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モブ志望の僕は、クラスの有名人に観察係としてスカウトされました  作者: もりぞー


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第3話 屋上の観察係

 四階のいちばん上の階段の踊り場には、すでに先客がいた。


 屋上へ続く鉄の扉の前。

 桜井が、スマホをいじりながら立っている。


 教室を出て廊下を歩いてくるときは、まだ部活に向かう連中がちらほら残っていた。

 だけど、屋上に続くこの階段まで来ると、さすがに人の気配はほとんどない。


「あ、安藤くん」


 僕に気づくと、桜井はスマホの画面を消した。


「ちゃんと来た。えらい」


「来なかったパターンも想定してました?」


「五分五分くらいかなって」


 半分かよ、と思いつつ、否定しきれない自分もいる。


「じゃ、行こっか」


 桜井が、鉄の扉のノブに手をかけた。


「……開いててくれよ」


「そこは“開いてたら物語っぽいな〜”くらいのノリで行こ」


 軽いことを言いながら、彼女はぐっとノブを回す。


 ぎい、と金属の軋む音。

 鍵はかかっていなかったらしく、扉はあっさりと開いた。


 その隙間から、夕方の風がふわりと流れ込んでくる。



 屋上は、想像していたより広かった。


 コンクリートの床と、ぐるりと取り囲む金網のフェンス。

 グラウンドで部活をしている生徒たちの声が、少し遠くから響いてくる。


 西日のオレンジ色が、フェンス越しに差し込んで、床に細かい影を落としていた。


「ちゃんと屋上ですね」


「それ以外に何だと思ってたの」


「誰かの秘密基地とか」


「それはそれで面白いけどね」


 適当な場所まで歩いていき、フェンスの近くで足を止める。

 桜井は、その場でくるりと振り向いて、僕の顔を見た。


「ありがとね。来てくれて」


「ここまで連れてきておいて、帰れとは言わないですよね」


「言わない言わない。言ったらただの悪役じゃん」


 桜井が、制服のポケットから文庫本サイズの薄いノートを取り出す。


 無地のカバー。

 端のほうに、小さな字で何かが書いてあるのが見えた。


 【教室の隅の住人たち】


(タイトル……か)


 教室では角度的に見えなかった文字。

 こうして正面から見るのは、これが初めてだ。


「えっとさ」


 桜井は、ノートの端を指先で撫でながら、少しだけ言葉を選ぶみたいに間を空けた。


「昨日の話の、続きなんだけど」


 その一言で、昨日の帰り道のことがフラッシュバックする。

 スマホの画面に書かれていた、あの一文。


 【主役になれなかった人たちの教室には――】


「すみません。昨日は『見た』って言いましたけど、本当にあの一行が見えただけで……」


「うん、分かってる。だから、ちゃんと全部説明しようと思って」


 桜井は、困ったように、でも少しだけ楽しそうに笑った。


「“隠れポエマーの変なポエム見られた!”って思われたままなのも、なんか悔しいし」


「そこまで具体的には思ってないですけど」


「どうだか」


 そう言ってから、ノートをぱらりと一ページめくる。

 そこには、例の一文の続きらしき文章が、ボールペンでびっしりと並んでいた。


「これね。昨日安藤くんが見ちゃったやつ」


 桜井は、自分で書いた文章を見下ろしながら口に出す。


「【主役になれなかった人たちの教室には――】」


 そこで一拍置いて、続きの行を指でなぞった。


「【窓際からでも、ちゃんと見えている景色がある】」


(……僕の席に近い話だよな、これ)


 窓側の後ろから二番目。

 教室全体を眺めるにはちょうどいいけれど、誰からも特別視されない場所。


 そこから見えるものの話。


「それ、その……」


 何か言おうとして、言葉がうまく出てこない。


 桜井は、そんな僕を見て、少しだけ目尻を下げた。


「ね、怒ってる?」


「いや、むしろこっちが聞くやつじゃないですか、それ」


「たしかに」


 また、笑う。


 風が吹いて、桜井の髪が少しだけ揺れた。


「昨日も言ったけど、これ、エッセイの下書きなんだ」


「ポエムじゃなくて、ですね」


「ジャンルで言うと、エッセイ寄りのポエム……ってことにしておいて」


 桜井はノートを胸の前で支えながら、少しだけ視線を落とす。


「ネットにこっそり上げてるの。匿名でね。顔も名前も学校も出してないけど、“高校生の日常エッセイです”ってテイで」


 エッセイ。日常。高校生。


 単語だけ聞けば、どこにでも転がっていそうなジャンルだ。


「クラスのこと、書いてるってことですか」


 自分の声が、思ったより低く聞こえた。


「全部が全部じゃないよ」


 桜井は即答する。


「通学路のこととか、家でのこととか、駅前のパン屋さんの話とかも書いてるし。

 でも、いちばん書きたいのは……うん、クラスかも」


「悪口とか、ですか」


「それはやだなあ」


 桜井は、困ったように笑う。


「“悪口っぽくないか”は、いつもめちゃくちゃ気にしてる」


「テーマがさ、【主役になれなかった人たちの高校生活】だから」


 そのフレーズを、さらっと口にした。


 僕の頭の中で、昨日の一文がもう一度つながる。


【主役になれなかった人たちの教室には――】


「主役になれなかった、って……」


「わたしたちのクラスさ、分かりやすい“主役っぽい人”って、何人かいるじゃん」


 桜井は、自分の胸を指さすでもなく、教室の方角をなんとなく顎で示す。


「スポーツできる人とか、やたら面白い人とか、すごい勉強できる人とか」


「物語になったときに、名前がちゃんと出てくる側の人たち」


「……たしかに、いますね」


「でもさ、ああいう人たちって、もう誰かが勝手に書いてくれる気がするんだよね」


「勝手に、ですか」


「うん。“あの人、すごいよね”とか、“憧れるよね”とか。そういうの、きっとどこかで文章になってる」


「でも、教室の隅っこにいる人たちのことって、誰もちゃんと書かない気がしてさ」


 桜井は、自分のノートの表紙に書かれた【教室の隅の住人たち】の文字を親指でなぞる。


「だから、そういう人たちの話を書きたくて、このタイトル」


「……じゃあ、僕の席の話が混じってるって言ってたのは」


「そのまんまの意味」


 桜井は、あっさり認めた。


「窓際の後ろのほうってさ、めちゃくちゃ“教室の隅の住人”っぽいじゃん」


「でも、教室の真ん中より、いろいろよく見えてる感じがする」


「買いかぶりすぎですよ」


「そうかなあ」


 首をかしげながら、桜井はノートを少しだけ僕側に傾ける。

 そこには、さっきの続きの文章が書かれていた。


【黒板の前で笑っている主役のセリフより、

 窓際でノートを閉じるときの紙が重なる音のほうが、

 たぶん、物語の本当の終わりを教えてくれる。】


(……なんか、ものすごく見られてる気がするんだけど)


 自分の椅子を引く音とか、教科書を閉じるタイミングとか。

 そういうものまで誰かに文章にされていると思うと、背筋がむずがゆくなる。


「……怒っては、ないですよね?」


「だから、怒ってたら呼んでないってば」


 桜井は、少しだけ真面目な顔になった。


「でね。ここからが本題なんだけど」


 そう言って、ノートをぱたんと閉じる。

 表紙の【教室の隅の住人たち】の文字だけが、また強調される。


「お願いがあって」


「お願い」


「わたし、どうしても“中心側”からしか物が見えなくてさ」


 桜井は、自分の胸を指先で軽くつついた。


「クラスの真ん中にいることが多いし、話しかけられることも多いし。

 つい“真ん中側の視点”で書いちゃうんだよね」


「それは……桜井さんのポジション的には、そうなりますよね」


「でも、それだけだと、きっと見落としてるものがたくさんあるなって、最近思うようになって」


 風が一瞬だけ強くなって、桜井の言葉が少しだけ途切れる。


「視界の端っこで起きてることとか。

 誰も大声では話さないけど、ちゃんとその人の中では事件になってることとか」


 そして、僕をまっすぐ見る。


「安藤くんって、そういうの、よく気づいてるでしょ」


「え」


「なんか、いつも全部見てる感じするもん。

 誰が今ちょっと機嫌悪いとか、どこらへんの空気が重いとか」


「そんな大層なものじゃないですけど」


「自覚ない?」


「ない、というか……見ないようにしてることのほうが多い気はしますけど」


 揉め事とか、空気の悪さとか。

 そういうものは気づいても、大抵「関係ない」と言い聞かせてスルーしてきた。


 モブとしての処世術だ。


「それでも、見えてはいるでしょ」


 桜井は、少しだけ意地悪そうな目で言う。


「だからさ」


 ノートをぎゅっと抱きしめるように持ち直して、言葉を区切った。


「このエッセイ、続けて書いてくつもりなんだけど」


「はい」


「“それは書かないほうがいい”とか、“そこ違う”とか。

 そういうライン、たまに教えてほしいなって」


「……ライン」


「うん。わたし、たぶんどこかでやらかすから」


 苦笑いしながら、桜井はフェンスに視線を投げた。


「自分が主役側っぽいからこそ、気づかないで踏み越えちゃう線とか、あると思うんだよね」


「そういうとき、“それ、たぶんちょっと違うよ”って言ってくれる人がほしくて」


「……それを、僕に?」


「観察係として」


 あっさり、そんな役職名がついた。


「観察係」


「うん。クラスの背景とか、隅っことか、空気とか。

 そういうのを“なんとなく見てる人代表”って感じで」


「代表にされた覚えは、全然ないんですけど」


「いま任命した」


 さらっと言う。


 その軽さの裏に、どれくらい本気が混ざっているのか、いまいち分からない。


「いや、でも……」


 僕はフェンスの線をなんとなく指でなぞりながら、言葉を探す。


「僕の一言で、誰かの話が“書かれるか書かれないか”決まるの、ちょっと重くないですか」


「全部を安藤くんに決めてもらうわけじゃないよ」


 桜井は首を振る。


「ただ、わたしだけだと気づけないところを、ちょっとだけ指さしてもらえたらいいなって」


「……それ、僕じゃなくてもよくないですか。西村さんとか」


「千夏は千夏で必要なんだよね。

 あの子は、“読んだときに面白いかどうか”の基準を持ってるから」


「じゃあ僕の基準は」


「“その人が読んだときに、どう思うか”のほう」


 間髪入れずに返ってきた。


「安藤くん、そういうの、けっこう気にするでしょ」


「……まあ」


 否定しきれないあたりが、なんか悔しい。


「それにさ」


 桜井は、ノートを胸から少し離して、表紙を見つめた。


「自分のことも、ちゃんと書きたいんだよね。

 “主役にされる側”のしんどさとかも」


 その言い方は、少しだけ寂しそうだった。


「でも、自分のことになると、急に視野が狭くなるからさ。

 そういうときも、“ちょっとそれ違うかもよ”って言ってほしい」


「……」


 言いたいことは、分かる。


 分かるけど。


「エッセイは、その……僕も読むんですか」


「あ、それはね」


 桜井は、少しだけいたずらっぽく笑った。


「任せる。読みたいなら読んでいいし、読みたくなかったら、読まなくてもいい」


「どっちでもいい、ですか」


「うん。ただ、もし読まないなら、そのほうが“公平”かもって思ってる」


「公平」


「文章としてじゃなくて、現実として見たことだけ教えてもらえるでしょ」


 たしかに、それはそうだ。


 エッセイを読んでしまったら、

 そこに書かれた自分やクラスメイトの姿を意識してしまう気がする。


(自分が書かれてるかもって思いながら読むの、たぶんきついしな)


 想像しただけで、胃がきゅっとなる。


「……じゃあ」


 しばらくフェンスの向こうの空を眺めてから、口を開いた。


「読むのは、やめときます」


 桜井が、少しだけ目を丸くする。


「お、即決」


「なんか……読んじゃうと、変に意識しそうなので」


「たしかに。じゃあ、それはそれであり」


 桜井は、納得したようにうなずいた。


「でも、気づいたことくらいなら……言えるかもしれないです」


 言ってから、自分でも「お、引き受けたな」と遅れて実感する。


 桜井は、一瞬だけきょとんとして、それからふわっと笑った。


「ありがと。じゃあ、観察係さん、よろしくお願いします」


「係になった覚え、さっきまでなかったんですけど」


「今なったから大丈夫」


「何が大丈夫なんですか、それ」


 そこまで言い合ってから、桜井が「そうだ」と思い出したみたいに指を鳴らした。


「……あ、あとさ」


「はい?」


「協力してもらうついでに、もう一個お願いしていい?」


「まだ増えるんですか」


「増えるってほどでもないけど」


 桜井は、少しだけ真面目な顔から力を抜いて言った。


「敬語、やめない?」


「え」


「クラスメイトだし、これから一緒にいろいろ話すわけじゃん。

 ずっと“ですます”だと、なんか距離ある感じする」


「いや、でも、いきなりタメ口って……」


「今ならギリ、“最初からタメ口だったことにしてもらえるタイミング”だから大丈夫」


「その理屈は大丈夫じゃないと思うんですけど」


「敬語、完全にゼロにしなくてもいいからさ。ちょっとずつ崩していく感じで」


 夕日を背にしながら、桜井は少しだけ期待するような目でこっちを見る。


「……分かった。なるべく、がんばってみます」


「“がんばってみます”は、がっつり敬語だね」


「今のノーカンで」


「じゃあ次からカウントする」


「それはそれでプレッシャー強いな」


 自分でしゃべりながら、語尾を意識しているのが、我ながらちょっとおかしい。


 でも、桜井はそれを笑わず、目を細めて、小さくうなずいた。


「うん。その感じ。そのうち慣れるって」


「……そうだといいけど」


 さっきまでより、ほんの少しだけ近い距離で会話をしている気がした。



 そんなやりとりをしながらも、胸の中では別の感情が静かに動いていた。


 モブとして、風景の一部として、一年をやり過ごすはずだったのに。


 気づけば僕は、誰かの物語が「どこまで書かれるか」を横から見張る役を、

 しかも、敬語じゃない距離感で引き受けてしまっていた。


(……完全に、予定外なんだけどな)


 夕焼けに染まるフェンスの向こうで、部活中の誰かが大きな声を上げる。

 その声が、やけに遠く聞こえた。


 こうして僕は、“物語の外側にいるつもりだったのに、物語そのものを見張る役”を引き受けた。


 その意味を本当に理解するのは、ずっと後になってからの話だ。

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