第17話 主役じゃない人の話
文化祭準備が本格的に動きだしてから、何日かたった。
クラスのグループラインは、だいたいこんな感じで埋まっている。
『明日 放課後 装飾 来れる人〜』
『土曜の午前、厨房練習。参加希望スタンプで教えて』
『裏パンフ会議、エッセイ組だけ放課後ちょっと残ってもらえると助かる〜』
その横で、裏パンフ用の有志チャットも動いている。
『表紙案、ラフ描いてみた(野口)』
『エッセイ、300字くらいでもいい?(小林)』
『一言コメントの用紙、いつ配る?(長谷川)』
シフト表のほうも、だいぶ埋まってきた。
厨房の枠。
ホールの枠。
買い出し組の枠。
そして、裏パンフの進捗メモ。
(“誰も黒子で終わらない文化祭”とか言った本人がさ)
(いちばん黒子側の仕事増やしてる自覚は、さすがにある)
シフト表を整えるたびに、「全員の出番」を調整する仕事が増える。
冊子の構成を詰めるたびに、「全員の一言」を集めるタスクが増える。
モブ志望の観察係としては、なかなかに矛盾した状況だ。
◇
その日の放課後。
文化祭準備で一通りバタバタしたあと、僕はいつも通り帰り支度をして、教室を出た。
廊下の窓から見える空は、だいぶ赤くなっている。
(今日は、シフト表のたたき台まで作ったし)
(裏パンフのページ構成も、だいたい方向性は決まったし)
階段を下りかけたところで、ふと足が止まった。
(……あ、やべ)
頭の中に、一枚の紙のイメージが浮かぶ。
(今日の打ち合わせメモ、机の中に入れっぱなしだ)
そのまま帰ると、たぶん夜に「明日何決めたんだっけ」ってなるやつだ。
仕方なく、階段を引き返して三階の教室へ戻る。
扉を開けると、蛍光灯はまだついていた。
でも、教室はほとんど無人だ。
前のほうの机がいくつかくっつけられて、「装飾ゾーン」になっている。
ペンと画用紙とマスキングテープと、謎のカラーペン。
その真ん中あたりで、誰かが机に突っ伏していた。
「……営業終了してる?」
思わず、そうつぶやく。
「……お客さん一人だけ、帰ってきた」
机に顔を乗せたまま、桜井が片目だけこっちを向けた。
「ご来店ありがとうございます〜、って言う元気は今ちょっと切らしてます」
「店長倒れてるカフェ、だいぶ不安なんだけど」
とりあえずツッコミだけ入れてから、自分の席に向かう。
机の中を探ると、折りたたんだA4の紙が出てきた。
さっきまで黒板に書いていたシフト案と、裏パンフのページ構成が雑にメモしてあるやつだ。
「また装飾?」
装飾ゾーンのほうを見ながら聞く。
「装飾と、メニュー表と、裏パンフの構成会議と、先生への相談予約と……」
「それ、もう役割“装飾担当”とかじゃなくて、“文化祭マネージャー”じゃない?」
「マネージャーってもっと裏方で静かにしてるイメージなんだけど」
「今のは“全部自分で動いちゃう系マネージャー”って意味ね」
「なるほどね〜」
桜井が、机に額をくっつけたまま、かすかに笑う。
「人気者も大変だな」
「いやいや、“人気者”ってワード使うのやめて〜」
机に顔を押しつけたまま、もぞもぞと抗議の声だけ上がる。
「事実だからしょうがない」
「安藤くんもでしょ、最近ずっと動いてるじゃん」
今度は、顔を上げてこちらを見る。
「裏パンフとシフトと、あと地味に火消し担当」
「火消し担当?」
「表紙のときとかさ。火事になる前に空気冷やしてくれるやつ」
ああ、と心の中でだけ納得する。
(火種を見つけるのが観察係の仕事だと思ってたけど)
(ここ最近は、“延焼防止係”の時間もけっこう多い気がするな)
「ちょっとこっち来てよ」
桜井が、隣の椅子をぽんぽんと叩いた。
「このゾーン、片づける前に、頭だけ片づけたい」
「頭だけ片づけるって表現、ちょっと怖いんだけど」
と言いつつ、僕は装飾テーブルのほうに歩いていって、桜井の斜め向かいの椅子に座った。
机の上には、手描きのロゴ案や、カフェの内装ラフ、冊子のタイトル候補が散らばっている。
「裏パンフのコンセプト決めた日さ」
桜井が、ペンを指先でくるくる回しながら口を開く。
「けっこう助かったよ」
「表紙の後ろ姿案?」
「うん。それなかったら、たぶん今頃“桜井表紙案”を断る元気もなくなってた」
「そんなにギリギリだったの?」
「地味にね」
桜井は、天井を見上げるみたいに椅子にもたれかかった。
「“誰も黒子で終わらない文化祭”ってさ」
「うん」
「あれ聞いたとき、普通に“あ、これ借りよ”って思ったんだけど」
「……借りるって言い方」
「自分で言葉考えるより早いし、って意味じゃなくてね?」
ペンの先で、自分のノートをちょん、と叩く。
「“あ、わたしもそうしたいな”って感覚に、名前つけてもらった感じ」
少しだけ、照れくさそうな顔をした。
「いや、あれはその場のノリで出しただけで」
僕は、頬をかきながら視線をそらす。
「大げさに持ち上げられると、黒歴史側に寄っていくからやめてほしい」
「黒歴史冊子、“観察係名言集”作る?」
「やめてほんとに」
口ではそう言いながらも、胸のあたりが少しだけくすぐったい。
静かな教室で、他に誰もいない時間。
蛍光灯の白い光と、窓の外の夕焼けが混ざった空気の中で、さっきまでの騒がしさが全部遠いものみたいに感じられる。
「なんかさ」
桜井が、ふっと息を吐いた。
「こうやって静かな教室で喋ってるとさ」
「うん」
「昼間の“わー”ってしてた時間、全部夢だったんじゃないかって思わない?」
「……分かる気がする」
昼間は、クラスの真ん中でみんなを巻き込んでいる人が。
夕方になると、急にモノローグ多めの人になる。
そのギャップが、ちょっとずるいな、と僕は思う。
「裏パンフのエッセイ、書けそう?」
僕は、机の上のノートを指で示しながら聞いた。
「ネタは死ぬほどあるんだよね」
桜井が、天井を見たまま答える。
「“今日の男子が調子に乗ってた様子”とか、“まとまらなくて厨房カオス”とか」
「タイトルだけで冊子が一冊埋まりそうなんだけど」
「書こうと思えばいくらでも書けるんだけどさ」
そこで、少しだけ言い淀んだ。
「ただ、“スポットライト浴びてない側”の話を書きたいネタが、多すぎる感じ」
「スポットライト浴びてない側」
「教室の端っこでお皿洗ってる人とかさ。黙々とポスター塗ってる人とか。
レジやりたくないから、ひたすら裏で氷だけ入れてくれてる人とか」
指を折りながら、一人ずつ思い浮かべていくように話す。
「そういう人たちの“今日一番うれしかった瞬間”をちゃんと拾いたいのにさ」
そこで、少し間があいた。
「最近さ」
「うん」
「自分が“話題の中心”みたいな扱いされてる時間が、一番長いの、なんだかな〜ってなる」
桜井は、椅子にもたれたまま片手で額を押さえる。
「カフェの準備でも、“とりあえず桜井”。
冊子のほうでも、“編集長やって”、“表紙どう?”って」
「うん」
「“主役じゃない人”の話書きたいのにさ。
気づくと自分のほうが“主役枠”に押し込まれてるの、なんか変だよねって」
教室の蛍光灯の音だけが、しばらく聞こえる。
すぐに、気の利いた返しは出てこなかった。
(分かるなー、と普通にうなずきたい)
(こっちはこっちで、“モブでいたいのに、観察係ポジションで目立ち始めてる”っていう、別の感じのしんどさがある)
でも、ここで軽く「分かる、じゃあ交代する?」みたいな冗談に逃げると、たぶん全部薄まってしまう。
それも、なんか違う気がした。
「……まぁ……ね」
結局、口から出てきたのは、そのくらいの言葉だった。
「なにその、感想文の“とてもよかったです”レベルのコメント」
桜井が、苦笑混じりに突っ込んでくる。
「語彙力、がんばって?」
「今、頭の中で下書きしてるから、ちょっと待って」
息を一つ吐いてから、言葉を選ぶ。
「でもさ」
「うん」
「桜井が“主役じゃない人の話を書きたい”って言ってくれるのはさ」
天井じゃなくて、こっちをちゃんと向くように目線を戻す。
「当の“主役じゃない人たち”からしたら、けっこう救われる気はするけどね」
「救われる?」
「少なくとも、“また桜井かよ”って空気が出そうになったときにさ。
自分でブレーキかけようとしてくれる“主役側の人”って、そんなに多くないと思うし」
そう言ってから、自分でも少し照れくさくなって目をそらす。
「……」
桜井は、しばらく黙って僕を見ていた。
やがて、口の端をちょっとだけ上げる。
「……そういう言い方されると、ちょっとだけ頑張ろうかなって気にはなる」
「“ちょっとだけ”ってちゃんと付けるの、らしいね」
「でも、主役枠はマジで誰かとシェアしていきたい」
「主役枠をシェアって表現、なんか新しいな」
「一人で全部背負うのは重いからさ。人数で割りたい」
「割られた分、こっちの仕事増える未来が見えるんだけど」
「それはそれ」
桜井は、ペンを机の上でくるくる転がした。
「安藤くんはさ、“モブ志望”って言ってるけど」
「うん」
「最近、普通に“クラスの真ん中で一番冷静な人”って見られてない?」
「やめて。その認識拡散されると、仕事増えるやつ」
「もう増えてるじゃん。シフト表も冊子も、あと火消しも」
「否定はできない」
椅子の背もたれに寄りかかりながら、軽くため息をつく。
「モブでいたいのに、“モブにしてくれない感じ”は、ちょっと分かるかもね」
「モブにしてくれない感じ?」
「黒子でいさせてくれ、って思ってるのにさ」
黒板のほうに視線を向ける。
そこには、今日の放課後に書いたメモの名残りがうっすら残っていた。
「気づくと“黒子の動き見てる人たち”の視線が、ちょいちょい飛んでくる感じとか」
「……あー」
桜井が、少しだけ目を細める。
「それ、今わたしが言った“主役疲れ”の話と、たぶん同じ種類のやつだ」
「立ち位置違うだけで?」
「うん。立ち位置違うだけで、わりと同じ沼にいるんだね、わたしたち」
「同じ沼って表現やめない?」
「沼仲間」
「それはそれでいやだな」
そんなふうに軽く言い合いながらも、胸のどこかで「たしかに同じかもしれない」と思っている自分がいた。
「じゃあさ」
桜井が、机の上の紙を一枚手に取った。
裏パンフの構成案が、箇条書きで書かれている。
「裏パンフの中くらいはさ、“主役じゃない人たち”優先でいい?」
「そっちはむしろ大歓迎」
それは、観察係としてはむしろ願ったりかなったりだ。
「でも、“主役じゃない人たち”の話を書くときさ」
紙を指でとん、と叩く。
「観察係さん、ちゃんと見ててね」
「それは、仕事なので」
気恥ずかしさをごまかすみたいに、わざと少しだけ堅い言い方になる。
「じゃあ、頼りにしてます、観察係さん」
そう言って、桜井は少しだけ笑った。
さっきまで机に突っ伏していたときよりも、表情はだいぶ軽くなっている。
◇
家に帰る道すがら、イヤホンはポケットにしまったままだった。
いつもなら、適当に音楽を流して教室のざわざわを上書きするのに。
今日は、夕方の空気と足音だけで十分な気がした。
(“人気者も大変だな”って他人事みたいに言いながら)
(その大変さを、ちょっとだけ一緒に持ててる気がする)
立ち止まって、スマホを取り出す。
いつもの観察メモアプリを開いて、一文だけ打ち込んだ。
『主役とモブ。立ち位置違うだけで、わりと同じ沼にいる』
画面を閉じて、少しだけ笑う。
そんなことを考えながら、いつもより少しだけゆっくり家までの道を歩いた。




