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「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


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第40話 空気を変える、言葉の置き方

 体育の時間。


 六月のグラウンドは、湿気が肺に張り付くみたいに重い。

 笛の音だけがやけに乾いていて、そこだけ別世界だった。


「はい、集合。今日は体育祭の全員リレー順のたたき台を作る」


 先生が当たり前みたいに言うと、クラスのあちこちから「うわ」とか「出た」とか、軽い悲鳴が上がった。


「簡易計測な。張り切りすぎて怪我すんなよ」


 先生はそう言って、ストップウォッチを見せる。

 その丸い機械が、僕には小さな裁判官に見えた。


「はいはい、タイムで人生決まるやつね」


 西村がぼそっと言った。

 僕の隣で、桜井が小さく笑った。


「決まらないよ」


「すみれ、優しい」


「千夏が雑なの」


 会話の温度はいつも通り。けれど、地面の温度だけがじりじりと上がっていく気がする。


 計測は、クラスを半分に割って五十メートルを順に走る方式だった。

 走るほうが列に並び、体育係が先生の横で紙に数字を書いていく。残酷な判決の記録だ。


 僕は列の中ほどで、靴紐を結び直した。

 こういうときに足元をいじるのは、心を落ち着けるための言い訳にすぎない。


「安藤くん、今日ちゃんと走る?」


 桜井が、僕の結び目を覗き込まずに言う。

 視線は前。声だけが、こっちに落ちてくる。


「……普通に走るよ。ちゃんと遅いけど」


「ちゃんと遅いって何」


 西村が笑って、僕の肩を軽く叩いた。


「湊、遅いって自分で言っとけば先制防御できると思ってるでしょ」


「……そんなことないよ」


「はいはい」


 軽口を叩いているうちに、前の人が走り終わった。

 次の人がスタートラインに立つ。


 佐伯は、列の端で無駄のない動きでストレッチしていた。

 表情はいつも通りフラットだけど、準備完了してそうだ。


 その横で、一軍男子が声をかけた。


「佐伯さん、速そう」


「速いでしょ。サエは、移動がいつも最短距離だもん」


 西村が言うと、佐伯がちらっとこっちを見る。


「移動と走力は別だよ」


「否定の仕方が理系」


「理系じゃなくて理屈」


 佐伯は淡々と返し、すぐ前を向いた。


 僕の番が来た。

 スタートラインに立つと、クラスの視線が一瞬だけ集まる。


(この緊張感はなれないな……)


「位置についてー」


 先生の声。

 僕は息を吸って、湿気の重さを肺に入れる。


「よーい」


 そして、笛。


 走る。とりあえず走る。

 足音と呼吸と、耳の奥の血の音だけになる。

 モブらしく、可もなく不可もない速度で。


 ゴールの白線を踏んだ瞬間、先生がストップウォッチを止めた。

 紙に数字が書かれる音が、やけに大きく聞こえた。


「はい次」


 僕は列の外に戻りながら、桜井のほうを見る。

 彼女は次の組で、髪をまとめ直していた。うなじに汗が滲んでいる。

 いつもより少しだけ真剣な顔。


 走るときの桜井は、静かに速い。

 派手じゃないのに、フォームが崩れない。

 それが、彼女らしいと思った。


 西村の番は、逆に派手だった。


「いくぞー!」


「声がでかい」


「うるささで風切る作戦!」


「作戦の名前が雑」


 笛が鳴って、西村は本当に風を切る勢いで飛び出した。

 速いかどうかはともかく、すごい勢いで爆走していた。



 全員が走り終わり、先生が記録用紙を持って集合をかける。


「はい、ざっくり仮案作った。全員リレー、これで一回組むぞ」


 先生が、体育倉庫の壁にリレー順の紙を貼る。


 その瞬間、空気が一瞬だけ固まった。


 リストの前の方。

 クラスで一番速い男子・高橋の名前の下に、大人しい女子・倉田さんの名前があったからだ。

 タイム順をベースに、男女とスピードを交互に混ぜたリストみたいだ。


「うわ、マジか。俺、倉田から貰うの?」


 高橋が、悪気なく言った。

 本当に、悪気はないのだと思う。ただの確認みたいだった。


「……これ、俺が加速したら置いてっちゃうじゃん。バトン届かねーよ」


 その一言は、事実だった。

 事実だけど、あまりに残酷な事実だった。


 倉田さんが、きゅっと唇を噛んで俯く。

 高橋の取り巻きたちも、笑っていいのか分からず、曖昧な顔をする。

 先生も「まあ、練習だから」と言いかけたが、空気の重さに言葉を濁した。


 誰かが悪者になりかけている。

 高橋のデリカシーのなさか、倉田さんの足の遅さか。

 どっちに転んでも、この後の空気は最悪だ。


(……黙ってればいい)


 僕の中のいつもの回路が、そう結論を出しかける。

 僕が動かなければ、僕は傷つかない。


 でも、チラリと横を見ると、桜井が少しだけ表情を曇らせていた。

 優等生として、この場をどう収めるか考えている顔だ。

 彼女に背負わせるのは、なんか違う。


 ゴールデンウィークの陸をなぜか思い出す。


 それに背を押された訳じゃないけど、僕は一歩だけ前に出た。

 前に出た、というほどでもない。

 ただ、沈黙の列から、安全圏から外れただけだ。


「先生、ちょっといいですか」


 声が出た瞬間、視線が集まる。

 胃がきゅっと縮む。

 注目なんて浴びたくない、けれど……。


「ん、安藤どうした」


「その並びだと、ちょっと危ない気がして」


「危ない?」


 高橋が眉をひそめる。

 僕は高橋のほうを見て、困ったように言った。


「高橋、背高いし、倉田さんは小柄だし。受け渡しの手の高さが違いすぎて、バトン落としそうじゃない?」


 僕は手で二人の身長差をなんとなく示す。

 頭一つ分以上、違う。


「走りながらそのライン合わせるの、腰痛めそうだなーって」


 言った瞬間、高橋が自分の腰のあたりを触った。


「……あー、確かに。俺、トップスピードで低い位置とか無理だわ」


「だろ? だから、速さっていうより、高さが合う順に変えたほうが、みんな楽なんじゃないかな」


 僕がそう提案すると、横から西村が乗っかってきた。


「あ、それ賛成! 私だって巨人の次とか嫌だし!」


「誰が巨人だ」


 男子が突っ込み、笑いが起きた。

 軽い笑い。

 誰も傷つかない笑い。


 倉田さんも、少しだけホッとしたように肩の力を抜いている。

 「遅いから」じゃなく「背が低いから」なら、ただの特徴だ。


 桜井が、先生の貼った紙を見ながら言う。


「じゃあ、たたき台はこのまま使って、前後のペアだけ身長のバランス見て微調整しませんか?」


「そうだな。バトンミスが一番タイムロスするしな。よし、調整しよう」


 先生が頷く。

 話が前に進む音がした。


 その横で、佐伯が小さく言った。


「論点のすり替え」


「すり替え?」


 西村が食いつく。


「『速さ』の話を、『高さ』の相性に変えた……うまい切り口だね」


 佐伯の声は相変わらず平坦だ。

 僕のほうを見て、ほんの一瞬だけ目が細くなる。

 少しだけ感心したような、そんな顔。


「安藤くん、またそれだね」


 確認のようにそう言い切ってから、佐伯はすぐ前を向いた。


 僕は、何も返さなかった。

 そんな余裕もなかったし、とりあえず空気が戻ったことに安堵していた。



 体育が終わって、校舎に戻る廊下は、汗と日焼け止めの匂いが混ざっていた。


 そんな中、僕は水道で手を洗っていた。

 蛇口を閉めて、振り返る。


「桜井?」


 桜井が僕を見ていた。


「安藤くん。さっきの、助かった。ありがとね」


 短い言葉。

 でも、声が柔らかい。


「僕はほとんどなにもしてないよ。腰痛めたら大変だし」


「ふふ、優しい嘘だね」


 桜井に見透かされていた。

 彼女は、独り言みたいに言う。


「そういう空気の切り替え方が、安藤くんは上手だと思う」


 切り替え方。

 言葉を置いて、切り替える。

 その内容が自分の中でストンと落ちて、ハッとした。


「……どうしたの?」


 桜井が、少し首を傾げて聞いてくる。

 無防備な上目遣いだ。


「いや……なんでもないよ。そういう褒められ方は初めてだったから」


「そう? いつも褒めてると思うけどなぁ」


 桜井が、いたずらっぽく笑いながらそう言った。


「相談のときの桜井さんは評価って感じだからね」


「なにそれ、ひど〜い」


 冗談めかして二人で笑う。

 この自然な空気感は、最近慣れてきた心地よいやつだ。


 そんな中、西村が桜井の後ろから近づいてくるのが見えた。


「す〜み〜れ〜、なにイチャついてるの〜」


「わ、びっくりした。千夏かぁ」


 横から顔を出す西村。

 その顔は完璧にニヤついている。


「ち、ちょっとお話してただけだよ」


「はいはい。廊下でイチャつくと先生に見つかるよ」


「「イチャついてないから」」


 僕と桜井が同時に言って、西村が満足そうに頷く。


「うむ。グッド」


 サムズアップする西村。

 この人、先週からずっと同じ結論を出してくる。


 佐伯が、少し離れたところでタオルを首にかけながら言った。


「同時否定。タイミングもほぼ一緒。面白いね」


 佐伯は手元のメモに何かを書き込んで、すたすたと歩き去っていく。

 僕らの秘密の「観察」とは別物だけど、彼女に見られていると全て見透かされている気がして心臓に悪い。


「ね、体育祭号さ。全員リレーのところ、どう書こうか?」


 桜井が、僕を見ないまま言う。

 少しだけ耳が赤いのは、きっと走ったせいだ。


「どう書くって?」


「速い遅いを煽らない書き方にしたいよね。今日みたいに」


 言われて、さっきの自分の言葉が頭の中で反芻される。

 あれを紙面にすると難しい。

 口なら空気で調整できるけど、文字は残る。


「……考えとく」


 僕がそう言うと、西村が即座に拾う。


「湊が考えとくは、半分は考えてないの合図です」


「失礼だね……」


「でも、さっきは良いパス出したじゃん」


 西村がニヤッとする。


「あのバトンパス、上手かったよ!」


 僕は反射で視線を逸らした。

 それを見て、桜井が小さく笑う。


「じゃあ、言葉を置ける安藤くん、お願いね」


「……がんばります」


「がんばって!」


 さらっと言うのがずるい。

 その「がんばって」に、期待と信頼みたいなものが混ざっている気がした。



 教室に戻る途中、スマホが短く震えた。

 グループLINEの通知。


 『編集部(仮)』に、佐伯から。


『体育祭号:全員リレー特集の項目作る。今日の“言い換え”を一言で文章化したい』

『昼休み、いつものところで集合。仮のまま固めましょう』


 仮のまま固める。

 矛盾してるのに、妙に納得できる言い方だった。


 僕は画面を見ながら、息をひとつ吐く。


 言葉は置き方ひとつで、誰かを刺す凶器にも、みんなを動かす道具にもなる。

 今日は、それを身をもって体験した時間だった。

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