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「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


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第38話 感情の標本と、書き手のブレーキ

 五月の終わり。

 教室の空気は、昼休み特有の気だるさと、奇妙な熱量で満たされていた。


 テスト前でもないのに、クラス中がそわそわしている。

 理由は簡単だ。机の上に「できたもの」が載っているから。


 学級新聞、五月号。

 僕らが作った新聞だ。


 配った瞬間から、教室のあちこちで紙が鳴る音がした。

 めくられる音。笑いを飲み込む音。名前を呼ぶ声。


「見て見て、これよくない?」


 西村が、すでに誰かの机に突撃している。

 行動力の化身だ。


「A派多くね? 『布団が勝つ』って……もはや哲学だろ」


「いやBだろ。課題の存在感は暴力」


「暴力って言うなよ」


 男子の声が弾んで、別の席からもツッコミが飛ぶ。

 平和な騒音だ。


「てかこの一言、誰だよ。『課題がこっちを見てくる』って」


「それ俺じゃない。俺は課題を見ないから」


「見ないは無理だろ」


 そこへ、別の男子がニヤニヤしながら僕に話しかけてきた。


「なぁ安藤。お前最近、桜井さんとか西村とよく一緒にいるよな」


 来た。

 地雷を踏み抜くような無邪気な質問。

 僕は表情筋を死なせたまま、ため息混じりに答える。


「……新聞の編集作業だよ。今月は地獄の毎日だったから」


「地獄かよ。羨ましい地獄だなー」


「……なら代わる? 毎日コメント集計と校正作業つきだけど」


「あ、やっぱいいです」


 男子はすぐに興味を失って離れていった。

 うまく話をそらせて、思わず息を吐く。


 僕は自分の机の上の一枚を見下ろした。

 たった二択のアンケート。

 それだけのスペースなのに、書いた人の性格が見えることがある。


「文字から圧を感じる……」


 思わず呟くと、近くにきていた西村が素早く振り向いた。


「わかる? 声でかい人の文字版あるよね。全部に濁点ついてる感じ」


「脳内で再生すると、音量がデカい」


 僕が返すと、西村と一緒にいた桜井が、ふふっと笑った。


「でも、読める範囲のうるささなら、ギリギリ味になるよ。紙面のアクセントになるから」


 紙面のアクセント。

 それが教室の中で使われると、妙に響きがいい。

 僕たちの学級新聞が、ちゃんと「読むもの」に昇華されている証拠だ。


 佐伯は自分の席で、ざっと紙面を確認していた。


「アンケートのやり方は正解だったね。二択にしたから回答のハードルが下がった」


「まぁ……そうだね、たくさん集まったし」


 西村が笑って、僕の肩を軽く叩く。


「湊の二択、良かったよ!みんな書いてる。回収箱、パンパン!」


「回収箱って、クリアファイルだけどね」


「箱の気持ちで呼んでるの!」


 桜井が紙面から目を上げ、教室のざわめきをゆっくりと眺めた。

 まるで、眩しいものを見るように。


「……よかった。ちゃんと読まれてる」


 声は小さい。

 けれど、その安堵の吐息だけで、僕の今月の疲れの何割かが相殺された気がした。


 西村が、急に思い出したように言う。


「ね、今日さ。あれ貼ろ!」


「あれ?」


 僕が訊くと、西村のかわりに桜井が答えた。


「あの時決めた掲載ルール。掲示板に貼ろうと思って。……ルールもちゃんと見える場所に置いておきたいと思って」


「勝手に貼って大丈夫かな……」


 僕が小声で懸念を口にすると、佐伯が涼しい顔で答えた。


「問題ないよ。朝のうちに職員室で申請して、許可を取ってあるから」


「用意周到だね……」


 佐伯が頷く。


「ルールがあれば、断るときの盾になるから。……個別に説明するの、面倒でしょ」


「わかるけど、盾とか面倒とか言い方が冷たいなぁ~」


 西村が突っ込み気味に笑って、机の上の太いマーカーを取った。


「じゃ、張り出し用のルール書く係。すみれ」


「私?」


「字が強いから」


「強いって何」


「説得力があるってこと。私だとポップになっちゃう」


 桜井が困ったように笑いながらも、マーカーを受け取る。

 彼女は自分の机に白い紙を広げると、さらさらと書き始めた。


『掲載ルール①〜④』


 太い文字。

 でも乱暴じゃない。

 読みやすさを優先した、背筋の伸びたような線だ。


 西村が後ろから口を挟む。


「もうちょい可愛く書けない?」


「可愛いと軽く見られるから」


「出た。すみれのこだわり」


「ルールだからね」


 佐伯が、横から淡々とチェックを入れる。


「文言は短くしたほうがいい。例はなし。抜け道を作るから」


「抜け道作るの、みんな得意だもんねー」


 僕は、桜井の手元を見ていた。

 書く手が止まらない。

 書きながら、ちゃんと伝わる内容を考えている。


 四つ目のルールを書き終えたところで、桜井が顔を上げた。


「よし、できた」


 昼休みの終わり際、僕らは掲示物のスペースの前に立った。

 黒板の横。

 クラスの情報が集まる、あの場所。


 桜井が画鋲で四隅を止める。

 僕たちが決めたルールが貼られた。


「これで、迷う回数が減ると思う」


 佐伯が言う。


「迷うのも青春なのに」


 西村がぼやく。


「文字にしちゃうと残るからね、我慢だよ千夏」


 桜井が小さく息を吐いて、貼り付けた紙を指で軽く整えた。

 紙の端が、きちんとまっすぐになる。

 それだけで、乱雑だった教室の空気が、少しだけ整った気がした。



 放課後。

 教室が帰りの音に飲まれたあと、僕は一度、廊下に出た。


 渡り廊下の窓から入る風は、まだ五月の匂いをしている。

 六月の湿気が来る前の、ぎりぎりの乾いた風だ。


「安藤くん」


 呼ばれて振り返ると、桜井がいた。

 さっきまでの「クラスの中心」の顔じゃない。

 少しだけ気が抜けた、等身大の立ち姿。


「……今、ちょっとだけいい?」


「ちょっとなら、いいよ」


 僕が言うと、桜井は小さく頷いて、廊下の端にある自販機コーナーのほうへ目線を送った。

 人が少ないところで、話したいことなんだろう。


 並んで歩く間、桜井は何も言わなかった。

 けれど、特に気にならなかった。

 そういう「間」が、僕らの間にはできていた。


 自販機の低い稼働音が聞こえる。

 そこで、桜井が足を止めた。


 ポケットから、小さく折った紙を取り出す。

 メモ用紙だ。

 スマホじゃなくて紙なのが、桜井らしい。


「……例のやつ。書こうと思って」


「例のやつ」


 僕が復唱すると、桜井は一拍置いて、声をさらに落とした。

 内緒話のボリュームだ。


「エッセイ」


 周りに誰もいないのを確認してから、桜井が続ける。


「最近、止まってたから。学級新聞で忙しくて。でも、今日みたいに書いたものが読まれてるのを見ると……やっぱり、書きたくなる」


「書けばいいと思うけど……」


「うん。でも」


 桜井は折ったメモを指で軽く叩いた。

 迷ってるときの癖だ。


「書くと、熱が上がるでしょ。私、上がった熱のまま文書をつくると、たぶん……刺さるようなこと書いちゃうかも」


「熱が入ると筆が乗るって言うしね」


「そうなの! 乗っちゃうの!」


 桜井は前のめりで即答した。

 勢いがある。素の反応だ。


「だから、ブレーキが欲しい」


 その言い方は、あのときのままだ。

 最初に僕を巻き込んだときの、あの頼み方。


 僕は一拍置いた。

 言葉を選ぶ。アドバイスなんて大それたものじゃない。

 ただの、観察者としての意見を置く。


「……僕、中身は読まないって決めてるのは変わらない。それでも良ければ」


「うん、知ってる」


 桜井は頷いた。


「……感情に関することは書いてもいいけど、必ず次の日に見直したほうがいいかも」


「あ、なるほど。……時間を置くってこと?」


「そう。感情って生ものだから……」


 僕の観察の経験談だ。

 怒り続けているような人はあまりいない。

 大体みんな次の日にはケロッとしている……と思う。


「時間を置いて、熱が冷めて、標本みたいになってから見直す」


 桜井が、ぱちくりと目を瞬かせた。

 それから、小さく笑う。

 笑い声じゃなくて、口元の形だけで分かるやつだ。


「……標本かぁ。安藤くんっぽい」


「そうかな」


「うん」


 桜井は楽しそうに頷く。


「あと……もう一個」


「なに?」


「書くなら、結論を急がない。観察で止めて、断定しないこと」


 言いながら、少し偉そうだったかなと反省する。

 でも、桜井の文章には結論をあえて出さない余白が似合う気がした。


「答えを出そうとすると、それで決まっちゃうから。『分からない』って状態のまま書くのが、たぶん一番誠実……かな」


 言ったあとで、喉の奥がむず痒くなった。

 語りすぎたかもしれない。


 桜井が、僕の顔をじっと見た。

 探るような目じゃない。

 ストンと、何かを受け取った目だ。


「今の、いいね」


「そう……?」


「採用です」


 桜井が、笑顔で承認する。

 その笑顔は、教室で見せる完璧なそれとは違う。

 もっと無防備で、もっと近い。

 正直、心臓の鼓動が少しだけ不規則になる。


「……採用基準、甘くない?」


 僕が視線を逸らして言うと、桜井は首を横に振った。


「甘くないよ。安藤くんの言葉は、私のブレーキにちょうどいいから」


 桜井は一歩だけ距離を戻して、いつもの丁寧な声に戻した。


「じゃあ、今日のところはここまで。……また、詰まりそうになったら頼っていい?」


「まぁ……契約だしね」


「……ふふ。覚えててくれたんだ」


「今のなし」


 桜井が、今度ははっきり息を漏らして笑った。

 軽い音だ。

 さっきまでの湿度が、一段上がって、ふわりと消える。



 教室へ戻る途中、スマホが短く震えた。

 西村からのメッセージ。


『五月号、思ったよりウケてる! あとさ、体育祭、来月だよね? 写真どうするか明日会議ね』


 僕は画面を見て、息をひとつ吐いた。

 ルールを貼っても、やることは増える一方だ。


 六月はたぶん、湿気と一緒に忙しさも来る。

 僕はスマホをポケットに戻して、教室のドアに手をかけた。

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