第25話 初詣と、神様公認の共犯関係
正月三日の昼下がり、駅前は妙に人が多かった。
家の最寄り駅からさらに二駅先。
毎年、安藤家が初詣に行く、そこそこ有名な神社の最寄り駅だ。
改札を出ると、すでに人の流れが一方向にできあがっていた。
屋台の旗とのぼりが、風に揺れている。
「甘酒の匂いする」
隣で、まいがマフラーの上から鼻をひくつかせた。
「焼きそばの匂いもする。あとベビーカステラ」
「屋台の特定早すぎない?」
「経験則」
神社に向かう道は、一部が歩行者天国になっていた。
参道の入口あたりから、すでに「参拝待ち」の列がぐねぐねと伸びている。
人の頭越しに、本殿の屋根と、でかい干支の絵馬がちらっと見えた。
「今年こそ、家族全員で同じ時間に集合できたね」
まいが、少し得意そうに言う。
「駅まではな。ここに着いた瞬間、自由行動になったけど」
僕は、列のはるか後方を振り返る真似をした。
父さんは「混む前に」と喫煙所へ吸い込まれ、母さんは参道の入り口付近で近所の人に捕まって話し込んでいる。
「お父さんたち、どうすんの? 並ぶのあたしたちだけだけど」
「この人混みじゃ、今から列に呼び戻すのも無理だろ。参拝終わってから、社務所の前あたりで合流でいいよ」
「だね。まあ、いつものことだし」
安藤家の初詣は、毎度このくらいのゆるさだ。
きっちり時間を決めて動くより、各自のペースで動いて、なんとなく最終地点で会えればいい。そういう暗黙の了解があった。
「兄ちゃん、今年は何お願いすんの?」
参道の途中で足を止められつつ、まいが聞いてくる。
「健康と平和と赤点削減」
「欲張り三点セット来た」
「神様のリソース配分を考えた結果なんだけど」
口ではそんなことを言いながら、内心ではもう一つだけ、別の項目が引っかかっていた。
(“目立ちませんように”だけお願いしてた中学の頃とは、少しだけ違うよな)
クラスの真ん中ではなくてもいい。
でも、文化祭や冬休みの駅前みたいに、「誰かの役に立つ位置」にいるのは、悪くなかった。
それを、わざわざ願いごとにするほど希望はしていないけれど。
「まいは?」
「テストの平均点十点アップと、兄ちゃんがあんまり変なことしませんように」
「後半のやつ、祈りの矛先おかしくない?」
「日頃の行いの結果です」
そうやってくだらない会話をしているうちに、本殿前の列が見えてきた。
◇
参拝待ちの列は、最後の折り返しあたりで歩くスピードが一段と遅くなった。
人と人の間隔が詰まり、境内の砂利が、足音に合わせてざくざく鳴る。
そのときだった。
「だからさ、絶対イカ焼き一択だって」
「いや、ベビーカステラも外せないでしょ」
前のほうから、聞き覚えしかないテンポの声が聞こえてきた。
少し高めで、語尾が軽く跳ねる声と、それに合いの手を入れる落ち着いた声。
(この掛け合い、声だけで誰か分かるんだけど)
人の頭の隙間から前方を覗くと、見慣れた後ろ姿が二つ、視界の端に入った。
片方は、ポニーテールをマフラーの上に出している西村。
もう片方は、フード付きのコートを着た、肩までの髪の桜井。
(いやいや……さすがに、初詣でクラスメイト遭遇はイベント過多では?)
心の中でツッコミを入れたところで。
「兄ちゃん」
先に気づいたのは、隣の妹だった。
「あれ、桜井さんじゃない?」
まいが、前方を顎で指す。
(妹の観察力、やっぱり侮れない)
十秒くらい迷った末に、僕は列の合間から声をかけた。
「……桜井?」
振り向いた二人のうち、一人が目を丸くする。
桜井は僕の顔を見ると、驚きよりも先に、どこかホッとしたような表情を一瞬だけ浮かべた。
「あ、安藤くん。……奇遇だね」
「マジだ、一年B組セットだ」
隣で西村が、楽しそうに笑う。
「セットって何」
「こっちが聞きたいよ。初詣コースでクラスメイト遭遇は、なかなかのレア演出なんだけど」
そんな会話をしているうちに、列の流れで自然と立ち位置が調整された。
人混みをかき分けるのが得意そうな西村とまいが前列へ。
そのエネルギーに少し押され気味の僕と桜井が、後ろに並ぶ形になる。
「二人も、ここ毎年?」
西村が振り返りながら聞いてくる。
「うちは毎年ここだね。スーパーの福袋感覚で、初詣も同じ神社固定」
「例えが安い」
まいが、すかさずツッコんだ。
「あとでじゃがバタ買うのが安藤家ルールです」
「じゃがバタ」
西村が、くすっと笑う。
「うちはね、家族全員で来る予定だったんだけど」
西村は、人混みの後ろのほうを振り返る。
「親が“あとで合流する”って言い出してさ。とりあえず女子だけ先に初詣コース」
「“屋台でイカ焼き食べるまでがセット”らしいよ」
桜井が、苦笑混じりに補足した。
彼女は話しながら、さりげなく僕の右側――人通りの少ない側――に立ち位置を移している。
先日のイルミネーションの時と同じ、「壁役」としての運用だ。
「その説明いる?」
「イカ焼きへの信頼が厚い家庭なのかもしれない」
まいが適当な相槌を打つと、ふと思い出したように付け加えた。
「うちなんて、昨日もテレビのリモコン取り合って、お父さんふて寝してたし。まとまりなさすぎでしょ」
その言葉に、隣にいた桜井がぴくりと反応した。
そして、僕のほうをちらりと見て、悪戯っぽく口の端を持ち上げる。
『……予言通りだ』
声に出さず、口パクだけでそう言った。
(……この前の“安藤家の年末ルーティン”の話、覚えてたのか)
僕も苦笑して、小さく頷き返す。
前を歩く西村とまいには分からない、二人だけの答え合わせ。
ただそれだけのことが、妙に心地よかった。
◇
参拝を終えたあと、僕らは本殿脇のおみくじコーナーに流れ込んだ。
さっきまでのぎゅうぎゅう詰めよりは、少しだけ空間に余裕がある。
「はい、おみくじ行こう、おみくじ」
西村が、テンション高めに宣言した。
「賛成です。ここで運を数値化しておかないと」
「運を数値化って言い方やめろ」
「じゃ、せっかくだし四人で引く?」
桜井が、箱の前でちらっとこちらを見る。
「……まあ、ここまで来て一人だけスルーするのも変だしね」
僕らは、それぞれ一本ずつ、おみくじを引いた。
「じゃあ、せーので開ける?」
「そのノリは嫌な予感しかしない」
文句を言いつつも、紙を開くタイミングはなんとなく揃った。
「……中吉」
僕の紙には、その二文字が印刷されていた。
横のほうには、「焦らず、今の歩幅で進め」と、それっぽい言葉が並んでいる。
「私は小吉だ」
桜井が、自分の紙を見ながら言う。
そして、ある一行を見つけて、僕にだけ見えるように紙を傾けてきた。
「見て。“思いがけぬ協力者あり”だって」
「……へえ」
「神様も公認みたいだね。私の“共犯者”」
桜井は、誰にも聞こえないような小声で囁くと、満足げに目を細めた。
その言い方が、おみくじの結果よりも確かな「契約書」みたいに聞こえる。
「うわ、出た。大吉」
西村の声で、僕らは現実に引き戻された。
「“人の輪を大切にせよ”“調整役でうまくいく”……だって。これは今年もクラス運営を頑張れという神の圧」
「安定してるなあ」
「はい、末吉」
まいが、自分の紙を差し出してくる。
「“出過ぎなければ吉”“口は災いのもと”」
「心当たりがあるようなないような?」
「ある側だろ、それは」
「兄ちゃんが言う?」
軽くにらまれた。
「でもさ、末吉って、一番伸びしろありそうじゃない?」
「ポジティブ解釈の天才かよ」
西村が笑いながら、まいの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
おみくじの紙片がひととおり読み上げられたところで、西村がふと思い出したように言う。
「せっかくだし、“今年の目標”一個ずつ宣言してかない?」
「本殿の前でお願いしたやつを、ここで口に出させるスタイル?」
「全部じゃなくていいからさ。“人に言えるやつ”だけ」
「ハードル設定が妙に現実的なんだよな」
「じゃあ、まいちゃんから」
「指名制なんだ……」
まいは、少しだけ考えてから口を開いた。
「私は……ちゃんと勉強して、ちゃんと兄ちゃんを見張る」
「後半のやつ、絶対余計なんだけど」
「後半がないと、前半のモチベが出ないの」
理屈になっているような、いないようなことを言う。
「でも、兄妹でお互いの生活見てる感じはするね」
桜井が、くすっと笑った。
「じゃ、次うちね」
西村は、自分のおみくじをひらひらさせながら言う。
「今年は、“ちゃんと人の話を最後まで聞く”かな」
「聞く?」
「なんかさ、つい途中で“あ、それ分かる!”ってかぶせちゃうじゃん、わたし」
「自覚はあるんだ」
「あるよ? だから今年は、もうちょっと“最後まで聞いてからしゃべる側”の練習したい」
しゃべる側に回ること自体は苦じゃないけれど、
それだけだと空回りも増える──そういう自戒みたいなものが、僕にはその目標に混ざって聞こえた。
「しゃべるほうは、多分放っといても減らないしね」
「そこは安心と信頼の西村クオリティ」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「じゃあ、次は?」
西村が、今度はわざとらしく周りを見回す。
「ここはやっぱり、“もう一人の中心側”でしょ」
「誰が“中心側”なの、それ」
「決まってるじゃん。店長さん」
「だからその呼び方やめてってば」
口では否定しつつも、語尾はどこか丸かった。
自然と、僕とまいの視線も、桜井のほうに集まる。
「……わたし?」
視線を向けられて、桜井が少しだけ視線を逸らす。
それから、僕を一瞬だけ見て、ゆっくりと言葉を選んだ。
「“ちゃんと最後まで見届ける”かな」
「何を?」
「いろいろ」
桜井は、参道の向こう側を見るように目線を上げる。
「クラスのこととか、自分で始めたこととか。……あとは、協力してくれる人もいるし」
最後の付け足しは、明らかに僕に向けられたものだった。
(途中で投げたくない、って言い方が一番近い気がした)
そう思ったが、あえて口には出さない。
「じゃ、ラスト安藤くん」
「プレッシャーの順番」
おみくじの紙を握り直してから、口を開く。
「僕は……“あんまり波風立てずに、それでもちょっとは役に立つ一年で”」
「相変わらず、モブ志望なんだか便利屋なんだか分かんない」
まいが、即座にツッコミを入れてきた。
「でもさ」
西村が、少し真面目な顔をする。
「安藤くんが“ちょっとは役に立つ”方向に動くと、だいたい周りが助かるからね」
「そうそう。文化祭のときとか、まさにそれだったし」
桜井は、何も付け足さず、ほんの少しだけ笑った。
その笑い方だけで、十分すぎる補足になっていた。
◇
参道を戻る途中、屋台ゾーンの前で足が止まる。
「イカ焼き行く? それともベビーカステラ?」
西村が、屋台の列を見比べながら言った。
「じゃがバタ優先です」
まいが、迷いなく答えた。
「完全に胃袋優先の意思決定」
「お腹は正直なんだよ」
「じゃ、ここでいったん解散かな」
桜井が、屋台の並びを見回しながら言う。
「うちはこのあと、ここで家族と合流コースだから」
「了解」
僕が頷く。
「まいちゃん、お家でお兄ちゃんの監査よろしく」
「任されました」
「そういう連携プレーやめて」
抗議は、あっさりスルーされた。
西村とまいが屋台の方へ歩き出すと、一瞬だけ、僕と桜井のあいだに隙間ができた。
「……じゃあ、またあとで連絡する」
桜井が、他の二人には聞こえない声で言った。
「連絡?」
「冬休みの取材の件。神様公認の協力者なんでしょ?」
桜井は、少しだけ笑ってこちらを見る。
その笑顔は、さっきまでのクラスメイトに向けるものより、少しだけ力が抜けているように見えた。
「じゃあ、良い一年にしましょう、的な感じで」
戻ってきた西村が、手をひらひら振った。
僕らもそれに軽く手を上げて応える。
人混みの中で、四人のグループはゆるやかにばらけていった。
(学校の中だけじゃなくて)
(こうやって神社の帰り道で、クラスメイトと妹の会話が混ざってるの、妙に不思議だ)
(大人数の“クラス全体”じゃなくて、四人くらいの半径でなら……この距離感、悪くない)
そう思いながら、僕はじゃがバタの列に並ぶ妹の後ろ姿を追いかけた。
◇
家に帰るバスの中で、窓の外の街並みをぼんやり眺めながら思う。
ポケットの中には、さっき引いた中吉のおみくじ。
(たぶん、今日みたいなのも)
(どこかのタイミングで、桜井のエッセイのどこかに混ざるんだろうな)
「一年のはじまりと、願いごとの話」とか、
それっぽいタイトルをつけて。
おみくじの紙片を握りしめてた四人組が、
どこかの段落の端っこに、ちょっとだけ顔を出す。
その完成した文章を、僕が実際に読むことはない。
タイトルも、投稿日も、あえて知らないままにしておく。
(それはそれで、ちょうどいい距離感なんだろうな)
ネタの種だけ渡して、どんな花が咲いたかは知らないふりをする。
それが、「観察係」としての僕らの契約で、守るべきラインだ。
そう自分に言い聞かせながら、窓の外を流れていく街の明かりをもう一度だけ見送った。
新しい一年が、静かに始まっていく気がした。




