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「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録  作者: もりぞー


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第2話 教室の隅の住人たち

 翌日。一時間目と二時間目のあいだの休み時間。


 先生が「ホームルームのプリント、前から配っといて」と言って、数枚の紙を桜井に預けた。


「はーい」


 桜井は立ち上がって、前の列から順番にプリントを配っていく。

 西村がなぜかドヤ顔で手伝い始め、教室のあちこちから「ありがとー」「さすが〜」の声。


(こういうときに自然に"配る側"になるの、ほんと主役サイドだよな)


 自分の席で、ぼんやりそんなことを考える。


 ——昨日のことが、まだ頭の端にこびりついている。


 あの一文。あの帰り道。

 一晩寝たら忘れるかと思ったけど、朝、桜井が教室の真ん中で笑っているのを見た瞬間、また引っかかった。


 【主役になれなかった人たちの教室には——】


(自分が主役側っぽいのに、なんでそんなこと書いてるんだろ)


 答えは出ない。出す気もない。

 僕の列にもプリントが回ってきて、何気なくチラ見する。


 進路希望調査……かと思ったら、ただの「今月の行事予定表」だった。

 ちょっとだけ構えて損した気分になる。


 プリントを机の端に置こうとした、そのとき。


「あ、ごめん、それ先生に返す一枚だった」


 通路側から、桜井がすべり込むように近づいてきた。

 片手に残りのプリントを抱えたまま、もう片方の手で僕の机の紙を指さす。


「あ、はい」


 思わず立ち上がってしまい、結果、顔の距離がやたら近くなる。

 ふわっとシャンプーの匂いがした気がして、慌てて一歩引いた。


「ありがと。先生のところ持ってくね」


「い、いえ」


 桜井はプリントをひょいと持ち上げた。

 その去り際、一瞬だけ目が合った。


 ニコッと笑ったはずなのに、その目が「昨日のこと、分かってるよね?」と言っている気がして、背筋が少しだけ冷えた。


 そのまま教卓のほうへ小走りで行ってしまう。


 それだけのことなのに、心臓の鼓動がさっきよりほんの少しうるさい。


(……いや、落ち着け。近かっただけだ)


 自分に言い訳しながら、僕はペンケースを開いた。


 いつもなら、ここで「はいはい人気者人気者」と頭の中でラベリングして終わりなのに、

 今日は、そのラベルがうまく貼りつかない感じがする。


(あの一文、やっぱり気になるな……)



 放課後。


 今日は掃除当番でもなかったので、少し雑談したあと、いつもどおり教室を出た。


 ……つもりだったのだが、昇降口でスニーカーに履き替えていたとき、ふと嫌な予感がよぎる。


(あれ。英語のワーク、机の中じゃないか)


 二時間目に使ったあと、そのままにしてきた気がする。

 明日が小テストだと先生に脅されたばかりなのを思い出し、僕は靴を上履きに履き替え直した。


 夕方の廊下は、部活に向かうやつらでまだ少しだけ騒がしい。

 バスケ部のボールの音、吹奏楽部のチューニングの音、誰かの笑い声。


 教室のドアをガラッと開けると、中にはもう誰もいない――


 という想定だった。


「……いる」


 教室の真ん中の島に、一つだけ背中があった。


 桜井だ。


 何かに集中しているのか、ペンを走らせている。

 机の上には教科書もプリントもなく、代わりに無地っぽい小さいノートが一冊だけ開いていた。


(……勉強って雰囲気じゃないな)


 ペンの動きが、なんとなく「問題を解く」やつじゃない。

 もっと滑らかで、止まったり戻ったりを繰り返している。


 僕は、なるべく音を立てないように自分の席に向かった。

 窓側の一番後ろから二番目。英語のワークブックは、やっぱり机の中に突っ込んだままだった。


(セーフ)


 胸の中で小さくガッツポーズをしつつ、そっと取り出してカバンに入れる。

 そのまま、何事もなかった顔で教室を出ようと、ドアのほうへ向かっているところへ――


「安藤くん?」


 背中のほうから名前を呼ばれた。


 振り向くと、桜井がペンを持ったままこちらを見ていた。

 さっきまでノートに向かっていたせいか、表情は「人気者スマイル」より少しだけ力が抜けている。


「あー、うん。英語のワーク、机に入れっぱなしで」


「テスト前に気づいてえらい」


「いや、忘れたままだと僕が死ぬだけなので」


 桜井がくすっと笑う。


 それは、クラスの真ん中でみんなを巻き込むための笑い方じゃなくて、

 目の前の一人にだけ向けられた、クラスの真ん中用じゃない笑い方だった。


「……さっき、ちょっとびっくりした」


「え?」


「誰もいないと思ってたからさ。いきなりガラッて音するし。

 ノート見てたから、ホラーかと思った」


「あー……すみません」


「別に謝ることじゃないけどね。心臓にはちょっとだけ悪かったけど」


 そう言ってから、桜井は一度視線をノートに落とした。

 ページの端を指でいじりながら、しばらく黙る。


 教室の中には、グラウンドから聞こえる掛け声と、遠くの楽器の音だけ。

 さっきまで騒がしかった一日が、ようやくスローモーションになったみたいな静けさだった。


「……ねえ、安藤くん」


 桜井が、不意に口を開いた。


「帰り、ちょっと時間ある?」


「え」


 いきなり過ぎて、変な声が出た。


「そんなガチなやつじゃなくて。話すのは五分くらい」


「五分でも、僕からするとだいぶガチですけど」


「真面目な顔で何言ってんの」


 桜井が、また少し笑う。

 それもやっぱり、クラスの真ん中用じゃない笑い方だった。


「話したいことがあってさ。今ここじゃ、なんかやりづらいから」


「……今ここで誰か来る可能性もあるし、ですか」


「それもあるし。なんかさ、教室のど真ん中より、ちょっと“それっぽい場所”で話したくなるタイプなんだよね。こういうの」


「それっぽい場所」


「うん。たとえば……屋上とか」


 屋上。


 漫画やドラマで散々見てきた単語が、現実の会話に混ざってくると、途端に嘘くさく感じる。

 でも、桜井が言うと、不思議とそこまで浮いて聞こえなかった。


「屋上って、そもそも入れるんですか」


「今日ね、廊下で二年の先輩が話してるの聞いたんだよね。『今日屋上開いてるから昼寝しよ〜』って」


「昼寝」


「怒られないのかなとは思ったけど。とりあえず、開いてる日は開いてるらしい」


「なるほど」


「閉まってたら、別のとこで立ち話して終わり。開いてたらラッキーってことで」


 軽い調子で言うくせに、目だけは少しまっすぐだった。


「なんで、僕なんですか」


 気づけば、その質問が口から出ていた。


「昨日、一緒に帰ったじゃん」


 桜井は、当然みたいな顔で言う。


「それに、安藤くん……見ちゃったでしょ。私のスマホ」


「……!」


「あの一文を見た安藤くんだからこそ、聞いてみたい話があるんだよね」


 さらっと、そんなことを言われた。


 見てしまったことを「めんどくさい」とか「キモい」じゃなくて、「聞いてみたい」に繋げられたこと。

 その一言が、自分でもよく分からない種類のくすぐったさを連れてくる。


「……五分で終わる話なら」


 気づけば、口が勝手にそう言っていた。


「ありがと」


 桜井は、ぱたんとノートを閉じて、ペンをペンケースにしまう。

 そのままノートをカバンに入れてから、椅子から立ち上がった。


「じゃあさ、人減ってからでいいから、四階のいちばん上の階段まで来て」


「屋上の前ってことですか」


「そう。そこで合流」


「ここから一緒に行くんじゃないんですね」


「安藤くん、目立ちたくない派でしょ。教室から一緒に出たら、絶対誰かになんか言われる」


 たしかに、その通りだった。


 ——昨日の帰り道でも思ったけれど、この人は、僕の「そうされると困る」を妙に正確に読んでくる。


「……そこまで読まれてるの、若干こわいんですけど」


「読みやすいだけだよ。じゃ、あとで」


 ひらっと手を振って、桜井はカバンを肩にかけ、そのまま教室を出ていった。


 残された僕は、少し遅れて自分のカバンを持ち上げる。


 屋上で何を話されるのか。

 自分が、どこまで「話のネタ」にされているのか。


 考えたくないような、でも気になって仕方ないような感情を抱えたまま、

 僕は、英語のワークを握りしめて教室を出た。

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