第37話 編集会議の静寂と、守るべき境界線
翌日の昼休み。
教室は、午前中のだるさを半分だけ引きずったまま、生ぬるい空気で満たされている。
昨日と同じように僕の席の近くに四人が集まっている。
コメント募集のお題は、『二択+一言』。
お題:連休明けに一番だるいのは
A:朝起きる B:課題を見る +ひとこと
西村が、回収箱代わりのクリアファイルをひらひらとさせた。
「はいはい提出よろしくね。匿名じゃないからね。ふざけるなら字面だけでふざけてー。内容は真面目に!」
「矛盾してないか」
「矛盾は人間の味ですー」
桜井が、提出しに来た男子から紙を受け取りながら、小声で釘を刺す。
「文字、読みやすく書いてね。ほんとに。読めないと載せられないから」
言い方は柔らかいのに、有無を言わせない圧がある。
本文担当のためか、こだわりが違う。
佐伯は、手元の名簿に回収状況をメモしながら淡々としていた。
「未提出、残り七人。放課後までに回収できなかったら、個別に聞きに行かないと」
「なんか、借金取りみたいで怖いんだけど」
西村が笑う。
「サエ、それ言い方変えよ。『優しくお願いに行きます』で」
佐伯のペン先がピタリと止まった。
顔を上げ、少しだけ眉をひそめる。
「……サエ?」
「あだ名。だめ?」
「……だめではないけど、佐伯でいい」
拒絶というより、まだその距離感じゃない、という線引き。
西村は反射的に両手を上げた。
「了解。距離詰めすぎた。ごめん、佐伯」
佐伯は一拍置いて、視線を名簿に戻す。
「……別に、怒ってはないよ」
西村はすぐに何事もなかったみたいに、僕の机を指でコンと叩いた。
「湊、写真係。まだ提出してない人の背中、威圧感でないように撮っといて」
「犯罪っぽい」
「冗談、冗談です。やめなさいって目で見ないで」
やめなさいって目で見たのは桜井だ。
僕じゃない。
西村が、提出された紙を一枚つまみ上げて声を上げた。
「ねぇこれ見て。『B 課題を見る ひとこと:課題がこっちを見てくる』」
「……それは目を逸らしたくなる」
僕が言うと、西村が即答する。
「やっぱ、二択と一言はわかりやすいね!」
「うん、コメントも色々書いてくれてるし、良い新聞つくれそう。安藤くん、ありがとうね」
「僕はたまたま思いついただけだよ……」
「それでもいいの」
桜井が、ふわりと笑う。
思わず目をそらすと、西村がニヤニヤしている顔が見えた。
その横で佐伯は我関せずで作業をしていて、いつもの姿に僕の気持ちも少し落ち着いた。
◇
放課後。
教室の端、空いている机を四つくっつけて、即席の編集卓が作られていた。
西村が椅子に座った瞬間、机にぐしゃっと突っ伏した。
「疲れたー。回収だけで疲れた。毎月これやるの、無理ゲーじゃない?」
「初回だから負荷が大きいだけ。次回はフォーム化も検討したい」
佐伯が当たり前のように言う。
「フォーム化って何?」
「デジタル化。スマホで入力させれば、集計の手間はゼロになる」
「紙やめたら先生が泣くんじゃない?」
西村が顔を上げた。
「先生、手書きとかチェックリストとか大好きだもんね」
桜井が紙束を見て苦笑する。
「とりあえず今月は紙でいこうか。来月はまた相談しよう」
「現実的だね」
桜井がそう締め、佐伯が小さくうなずき同意する。
僕は、回収した内容を確認する作業に入った。
読みやすい字と、読ませる気がない字。
文字には性格が出る気がする。
西村が紙を一枚掲げる。
「A 朝起きる。ひとこと:布団が勝つ。……これ、わかる!」
「休み明けは辛いよね」
桜井が苦笑しながら頷く。
佐伯は、回収した紙をよどみなくカテゴリ分けしている。
真面目、ふざけ、短文、長文。
その手が、ピタリと止まった。
佐伯が無言でその紙を、編集卓の真ん中に置く。
「これは、扱いを検討したいかな」
僕は、その紙の文字を見た。
B 課題を見る
ひとこと:桜井さん、最近安藤とよく話してるけど何かあるの?
喉の奥が、一瞬だけ石のように固くなる。
もはや一言でも感想でもない、ただの質問だ。
西村が露骨に嫌な顔をした。
「うわ。出た。触ったら火傷するやつ」
桜井は、紙を見て何も言わない。
表情も変えない。
ただ、動きのリズムが一拍だけ遅れた気がした。
佐伯が続ける。
「こういうのは読者が食いつく。話題性もあるし、見る人も増える。けど……」
けど、の後が続かない。
西村がそこにかぶせる。
「佐伯、そういうのは“学級新聞”が悪い燃え方するからやめる方向で。燃えるの種類が違うの。部活ネタで燃えるのは平和。恋愛の噂で燃えるのは地獄」
西村の言い方が珍しく真剣で、僕は茶化すこともできなかった。
静寂の中、桜井が静かに手を伸ばした。
ためらいがない。
その紙を静かに取ると、記事用の束から外し、別のクリアファイルに滑り込ませた。
不採用のクリアファイルだ。
手つきは丁寧だった。紙を丸めたりもしない。
でも、その丁寧さが、かえって明確な拒絶に見えた。
「これは、記事にしません」
桜井の声は淡々としていた。
ここは、絶対に譲らない境界線だ。
「誰かの興味本位で、誰かの居心地が悪くなるようなことは、したくないから」
佐伯が少しだけ視線を落とす。
「……計算が甘かった、かな。話題性だけ見て、『影響される誰かが近くにいる』って視点が抜けてた」
影響される誰かは、同じ教室のクラスメイトだ。
僕も、その視点は抜けていた。佐伯と同じだ。
桜井が一拍置いて言う。
「そうだね……」
西村が机を指でトントンと叩いた。
「じゃ、ルールにしよ。毎回このタイミングで胃が痛くなるの、コスパ悪いし」
「賛成」
佐伯が即答する。
桜井がメモ帳を開く。
「掲載ルール、書くね」
西村が指を折る。
「一個目。個人が特定できる恋愛ネタ、噂、当てこすり系は書かない」
「二個目。先生いじりもなし。リスク高い」
「三個目。事実確認ができない話は載せない」
桜井がさらさらと書いていく。
僕は、メモ帳の三個目の下に視線を置いたまま、言いそびれていた一行を口に出した。
黙っていれば楽だ。
でも、黙ったまま残った文字は、僕の代わりに誰かを刺すかもしれない。
そう思ったら、自然に言葉が置けた。
「四個目」
自分の声が思ったより通って、心臓が一拍遅れて跳ねた。
三人の視線が集まる。
「事実でも、その言葉を本人の顔を見て直接言えないなら、載せない」
西村が、少しだけ目を丸くする。
佐伯が、興味深そうに僕を見る。
一瞬の間のあと、桜井がまっすぐに僕を見た。
「それ、いい」
桜井は、すぐ肯定した。
僕の喉の奥の固さが、少しだけほどける。
桜井はメモ帳に「④」を書いて、僕の言葉をそのまま写す。
写したあと、ペン先を止めて、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「うん。これがあると迷わない」
桜井は目を瞬かせて、僕を見る。
その瞳が、ほんの少しだけ柔らかく細められた。
「安藤くん、ありがとう」
ただのお礼なのに、その響きが、妙に僕の胸の奥に残った。
西村がパンと両手を叩いて、空気をぱっと明るく切り替える。
「はい終了! 境界線決定。空気も回復。今日の進捗、でかいよ!」
佐伯が頷く。
「これで運用できるね。判断基準があると処理が速くなる」
「計算が甘かったとか言ってたのに、もう対応してるし」
「間違いはすぐ修正するから」
「かっこよ」
西村が言いながら笑って、さっきの「地雷」の入ったクリアファイルをひらひらさせた。
「じゃこれ、コメント書いた本人には、別の質問で書き直してもらお」
「名前、書いてあったよね?」
僕が訊くと、西村がにやっと笑う。
「書いてある。でも、名前を見なくてもわかる。字がうるさい」
「字がうるさいって何」
「字がうるさいの。声でかい人っているじゃん。あれの字版」
桜井が、笑いを押さえきれずに小さく息を漏らした。
僕は自分のノートの端に書き込む。
掲載ルール:①〜④
触らない、書かない領域は、先に決める
文字は残る。
残るなら、残って困らないものがいい。
僕は紙束の端を指でトントンと揃えた。
揃えたら少しだけ、気持ちも整う気がした。




