第19話 観客席からの使者と、十五分の逃避行
午後一時過ぎ。
一般公開の時間帯に入り、廊下の喧騒が種類を変え始めたころ。
教室カフェの入り口に、見慣れた顔が現れた。
「いらっしゃいませー……お、来たか」
僕が声をかけると、そいつ――田中陸は、ニヤッと笑って手を挙げた。
「繁盛してんね、記録係さん」
「記録係だけじゃなくて、今はホール係だから。注文決まったら呼んで」
「じゃあ、おすすめのやつで」
陸は適当に言って、空いていた窓側の席に座った。
ちょうど、レジ横の西村からもよく見える位置だ。
僕が厨房にオーダーを通してから水を運んでいくと、陸はすでに教室の隅から「スタッフブック」を確保して読みふけっていた。
「……これ、お前が作ったんだろ?」
水を置いたタイミングで、陸が小声で聞いてくる。
「クラスのみんなで作ったやつだよ」
「はいはい。でも、この構成といい、後ろ姿の表紙といい、発想が完全に湊なんだよな」
陸は、ページをめくりながら面白そうに笑う。
「“誰も黒子で終わらない”ねぇ……。モブ志望が言うようになったじゃん」
「うるさい客だな」
「あ、すみませーん。オーダー追加で。千夏ちゃん、おすすめのクッキーひとつ!」
陸がわざとらしく手を挙げると、レジにいた西村が「はーい!」と明るく反応した。
そのまま西村がクッキーの皿を持ってやってくる。
「どうもー、外部相談役さん。偵察ですか?」
「そんなとこ。いやー、いい店だね。裏方の仕事がちゃんと評価されてて」
「でしょ? うちの記録係と看板娘が頑張ったからね〜」
西村と陸が、僕を挟んでニヤニヤと視線を交わす。
完全に「観客席チーム」の連携プレーだ。
「……お前ら、河川敷の時より結託してないか?」
「LINEではマブダチだから」
「語彙が古い」
そんな軽口を叩いていると、厨房のほうから桜井が顔を出した。
「あ、田中くん! 来てくれたんだ」
「お邪魔してます、桜井さん。カフェ、すごい完成度だね」
「ありがとう」
桜井はエプロンで手を拭きながら、陸に向かって少し申し訳なさそうに言った。
「……安藤くん、迷惑かけてない?」
「おい」
思わずツッコむ。
「かけてないよ。むしろ、こき使われてイキイキしてる」
陸が即答する。
「イキイキはしてない」
否定したけど、三人に同時に笑われた。
陸は、クッキーを一口かじってから、僕と桜井を交互に見た。
「ま、二人とも休憩とれるなら、適当に回ってきたら? ずっと働き詰めだと顔死んでくるし」
「休憩?」
「シフト表見た感じ、そろそろ交代の時間でしょ」
陸が顎で示した先、黒板のシフト表を見ると、たしかに僕と桜井の休憩枠が、ちょうど今のタイミングで重なっていた。
(……これ、絶対西村がいじっただろ)
シフト調整担当の記憶では、たしか別々の時間だったはずなんだけど。
「あ、ほんとだ」
桜井が時計を見る。
「じゃあ……安藤くん、ちょっとだけ外の空気吸いに行く?」
「……まあ、せっかくだし」
断る理由もないし、陸と西村の「行ってこい」という視線が痛い。
僕はエプロンを外して、桜井と一緒に教室を出ることにした。
「いってらっしゃーい」
背後から、やたら息の合った二人の声が聞こえた。
◇
教室を出ると、廊下は熱気でむわっとしていた。
お化け屋敷の呼び込みの声。
どこかのバンド演奏の音漏れ。
すれ違う他校の生徒たちの笑い声。
そんな中を、二人で並んで歩く。
「どこ行く?」
桜井が、並んで歩きながら聞いてきた。
「どこって言っても、人気の出し物は並ぶしな……」
「だよね。休憩十五分しかないし」
「とりあえず、一階の自販機でなんか買って、中庭あたりで涼むとか?」
「賛成。カフェの店員が喉乾いてちゃ世話ないしね」
階段を下りて、一階の自販機コーナーへ向かう。
桜井はミルクティーを、僕は微糖のコーヒーを買った。
中庭のベンチは、意外と空いていた。
みんなメインの出し物に夢中で、こういう休憩スペースは穴場になっているらしい。
ベンチに二人で座る。
間には、カバン一個分くらいの距離。
「ふぅ……」
桜井が、大きく息を吐いて伸びをした。
「座ると、足の疲れが一気に来るね」
「立ちっぱなしだったからな」
「でも、田中くん来てくれてよかったね。千夏とも仲良さそうだったし」
「あいつら、裏で何吹き込まれてるか分かったもんじゃないけど」
「ふふ、いいコンビだと思うよ」
桜井は、ミルクティーの缶を両手で包みながら、校舎のほうを見上げた。
三階の僕たちの教室の窓には、装飾班が作ったポスターが見える。
「ねえ、安藤くん」
「ん?」
「文化祭ってさ、回るのも楽しいけど」
桜井の声が、少しだけ静かになる。
「“自分たちの場所がある”って思うと、なんか安心するね」
「場所?」
「うん。教室に戻れば、みんながいて、自分たちの作ったものがあって。
そういう“基地”があるから、こうやって外に出てきても楽しいのかなって」
「……なるほどね」
僕は、コーヒーを一口飲んだ。
「たしかに、“帰る場所”がない状態で人混み歩くのは、ただしんどいだけかも」
「でしょ?」
桜井が、こっちを見て笑う。
「今のクラス、けっこう好きかも。
みんなバラバラだけど、なんとなくまとまってて」
「まあ、“誰も黒子じゃない”らしいからね」
「それ、もう定着したね」
少しの沈黙。
でも、気まずくない沈黙だ。
遠くから聞こえる吹奏楽部の演奏と、ざわざわした話し声。
それがBGMみたいに聞こえる。
派手なアトラクションに入ったわけでも、イベントを見たわけでもない。
ただ、自販機の缶コーヒーを持って、ベンチで並んで座っているだけ。
それだけの時間が、妙に心地よかった。
(これが“休憩”って名目じゃなかったら、たぶんもっと緊張してるんだろうな)
あくまで「シフトの合間」という言い訳があるから、こうして隣にいられる。
その距離感が、今の僕たちにはちょうどいい気がした。
「……そろそろ、戻ろっか」
桜井が、飲み終わった缶をゴミ箱に捨てながら言った。
「あんまり遅れると、西村店長代理に怒られる」
「クレーム担当が一番怖いからな」
二人で笑い合って、僕たちはまた喧騒の中へと戻っていった。
◇
教室に戻ると、陸の姿はもうなかった。
テーブルの上には、空になった皿とコップ。
そして、紙ナプキンの端に、ボールペンで走り書きが残されていた。
『ごちそうさん。
あとで三人(+桜井さん)で反省会な』
そのメモを見て、僕は思わず苦笑した。
(外部相談役、仕事早すぎだろ……)
桜井が横から覗き込んで、「あはは」と楽しそうに笑う。
「反省会、楽しみだね」
「まあ、議題は山積みだろうけど」
そう言いながら、僕はエプロンを締め直した。
午後の部は、まだこれからが本番だ。




