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「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


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第31話 終業式前後と、「契約更新」

 終業式が終わって教室に戻ると、最後のホームルームが始まっていた。


「連絡事項読み上げるけど、聞きながら片付けていいぞー」


 先生の投げやりな許可が出た瞬間、待ってましたとばかりに教室は片付いていく音で満たされる。


 掲示板の紙が剥がれる、びり。

 ガムテープが伸びる、べりべり。

 ロッカーの中身が減っていくにつれて、空気まで軽くなっていく。


 みんなのテンションだけ、先に春休みに突入している。


(一応、話も聞いてやれよ)


 黒板の端に貼られていた係の表とか、行事予定とか、いつの間にか見慣れていた紙が次々と消えていく。

 それを見てると、逆に実感が遅れてくる。


 一年、終わるんだな。


 四月のあの「新しい席の匂い」から、ここまで来たのかと思うと、変な感じだ。

 長かったようで、教室の中だけで見れば、あっさりしている。


 山本が、ロッカーの前でガサガサと何かを探していた。


「やばい、俺の消しゴムが一年の闇に飲まれてる」


「一年の闇って何」


 大木が笑いながら返す。


「机とロッカーはブラックホールだからな」


(ほんと、そう)


 僕も自分のロッカーを開けて、奥に押し込まれていたプリントの束を見つけた。

 見なかったことにしたい過去が、わりとある。


(モブは“整理整頓”が下手でも許される……はず)


 そう自分に言い訳しながら、必要そうなものだけを抜き出して、カバンに入れた。



 その流れで、通知表が配られる。

 教室が、その瞬間だけやたら静かになる。


 先生が名前を呼んで、一人ずつ前に行って受け取る。

 その動きが繰り返されるだけなのに、なぜか心臓が少しうるさい。


 前の席の大木が、やけに背筋を伸ばして座っている。


(……大木が緊張してるの、珍しい)


 その背中越しに、教室の真ん中あたりから落ち着きのない気配が伝わってきた。

 足をカタカタさせてるの、たぶん山本だ。


「なあ安藤ー」


 前の席から声だけが飛んでくる。


「なに」


「通知表ってさ、封筒に入ってるよな?」


「入ってるね」


「……見えないよな?」


「見えないよ」


「よかった。見えてたら人生終わってた」


(見えてたら終わる人生って何だ)


 大木が小さく笑って、前を向いたまま肩を揺らす。


 先生が山本の名前を呼ぶ。

 山本が「はいっ」と無駄に良い返事をして前に出ていった。


 受け取って戻ってくるまでが早かった。

 戻ってきた瞬間、山本は席に沈んで、封筒を額に当ててうめいた。


「……生きてる」


「点数じゃなくて生存確認してるの、初めて見た」


 大木が小声で言う。

 山本は封筒を抱えたまま、まだ開けない。


「開けるの、家でにするわ。ここで開けたら場が凍る」


「凍るのは山本だけだろ」


「俺が凍ると、周りも気まずいだろ」


(巻き込むな)


 僕の名前が呼ばれて、前に出る。


 封筒を受け取るときに、先生が小さく言った。


「安藤、一年よく頑張ったな。来年もこの調子でな」


 無難に刺さるタイプの一言だった。

 褒められてるのに、目立たない感じがするやつ。


「はい」


 僕はそれだけ返して席に戻った。


 封筒の中身は、たぶんいつも通りだ。

 悪目立ちしない点数。

 誰かに羨ましがられないし、心配もされない。


(モブのちょうどよさ)


 封筒の角を指で軽くなぞって、安心する。

 この安心感だけは、わりと好きだ。



 ホームルームが終わって、解散の空気になる。

 教室の後ろの扉に、部活へ急ぐ連中や、一刻も早く帰りたい組が殺到する。


 僕はその激流に巻き込まれるのを避けて、わざと席でカバンを整理するフリをした。

 みんながいなくなってから、静かに出ればいい。

 モブの基本スキル、「時間差退室」だ。


 そうやって嵐が過ぎるのを待っていると。


 教室の前の方から歩いてきた誰かが、僕の机の横を通り過ぎた。

 桜井だった。


 彼女は足を止めない。

 僕の方を見もしない。

 ただ、すれ違う一瞬、僕にだけ聞こえる声で呟いた。


「……階段の踊り場で、待ってる」


 それだけ。

 桜井はそのまま、歩くスピードも変えずに教室を出ていった。


 周りの誰も気づいていない。

 ただ近くを通っただけに見えたはずだ。


(……スパイ映画かよ)


 僕は心の中でツッコミを入れつつ、少しだけ間を空けてから席を立った。

 指定された場所に行かないという選択肢は、たぶんない。



 教室を出て、人の波が引いた廊下を歩く。


 特別教室棟へと続く、東側の階段。

 そこの踊り場は、予想通り静かだった。

 部活へ行く生徒はみんな一階へ降りてしまうし、教室に残る生徒もここまで来ない。


 桜井は、手すりに寄りかかって外を見ていた。

 通学カバンを肩にかけ、手には未開封の茶色い封筒を持っている。

 真昼の明るい陽射しが差し込んで、舞っている埃が白く光って見えている。


 僕の足音に気づいて、桜井が振り返った。


「おつかれ。見つからないように来た?」


「来たよ。悪いことしてる気分だ」


「悪いことはしてないよ。業務連絡」


 桜井はくすっと笑って、持っていた封筒を軽く掲げた。

 さっきまで中身を確認しようとしていたのかもしれない。


 彼女は封筒を持つ手を下ろすと、少しだけ言葉を探すみたいに視線を落とした。


「あのさ……来年度も、エッセイ続けてもいいかな?」


 いきなり本題だった。

 でも、桜井の声は、少しだけ自信なさげに揺れていた。


「別に僕が決めることじゃないけど……」


 僕は、なるべく逃げ道が残るように言葉を選んだ。


「書いてて楽しいなら、やめる理由なくない?」


 背中を押すというより、扉の前の荷物をどかす感じ。

 通りたいなら、通っていい。そういうだけ。


 桜井は、大きく息を吐いて、肩の力を抜いた。

 張り詰めていた糸が切れたみたいに、表情が柔らかく崩れる。


「……そっか。楽しい、か」


「たぶん、でいいと思う。断言すると逆にしんどいし」


「それ、分かる。断言すると“やらなきゃ”になる」


 桜井が頷いて、こぼれるように笑った。

 それは学校で見せる「桜井さん」の顔じゃなくて、もっと無防備な顔だった。


「更新落ちるときもあると思うけど、それも込みでいいんじゃない」


「うん……そういう“逃げ”の許可が欲しかったのかも」


(逃げの許可)


 それを人に言えるのって、たぶん強い。


 僕が黙っていると、桜井は封筒の角を指でいじりながら、もう一つだけ言った。


「で、もう一個」


 ここからが本命っぽい。

 桜井は顔を上げて、僕をまっすぐ見た。


「来年度も、観察係よろしくね」


 窓からの光が逆光になって、表情が少し眩しそうに細められる。

 さりげない言葉だけど、その目は逸らさずに僕を見ていた。


 僕の中で、言いかけた言葉があった。


(当たり前だろ)


 たぶん、それが一番素直だ。

 でも、それを言った瞬間、空気が一段だけ固くなる気がした。


 春休みの初日に、心臓の仕事量だけ増やしたくない。


 僕は、飲み込んで、代わりに安全運転の返事を選んだ。


「……業務、更新でお願いします」


 言ってから、自分でも少し笑いそうになる。

 こういう言い方にすると、変に真面目にならずに済む。


 桜井は、一拍だけ止まって、それからぱあっと顔を輝かせた。


「口頭更新だけ?」


 桜井が、右手を差し出してきた。

 小さくて白い手。


 階段の下から、運動部の掛け声が微かに響いてくる。


「……なに」


「ほら、区切り。句点みたいなものだから」


 儀式、と言わずに、句点と言った。

 文章を書く彼女らしい、でも少しだけ言い訳がましい比喩。

 差し出された指先が、わずかに震えているようにも見えた。


 言い換えられた瞬間、僕の返事の置き場がなくなった気がした。


 僕は一瞬だけ迷って、恐る恐る手を伸ばした。

 桜井の手のひらに、僕の手のひらが触れる。


 柔らかい感触と、確かな体温が伝わってくる。

 ぎゅっと握るわけじゃなく、ただ触れて、確かめ合うだけの握手。


 桜井は、恥ずかしそうに視線を少しだけ逸らして、でも手は離さなかった。


「更新完了。ありがとうございます、観察係さん」


 数秒の後、桜井は手を離して、いたずらっぽく付け足した。


「これで来年度、苦情は受け付けませんので」


「……あくどい契約だった」


「返品不可です」


 桜井は「じゃ」と小さく手を振って、階段を降りていった。

 その足取りは、来る時よりもずっと軽やかに見えた。


 僕はその背中を見送ってから、自分の封筒を持ち直した。


(来年も、モブのままじゃ済まない気がする)


 今日の終業式は、終わったはずなのに、まだ余韻だけ残ってる。


 教室の掲示物はもう半分以上消えている。

 ロッカーも軽い。

 なのに僕の中だけ、ひとつだけ片付かない。


 モブでいるはずだった。

 なのに、桜井の「よろしくね」が、僕の中でまだ鳴っている。


 僕は目立たないように息を吐いて、右手を軽く握ってみた。

 手のひらに、まだ微かに熱が残っている気がした。

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