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「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


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第43話 前夜の余白と、消された文字

 放課後の廊下は、いつもの倍の密度で音が詰まっていた。

 体育祭の前日というだけで、校舎全体の温度が二度くらい上がっている気がする。たぶん、みんな緊張を誤魔化すために、声を張り上げているんだと思う。


 教室へ戻る途中、黒板の横を見る。

『つなぐ挑戦』という文字は相変わらず息をしていて、その隣の『掲載ルール』も、もはや壁のシミと同じくらい風景に溶け込んでいた。


「はい、編集部(仮)集合。前夜祭の準備するよー」


 西村が、教室のドアを肘で押し開けながら入ってきた。

 言い方だけはイベントっぽいが、抱えているのは無骨な段ボール箱だ。


 ドサッ。

 机に置かれた音が、物理的に重い。


「前夜祭なの……?」


「じゃあ何。編集部の夜勤?」


「夜勤は違うだろ……」


 僕が突っ込むと、西村はニヤリと笑って箱を開けた。


 そこへ、佐伯が現れた。

 まだ制服のままなのに、体育祭当日の運営マニュアルを全部読み込んだような顔をしている。


「質問カード、直したよ」


「え、もう?」


「もう」


 佐伯は短く断定すると、プリントの角をトントンと机で揃えた。

 整列する紙の束。それを見るだけで、浮ついた僕の心拍数が強制的に整えられる気がする。


「サエ、仕事早すぎ。体育祭も前倒しで終わらせる気?」


「時間は可変じゃないから不可能だね」


「即否定。さすが!」


 西村とのコントみたいなやりとりも、最近の日常だ。


 僕は渡された紙束を覗き込んだ。

 質問カードの文面、回収の仕方、そして明日の動線。恐ろしいほど細かく書かれている。


「これ、集合場所の細かい指定まで書いてある……」


「明日の朝、混乱すると写真の質が落ちるから」


「写真係、湊だもんね」


「そういうプレッシャーのかけ方はやめて……」


 西村が肘で僕の脇腹を小突く。

 痛くはないが、責任の重さが痛い……。


 その騒ぎの中、桜井が少し遅れて教室に入ってきた。

 廊下の熱気を背中で断ち切るように、静かにドアを閉める。


「二人とも、声、廊下まで聞こえてるよ」


「ごめんごめん、すみれ。湊いじるの楽しくてさ~」


「楽しまないでよ……」


 僕が抗議すると、西村は笑って両手を上げた。反省の色はゼロだ。


 佐伯が時計を一瞥し、淡々と業務連絡に戻る。


「明日の集合は七時十分。校庭の南側。写真係はバッテリー確認、忘れないで」


「実感が追いつかないけど……了解」


「お願い」


 佐伯は真顔で僕を見据える。

 西村が肩をすくめた。


「湊、今日中に確認してね。サエが夜にも追いLINEしてくるやつだから」


「予言?」


「いいえ。事前確認は当然でしょ?」


「……さすがサエ。徹底してる」


 そのまま、佐伯は必要な紙だけを抜き取り、桜井に手渡した。


「桜井さん。導入の文章、今日中に一度決めておきたい」


「うん。やってみる」


 桜井の返事は柔らかいが、芯がある。

 その声が落ちただけで、教室の湿度がすっと下がり、快適な空調が効いたような気がした。


「私は印刷室へ行くね」


「じゃ、私は装飾班の様子見てくるわ。体育祭前夜の空気、吸ってくる」


「吸ってどうするの……」


「青春は吸引。湊は排気」


「意味が分からないよ」


「分からないままでいいよ。湊はそういう生き物だから〜」


 西村は勝手な定義を残し、ひらひらと手を振って出ていった。佐伯も、最短ルートで教室を出る。


 パタン、とドアが閉まる。

 教室の音量が、急に半分以下になった。


 残ったのは、紙の擦れる音と、遠くから聞こえる運動部の掛け声だけ。

 夕方のオレンジ色の光が、机の角をやけに真面目に照らし出している。


 そんな中、桜井が僕の机の横まで歩いてきて、そこで止まった。


「安藤くん。……少しだけ、いい?」


「ん、どうしたの?」


「うん。ちょっと相談」


 桜井は、プリントを一枚、僕の机の上にそっと置いた。


「体育祭号の、導入のところ。私の匿名のアレじゃないほう」


「アレって言わなくてもわかるけど……新聞の導入のところだよね?」


「そう。分かってるけど、言いたくなる日ってあるんだよ」


 桜井は小さく笑って、机の端に指を添えた。

 座らない。

 その立ったままの距離感が、今の僕たちの「編集部」としての距離だ。


「読んでみてもいい?」


「どうぞ」


 僕が促すと、桜井は紙面を見下ろし、小さく息を吸ってから読み上げた。


「『体育祭の前日は、教室が少しだけ落ち着かない。明日の天気の話と、靴紐の話と、いつもより多い深呼吸』」


 そこで一拍。

 桜井の指が、次の行をなぞる。


「『そんな中、この体育祭号でいちばん拾いたいのは、練習の成果じゃなくて、“誰かの一言で助かったこと”だ』」


 読み終えて、桜井が顔を上げた。

 目が合う。すぐには逸らさない。

 ただの確認じゃない視線だ。


「……どう?」


「どうって?」


「刺さらない?」


 桜井の声は穏やかだ。

 けれど、その問いには明確な線引きがあった。

 文章の良し悪しよりも、その言葉が誰かを傷つけないか。そこだけを恐れているように見えた。


 僕は紙面に視線を落とす。

 文章は、桜井らしく丁寧で、温度がある。

 だからこそ、少しの言葉選びで伝わり方が変わる。


 言うべきか、黙って「いいと思う」と返すか。


 去年の僕なら、迷わず後者を選んでいただろう。波風を立てず、ただの観客として頷くのが、一番安全なモブの処世術だからだ。

 

 でも、今の僕は「編集部(仮)」の一員だ。

 ここでの沈黙は、優しさじゃなくて、ただの手抜きになる。


「無理に言わなくてもいいよ?」


 僕が思考を回している間に、桜井が先に逃げ道を置いてきた。

 その気遣いの置き方がうまい。腹が立つほどに。


 僕は一度、浅く息を吐いた。

 窓の外で誰かが「うおお」と叫び、すぐに笑い声にかき消される。


「……えっと」


「うん」


「少しだけ、気になるところがある……かな」


 自分で言って驚いた。僕の声は、思ったよりはっきりしていたから。

 桜井の長いまつ毛が、一度だけぱちりと揺れた。


「『助かった』っていう切り口は、いいと思う」


「……あ」


 桜井が、小さく目を見開いた。


「そこ、一番悩んだところなんだ」


「そうなの?」


「うん。だから……肯定してもらえて、ホッとした。ありがとう」


 桜井が少しだけ口元を緩めた。

 強張っていた肩の力が、ふっと抜けるのが見えた。

 僕の言葉が届いたことに、安堵してくれたらしい。


「……お世辞じゃないよ」


「ふふ、分かってる」


 僕は紙面の二行目を、指先で――いや、少し迷ってから、そっと示した。


「……たとえば、ここなんだけど。『拾いたい』って書いちゃうと、“誰かの一言”を探せなかった人とか、思い出せなかった人が、置いていかれちゃう……かも、って」


「置いていかれる……」


「体育祭くらい、全員の時間にしたい……なんて、僕の考えすぎかもしれないけど」


 言い終えてから、背中が少し熱くなるのを感じた。

 僕にしては、少し踏み込みすぎたかもしれない。


 でも、桜井は否定しなかった。

 ポケットからペンを取り出し、紙の余白に小さく印を付ける。


「じゃあ、どう言う?」


「……『ふと耳に入った』とか」


「ふと」


「勝手に聞こえてきた感じが出る……気がする。拾うって言うと、いい話を探す作業感が強いから」


「作業感かぁ、なるほど……」


 桜井がその言葉を口の中で転がす。

 その瞬間、彼女の瞳から「クラスの中心女子」の色が消え、純粋な編集者の色が混ざる。


「取材っぽくしすぎると、固くなるもんね」


「そう」


「その、考え方……」


 そこで、桜井は言葉を切った。

 ペン先が紙の上で迷子のように一周して、余白に小さな点を打つ。


「……ううん、なんでもない」


「何?」


「何でもないよ。相談、ありがとう、『観察係』さん」


 桜井は顔を上げて、いつもの丁寧な笑顔に戻った。

 戻し方が自然すぎて、こっちの感情が追いつかない。


「……久々だね、その呼び名」


「本当はもっと相談したいんだけどね。最近はみんなで紙面づくりしてたから」


 桜井は小さく伸びをした。

 その無防備な仕草だけで、ここが「ただの教室」から「二人の密室」に変わったような錯覚に陥る。


「あ、そうだ」


 桜井が、もう一枚、紙を取り出した。

 それは原稿用紙ではなく、僕が昼休みにメモ帳の切れ端に書いた走り書きだった。


『撮る順

 1 スタート前のバトン

 2 ゴール直後の顔(引き)

 3 教卓の回収箱(コメント枠)』


 字が汚い。殴り書きだ。

 僕の写真係としての自分用メモ。


「これ、返すね。昼休みに机戻したとき、下に落ちてたから」


「返さなくていいよ、ゴミだし……」


「返す。ゴミじゃなくて、大事な作戦メモに見えたから」


 桜井はその紙を僕の机に戻しながら、さっきの原稿の余白に視線を落とした。


「よく僕のだって分かったね」


「もう安藤くんの字くらい分かるよ。最近ずっと一緒に作業してるんだから」


「……筆跡鑑定までされるとは思わなかった」


「ふふ、観察係さんは字まで観察されてるんです」


 桜井はいたずらっぽく笑って、原稿用紙を少しだけこちらに寄せてくる。


「じゃあ、この導入。『ふと耳に入った』に変えるね」


「うん」


「そのあと、コメント枠の説明は短くする。教卓の回収箱も入れようかな」


 桜井が、ペン先で余白をトントンと叩く。


「……安藤くんのメモ、すごく助かる」


「ただの殴り書きだよ」


「ううん。とっても参考になります!」


 桜井が笑った。

 優等生の仮面が外れた、肩の力が抜けた笑い方。

 その声だけで、明日のプレッシャーで凝り固まっていた空気が、少しだけ軽くなる。


 教室の外は、もうだいぶ暗い。

 窓の向こうで、誰かがバトンを落としたような乾いた音が響いた。


 桜井はプリントを丁寧に重ね、僕に軽く頭を下げた。


「ありがとう。ちゃんと言ってくれて」


「……お役に立ったなら」


「うん、助かりました。本当だよ?」


 桜井はそれだけいたずらっぽく言って、鞄を肩にかけた。


「一緒に出たら、また千夏に実況中継されるから、先行くね」


「ああ……西村さんならやりそうだね」


「じゃあ、また明日。写真係さん」


「その呼び方やめて」


「やめない。便利な肩書きだもん」


 桜井は小さく手を振って、教室を出ていった。


 ドアが閉まる音がして、廊下の喧騒だけが遠く聞こえる。

 僕は、机の上に戻された「写真係のメモ」を手に取った。

 くしゃくしゃになりかけた、ただの切れ端。


 それを畳もうとしたとき、裏面が少しだけ白っぽくなっているのに気づいた。


 消し跡だ。

 何かを書いて、そして消しゴムで強く擦った痕跡。


 目を凝らせば、文字の跡が見えるかもしれない。

 けれど僕は、そのざらついた余白を見ないふりをして、紙を四つ折りにした。

 

 消した言葉は、読み取ってはいけない。

 それが、彼女が引いた線なら、踏み越えないのが観察者のルールだ。


 明日の集合は七時十分。

 遅刻だけは、絶対にしない。

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