第13話 文化祭特集のタネ
九月の教室は、カレンダーの上では「二学期」だけど、体感的にはまだ完全に夏だった。
窓から入ってくる風はぬるいし、蝉はギリギリ粘って鳴いているし、黒板の前に立つ担任のシャツには、うっすらと汗染みができている。
「……というわけで。始業式も無事終わったところで、はい、恒例のやついきまーす」
担任のその一言で、教室の空気が「だるい」から「だるいけどちょっとざわつき」に変わった。
「今年の文化祭の出し物、決めまーす」
前の席の何人かが小さくガッツポーズをして、後ろのほうでは「ついに来たか」みたいなため息が漏れる。
(夏休み明け一発目がこれって、なかなかハードだよな)
僕は、配られた「文化祭・クラス企画案用紙」なるものを眺めながら、そんなことを考えていた。
「はい、まずは自由に案出してみてください。お化け屋敷でも、カフェでも、劇でも。とりあえず何でも書いてみよー」
担任が黒板にチョークを構えると、クラスのあちこちから声が飛ぶ。
「お化け屋敷! 定番だけどやっぱそれっしょ!」
「ミニゲームコーナーとかどうすか。射的とか輪投げとか」
「メイド喫茶!」
「それは却下しまーす」
担任のツッコミが即座に飛んだ。
「“喫茶”はいいけど、“メイド”はダメだからね。あとコスプレの種類によっては校則的にアウトだから」
「じゃあ、普通にカフェとか」
「ステージでクラス劇とかもありじゃない?」
「劇は絶対グダるって」
男子のほうからは、手間をあまり考えていない案がどんどん出てくる一方で、女子のほうは「役割」とか「準備」を先に口にしていた。
「うーん……お化け屋敷も楽しそうだけどさ」
前の列のほうで、西村が手を挙げた。
「うちのクラスさ、あんまり“ガチ演技”したがる人多くない気がするんだよね。お化け役とかやるの、顔ぶれ限られそう」
「たしかに」
「その点、カフェ系だとさ。お客さん側も座れるし、うちらも当日ずっと走り回らなくて済むし」
隣で桜井が、補足するみたいに口を開く。
「役割も分けやすいと思うんだよね。厨房組、ホール組、レジ組、装飾組、宣伝組とか」
「あとさ、写真映えするのも大事じゃない?」
西村が続ける。
「なんか、ちょっとオシャレっぽい内装にして、映えるメニュー名つけたりしてさ。来てくれた人が写真撮ってくれたら、それだけで宣伝になるし」
「お、出た。“写真映え”」
クラスの何人かが笑う。
「でもまあ、カフェは実績あるしな。うちの兄貴もカフェだったけど、けっこう賑わってたし」
「準備は大変だけど、当日楽しそうではあるよね」
そんな声がちらほら上がる。
(カフェか……)
僕は、黒板に書かれていく「お化け屋敷」「カフェ」「ゲームコーナー」「劇」の文字を見ながら、心の中で冷静に計算していた。
(結果だけ見ればキラキラしてるけど、裏側はだいたい“労働と買い出しとシフト表”でできてるやつだな、これ)
観察係的には、たしかにネタの宝庫ではある。
準備段階のぐだぐだも、当日のバタバタも、全部「教室の裏側」として眺める価値はありそうだ。
「じゃあ、とりあえず多数決とってみよっか」
担任が、黒板に線を引いて、ざっくりと案を整理する。
「お化け屋敷がいい人」
何人かが手を挙げる。そこそこ多い。
「カフェがいい人」
それを上回る数の手が、一斉に挙がった。
「劇がいい人」
数人。
「ゲーム系がいい人」
また数人。
「……うん。カフェが一番多いね」
担任が頷いて、黒板の「カフェ」に丸をつける。
「じゃあ、今年の一年B組の出し物は“カフェ”に決定しまーす」
教室に、わっと拍手と歓声が広がった。
「やったー!」
「やっぱカフェだよな!」
「自分たちも食べられるやつ最高」
前のほうで、西村が桜井と目を合わせてグータッチしている。
その視線が、ふとこっちに流れてきた。
桜井と目が合う。
彼女は、ほんの一瞬だけ首を少し傾けて、にやっと口の端を持ち上げた。
『よろしくね』の圧だけが届く。
(……はい、なんか巻き込まれる予感しかしない)
僕は、配られた用紙の右上に小さく「カフェ」と書き込みながら、心の中でため息をついた。
◇
その日のホームルームの後半は、そのまま「係決めタイム」に突入した。
「はい、じゃあカフェやるにしても、いろんな係が必要になってきます」
担任が、黒板に項目を書き出していく。
「まず、内装・装飾係。看板とかポスターとかもここかな」
黒板に「装飾」と書かれる。
「次、厨房係。フードとドリンクを作る人たちね」
「ホール係。接客と案内担当」
「レジ係。お金扱うから責任重大です」
「あと、買い出し係と……そうだな、BGMとか当日の雰囲気づくり担当もほしいね」
チョークが黒板の上を走るたびに、係の候補が増えていく。
「で、話し合いの記録とか、シフト表作ったりする“記録・庶務係”も必要だな」
その言葉のあと、担任の視線が自然と後ろのほうに流れてきた。
「……安藤とか、こういう細かい作業得意そうじゃないか?」
うっかり目が合ってしまった。
「いや、あの……」
否定する前に、近くの席の大木が口を挟む。
「安藤ってさ、ノートとかまとめるのうまいじゃん。前のときも、議事メモみたいなの作ってくれてたし」
「分かる。ああいう事務系のやつ、何も言わずにやってくれるタイプ」
奥野まで頷く。
「“何も言わずにやってくれるタイプ”っていう理由で役職増やすのやめてくれない?」
思わず口を挟んだが、すでに空気は「安藤=記録係」で固まりつつあった。
「まあまあ。適材適所ってやつですよ。表に出るより裏方のほうが好きだろ?」
大木が、にやりと笑って言う。
悔しいけど、図星ではある。
ホールで「いらっしゃいませー!」と声を張り上げるよりは、裏でシフト表を調整しているほうが百倍マシだ。
「……まあ、そっちのほうがいいけど」
僕が渋々認めると、担任が黒板の「記録・庶務」のところに「安藤」と書き込んでしまった。
「はい、決まり。地味だけど重要な仕事だから頼むぞー」
「はいはい……」
小さく返事をすると、前のほうからくすくす笑いが起きた。
結局、係決めはこんな感じで落ち着いた。
装飾・ポスター・メニュー名担当には、桜井を含む女子数名。
BGMと「店内のノリ担当」的なポジションには、西村。
厨房は、家庭科が得意なメンバーと、食べるのが好きな男子たち。
ホール係は、声が大きい人と、接客向いてそうな人。
そして記録・庶務係には、僕。
(どうせ観察メモは取るし、公式に“記録係”ってことなら、堂々と教室眺めてても不自然じゃないか)
そんなふうに自分を納得させつつ、係決めの紙を鞄にしまった。
◇
放課後。文化祭の話で一通り盛り上がったあと、教室は少しずつ空いていった。
運動部に行く人、友だちと一緒に帰る人、図書室に寄ってから帰る人。
黒板の端には、さっき決めた係の一覧と、ざっくりしたシフト案のたたき台が残っている。
「とりあえず、写真だけ撮っとこう」
僕はスマホを取り出して、黒板の端をぱしゃっと撮影した。
あとで清書しやすいように、係ごとに線を引き直してから、メモ帳アプリを開く。
「厨房……ホール……買い出し……」
指で画面をスライドしながら、ざっくりとした一覧を打ち込んでいく。
これこそまさに、記録係の仕事だ。
窓際のほうからは、別の会話が聞こえてきた。
「で、コンセプトどうする? 普通のカフェ? 甘い系?」
「“学生が頑張ってますカフェ”は、ちょっとダサいよね……」
声の主は、もちろん桜井と西村だ。
窓から差し込む夕方の光の中、二人で机を挟んで向かい合っている。
桜井は、ノートを開いて、ペンをくるくる回しながら何かを書き出していた。
「メニュー名どうする? 普通に“カレー”“パスタ”だと、ちょっと味気ないよね」
「“夏の終わりのなんとかプレート”とか」
「一気にポエム感出てきた」
西村がツッコむ。
「でもさ、ちょっとエモい名前つけとくと、“なんか写真撮っとくか”ってなるんだよね」
「それはある。どうせなら、メニュー表だけでもネタにしたい」
その会話の流れで、桜井がふと顔を上げた。
「ねえ、千夏」
「ん?」
「文化祭さ」
ペン先を軽くコン、とノートに当てる。
「エッセイで“文化祭特集”みたいなの書けたら面白くない?」
「出た、職業病」
西村は即座に言ったけど、口元は笑っていた。
「だってさ。準備のぐだぐだも、当日のバタバタも、絶対ネタになるじゃん」
「まあ、それはそう」
「クラスのみんなの一言コメントとかも集めてさ、ちょっとした冊子みたいにして配れたら、可愛くない?」
「冊子?」
思わず、黒板前から振り向いてしまった。
(はい来た、“さらっと言うけど実際やろうとするとめちゃくちゃ大変なやつ”)
西村は、机に肘をついて、ニヤっと笑う。
「それさ、“カフェ限定フリーペーパー”的なやつでしょ?」
「そうそう。メニューの横に置いとく感じの」
「ふつうにオシャレ企画じゃん。好きそう、それ」
「好き」
桜井は、あっさりと認めた。
「だってさ。せっかく文化祭やるなら、“その場限り”じゃなくて、あとで読み返せる何か残したくない?」
「そういうセリフが、完全に書き手のそれなんだよな……」
西村が、肩をすくめるみたいに笑う。
(……冊子、か)
面倒くさいのは間違いない。
でも、「クラス全員の匿名コメント」という言葉を聞いた瞬間、観察係としてのアンテナがピクリと反応してしまったのも事実だ。
普段は声の大きい奴らの影に隠れている、「その他大勢」の本音。
それを一冊にまとめるなんて、まさに観察係のための企画じゃないか。
「……冊子って、どこまで本気?」
気づけば、口が勝手に動いていた。
「あ、観察係いた」
桜井が、こちらに視線を向ける。
「あ、ごめん。今は“記録係”だっけ?」
「まあ、どっちも似たようなもんだけど」
「ねえ、どう思う? 文化祭限定の“裏パンフレット”的なやつ」
「アイデアとしては、面白いとは思うけど」
とりあえず、そう前置きしてから、頭の中で浮かんだ「現実的な懸念」を順番に並べる。
「まず、“配る”ってことはさ。内容によっては後で変なところで刺さる可能性がある」
「刺さる?」
「誰かの名前を出したり、セリフをそのまま書いたりするとさ。“あのときのこれ、書かれたくなかったんだけど”ってなるかもしれない」
「あー……たしかに」
「それに、クラス外の人にも渡すつもりなら、先生に内容チェックしてもらわないと、多分アウト」
「先生チェック……」
「あと、単純にページ数と印刷。何部刷るのか、どこでコピーするのか、誰がホチキスで止めるのか」
「急に現実的な監査入った」
桜井が、苦笑混じりに言う。
「でも、そういうの考えるの、記録係の仕事っぽくない?」
西村がニヤニヤしながら油を注ぐ。
「“仕事っぽくない?”っていう理由で、また業務増やそうとしてない?」
「してる」
「即答?」
ツッコみながらも、頭の中ではすでに「どうすれば一番マシか」のルートを探していた。
(完全に“クラス全員分のエピソードをエッセイ化”するのは、さすがに無理だ)
(でも、“一言コメント集”なら、ギリ現実的かもしれない)
「……名前、出さないっていう手もあるよ」
気づけば、提案していた。
「冊子に書くのは、文化祭当日の“今日一番うれしかったこと”とか、“今日一番しんどかったこと”とか、テーマを決めてさ」
「テーマ?」
「うん。そこに、それぞれ一言コメントだけ書いてもらう。全部“匿名”で」
桜井と西村が、同時に「おお」と声を上げる。
「それ良くない? “裏テーマ”を観察係が決めるの」
「そしてまた観察係の仕事が増える」
西村が、すかさず補足する。
「そのツッコミ、もっと早いタイミングで入れてほしかった」
「でもさ、その匿名コメント集と、すみれの文化祭エッセイを合わせたら、けっこういい冊子にならない?」
西村が、ノートの端に丸を描きながら言う。
「オープニングがすみれエッセイで、中盤が“みんなの一言”、最後に観察係のなんかよく分からないまとめがつくやつ」
「“よく分からないまとめ”って」
「ほら、“今日の教室モブ事情”とかさ」
「なんだそのコーナー」
でも、言われてみれば、その構成はたしかに悪くない。
(エッセイで前後を挟んで、真ん中にクラスの声を置く)
(観察係としても、全員分の「一番」の一言を並べたら、かなり面白いデータになる気がする)
「……やるとしたら、配布はクラス内限定のほうがいいと思う」
「クラス限定?」
「外に配ると、それこそ知らないところで回って、変な使われ方をするかもしれないし」
「まあ、それはそうか」
「その代わり、“カフェに来てくれた人への特典”っていうより、“自分たちの記録”寄りにしたほうがいいんじゃないかな」
「“スタッフブック”的な?」
「ああ、近いかも。それなら“記録係”の仕事として、先生にも説明つきそうだし」
僕がそう言うと、桜井はしばらく黙ってノートに視線を落とし、それからゆっくり頷いた。
「うん……ありだな、それ」
「お、観察係案、採用?」
「採用寄りの検討に入ります」
どっちつかずな表現だけど、桜井が静かに真剣そうな顔をするときがある。
僕はその顔を何度か見ている。
本屋で、『日常を切り取るエッセイの書き方』の本を握りながら、次のステップを考えていたときと同じ顔だ。
(アイデアはさらっと投げておいて、具体的な泥臭い部分は“観察係ならなんとかできそう”枠に放り込んでくる)
(気づいたら、そういうポジションが定着しつつある気がする)
(……で、たぶん僕は、なんだかんだで断り切れない)
シフト表と連絡係。
そこに、「文化祭特集の裏企画担当」という謎の肩書きが、今、静かに追加された気がした。
◇
その日の夜。
晩ごはんを食べて、風呂から上がって、ようやくクーラーのきいた自分の部屋で一息ついたころ。
机の上には、夏休み明け早々に出された宿題の山と、文化祭の係の紙。
その脇に、スマホを置いて、ノートアプリを開いた。
新しいメモを作って、タイトルを打ち込む。
『文化祭特集ラフ案』
画面に表示された文字列を見て、苦笑する。
(完全に、ただのめんどくさい企画として切り捨てることもできたんだよな、本当は)
でも、本屋で見た「努力している横顔」が、ここでも頭をよぎる。
エッセイの本を抱えて、
「ちゃんと書き方のほうもアップデートしないと、ってちょっと焦ってる」
と笑っていた顔。
あのとき、「まあ、無理してやらなくてもいいんじゃない?」とは言えなかった。
今日もきっと、同じだ。
(“言葉の責任取らなきゃ”って言ってる人に向かって、“その企画、やめときなよ”だけで終わらせるのも、なんか違う気がするし)
(観察係としても、こういう“クラス全員の一言”が一冊にまとまるのは、正直ちょっと見てみたい)
指を動かして、項目を書いていく。
『形式:クラス限定配布の簡易冊子(A5くらい、数ページ)』
『内容案:
・オープニング:桜井の文化祭エッセイ(準備〜当日までの裏側)
・中盤:匿名一言コメント集
テーマ例:
「今日一番うれしかったこと」
「今日一番しんどかったこと」
・ラスト:観察係による“本日の教室モブ事情”的なまとめ(仮)』
『懸念点:
・名前を出さない前提でも、個人が特定されすぎないようにする
・先生チェック必須(担任にどう話すか)
・印刷コストと作業時間(前日までにどこまで仕上げるか)』
箇条書きのメモが、少しずつ埋まっていく。
その途中で、スマホが小さく震いた。
画面の上に、「桜井すみれ」の名前が表示される。
『さっきの匿名コメント案、けっこう好きかも』
一文だけのメッセージ。
その後に、考え込んでいる顔のスタンプが一つ。
『ちゃんと考えるから、また相談させてください、記録係さん』
続けて、そんな文も届いた。
『はいはい』
と打ってから、「はい」の一つを消して「了解」に変える。
『了解。記録係の業務範囲、文化祭まで拡大中』
そんなふざけた返信をしてから、もう一度メモに視線を戻した。
(……また、“仕事とそれ以外”の境界がぼやけそうだ、これ)
観察係としての「仕事」。
クラスメイトとして、ただ面白そうな企画を見てみたい「個人的な興味」。
そのどちらとも言い切れない動機がごちゃ混ぜになったまま、文化祭というイベントに向かって、じわじわと動き始めている。
スマホの画面には、「文化祭特集ラフ案」というタイトルが光っていた。
その文字列を見ながら、僕はベッドにひっくり返って、天井を見上げた。
(モブとして、背景に紛れてるはずだったんだけどな)
(気づけば、「観察係」としてクラスの真ん中に、さらに「裏パンフ企画」のほうにも、片足突っ込んでる)
溜め息とも、笑いともつかない息が、勝手に漏れた。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
めんどくさいし、大変そうだし、失敗したらそれなりに気まずい。
それでも──
(たぶん僕は、こういう“クラス全員がちょっとだけ主役になるページ”が、どんなふうに並ぶのか、見てみたいんだと思う)
そんなことをぼんやり考えながら、スマホの画面を閉じた。




