第18話 看板娘は中身で語るスタイル
十一月の土曜の朝。
学校の正門前は、いつもの登校風景とはまったく違う空気になっていた。
焼きそばとフランクフルトと、よく分からない甘い匂いが混ざって漂ってくる。
校舎の窓には、各クラスのポスターがべたべた貼られていて、誰かの字で書かれた「本日限定」「入場無料」「映えスポットあります」の文字がやたら主張している。
三階の自分たちのフロアに上がると、廊下はすでにちょっとしたフェス会場だった。
右側のクラスは「お化け屋敷」。
左側のクラスは「脱出ゲーム」。
それぞれ教室前に、それっぽい看板が立っている。
その並びの中に、うちのクラスの教室がある。
扉には、手描きのロゴが貼られていた。
『教室カフェ class 1-B』
コーヒーカップと、窓から入る光をイメージしたイラスト。
下の端っこには、小さく「illustration by NOGUCHI」と書いてある。
(野口、やっぱ絵うまいな……)
文字の線の太さとか、色のバランスとか、素人目にも「ちゃんとしてる」感がある。
元がただの教室だとは思えないくらい、それっぽい雰囲気が出ていた。
扉を開けると、内側はもう完全にカフェ仕様だ。
中央には、机を二つずつくっつけたテーブル席がいくつか。
黒板側には、長机を並べて作ったカウンター席。
窓側の壁には、装飾班が作ったポスターと、今日のメニュー表が貼られている。
教卓の位置は、奥のほうに移動している。
そこから先は、簡易的な「厨房スペース」だ。
紙コップとドリンク類。
ホットプレート代わりの機材。
そして、その奥には、レジ係用の机と、皿洗い用のバケツが並んでいる。
「おはよ〜」
窓際でメニュー表を貼り直していた桜井が、こっちを振り向いた。
「おはよう」
「シフト表、最後の確認お願いしてもいい?」
「了解」
黒板の横のほうに、今日一日のシフト表が貼られている。
マス目だらけの表に、クラスメイトの名前がぎっしり書き込まれていた。
午前の枠。
昼休み前後の枠。
午後の枠。
厨房、ホール、レジ、皿洗い、客引き。
それぞれの時間帯に、最低限必要な人数が配置されている。
そして、そのマス目の合間に、こっそり自分の名前も散らばっていた。
開店直後はホール。
途中からは裏方寄りにまわって、厨房とレジの穴埋め。
空いている時間帯には、冊子の配布と回収の様子を見る係。
(「誰も黒子で終わらない文化祭」とか言った結果)
(シフト表が、将棋盤みたいになってるんだよな……)
マス目の一つ一つが、誰かの「今日一番」の可能性を含んでいると思うと、それはそれで悪くないんだけど。
同時に、調整係の仕事が確実に増えたのも事実だ。
「じゃ、最終確認しまーす」
教卓の前で、桜井がぱんぱんと手を叩いた。
「開店直後、ホールは山本くんと安藤くん。
厨房は穴田さんと、あと西條くんと上田くん。
レジは長谷川くん。皿洗いは交代制。無理そうなときは、ちゃんと“無理”って言ってね」
「はーい」
「笑顔大事〜。でも、笑えなくなったら一回裏に下がっていいから」
桜井が、ちょっとだけ真面目な声で言う。
西村が、胸の前で手を挙げた。
「クレームは全部わたしが受けます」
「出た、クレーム窓口」
西村が真顔で言う。
「クレーム処理と雑談対応は得意です」
「西村、妙に向いてそうなんだよな……」
「じゃあポジションは“クレーム&雑談担当”で」
西村が笑いながらまとめて、周りから小さな笑いが起きた。
そんな中、長谷川がシフト表を手に持ちながら近づいてきた。
「売り切り目標は、ドリンク一種あたり百カップね。途中で在庫確認入れるから、暇なタイミングで教えて」
「はーい真面目担当」
「タイムテーブルは任せて」
その横で、山本はすでにテンションが上がっている。
「今日、絶対行列つくろうな!」
「は? 行列できたら厨房死ぬやつだよね?」
「死なない程度に、ほどよく行列!」
「その調整が一番むずいんだけど」
そんなやり取りを眺めながら、僕は心の中でだけ小さく息を吐いた。
(“主役側”の人たちの高揚感って、見てるぶんにはけっこう面白いんだよな)
(自分がそこに乗っかるのは、まだちょっと照れるけど)
教室の隅では、ダンボール箱が一つ開けられていた。
中には、印刷したばかりの冊子が詰められている。
『教室カフェ 1-Bスタッフブック』
表紙には、クラス全員の後ろ姿写真。
廊下側の窓のほうを向いて並んでいる写真で、誰が誰だか分かるような、分からないような絶妙な距離感で撮られている。
「うわ、ちゃんと本になってる……」
西村が、一冊取り出してぱらぱらとめくった。
印刷したての紙の匂いが、ほんのりと漂ってくる。
「これ、クラスの人には一人一冊ね。
それとは別に、教室の隅に“閲覧用”として何冊か置いとこ。お客さんは読むだけOK、持ち帰りNGで」
「家族は?」
「余ったら、一世帯一冊までならお土産OKってことで」
桜井が、冊子の束を丁寧に机の上に並べながら言う。
僕は、その様子を見ながら、表紙を指でなぞった。
(ラフ案のときは、ただのノートの落書きだったのに)
(こうやってちゃんと“本”になると、ちょっとだけこそばゆいな)
「そろそろ、時間だよ」
長谷川が、配られたタイムテーブルをちらりと見て言った。
「開店五分前」
「じゃ、最初だけちゃんと“いらっしゃいませ”言おっか」
桜井が、軽く両手を組んで深呼吸する。
教室の扉の向こうでは、すでに廊下のざわざわが一段階ギアを上げ始めていた。
◇
開店と同時に、お客さんは思ったより早くやってきた。
一組目は、同じ学年の友達グループ。
二組目は、後輩っぽい生徒会の腕章をつけた数人。
三組目は、保護者と、小学生くらいの弟か妹を連れた家族。
「いらっしゃいませ〜」
ホール側で、桜井と西村が笑顔で迎える。
僕はその隣で、トレーを持って注文を取る。
「ホットレモン一つと、アイスティー二つでお願いしまーす」
「はーい、ホットレモン一つ、アイスティー二つでーす」
厨房側に声を飛ばすと、奥で大木が手を挙げた。
「了解、ホット一、アイス二!」
その後ろで、黙々と氷だけを入れてくれている子がいる。
氷が減るペースと、注文のペースを見ながら、延々とトングを動かしている。
(こういう人の“今日一番”、ちゃんと拾えるといいんだよな)
前に桜井が言っていた言葉が、頭の中に浮かぶ。
皿洗いゾーンでは、体育会系の男子が二人、ほとんど喋らずに皿とコップを回している。
「表に出るより楽」と笑っていたわりには、手の動きが誰よりも早い。
廊下側の扉の前では、あまり目立たないタイプの男子が、看板を持って客引きをしていた。
「よかったら、教室カフェ寄っていきませんか〜」
声自体はそんなに大きくないけど、通る感じのトーンだ。
(ああいうのも、あとでコメントで拾っておきたいな)
そんなことを考えながら、僕はホールと厨房の間を何往復もした。
「はい、ホットレモンのお客さま〜」
「アイスティー二つ、お待たせしました」
途中、厨房が明らかに戦場になりかけたときには、長谷川の号令でシフトが一時的に組み替えられた。
「ホール一人減らして、皿洗い応援お願い!」
「了解!」
シフト表のマス目の中で予定されていた動きが、現場のノリで微妙に修正されていく。
そのたびに、「あ、この人このポジションのほうが向いてるな」という発見が、頭の中にメモされていった。
(“誰も黒子で終わらない”っていうより)
(“誰も一つの役だけで終わらない”文化祭って感じになりつつあるな……)
ホールの合間、注文が一段落したタイミングで、教室の隅に置かれたスタッフブックに目をやった。
テーブルに座っているクラスメイトが、一冊手に取って読み始めている。
「なにこれ、ちゃんとしすぎじゃない?」
「うわ、表紙の後ろ姿、これ絶対自分だ……」
ページをぱらぱらめくる手が、ところどころで止まっている。
「ちょっと見せて」
別の子が身を乗り出す。
『教室カフェができるまで』
冒頭のページには、そうタイトルがついていた。
桜井のエッセイだ。
企画が立ち上がった日のぐだぐだした会話。
最初に決まったのが「名前」だけだったこと。
装飾班が暴走しかけた話。
「とりあえず桜井」という空気に対する、少しだけ苦い違和感。
それを、笑いに変えながら文章にしている。
(“主役じゃない人の話を書きたい”って言ってたけど)
(ちゃんと自分の話も、“主役すぎない距離”で混ぜてるあたり、さすがだな)
中盤には、他の有志のエッセイが並んでいる。
『皿洗いから見た教室カフェ』
『レジ係が密かに数えてた“ありがとう”の回数』
『買い出し組の“氷が溶けるスピードとの戦い”レポ』
どれも、一つのポジションから見た「今日一番」が切り取られていた。
さらにその少し後ろには、『裏方で動いてくれた人たち』というページもある。
『窓側後ろから二番目の席が、なぜか司令塔になっていました』
『シフト表のマス目を埋めるのが上手な人がいると、文化祭はだいぶ平和です』
名前は書いてない。
けれど、クラスメイトなら誰のことか分かる程度のヒントが添えられている。
「これ、絶対あの人のことじゃん」
「いやいや、本人は“モブです”って顔してるけどね」
そんな笑い声が聞こえてきた。
(クラス限定配布じゃなかったら、たぶんここまで書けなかったよな)
スタッフブックを読む横顔を眺めながら、僕はそう思った。
内容も、空気も。
教室の外には、まだ出したくない温度をしている。
◇
昼過ぎ。
客の波が、いったん落ち着いたタイミングがあった。
ホールと厨房を一通り回し終えたメンバーが、カウンターの裏側でペットボトルの水を回し飲みしている。
「はー、足が終わった……」
「でも、思ったよりちゃんと回ってるね」
「今のところ、大事故はないね」
そんな会話の合間に、山本がスタッフブックを片手にひょいっとカウンターの中に顔を出した。
「これさ」
冊子の表紙を指でつつきながら言う。
「やっぱもうちょい桜井メインでも良かったんじゃね?」
「は?」
西村が、即座に眉をひそめる。
「表紙これもいいけどさ、別に“看板娘カット”一枚くらいドーンって入れても良かっただろ〜?」
そう言いながら、冊子の中の余白をぺらぺらとめくる。
「ほら、このへんの空きスペースに、チェキとかペタッと貼ってさ」
「出ました、“とりあえず桜井にしとけ理論”第二弾」
西村のツッコミが飛ぶ。
「それやったら、“スタッフブック”じゃなくて“すみれ写真集”になるからね?」
「写真集はやめて……」
桜井が、苦笑しながら冊子を取り返そうとする。
「別にさ、悪気はねーよ? 看板娘ならもっと推していこうぜ、っていうさ」
山本は、あくまでいつものノリだ。
そのノリが悪いとは言わない。
ただ、さっきまで笑いながら接客していた桜井の口元の笑みが、ほんの少しだけ薄くなるのが見えた。
(ここで変に否定すると、空気重くなるし)
(かといって乗っかると、“また桜井かよ”側のモヤモヤが増えるし)
ペットボトルのキャップを閉めながら、タイミングを計る。
「桜井さんメインにするならさ」
山本が、冊子をひらひらさせながら続けようとしたところで、僕は口を挟んだ。
「裏表紙あたりで十分じゃない?」
「裏表紙?」
山本が、きょとんとした顔をする。
「“編集後記 桜井すみれ”ってページ、入ってるじゃん」
僕は、冊子を受け取って、最後のほうのページを開いた。
そこには、小さめの文字でこう書かれている。
『編集後記 桜井すみれ』
『この冊子は、“スポットライトが当たってないところも、ちゃんと光ってたよ”っていう記録です。
ずっと全体を見ていた“誰か”がいたからこそ、こういう形にできました。
その人の目線を、ちょっとだけ借りています。』
「ここ、ほぼ桜井さんのページだから」
僕は、そこだけ声を少しだけ大げさに読んでみせた。
「“看板娘は中身で語るスタイル”ってことで」
「おお……」
山本が、なぜか素直に感心した顔をした。
「そういうオシャレ構成ね?」
「そういうことにしといて」
西村が、すかさずかぶせる。
「ほら山本、皿洗いのほう人足りてないって。チェキ貼る前に皿片づけてきな」
「はいはい、働きまーす」
山本は冊子を西村に預けて、皿洗いゾーンのほうへ走っていった。
「……“看板娘は中身で語るスタイル”って、今考えたでしょ」
桜井が、ぼそっと言う。
「その場のノリで出しただけ」
「黒歴史リストにメモしとく?」
「やめて」
西村は、そのやり取りを見て、目だけで「さすが火消し」と言ってきた。
さすがに声には出さない。
桜井は、冊子の最後のページをもう一度眺めてから、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
教室カフェの午前の部は、こうして大きなトラブルもなく過ぎていった。
ただ、午後の一般公開の時間帯には、また少し違う空気が流れ込んでくる予感がしていた。




