第24話 駅前イルミネーションと、一歩ずらしたクリスマス
冬休みに入って、最初の土曜日の夕方だった。
家の最寄り駅前は、いつもより三割増しで浮足立っていた。
ロータリーの街路樹には、白いライトが執拗に巻き付けられていて、簡易なツリーが真ん中にどん、と鎮座している。
駅ビルの一階にはケーキ屋の特設コーナー。
紙箱を両腕に抱えた人たちが、入口付近で行列を作っていた。
(イルミネーションとケーキの箱があるだけで)
(なんか、全員が「幸せな物語」の登場人物に見える罠だよな)
実際には、仕事帰りっぽい人もいれば、部活バッグを背負った中学生もいる。
全員「何かの帰り」なだけなのに、光と箱のせいで同じカテゴリに見えてくるのは、冬の駅前マジックだと思う。
「兄ちゃん、袋破れそうなんだけど」
隣で、まいがスーパーの袋を片手で持ち上げる。
「詰め込みすぎじゃない?」
「年末セールで安かったんだって。カップ麺とポテチは“来客用”だそうです」
「絶対、年内に家族で消費するやつだろ、それ」
僕らは、スーパーの袋を片手ずつ持って、駅前ロータリーのバス停の列に並んでいた。
冬休みに入ったばかりの夕方。時間は、たぶん六時前。
空はすでに暗くて、吐く息は白い。
「……あ」
ふと、まいが声を上げた。
視線の先、バス停の列の少し前方に、見覚えのある後ろ姿があった。
薄いグレーのコート。
ふわふわしたファーのついたフードと、肩までの髪。
斜めがけのバッグが、見慣れた位置にかかっている。
(……あれ?)
一瞬、他人の空似だと言い聞かせる。
でも、その人がふと顔を上げて、駅ビルの時計を見上げた横顔は、間違いなく桜井すみれだった。
ただ、その表情はいつもの涼しいものではなく、どこか心細げに見えた。
「桜井さんだ」
まいが、僕の脇腹を肘でつつく。
「声かけないの?」
「いや、向こうも一人っぽいし、プライベートだろ」
「兄ちゃんがチキンなのは知ってるけどさ」
まいは呆れたように息を吐くと、僕の手からスーパーの袋をひったくった。
「貸して。あたし、重いの持つの得意だから」
「は? お前、何言って……」
僕が止める間もなく、まいは両手に袋を提げたまま、到着したばかりのバスに乗り込んでしまった。
そして、閉まりかけたドアの向こうから、ニヤリと笑って口パクで言った。
『あとは、よろしく』
プシュー、とドアが閉まる。
バスは無情にも発車し、僕は駅前のロータリーに一人、取り残された。
(……あいつ、やりやがったな)
確信犯的な「置き去り」に呆然としていると、視線を感じた。
振り返ると、数メートル先で、桜井が目を丸くしてこっちを見ていた。
人混みに押され、少し所在なさげに立っている。
「……安藤くん?」
「あ……」
目が合う。
桜井は、僕の姿を確認した瞬間、安堵したように肩の力を抜いて近づいてきた。
「奇遇だね。買い物?」
「うん、まあ……。妹と一緒だったんだけど、なぜか荷物ごと先に帰られた」
「ふふ、まいちゃん? 相変わらず自由だね」
桜井は楽しそうに笑うと、一歩距離を詰めてきた。
周囲のカップルや家族連れの波に酔っていたのか、僕の隣に来ると、あからさまに「避難完了」といった顔をする。
「で、安藤くんはフリーになっちゃったわけだ」
「……言い方」
「ねえ、時間ある?」
桜井が、少しだけ声を潜めるようにして、僕のコートの袖をちょいと引く。
「この前、言ったよね。“取材に協力する”って」
「……言った覚えはあるけど」
「今、まさにネタ収集に来たんだけど、人が多すぎて心が折れそうなの。ガード役、お願いできない?」
桜井は、駅ビルの二階にあるオープンデッキを指差した。
そこは、駅前のイルミネーションが一番きれいに見えるスポットだが、同時に最も人口密度が高い場所でもある。
断る理由は、どこにもなかった。
◇
駅ビルの二階デッキは、光の洪水だった。
手すりに沿って青と白のライトが流れるように点滅していて、眼下にはロータリーを行き交う車のライトが赤い川みたいに見える。
周りは自撮りをしたり、手をつないで歩いたりしている人たちで溢れかえっていた。
その熱気に当てられないように、僕らはデッキの端、照明が少し暗くなっているエリアへと向かう。
「……うわ、すごい人」
桜井が、小声で呟く。
彼女は、人混みから身を守るように、僕の背中側に半歩隠れて歩いていた。
時折、すれ違う人の荷物が当たりそうになると、僕のコートの裾を無造作に引っ張って位置を調整してくる。
遠慮がない、というか。
僕を「人混み避けの盾」として有効活用しすぎている。
「はぐれるから、ちゃんと確保されててよ」
「……了解」
その指先の感触が、妙に日常的で、逆にドキリとする。
彼女にとって僕は、このきらびやかな異世界の中で唯一、気を使わなくていい「日常」なのだろう。
少し人の少ない、デッキの端の手すりに並んで立つ。
「で、冬休みのエッセイ、進んでる?」
僕は、平静を装って聞いた。
「うーん、構想は固まったんだけどね」
桜井は、マフラーに顔を半分うずめるようにして、手すりに肘をついた。
「やっぱり、“一歩ずらす”のが正解だったみたい」
「冬休み前に話したやつ?」
「そう。さっきまで一人でここを見てたんだけど、真正面のクリスマスは眩しすぎて、直視できないの。目が潰れる」
「吸血鬼かよ」
「だから、こうやって端っこから見るくらいが、観察者としては適正距離なんだよ」
桜井は、眼下の光の渦を見下ろしながら、ふっと息を吐いた。
「安藤くんの言う通りだったね。主役になれない時間とか、場所のほうが、なんだか落ち着く」
「役に立ったならよかった」
「うん。……あ、そうだ。これ持ってて」
桜井は、ポケットからスマホだけ抜き取ると、自分の小さなショルダーバッグを僕に押し付けてきた。
「え、なに」
「ずっと掛けてたら肩凝っちゃって。ちょっと身軽になりたい」
言うが早いか、彼女は自分の両手を、コートのポケットに深く突っ込んだ。
そして、ポケットの中でカイロを探るようにごそごそと動かしたあと、満足げにため息をつく。
(中身、何が入ってるんだってくらい軽いな……)
渡されたバッグは拍子抜けするほど軽かった。これを断る理由は、さすがにない。
僕を荷物置きにして、自分は暖を取る。その一連の動作があまりに自然すぎて、文句を言うタイミングを逃した。
「……安藤くんも、寒くないの?」
「まあ、寒いけど」
「じゃあ、温かいの買ってくる。何がいい?」
「いや、僕が行くよ」
「いいの。安藤くんはそこで、私のバッグを死守するっていう重要任務についてて」
「ただの荷物番じゃん」
「よろしく頼んだよ、ガードマンさん」
桜井はポケットからスマホを取り出してひらつかせると、「待ってて」と言い残して、身軽になって自販機のほうへ小走りで向かっていった。
(……ガードマンって)
彼女のバッグを抱えたまま、僕は苦笑する。
周りのカップルが見たら、完全に尻に敷かれている彼氏に見えるかもしれない。
でも、この「扱い」の雑さが、今の僕らには心地よかった。
すぐに桜井が戻ってきた。
手には、温かい缶ココアが二つ。
「はい、給料」
「現物支給かよ」
受け取った缶ココアは熱いくらいで、かじかんだ指先にはありがたかった。
バッグを抱えているせいでプルタブは開けにくい。僕はそれをカイロ代わりに、両手で包み込むように握りしめた。
桜井は隣に戻ると、プルトップを開けて一口飲み、ほう、と白い息を吐く。
「……生き返る」
「そんなにか」
「人混みで酸素薄かったし。安藤くん見つけられて、やっと呼吸できた感じ」
さらりと、すごいことを言う。
でも彼女の表情は、恋愛のそれではない。
もっと根本的な、生存本能に近い信頼だ。
桜井は、缶ココアを両手で包み込むように持ちながら、僕を見上げた。
「ねえ、安藤くん」
「ん?」
「この“一歩ずらした観察係”、冬休み中も継続契約できる?」
「……契約?」
「うん。一人だと、どうしても“普通の女子高生”のふりをしなきゃいけないから、疲れるの。
でも、安藤くんがいれば、こうやって端っこで悪態ついてても許されるでしょ?」
彼女は、いたずらっぽく、でもどこか真剣な目で言った。
「私の性格の悪さを出力できる場所として、独占契約を結びたいんだけど」
「……性格悪い自覚はあるんだ」
「あるよ。だから、共犯者が必要なの」
桜井が、僕の腕にこつんと自分の肩をぶつけてくる。
「拒否権はないからね。私のエッセイが完成するまで、ちゃんと付き合ってよ」
「……はいはい。善処します」
僕が答えると、桜井は満足そうに笑って、また夜空を見上げた。
終身雇用なんて大げさな言葉じゃない。
ただの「取材協力」で、「共犯者」で、「独占契約」。
でも、その響きは、どんな甘い言葉よりも今の僕らを正確に縛っていた。
ふと、桜井が持っていた缶ココアを、僕の腕のあたりに押し付けてきた。
「……なに?」
「ここ、まだちょっと冷えるから」
「自分のカイロ使いなよ」
「共有財産ってことで」
理不尽な理屈だ。
でも、腕に伝わる缶の熱さと、その向こうにある彼女の体温が、冬の寒さを曖昧にしていく。
眼下のイルミネーションよりも、隣で「ぬくい」と呟いているこの無防備な時間のほうが、僕にとっては価値のある「冬の記録」だった。




