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「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


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第41話 優しさの辞書と、つなぐ言葉

 翌日の昼休み。


 チャイムと同時に、西村が教卓に「箱」をドンと置いた。

 空き箱にマジックで『全員リレー見出し 投票箱』と書かれている。


「はーい注目! 体育祭号の全員リレー、見出しを募集しまーす!」


 西村のよく通る声が、教室の弁当タイムを中断させる。


「採用されたら、紙面でドカンと使われます。今回はただのアイデア出しだから、匿名OK! 文句でもポエムでも何でも書いて!」


「文句は募集してないぞ」


 僕が横から小声で突っ込むと、西村は親指を立ててウィンクした。

 僕はため息をつきながら、クラスのみんなに用紙を配って回る。裏紙を四等分しただけの投票用紙だ。


「安藤、これ何書けばいいの?」


「リレーのイメージとか、キャッチコピーとか。適当でいいよ」


「適当って一番困るんだけど」


 文句を言いながらも、みんな面白がってペンを手に取っている。

 佐伯と桜井は、後ろの席からその様子を見守っていた。


「締め切りは放課後まで! みんなよろしくー!」


 西村が叫んで、僕らの短いランチタイム営業は終わった。

 あとは、魚がかかるのを待つだけだ。



 放課後。

 六月の日は長いけれど、教室には少しずつ茜色が混ざり始めていた。


 部活へ行く生徒たちが去り、静かになった教室。

 後ろの席――机を四つつなげた「編集部(仮)」に、僕らは集まった。

 真ん中には、ずっしりと重くなった投票箱が鎮座している。


「予想より入ってるね」


 佐伯が箱の重さを確認するように持ち上げた。


「私の演説が効いたかな!」


 西村が胸を張る。


「じゃあ、開票しようか」


 桜井が言って、僕らは机を囲んだ。

 窓から差し込む夕日が、机の上に長い影を落とす。昼間とは違う、少し落ち着いた空気だ。


「読み上げるから、サエは仕分けね。採用・保留・却下の三択で」


「……了解」


 佐伯は無言で小さく息を吐いてから、ペンを構えた。


「一枚目! 『激アツ! 運命のバトン!』」


 西村がドラムロールの口真似つきで読み上げると、僕の放課後の気だるさが一気に吹き飛んだ。


「……」


 佐伯が真顔で、その紙を「却下」の山へ滑らせる。


「パチンコ屋のポスターみたいだね」


 僕が言うと、西村が「それ!」と机を叩いた。


「フォントが赤と金に見えるね。まさにポスター」


「でも、熱量はいいと思う。熱量は燃料だから」


 桜井がフォローを入れるが、苦笑いは隠せていない。


「次、二枚目。『秒速で決着!』」


「……煽りすぎ。保留」


「三枚目。『優勝以外はカス』」


「論外。却下」


 佐伯の仕分け作業が続く。

 大半はふざけた回答か、勢いだけの言葉だ。

 けれど、西村の手が、ある一枚で止まった。


「……これ、どう思う?」


 差し出された紙には、乱暴な字でこう書かれていた。


『遅い奴は置いてく 勝負は非情』


 一瞬、テーブルの空気が止まった。

 夕暮れの静けさが、急に重くなる。


 誰かが悪気なく書いただろう言葉。

 昨日の体育で漂っていた、あの嫌な空気の言語化だ。


「……これは、なし」


 桜井が静かに言った。

 怒っている感じはしない。

 ただ、きっぱりと線を引く声だ。


「事実かもしれないけど、紙面にすると刺さるから」


「だよねー。却下!」


 西村が明るく振る舞って、その紙を弾く。

 けれど、佐伯がペンを回しながら言った。


「でも、勝負の感じは残したい。言い方は柔らかくしよう」


 佐伯の言葉に、桜井が手元のメモ帳を引き寄せた。

 さらさらとペンを走らせる。


『勝負→挑戦』

『置いてく→つなぐ』


 そのメモを、僕の方へずらす。

 まるで辞書の書き換えだ。


 僕はそれを見て、思わず口元が緩んだ。


「湊、なにニヤけてんの」


「いや、この変換表、優しさの辞書みたいだなって」


「辞書って言わないで……恥ずかしい」


 桜井が顔を赤くして、メモ帳を隠した。


 つなぐ。

 昨日の体育で、僕が身長差を理由に走る順を変えたのも、結局はそれだったのかもしれない。

 速さを競うんじゃなくて、凸凹を埋める作業。


 思考が、ふと言葉になる。

 僕は手元の紙に、それを書き留めた。


『全員リレーは、競い合うんじゃなくて、補い合うもの』


「……それ、いいね」


 隣から、桜井の声。

 西村と佐伯は、次の紙の仕分けで盛り上がっている。

 その隙をつくように、ふわりと甘い匂いがする距離で、僕のメモを覗き込んでいた。


「え、見てたの?」


「見えちゃった。安藤くん、控えめなのに芯がある」


「そうかな?」


「うん。採用。その言葉、編集として採用します」


 桜井が柔らかく笑う。

 逆光の中で、彼女の輪郭がふわりと輝いて見えた。


 それから僕らは、残りの票もすべて確認した。

 西村が読み上げ、佐伯が仕分け、僕と桜井で言葉を整える。

 くだらない案に笑ったり、鋭い指摘に唸ったり。

 そうして箱が空になる頃には、教室はすっかり夕焼けに染まっていた。


「じゃあ、最終案はこれで決まり」


 作業が一段落したところで、佐伯の声が響いた。

 佐伯が、選び出したキーワードを机の上に並べ直す。

 投票箱から拾い上げた言葉を、僕らが少しだけ整えた形だ。


「これをベースに、安藤くんのメモを混ぜる」


 佐伯が新しい紙に、太いマーカーで書き始めた。

 迷いのない筆致。


『つなぐ挑戦 ~補い合う工夫~』


「コンセプトは安藤くん。ワードはみんな。……悪くないね」


 シンプルで、誰も傷つけない。

 でも、少しだけ前を向ける言葉。


「おー、いいじゃん! サエ、字うまい!」


「当然。読みやすさは大事だから」


 佐伯は完成した紙を、クリアファイルに丁寧に挟んだ。

 編集部の決定稿が入る、共有ファイルだ。

 紙の端が揃う音が、心地よく響く。


「よし、今日の業務終了! 部活見て帰ろーっと」


 西村が大きく伸びをして、鞄を掴んだ。


「お先! サエも行くよ!」


「私は職員室に寄る」


「じゃあ途中まで!」


 台風みたいな二人が教室を出ていくと、急に静けさが戻ってきた。

 残された僕と桜井。

 夕日が長く伸びて、二人の影を重ねている。


「お疲れ様。安藤くんも、ありがとね」


 桜井が僕を見て言う。

 その目は、やっぱり「優等生」の仮面が少し外れていて。


「僕は何もしてないよ。開票しただけ」


「ふふ、またそれ?」


 桜井が笑う。

 

 窓の外はもう完全にオレンジ色だ。

 ファイルに綴じられた『つなぐ挑戦』の文字が、夕焼けに染まっている。


 昨日のトラブルが、こうして一つの「言葉」に変わった。

 その達成感が、心地よい疲れと一緒に胸に残る。


「……じゃあ、また明日」


「うん。また明日」


 僕らは少しだけ時間をずらして、教室を出た。

 廊下に落ちる夕日の温かさが、明日へつながるバトンみたいに見えた。

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