第23話 冬の教室と、年末家族トーク
十二月の放課後は、やたらと日が短い。
文化祭の片づけからしばらく経って、教室の空気もすっかり冬になっていた。
最後のチャイムが鳴り終わるころには、窓の外はもう薄暗かった。
ガラスの端っこは、外との温度差でうっすら曇っている。
そんな教室で、担任がホームルームの締めに教卓の前で手を叩いた。
「はい、じゃあ連絡はこれでおしまい……そうだ。文化祭の“教室カフェ”の冊子な」
その一言で、教室の空気が少し持ち上がる。
「出来がいいから、生徒会が生徒会誌の資料として保管したいってさ。来年以降の見本にするんだと。名誉なことだぞ」
数人から「おー」という、半分照れたような声が上がった。
「一応、学校の“記録”って扱いになるからな。変な落書きはしないように。以上。じゃあ今日はこれで解散、気をつけて帰れよ」
「はーい」
返事は、いつもの調子だった。
でも、そのすぐあとに。
「うちの親、あれめっちゃ気に入ってたんだよな」
「“裏方の子まで載ってるのがいい”って、やたら褒めてた」
「うちも。なんか“最近の子はすごいわねえ”って、謎の大人コメントしてた」
そんな声が、教室のあちこちから聞こえてきた。
(ただのクラス内企画のはずが)
(“学校の記録”ポジションまで上がってるの、ちょっとだけこそばゆいな)
みんなが一斉に椅子を引いて、カバンを取り出しはじめる。
「塾だから先に出る」「コンビニ寄ってく?」といった、期末前とは思えない会話も飛び交っている。
僕は、机の中からプリント類をまとめて引っ張り出した。
期末テストの範囲表と、対策プリントと、あまりやる気のない自分。
カバンの中に教科書を詰め込んでいるとき、サイドポケットに入れた二つ折りの紙が、指先にかすかに触れた気がした。
文化祭の日から、ずっと入れっぱなしのシフト表と。
家で、他のプリントと一緒に積んである、自分用のスタッフブックと。
(……まあ、今日は意識するだけでいいか)
誰に見せるわけでもないけれど、そこにあるものとして意識しておく。
それくらいの距離感が、今はちょうどいい。
◇
人が減ってくると、教室の音の粒が大きくなる。
椅子を戻す音。
ファスナーを閉める音。
誰かの笑い声が廊下に流れていく音。
そんな中で、カバンの肩紐をかけ終えたところで。
「ねえ、安藤くん」
いつものテンポで、背後から声がした。
「ん?」
振り向くと、桜井が自分のカバンを肩にかけたまま、少しだけ首をかしげて立っていた。
「この前、うちのお母さんがさ」
「……うん?」
「“教室カフェの本、すごく良かった”って」
出だしから、ちょっと照れくさい話題だった。
「文化祭の日に持って帰った一冊、テーブルの上に置きっぱなしにしてたらね」
桜井は、少しだけ苦笑する。
「気づいたら、全部読まれてた」
「お母さんに?」
「うん。“こういうの書ける子がいると、クラスの雰囲気いいのよね”って、やたらテンション高くてさ」
なんとなく、長谷川の親御さんと似た感想だな、と思う。
「“皿洗いの話までちゃんと書いてあるのがいい”とか、“窓際の席の子の目線が効いてる”とか」
「窓際の席の子」
「あとね、“この安藤くんって子が、すみれがいつも話してる子?”って聞かれた」
さらっと言われた言葉に、思考が一瞬停止する。
「……え?」
「あ」
桜井が、しまっていた言葉をうっかり落としたみたいな顔をして、ぱっと口元を押さえた。
「いや、その、家でたまに……クラスの話するときに、名前が出ちゃってたみたいで」
「名前が出るようなこと、なんかしたっけ」
「……文化祭の愚痴とか、相談とか。いろいろ聞いてくれてる人がいるって、言ったかも」
桜井の耳たぶが、夕焼けのせいだけじゃなく赤くなっている気がした。
「変なことは言ってないから! 頼りになる、とか、そういうのだけだし」
「まあ、変なことじゃなければいいけど」
僕も、なんだか急にカバンの肩紐の感触が気になって、握り直す。
(親御さんに名前認知されてるの、ハードル高いな……)
でも、嫌な気はしなかった。
むしろ、教室の外でも僕の存在が桜井の中にあったことが、少しだけ嬉しかった。
◇
一通りスタッフブックの話が落ち着いたあと、桜井がふっと話題を変えた。
「そういえばさ」
「うん?」
「冬休みって、安藤くん家いつもどんな感じなの?」
「冬休み」
あまりにも普通すぎて、逆に質問されたことがないテーマだ。
「今日さ、職員室前の棚を見たときに、“ああ、もう今年終わるな〜”って変に実感わいちゃって」
「分かる。それ」
僕は少し考えてから、頭の中の「安藤家・年末ルーティン」を引き出しから出してきた。
「まず、大掃除」
「うん」
「毎年、“大掃除やるぞー”って父さんが号令かけるんだけどさ」
そこまで話したところで、桜井の口元がすでに笑いの準備を始めている。
「妹が、“自分の部屋はテリトリーだから”って言って、一番散らかってるくせに最後まで手を付けない」
「テリトリー」
「で、みんなリビングとか廊下とか頑張るんだけど、年明けても、まいの部屋だけ“現状維持”っていう」
「ひどい」
桜井は笑いながらも、同情のニュアンスを混ぜてくる。
「でも、なんか想像できる……」
「次が、テレビ」
「紅白と、お笑いと、その他?」
「そうそう。紅白見たい母さんと、お笑い特番見たい父さんと、ゲームしたい妹で、リモコンの奪い合いが発生する」
「戦場だ」
「最終的に、“CMの間だけチャンネル替える”っていう、誰も得してない妥協案に落ち着く」
「それ、絶対誰か不満溜まるやつ」
「母さんは“歌の途中でチャンネル替えないでよ!”って怒って、父さんは“オチの前に戻すなよ!”って文句言って、妹は“どっちでもいいから早くゲームさせて”って言う」
「まいちゃん、ぶれない……」
桜井は、肩を揺らして笑った。
「あと、年末ジャンボ」
「お、宝くじ」
「父さんが毎年、たいして当たらないのに買ってきてさ。当選番号チェックするときだけ、家族全員やたら真剣になる」
「すごく分かる」
「で、三十秒でいつもの現実に戻る」
「三十秒」
「数字読み上げて、“あ、かすりもしてないねー”ってなって、はい終了」
「……なんかさ」
笑いが一段落したあと、桜井がぽつりと言った。
「“ちゃんと年末してる家族”って感じで、普通に好きなんだけど」
「ちゃんと年末してる家族」
言い方が、妙にしっくりきてしまう。
「まいちゃん、一回落ち着いて話してみたいな。文化祭のとき、ちょっとしか話せなかったし」
「え、あいつと」
「うん。観察係の妹ちゃん」
「そのラベリングやめてって」
とはいえ、文化祭でのテンションを思い出すと、全力で止めたい未来でもある。
(あのテンションの妹と、桜井がちゃんと向き合う世界線……)
(いや、想像するとなんか負けそうなんだけど)
「機嫌のいい日に当たれば、たぶん大丈夫」
「たぶん?」
「機嫌悪い日に当たると、質問が三倍くらいになる」
「それはそれで興味あるかも」
桜井は、悪びれた様子もなく笑った。
その笑い方が、年末の特番みたいにゆるく見えた。
◇
「で、そんな“ちゃんと年末してる家族”の話もいいんだけどさ」
ひとしきり笑ったあとで、桜井の声のトーンが少しだけ変わった。
「うん?」
「冬休みのエッセイ、まだテーマ決めきれてなくて」
「ああ……なるほど」
冬休みも、夏休みと同じネタの宝庫ではあるが……。
「“冬っぽいネタ書けたらいいな〜”って思ってるんだけど」
桜井は、窓の外の薄暗さに目をやる。
「クリスマスって、扱いづらくない?」
「扱いづらい」
「“リア充です!”って書くとウソくさくなるし、“ぼっちで〜す”って書くと、それはそれで笑えないじゃん?」
「たしかに、“誰と過ごしましたか”基準で書くと、だいたい地雷踏みそうだな」
家族と過ごす人もいれば、バイトの人もいて、普通に塾の人もいる。
それを一つのエッセイでまとめるのは、たしかに難しそうだ。
「だからさ」
桜井が、窓の外から視線を戻して、僕のほうを見た。
「もし、どうしてもネタに困ったら、取材に協力してくれない?」
「取材?」
「そう。たとえば……“もしも放課後の教室でクリスマスっぽいことをしてみたら”とか」
「……企画モノ?」
「あるいは、“街のイルミネーションを冷静に観察してみるツアー”とか」
桜井は、冗談めかして言っているけれど、目が笑っていなかった。
いや、笑ってはいるんだけど、どこか「答え」を待っているような目だ。
「一人で行くと“ぼっち”だけど、観察係と一緒なら“取材”になるでしょ?」
「……すごい理屈だな」
でも、その理屈は嫌いじゃなかった。
「まあ、ネタに困ったら……相談には乗るよ。観察係として」
「ほんと? 言ったね?」
桜井の表情が、ぱっと明るくなる。
「じゃあ、ネタ切れになるように祈っておこうかな」
「そこは頑張って書こうよ」
「エッセイ書きとしては、楽なほうに逃げたいのです」
そう言って、桜井はいたずらっぽく笑った。
教室の隅では、黒板の端に貼られた行事予定表が、すでに「十二月」の欄を半分以上消費していた。
終業式の日付と、「冬休み」の文字。
(文化祭のときは、シフト表とスタッフブックのせいで)
(勝手に“運営側の人”になってたけど)
窓の外をかすめていく冷たい風を眺めながら、思う。
(こうやって“冬休みどうする?”みたいな、探り合いみたいな雑談をしてるときの距離感も)
(悪くないな)
特別な日から、静かな日常に重心が移っていく感じ。
でも、その日常の先には、まだ「取材」という名の新しい予定が待っているかもしれない。
「じゃ、今日はこのへんで解散しますか、店長」
「誰が店長だっけ、それ」
「表の看板代表者様」
「はいはい、“代表者”として先に帰ります」
桜井は、あきれたように笑ってから、軽く手を振って教室を出ていった。
その背中が、いつもより少しだけ楽しげに見えたのは、きっと気のせいじゃない。
その後ろ姿を見送りながら、僕もカバンを肩にかける。
窓ガラスには、自分の顔がうっすら映っていた。
夏の頃より、少しだけ落ち着いた顔をしている気がする。
期末テスト前の教室をあとにして、薄暗くなりかけた廊下に足を踏み出す。
年末に向けて、学校と家のあいだの空気も、少しずつ冬仕様になっていくのだろう。




