決め手だったね。お疲れ様。明日、教室で』


 僕は画面を見つめて、小さく息を吐いた。

 「泥」が決め手だと、あの佐伯が言い切った。それだけで今日の騒ぎが、ちゃんと結果に変換された気がする。


 僕は短く打ち込む。


『了解』


 送信してから、もう一度さっきの写真を開いた。

 画面の中で、泥だらけの手がカードをねじ込んでいる。

 爪の間の砂も、肌の汚れも、今は汚く見えない。

 それは確かに、今日という一日がそこに「あった」証明だった。


(悪くない……かな)


 綺麗なだけの言葉より、この泥のほうが、今の僕たちには似合っている。


 カメラをバッグにしまい、ファスナーを閉める。

 ジッ、という小気味よい音が、祭りの終わりを告げていた。

 心地よい重さが、肩に残る。


 明日、教室で。

 その言葉が、いつもより少しだけ楽しみな響きに聞こえた。

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