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モブ志望の僕は、クラスの有名人に観察係としてスカウトされました  作者: もりぞー


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12/26

第12話 本屋と、努力している横顔

 夏休みの午後の空気は、外に出ただけで「やる気」を蒸発させてくる。


 アスファルトの照り返しと、「期間限定・冷やしなんとか」のポスター。


 本来なら、この時間帯は家のクーラーの下で、動画サイトをだらだら眺めているはずだ。


(……こんな日に、課題図書を探しに来るやつじゃないだろ、本来)


 でも、あの河川敷の夜以来、「さすがに夏休み全部だらだらはまずいかな」と思う時間が、ほんの少しだけ増えた。


 駅から少し離れた商店街の一角に、その本屋はある。


 昔からある、小さめの本屋だ。

 自動ドアじゃなくて、押すタイプのガラスドア。

 中に入ると、外の熱気と入れ替わりに、少し古い紙とインクの匂いがふわっと鼻をくすぐった。


 冷房は効いているけど、チェーン店みたいなガンガンの冷気じゃなくて、「なんとか汗は引くかな」くらいのゆるい涼しさ。


(課題図書、まだ残ってるといいけどな)


 入口近くの「学校推薦図書コーナー」に向かうと、案の定、人気そうなタイトルはほぼ売り切れていた。


「これと……これと……」


 まだ残っている中から、ページ数があまり多くなさそうなやつを、それとなく選ぶ。

 表紙だけ見るとどれも「深いテーマを扱ってます」みたいな顔をしているけど、ページ数は正義だ。


 とりあえず二冊を抱えてから、その足で文芸コーナーに足を向けていた。


(ついでに、なんか“観察係の参考書”的なやつも見とくか)


 夏休みに入ってから、気づけば教室じゃないところでも、人の動きや会話をぼんやり追う癖がさらに強くなっていた。


 あの河川敷の夜とか。


 手持ち花火の火の色とか。


 線香花火が落ちるまでの、あのどうでもいい勝負とか。


『安藤くんといると、なんか楽なんだよね』


『ちゃんと見られてる感じはするんだけど、“主役っぽく扱われない”っていうか』


(……あれも、“仕事トークの延長”って言い張ろうと思えば言い張れるんだよな)


 観察係としての距離感は、まだギリギリ保てている……はずだ。

 はずなんだけど、あの夜のことを思い出すと、胸のあたりがちょっとざわつく。


(なんか、観察係としてのポジション、じわじわ崩れつつある気もするけど)


 そんなことを考えながら、エッセイ・評論コーナーの棚の前に立つ。


 妙に目に引っかかるタイトルの本があって、思わず手に取った。

 『人を見る技術』。


(自然にとってしまった……。まぁ、いいか。他にも何かあるかな?)


 棚を目線の高さからざっと眺める。


 『日常を切り取る文章術』

 『エッセイの書き方入門』

 『ことばの温度を上げる技法』


 タイトルだけ見ても、それっぽい本がいくつか並んでいた。


(こういうの、一冊くらい読んでみてもいいのかもな)


 エッセイそのものを書きたいわけじゃないけど、「観察したものを言葉にする」っていう意味では、重なるところもある気がする。


 一冊、エッセイの本を手に取って、パラパラとページをめくった。


 『人の仕草をメモしておくノートの作り方』

 『“なんとなく”を言葉にする練習』


(……タイトルに“観察係向け”って書いてあっても違和感ないな、これ)


 苦笑しながらページをめくっていると、隣の棚のほうに誰かが来る気配がした。


 スニーカーの音。

 ビニール袋がかさっと鳴る音。


 なんとなく視線だけそっちに向けると、棚越しに、見覚えのある後ろ姿が見えた。


 肩くらいの長さの髪を、今日はゆるく一つにまとめている。


 白いノースリーブに、薄い水色のシャツを羽織って、濃いめのデニムショートパンツ。

 学校とは少し違う、夏休みモードの私服。


(……桜井?)


 心の中で名前を呼んだタイミングとほぼ同時に、向こうが少し身を乗り出した。


「……あれ?」


 棚のすき間から、視線がぶつかる。


「安藤くん?」


「あ、どうも」


 思ったより近い距離で目が合って、変な挨拶になった。


「本屋にも出張してくるんだ、エッセイ書き」


「安藤くんも出張してるじゃん、観察係」


「観察係はほら、現場を知らないといけないから」


「その言い訳、わりとなんにでも使えそうだよね」


 桜井は、少し笑いながら、持っていた本を胸の前に抱え直した。

 表紙がこっちから見えないように、さりげなく向きを変えている。


 その動きが、やけに分かりやすかった。


「その本……何?」


「いや、これはその……」


 ちょっとだけ目線が泳ぐ。

 そのまま誤魔化すかと思いきや、桜井は一度だけ息を吐いて、本の向きをくるっとこっち側に向けた。


「こういうやつ」


 差し出された表紙には、はっきりと大きな文字が書いてあった。


 『日常を切り取るエッセイの書き方』


「タイトルそのまんまなんだけど」


「でしょ。分かりやすさは正義」


 桜井は笑って、わざとらしく胸を張った。


「そういう本、読むんだ?」


「読むよ。むしろ好きだよ、こういうの」


「てっきり、何も考えずに書いてるのかと」


「それ一番の悪口だからね?」


「いや、褒めてるつもりだったんだけどな……」


「“何も考えなくても書けちゃう人でしょ?”って、天才扱いと見せかけて責任全部押しつけてくるやつだから」


 言われてみれば、たしかにそうかもしれない。


 僕の中では、「桜井=思いついたことをすっと文章にできる人」というイメージがどこかで出来上がりつつあった。


 教室の真ん中で起こったことや、人の一言を、あのノートに流れるみたいに書いていく人。


 でも実際は──。


「最初はさ、勢いだけで書いてたんだよ」


 桜井は、本の表紙を親指でなぞりながら言った。


「“こういうことあったから書いとこ〜”みたいなノリで」


「今は違うの?」


「今はその……」


 一瞬、桜井は視線を棚の上に逃がしてから、もう一度こっちを見た。


「更新したときの閲覧数とか、リアクションがさ、前よりだいぶ増えてきちゃって」


「リアクション?」


「“こういうことありますよね!”とかさ、

 “見ていて楽しいです”とかさ。ちょいちょいコメント飛んでくるの」


「……ああ」


「最初は、本当に一部の人しか読んでないと思ってたんだよ。

 でも、通知とか見てると、“あ、想像してたより読まれてるんだな”って」


 苦笑いしてから、少しだけ真面目な声になる。


「“なんとなく書いたやつです〜”って逃げられなくなってきたというか」


「前に言ってた、“言葉の責任取らなきゃ”ってやつ?」


「そう、それ」


「だから、ちゃんと“書き方”のほうもアップデートしないと、ってちょっと焦ってる」


 桜井は、教室でみんなの前で話しているときより、ずっと力の抜けた顔で言った。


(エッセイって、才能だけでさらっと書いてるのかと思ってたけど)


(桜井はちゃんとこうやって、本読んで、悩んで、積み上げてる)


 エッセイを書いている姿は、どこか才能っぽく見えていた。


 でも実際には、こういう「書き方の本」をこっそり読んで、もっと良くしようって考えてる。


 そういうのを目の前で見せられると、なんというか──ちょっとずるい。


「安藤くんは?」


「え?」


「何読んでたの?」


 視線が、僕の手元の本に移る。


 さっきまでパラパラしていたエッセイ本と、課題図書をまとめて抱えている状態だった。


「あー……これは、その……」


 今度は僕のほうが、さっきの桜井みたいに本の表紙を隠したくなる番だった。


 けれど、隠そうとすればするほど、逆に怪しい。


「これと、これ」


 観念して、本の向きを見えるように変えた。


 一冊は、さっきのエッセイ本。

 もう一冊は、『人を見る技術』と書かれた、いかにもなタイトルの実用書。


「タイトル読むな」


「いや、読むでしょ、これは」


 桜井は吹き出した。


「“人を見る技術”って。観察係、ちゃんと勉強してるんだね」


「やめて、その言い方」


「でも、ちょっと面白い」


 くすくす笑いながら、表紙をじっと見る。


「お互いさ、けっこう“努力してる本”読んでるの、ちょっと恥ずかしいね」


「そういうカテゴリ名をつけないでよ」


「“努力してるところ見られるの、ちょっと恥ずかしいんだけど”って思わない?」


「思う。だから本屋の真ん中でやるの、だいぶ度胸あると思う」


「それはこっちのセリフ」


 言いながら、桜井は本を胸にぎゅっと抱えた。


「でもまあ、こういうのもネタにはなるかなって」


「本屋で努力してるところ見つかった話?」


「やめて、それタイトルにするの」


 そんなやりとりをしながら、気づけば二人とも自然にレジのほうへ歩き出していた。


 レジ前の小さな行列に並びながらも、会話は続く。


「安藤くん、課題図書は?」


「一応、ページ数の少なそうなやつを二冊」


「そこ正直に言うんだ」


「観察係は、現実から目を逸らしてはいけないので」


「そういうところだけ真面目なんだよな〜」


 桜井は笑いながら、自分のかごの中身をちらっと見せてくれた。


 エッセイ本が二冊と、小説が一冊。

 小説のタイトルは、すぐには読み取れない位置にあったけど、表紙の雰囲気からしてたぶん「日常系」だ。


「そっちの小説は?」


「これは完全に趣味。エッセイ書くときの“言葉のリズム”の参考にしたくて」


「そこまで考えてるの?」


「考えるよ。だって、“物語書いてる人たちのリズム感”、めちゃくちゃ勉強になるもん」


 レジのピッという音が、やたらリズミカルに聞こえた。


(そりゃ、疲れるよな)


 教室で、人気者扱いされて。

 エッセイでも、読まれる側になって。


 それでも、「ちゃんと書き方のほうもアップデートしないと」って本を探しに来てる。


(“仕事”として、ちゃんと背負ってるんだ、この人)


 観察係の目線が、ちょっとだけ「尊敬」のほうに傾いた気がした。



 会計を済ませて、店を出る。


 自動ドアじゃないガラスドアを押して外に出ると、むわっとした熱気と、夕方に近づきつつある日差しが一気に襲ってきた。


「うわ、店の中、天国だったね……」


「外界、レベル高いな」


 思わず二人で同時にため息をついて、ちょっと笑う。


 商店街のアーケードには、ところどころに「夏祭りのお知らせ」のポスターが貼ってあった。

 あの日行った河川敷の屋台も、その一つだ。


「このあとどうするの?」


 桜井が、腕にかけた紙袋を少し持ち上げながら聞いてきた。


「特に予定ないし、一回帰って課題図書“を開いたふり”してみる」


「“ふり”って自分で言っちゃったよ、この人」


「正直さは、観察係の大事な資質なので」


「でも夏休み終盤でそれ言えるの、わりと度胸あると思う」


「そっちは?」


「わたしはカフェ寄って、ちょっとだけ下書きするかも」


 そう言って、桜井は手元の紙袋を見下ろした。


「今日買ったやつ、パラパラめくりながら、あの透明ノートに」


「休みの日まで仕事熱心だな」


「仕事って言われると、急にすごい真面目なことしてる人みたいで照れるんだけど」


「実際、真面目なことしてる人では?」


「うーん、“ちゃらんぽらん真面目”くらいでお願いしたい」


「新しいカテゴリ作るな」


 軽口を叩き合いながら、僕はふと、さっきの本屋での姿を思い出した。

 真剣に本を選んでいた横顔。


「……でもさ」


「ん?」


「そういうの、普通にかっこいいと思うけどな」


 僕が前を向いたまま言うと、隣で足音が止まった。


「……え?」


「才能だけじゃなくて、ちゃんと裏打ちしようとしてるところ。素直に、尊敬する」


 横を見ると、桜井がぱちくりと目を瞬かせていた。

 それから、じわっと耳のあたりを赤くして、持っていた紙袋を顔の横に持ち上げた。


「……急に褒めるのは反則」


「事実を述べただけなので」


「観察係、たまにデレの火力高いんだよなあ……」


 桜井はぶつぶつ言いながら、紙袋で口元を隠す。

 その仕草を見て、僕も少しだけ気恥ずかしくなって、視線を前に戻した。


 商店街の出口まで、並んでゆっくり歩く。


 途中で、近所の子どもたちが自転車で走り抜けていって、「こんにちはー」と声をかけていった。

 桜井が反射的に手を振り返して、「誰の知り合い?」って顔でこっちを見る。


「いや、こっちのセリフ」


「なんか、“地域の人気者”っぽい動きだったから」


「それはそっちでしょ」


 そんなくだらない会話をしているうちに、商店街の出口に着いた。


「じゃ、ここで分かれ道かな」


 右に行けば駅。

 左に行けば、住宅街とバス停。


「安藤くん、こっち?」


「うん。駅のほう」


「わたしは逆方向」


 桜井は、左側の道を顎で示した。


「今日ここで安藤くんに見つかった話、いつかどっかでエッセイのネタにするかも」


「それ、今のままだと“本屋で努力してるところバレた会”とかのタイトルにならない?」


「うわ、それちょっと嫌だ。もうちょいオシャレなタイトル考えとく」


「“努力している横顔”とか?」


「急にポエムっぽくなったね」


 桜井は笑いを収めきれないまま、小さく「うん」と返した。


「じゃ、またね」


「うん。また」


 軽く手を振って、僕たちはそれぞれ逆方向に歩き出した。


 紙袋の中で、本が小さく揺れる。


(“天才っぽく見える主役側”の裏で)


(ちゃんとこうやって本読んで、悩んで、書き方を探してる)


 教室の真ん中で笑っているときとは違う、努力している横顔。


 それを知っちゃうと、「ただの観察対象」として見るのは難しくなる。


(……観察係としては、貴重な情報なんだけどな)


 それでも、さっき本屋の棚越しに見えた横顔は、どう考えても“仕事”のメモだけで片づけられるものじゃなかった。


(観察係としてのノートに書くか)


(それとも、安藤湊としてのどこかにしまっとくか)


 答えはまだ出ないまま、夏の午後の熱気にちょっとだけ汗をにじませながら、僕は駅へ向かって歩いた。


 ポケットの中で、スマホが小さく震えた。


 取り出すと、見覚えのある名前からの通知。


『さっきの、“努力している横顔”ってタイトル、採用するかも』


 続けて、変な顔をした猫のスタンプ。


(……採用すんのかよ)


 呆れながらも、口元が勝手に緩む。


『楽しみにしておきます』


 そう打ち返して、スマホをポケットに戻した。

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