第11話 手持ち花火と、ぼやける境界
西村と陸の背中が、屋台の灯りのほうに小さくなっていく。
レジャーシートの上には、ペットボトルとビニール袋と、お菓子の残骸。
その真ん中あたりに、僕と桜井だけがぽつんと残っていた。
「……めちゃくちゃ置いていかれた感あるな」
思わず口から出た感想に、桜井がふっと笑う。
「荷物番という、大事なお仕事を任されてるんだよ、観察係」
「それ、ただの留守番って言わない?」
「言わない。言い方って大事だから」
そう言って、桜井はペットボトルのお茶を一口飲んだ。
川の流れの音と、屋台の呼び込みの声と、遠くで上がる小さな花火の音。
さっきまで四人分だった話し声が、急に半分に減って、世界のボリュームが少しだけ落ちた気がする。
沈黙が気まずいほどではないけれど、「何かしゃべったほうがいいかな」と思うくらいの距離感。
「最近さ」
とりあえず、頭に浮かんだことから口に出してみた。
「エッセイ書いてるときの桜井さん、前より“疲れてる日”増えた気がするんだけど」
「え、マジで?」
「マジで。ノート見て固まってる時間、ちょっと長くなったというか」
「あー……それは否定できない」
桜井は、空を見上げながら肩をすくめた。
「夏はさ、重いの書きすぎると自分が持たないからさ。
“部活夏合宿あるある”とか“宿題進まない会レポート”みたいな、ちょっとライト寄りのネタに逃げてる」
「自己防衛?」
「そう。あと単純に、ネタが多すぎて逆にまとめきれない問題もある」
「ぜいたくな悩みだな……」
「観察係的には、“最近の私、なんか違うな〜”って見えたりする?」
「顔は、前よりちょっと疲れてる日増えたな、とは思う」
言ってから、「余計なこと言ったかな」と少し不安になる。
桜井は、しばらく黙っていた。
それから、ふっと笑う。
「そういうとこだよね、観察係って」
「どのへん」
「“エッセイ読まないでおく”って決めてるくせに、“顔色のほうの更新状況”はしれっとチェックしてくるとこ」
「言い方」
「でもまあ……そういうの気づいてくれるのは、ちょっと助かってる、かも」
最後の「かも」が、ほんの少しだけ小さくなる。
そのタイミングで、桜井のスマホがトートバッグの中で震えた。
「千夏だ」
桜井が画面をちらっと確認して、僕のほうに向き直る。
「飲み物の列、思ったより長くてちょい時間かかりそうだって。
花火セット置いてあるから、先に場所だけ確保しといてもらえると助かる、だそうです」
「了解、荷物番を続行ってことね」
「花火セットって、わざわざ書いてくるあたりが千夏っぽいよね」
「花火セット?」
思わずオウム返しすると、桜井が「うん」と小さく笑い、
自分のトートバッグをごそごそ探り始めた。
「さっきコンビニ行ったときに、千夏が勝手に突っ込んでたやつがあってね……あ、あった」
取り出されたのは、小さめのビニール袋。
中には、見慣れたパッケージが入っていた。
手持ち花火セット。
「完全に“夏の夜っぽい景色”アイテムじゃん、それ」
「でしょ。千夏、こういうところ抜かりないから」
パッケージには、花火のカラフルなイラストが並んでいる。
「戻ってくるまでにさ」
桜井が、その袋を軽く振った。
「これ、ちょっとだけやって待ってる?」
「ここで?」
「さすがにここはまずいから、あっちの砂利のスペースとか。
ほら、向こうも手持ちやってるし」
川の少し下のほうでは、小さなグループが花火をしている。
バケツを置いて、水もちゃんと用意しているみたいだ。
「ちゃんと水も買ってあるよー」
トートバッグから、ペットボトルの水を一本持ち上げる。
「……準備良すぎない?」
「“夏の夜っぽい景色”見に行くって言い出した人を誰だと思ってるの」
「エッセイ書きです」
「はい正解」
そんなやりとりをしながら、僕たちはレジャーシートの端に花火セットと水のペットボトルを置き、必要な分だけ手に持って土手の少し下へ降りた。
◇
川に近い、少し開けた砂利のスペース。
周りには同じように花火をしているグループが何組かいて、それぞれバケツやペットボトルを置いている。
煙の匂いと、パチパチという音が、風に乗って漂ってきた。
「とりあえず、この細長いのからいく?」
桜井が、花火セットから細長い花火を二本取り出す。
「花火ってさ、最初火つけるときがいちばん緊張しない?」
「分かる。ライター持つ手が一番怖い」
「じゃ、持つ係と火つけ係で役割分担しよっか」
「どっちもやりたくないんだけど」
「そこはほら、観察係って火つける側っぽくない?」
「なんでだよ」
「“最初の一歩目”の話、前にしたじゃん?」
雨の日の会議の回のことを、即座に引っ張り出してくるあたり、さすがエッセイ書きだと思う。
「……はいはい。じゃあ火つけ係で」
「よろしい」
百円ライターを受け取って、ススキ花火の先端に火を近づける。
じわっと火が移って、先端がオレンジ色にふくらんだ。
「きたきたきた」
パチパチと火花が散り始める。
桜井は、少しだけ腕を伸ばして、火花が自分にかからないギリギリの距離を保ちながら、それを見つめた。
もう一本にも火を移して、僕も一本持つ。
ふたつの火花が、川の流れと夜の空気の中で、短い軌跡を描いていた。
「なんかさ」
火花を眺めながら、桜井がぽつりと言った。
「こういうの、ちゃんと“手持ち花火してる夏の高校生”って感じしない?」
「してる。テンプレ感すごい」
「テンプレ、嫌い?」
「嫌いじゃないけど、自分がそこに入ってるって思うとちょっとむず痒い」
「分かるー」
桜井は、花火の火を少しだけ揺らしながら続ける。
「“そういう場面の一コマですよ”ってカメラ向けられてる感じがしてさ」
「桜井さんの場合は実際エッセイっていうカメラがあるしね」
「それね」
火花がだんだん弱くなってきて、最後に小さくはじけて消える。
持ってきたペットボトルの水を、地面に少しだけ垂らして小さな水たまりを作る。
そこに先端をじゅっとつけてから、使い終わった花火をまとめて捨てる用のビニール袋に入れた。
「次、どれやる?」
「線香花火は最後がいいから……この、やたら眩しそうなやつ」
「名前からしてうるさそうなんだけど」
そんなことを言い合いながら、二本目、三本目と火をつけていく。
パチパチの音に紛れて、他のグループの笑い声が遠くに聞こえる。
さっきより少しだけ暗くなった空には、まだ本格的な大きな花火は上がっていない。
何本目かの花火の火が落ち着いてきたころ、桜井がふいに口を開いた。
「ねえ、安藤くん」
「ん?」
「こういうときさ」
火花を見つめたまま、少しだけ言葉を探すような間があった。
「安藤くんといると、なんか楽なんだよね」
唐突だけど、音量は小さくて、花火の音に紛れそうな声。
「楽?」
「うん」
桜井は、火花の先をじっと見ながら続ける。
「ちゃんと見られてる感じはするんだけどさ」
「うん」
「“主役っぽく扱われない”っていうか」
花火のオレンジ色が、桜井の横顔を一瞬だけ照らす。
「主役っぽく……?」
「なんかね」
桜井は、火の先を少しだけ持ち上げた。
「教室にいるときって、勝手に“桜井すみれならこうでしょ”みたいなテンプレ貼られること多いのよ」
「“桜井さんなら盛り上げてくれるでしょ”的な?」
「それそれ。“なんか言ってよ”とか“どう思う?”とか。
別に嫌ってわけじゃないんだけどさ、ずっとそれやってるとたまにしんどくなる」
淡々としてるのに、僕にはちょっとだけ無理してるみたいに聞こえた。
「でも安藤くんはさ」
火花がまた少し強くなる。
「ちゃんと状況は見てくれてるんだけど、“ほら主役なんだからなんかしてよ”って感じで押してこないというか」
「……」
「“あ、今しんどそうだな”って顔してても、“元気出して!”とか言わないで、“今しんどそうだな”で止めてくれる感じ?」
「今、微妙にディスられてない?」
「褒めてる、褒めてる」
桜井は、ちょっと笑った。
「なんか、ちゃんと見られてる感じはするのに、“ステージのど真ん中に立たされてる感じ”はしないの、けっこう貴重なんだよ」
火花が、ぱっと大きく散ってから、勢いを失っていく。
僕は、自分の手元の火を見ながら、どう答えたらいいのか少し迷った。
「……そりゃ」
とりあえず、いつもの逃げ道を使う。
「こっちはモブなので」
「出た、モブ」
「主役扱いする権限が、そもそもないんだよ」
「そうかなあ」
桜井は、火が消えかけた花火を水たまりにじゅっとつけた。
「モブとか言いながら、一番おいしいところ持っていくタイプでしょ、安藤くん」
「どこ情報だよ、それ」
「エッセイ書きの長年の勘?」
「長年て言うほど年数ないでしょ」
「でもさ」
次の花火を取り出しながら、桜井は続ける。
「“自分はモブだから”って言って端っこにいる人が、本当にずっとモブのままかって言うと、そうでもなかったりするんだよね」
「どういう意味で」
「“ちゃんと見てる人”ってさ。
気づいたら、“誰かの一番おいしい瞬間”のところに立ち会ってたりするの」
「本人は、“いや、自分は端っこで見てただけだから”って言うんだけど」
「言いそうだな、それは」
「でもその瞬間を、“ちゃんと見ててくれた人がいた”ってこと自体が、けっこう大きかったりするんだよね」
今度は、僕の花火から桜井の花火に火を移す。
桜井が、少しだけ身を乗り出してくる。
オレンジ色の火花越しに、長いまつげが震えているのが見えた。
息がかかるんじゃないかと思うくらいの距離。
一瞬、心臓が変な音を立てた気がして、僕は無意識に息を止めた。
火花が、さっきより少し静かに散っている。
「そういう意味では、“モブとか言いながら一番おいしいところ持っていく人”って、わりといるんじゃない?」
「そうかなぁ……?」
「観察係、そういうポジション狙い目だと思うけどなあ」
「狙ってないから」
言いながら、自分の胸のあたりが、ひどく落ち着かない。
(“楽”って言われたのが、嬉しいのか)
(“一番おいしいところ持っていく”って言われたのが、むず痒いのか)
(それとも、そうやってサラッと言われてしまう距離感そのものに、ざわざわしてるのか)
どれが正解なのか、自分でもよく分からなかった。
◇
「最後、線香花火いこっか」
残った花火の中から、桜井が一番細いのを二本取り出した。
「線香花火ってさ、人生っぽいよね〜とか言うとどうかな?」
「テンプレ発言きたね」
「テンプレということは、みんながそう思うってことだからオッケー」
ライターで火をつけると、先端に小さな火の玉ができる。
じりじりと落ちそうで落ちない火の玉を、二人でじっと見つめる。
「落ちないように、できるだけ動かさないの難しくない?」
「そうやって意識すると余計揺れるやつね」
僕の線香花火が、少しだけ大きくなってから、小さくなる。
ぽとり、と火の玉が落ちて、じゅっと音を立てて消えた。
「……あ、負けた」
「なに勝負だったの、今」
「だいたい線香花火って、どっちが長く持つか勝負するものでしょ」
「初耳なんだけど」
「じゃあ今決めた」
桜井のほうは、まだかろうじて火の玉が残っている。
風にあおられそうになるたびに、そっと手を動かしてバランスを取っていた。
「こういうの見るとさ」
火の玉を見つめたまま、桜井が静かに言う。
「落ちるの分かってるのに、変に応援したくなるよね」
「それはちょっと分かる」
「落ちると分かってるからこそ、“もうちょい頑張れ”って思っちゃうんだろうなあ」
その火の玉も、やがて小さくしぼんで、ぽとりと落ちた。
残った煙だけが、ふわっと上に昇っていく。
「……おつかれ」
桜井が、燃え尽きた線香花火に小さくそうつぶやく。
「線香花火に労いの言葉かける人、初めて見たかも」
「生き物には優しく」
「それ、生き物カテゴリーなんだ」
「今のは“誰かの夏の象徴”枠だから」
「カテゴライズが雑なんだよな、時々」
ふたりで笑って、使い終わった花火をまとめてビニール袋に入れた。
◇
レジャーシートに戻る道すがら、スマホがまた一度震えた。
今度は陸から。
『こっちは西村さんと屋台探検中。
そっち、いい感じならゆっくりしててどーぞ』
最後に、ウインクしてる顔文字がついている。
(……分かっててやってるな、これ)
若干イラッとしつつ、完全には否定できない自分もいる。
レジャーシートに戻ると、さっきより空がだいぶ暗くなっていた。
出店の灯りが、川面に細長く映っている。
「千夏たち、まだ?」
「なんか、屋台探検にシフトしたっぽい」
メッセージを見せると、桜井は「うわ、やってるわ〜」と苦笑いした。
「まあ、あの二人ならそうするよねって感じ」
「そういう意味では、ちゃんと仕事してるとも言えるけどね。外部相談役と相方として」
「役職の運用が自由すぎるんだよな……」
また四人で集まってわちゃわちゃやる時間が、このあとすぐ来るのかもしれない。
あるいは、今日はもうこのまま二人でだらだら川を眺めて終わるのかもしれない。
どっちに転んでもいいような、ふわっとした夜の空気。
さっきの花火の残り香が、まだ指先にちょっとだけ残っていた。
(……今日のこれは)
レジャーシートに腰を下ろして、川を眺めながら考える。
夏の夜っぽい景色を見に行くのは、エッセイのネタ集めの一環で。
観察係として、その場の空気を覚えておくのも、たしかに“仕事”のうちだ。
手持ち花火で一緒に遊んで。
「楽だ」とか「主役っぽく扱われない」とか言われて。
胸のあたりがざわざわしたのも、観察対象の一部と言い張ろうと思えば言い張れるのかもしれない。
(でも、さっき線香花火の火が落ちるまでの時間を、妙に大事にしたかったのは)
観察係としてじゃなくて、「ただ一緒にいたい側」の気持ちだったような気もする。
(今日のこれは、“仕事”だったのか)
(それとも、ただの──)
そこまで考えたところで、屋台のほうから西村の笑い声が聞こえてきた。
振り向くと、かき氷とジュースのカップを両手に掲げた西村と、それを持つのを手伝っている陸の姿が見える。
「おまたせー!」
西村の明るい声が、夜の河川敷に響いた。
観察係と、ただ一緒にいたいだけの自分。
その間に残った熱を、胸の奥に押し込んで。
僕はとりあえず、荷物番としての仕事に戻るふりをした。




