第14話 ホームセンターと、主役じゃない仕事
文化祭準備期間の放課後は、カレンダー上は「授業」じゃないのに、体感は普通に五時間目か六時間目だった。
黒板の端には、簡単なタスク表がチョークで書かれている。
厨房:メニュー試作
装飾:店内レイアウト案
運営:シフトたたき台
その一番下に、ちょこんと「買い出し班」の欄。
「はい、そろそろチャイム鳴るので今日はここまでねー」
担任が手をパンと叩くと、教室の空気が少しゆるんだ。
「買い出し班は、このあとそのままホームセンター行ってきてください。今日買うのは食材じゃなくて備品だけだから、学校には戻らなくていいぞ。現地解散でーす」
そう言って、黒板の「買い出し班」の欄をトントンと指で叩く。
「昨日みんなで出した“買い出し案リスト”、長谷川、プリント持ってるよな?」
「はい、これです」
返事をしたのは、前の列のほうに座っている委員長の長谷川だった。真面目で、字がきれいで、学級委員長が似合いすぎるタイプ。
その長谷川がファイルからA4の紙を取り出して、前の机の上に広げた。
昨日のホームルームで出た案を、運営係チームがとりまとめた「購入予定リスト」だ。
「じゃあそれ、そのまま買い出し班で持ってって。現場で“これもあったほうがよくない?”って思ったら、予算の範囲内で足していいからな」
「はーい」
買い出し班のメンバーは、四人。
委員長・長谷川。
装飾・メニュー名担当の桜井。
ノリ担当兼装飾サブの西村。
そして、記録・庶務係の僕。
(記録係って、だいたい「ついでに記録もやっといて」がくっついてくるんだよな)
心の中でだけ、ちょっとだけぼやく。
「じゃ、買い出し班の人、行くか」
長谷川が立ち上がって言う。
その長谷川から、「購入予定リスト」と書かれた紙を受け取る。
A4の紙に、ぎっしりと品名が並んでいた。
テーブルクロス用のロール紙
画用紙(白・ベージュ・くすみグリーン)
ポスター用ボード
紙コップ、紙皿、ストロー、紙ナプキン
黒板用マーカー
フェイクグリーン
小さいLEDライト ……などなど。
食材じゃない分、まだ気が楽だ。
◇
電車を一本乗り継いで、駅からさらに十分ほど歩いたところに、そのホームセンターはあった。
巨大な看板と、ずらっと並んだ園芸コーナー。
店の前には、特売の洗剤とかティッシュとか、よく分からないバケツとかが山積みになっている。
自動ドアが開くと、ひんやりした空気と一緒に、木材と段ボールとプラスチックが混ざったような匂いが流れてきた。
(テンションは上がるのに、目の前にあるのはガムテと紙コップと木材。
文化祭のキラキラした一日って、だいたいこういう地味な場所から生えてくるんだろうな……)
「おお、来た来た。なんでもあるところ」
西村が、カートにカゴをのせながら言う。
「なんでもあるのはいいけど、なんでもありすぎて迷うんだよね、こういうとこ」
桜井はそう言いながら、購入リストを覗き込んだ。
「とりあえず、紙コップと紙皿から行く?」
「賛成。分かりやすいやつから片づけよ」
長谷川が、慣れた足取りで「日用品・紙製品」のほうへカートを押していく。
買い出しプロ経験者っぽさがすごい。
紙コップ売り場には、サイズ違い・柄違いの紙コップのパックが、これでもかというくらい並んでいた。
「うわ、めちゃくちゃある……」
「ね。こういうとき、変にテンション上がらない?」
桜井が、星柄の紙コップのパックを手に取りながら言う。
「文化祭前に紙コップ見てテンション上がってる高校生って、だいぶニッチだと思うけど」
「でも、“無地+スリーブでそれっぽくする”のもありなんだよね」
隣で、西村が別の棚をのぞき込む。
「このストローとかさ。こういう縞々のやつ、インスタでよく見る“それっぽいやつ”じゃない?」
「たしかに“それっぽい”」
西村は、白とグレーのストローを一本抜いて、指でくるくる回して見せる。
「可愛いけど、色増やしすぎるとゴチャりそうなんだよね」
桜井は、少し離れたところにあった、シンプルな白い紙コップの棚に視線を移した。
「ベースは白と、このベージュくらいで統一してさ。
さっきのストローとか、紙ナプキンでちょっとだけ色を足す感じにしたほうが、たぶん“カフェっぽく”なる」
「さすが世界観担当」
「やめて、そんな役職名」
そう言いながらも、桜井は白とベージュの紙コップパックを、それぞれ一つずつカゴに入れた。
(西村は“単体で映えるもの”を見つけてきて、桜井は“全体としてまとまる色”を選んでいる)
(こういうところに、性格ってわりと出るよな)
紙皿と紙ナプキンも、一通り選び終わるころには、カートの半分くらいが白とベージュと薄いグリーンで埋まっていた。
「次、装飾系いこっか」
移動した先の売り場は、布やロール紙、リボン、フェイクグリーンが並ぶゾーンだった。
「このフェイクグリーンさ、インスタでよく見る“映えアイテム”じゃない?」
西村が、つる状のフェイクグリーンを持ち上げる。
「それ、天井から垂らしたら絶対映える」
「でも、やりすぎるとジャングルカフェになるよ?」
桜井が、笑いながらたしなめた。
「窓際に一箇所だけ、とかね。
あとはテーブルの端にちょっと置くくらいにして、メインはロール紙とポスターで雰囲気作る感じで」
「はいはい、世界観調整入りました」
西村が、フェイクグリーンをカゴに戻しつつ、一本だけ選んで入れる。
「ライト系どうする? ほら、このちっちゃいやつ」
棚の端には、小さな電池式LEDライトがいくつか並んでいた。
星型とか、丸い球が連なっているタイプとか。
「この丸いの一個だけ買おうか。
色は……暖色のやつ。カラフルなのはやめとこ」
桜井が、パッケージの説明を確認しながら選ぶ。
「うちで一回点くかどうか確認しとくね。
変なチカチカ具合だったら、別の用途に回せばいいし」
「ライトの“別の用途”って何」
「部屋の気分転換とか?」
「それ、普通に私物化では」
そんなくだらない会話を横目に見ながら、僕はスマホのメモアプリを開いた。
『文化祭備品リスト』
・紙コップ(白・ベージュ)
・紙皿
・ストロー(縞々・グレー系)
・紙ナプキン(無地)
・フェイクグリーン(つるタイプ 1)
・LEDライト(丸/暖色)
・ロール紙(テーブルクロス用)
・画用紙(白・ベージュ・くすみグリーン)
・ポスター用ボード
・黒板用マーカー
打ち込んでから、それぞれの横に、誰が持ち帰るかを書き足していく。
(誰が何を持って帰るか決めとかないと、明日の朝“あれ、紙皿どこ行った?”ってなる未来が見える)
(観察係のノート、だんだんクラスの在庫管理表みたいになってきたな)
カゴの中身がそれなりに重くなってきたところで、長谷川が腕時計をちらっと見た。
「そろそろレジ行こっか。オレ、このあと塾あるからさ」
「うわ、真面目スケジュール」
「委員長は忙しいのですよ」
西村が、適当な敬礼ポーズをしてみせる。
レジで会計を済ませると、長谷川がレシートをまとめて受け取った。
「レシートは俺が預かっとく。明日、担任に渡すから」
「お願いします、会計担当」
「やめて、その役職どんどん増やしてくの」
紙袋とビニール袋を人数分に分けて、それぞれの荷物量を調整する。
「紙コップとストロー、うちから学校のほうが近いから預かっとくよ」
西村が、軽いほうの袋をひょいと持ち上げた。
「LEDライトとフェイクグリーンは、さっき言ったとおりうちでチェックしてくるね」
桜井は、自分のトートバッグと、紙袋を一つ肩にかける。
「じゃあロール紙と画用紙とポスターは……安藤でいい?」
「いいって言う前に渡すのやめて?」
だけど結局、ロール紙の長い袋と、画用紙の入った紙袋、そして自分のリュック。
両手は、きっちり埋まった。
◇
ホームセンターから駅までは、四人でわちゃわちゃしゃべりながら歩いた。
「文化祭ってさ、準備がいちばん楽しい説あるよね」
「当日ぐだったらどうすんの、それ」
「それはそれでネタ」
(書き手の発想だな……)
そんな感じのどうでもいい会話をしているうちに、駅前のロータリーが見えてきた。
「じゃ、オレこっちだから」
長谷川が、反対側のホームへ向かう階段のほうを顎で示した。
「一本早いやつ乗っとかないと、塾遅刻する」
「文化祭前でも、受験生は大変だな……」
「いや、まだ高一だからね?」
苦笑いしながら、長谷川は手を振って階段を駆け上がっていった。
「うちはあっち方面だから、ここでバイバーイ」
西村は、改札の前でスマホを掲げた。
「ストローと紙ナプキン、任せたからね」
「任されましたー」
西村が手を振りながら言った。
「すみれ、安藤、よろしくね。荷物多そうだし」
「よろしく、の中身が雑なんだよな……」
文句を言う前に、西村はさっさとICカードをタッチして、別方向のホームへ消えていった。
残されたのは、紙袋二つとロール紙を抱えた僕と、トートバッグ+紙袋一つの桜井。
駅のホームに上がると、ちょうど各駅停車の電車が入ってきた。
「これ乗る?」
「うん」
乗り込んだ車内は、通勤ラッシュほどではないけど、それなりに混んでいた。
しゃべろうと思えばしゃべれるけど、大声で話すのはちょっとためらわれるくらいの密度。
電車の揺れに合わせて、隣に立つ桜井の肩が、僕の腕にこつんと当たる。
そのたびに、少しだけインクとシャンプーが混ざったような匂いがした。
「忘れそうだな、これ」
手元のロール紙を見ながら、意識して僕が小声で言う。
「明日出るとき、絶対玄関で一回つまずくやつじゃん」
「忘れたら、担任にめっちゃ言われそう」
「“備品忘れた記録係”って、肩書きとしてなかなかダメージでかい」
「それを自分で言うの、ほんと器用だよね」
桜井が、口元だけで笑う。
そんな、細切れの会話を何回か挟んだあと、電車は僕たちの降りる駅に着いた。
◇
駅を出ると、夕方の風が少しだけ涼しくなっていた。
空はまだ明るいけど、日差しはだいぶ柔らかい。
「今日さ」
駅前の信号を渡ったところで、桜井がぽつりと言った。
「ホームセンターで紙コップ見てテンション上がってる自分に気づいて、ちょっと笑っちゃった」
「高校生活、だいぶ文化祭に侵食されてきたね」
「“紙コップの柄でテンション上下する日が来るとは”って感じ」
「文化祭前ってさ、テンションだいたいホームセンターに吸われるよね」
僕は、ロール紙を持ち直しながら言う。
「キラキラの本番の裏側、だいたい“ガムテと紙コップの山”でできてるし」
「名言ぽいこと言ってるけど、見た目が完全に運搬係」
「運搬係は運搬しながらしゃべるものだから」
くだらないやりとりで一回笑ってから、少しだけ会話が途切れた。
アスファルトの上に、電柱の影が長く伸びている。
その影を踏まないように歩きながら、桜井が口を開いた。
「今回の文化祭特集さ」
「ああ、あの“匿名コメント集つきのやつ”ね」
「そう、それ」
桜井は、トートバッグの持ち手を握り直した。
「できれば、クラスのみんなが“ちょっと主役っぽく見える瞬間”を集めたいんだよね」
「抽象度が一気に上がった」
「でもさ、実際の文化祭って、“前でわーって盛り上がってる人”と、“裏でひたすら皿洗ってる人”とかいるじゃん」
「いるね」
「どっちの気持ちもちゃんと書きたいな、って思うんだよね」
その言葉に、僕の頭の中で、黒板のシフト表と、さっきのホームセンターの棚が重なった。
厨房組、ホール組、記録・運営組、買い出し組。
当日の表側と裏側。
「みんなが主役っぽく見える文化祭ってさ」
桜井が、少しだけ歩くスピードを落とす。
「現実的に可能だと思うかな?」
「……“全員が同時に主役”は、たぶん無理だと思う」
少し考えてから、口を開いた。
「厨房もホールも買い出しもあって、スポットライトの数には限界あるからさ」
「うん、それは分かる」
「でも、“誰も完全な黒子で終わらない”くらいなら、段取り次第でいけるかも」
「黒子で終わらない?」
「シフト組むときにさ、“一回は表側ポジションに出る時間”を、全員分どこかに入れておくとか」
ロール紙を持っていないほうの手で、空中に簡単な表を描く。
「裏方が向いてる人でも、一瞬だけ“自分のターン”を作ってあげるのは、多分できる。
逆に、ずっと表に立つ人には、その人なりの“裏で休む枠”をちゃんと入れておくとか」
観察係として教室を眺めていた視点と、記録係としてシフト表を考える視点が、頭の中で同じ場所に重なる。
「それぞれの“主役っぽい瞬間”ってさ」
自分でも、ちょっとだけ言葉を選びながら続けた。
「ライト当たってるかどうかより、その人の中で“今日いちばん楽しかった瞬間”とか“いちばんしんどかった瞬間”になってるかどうか、って感じな気がする」
「……」
「そういうのを集めて並べたら、十分“みんな主役の文化祭でした”って言えると思うけどな」
言ってから、「何を真面目に語ってるんだ、運搬係」と自分で少し照れた。
桜井は、しばらく黙って歩いていた。
アスファルトを踏むスニーカーの音だけが、しばらく続く。
「……そういうとこだよなぁ、安藤くん」
「どのへん」
「“全員を同時にヒロイン、ヒーローにします!”じゃなくてさ」
桜井は、愛おしいものを見るみたいに、目を細めて笑った。
「現実ラインの中で、“でも黒子にはさせない”って言ってくれる感じ」
「いや、そんな大それたこと言ったつもりは……」
「わたしさ」
その言葉に、僕は無意識に歩みを少しだけ緩めた。
「ずっと“ステージの真ん中に立たされがち側”だったからさ」
「……ああ」
河川敷の夜の会話が、頭の中でよみがえる。
『教室にいるときって、勝手に“桜井すみれならこうでしょ”みたいなテンプレ貼られること多いのよ』
『主役っぽく扱われないの、けっこう貴重なんだよ』
「たまに、“今日は誰かの横で、ちょっと脇から見てたい日”もあるんだよね」
「それは、なんとなく分かる気がする」
「だから、“主役っぽく扱わないけど、ちゃんと見ててくれる人”って、多分文化祭のときもけっこう重要なんだよね」
そう言って、ちらっとこっちを見る。
視線がぶつかって、僕はあわてて前を向き直った。
(またなんか、観察係のハードルを一段上げられた気がするんだけど)
胸のあたりが、少しだけむずがゆくなる。
◇
やがて、家の方向が分かれる十字路が見えてきた。
ここから先、僕はまっすぐ。
桜井は左の道だ。
「じゃ、ここで分かれ道だね」
「そうだね」
「明日、ロール紙と画用紙、忘れないでよ。ないとテーブル丸裸だから」
「分かってるよ。さすがにテーブル丸裸でカフェはやばい」
「“素朴な木目を活かしたミニマルカフェ”って言い張る手もあるけど」
「それ、だいぶポジティブ変換頑張ってるやつ」
そんな軽い確認をしてから、「じゃあね」と言おうとしたところで、桜井がふっと振り返った。
「さっきのさ」
「さっき?」
「“誰も黒子で終わらない文化祭”ってやつ」
「ああ」
「文化祭特集のどっかで、パクっていい?」
「パクるって言っちゃったよ、この人」
「もちろん、“観察係談”って小さく脚注つけとくから」
「脚注つけるくらいなら、もうちょっと言い換えてよ」
「考えとく」
桜井は、そう言って笑った。
「じゃ、また明日。ロール紙と一緒に登校してきてね」
「了解。運搬係、兼……観察係として」
軽く手を振って、桜井は左の道へと歩いていく。
その背中が角を曲がって見えなくなるまで、白い紙袋が小さく揺れていた。
(また一つ、“仕事の話”なのか“それ以外”なのかよく分からない種を、ホームセンター帰りの道端に撒かれた気がする)
文化祭記録係としての「段取り」。
観察係としての「クラス全員の一言コメント」への興味。
桜井が書こうとしている「文化祭特集」の芯。
(“全員主役”は無理でも、“誰も黒子で終わらない文化祭”くらいなら……)
(観察係として、本気で狙ってみてもいいのかもしれない)
ロール紙の重みを、少しだけ持ち直しながら、僕はまっすぐ自分の家のほうへ歩き出した。
ポケットの中で、スマホが震えた。
『今日は大量の荷物、ありがとね! 明日、筋肉痛にならないように』
短い文面と、筋肉ムキムキの猫のスタンプ。
(……そんなにやわじゃないっての)
苦笑いしながらも、ロール紙を抱え直す腕に、少しだけ力が入った気がした。




