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2016年9月1日

2016年9月1日

 

―30歳 社員歴6年目 出勤日―


 眠い。猛烈に眠い。信号待ちで、立ち止まった俺は盛大な欠伸をする。

今期のゲームも徹夜でクリアしてしまった。俺ももう30歳、徹夜は体に悪いし、極力したくない。しかし、今期の本編ストーリーは事前情報で推しになりそうな子の神回、神スチルがあると知り、なんとしてもネタバレ前に拝みたかったのだ。あのシーンを見るだけでも、徹夜の価値はあったと思う。

我がゲーム人生に一片の悔いなし!


 ピッポー ピッポー ピッポー ピッポー


 信号の切り替わった音がして、横断歩道を渡ろうと前に進んで行くと、会社前の大通りでボーっとスマホを見ている女性を見つけた。自転車が来る通りだし危ないなと思って女性のことをよく見てみると、いつもと違う髪型で分からなかったが、颯軌ちゃんだと分かり思わず声を掛けた。

美河(みかわ)さん、おはよう。」

俺の声を聞いた颯軌(さつき)ちゃんは、スマホからゆっくり顔を上げた。眠いのか、いつもよりとろんとした目で俺を見つめると嬉しそうに笑って「おはよう、春日君。」と挨拶を返してくれた。昨日も可愛かったけど、今日も可愛い。もう毎日可愛い。キモいことを思っている自覚はあるが、颯軌ちゃんの笑顔は俺のオアシスといっても過言じゃない。                                                

 挨拶を返してくれるだけで胸がいっぱいになるとかどっかの中学生か俺は、と内心一人でツッコミを入れていると、颯軌ちゃんが突然くすくす笑い出した。

「え、どうしたの?」

「朝から笑っちゃってごめんね。今日も独り言、沢山言ってるなぁと思って…。可愛いって言ってくれてありがとう。」

まさか、また心の声が駄々洩れだったのか?肝心な時になんで俺は変な事言っちゃうんだよ。

タイミングが悪すぎる…。

「え、そう?また言っちゃてた?気にしないで。その、可愛い…っていうのは……、髪型!髪型のことでっ!」

「髪型?」

「そう!髪型!いつもはハーフダウン?っていう髪型に綺麗な髪飾りつけているのに今日はおさげで…、垂れた耳のウサギみたいで可愛いなぁと」

「ハーフダウンって、ハーフアップのこと?今日はこの髪型がおすすめって占いに載っててね。気分転換してみたんだ。二つ結びって私の年齢的に合わないと思うんだけど…、偶には良い…よね。」

自信が無さそうに下を向きながら、髪の毛を手先でクルクルする颯軌ちゃんの姿を見て、俺は力強く言った。

「そんなことないよ!とっても似合っていると思う…ょ。」

会社の前で、褒めること自体恥ずかしくなって段々と声が小さくなってしまったが、気持ちは通じてくれたようで、颯軌ちゃんは照れながら「ありがとう」と言ってくれた。

 お互い顔が真っ赤になってしまったので、同じ部署の人にからかわれる前に、二人で急いで会社に出社した。それぞれ会議があるのでエレベーター前ですぐに別れてしまったが、朝からちょっといい雰囲気になれたんじゃないか? 明日は金曜日だし、時間を見つけて飲みに行けないか誘ってみよう。今日も頑張ろうと仕事への意気込みを胸に、俺は栄養ドリンクを鞄から取り出し、ぐいっと一気に飲み干した。


 最悪だ、全然集中できなかった。やっぱり歳かな、徹夜はもうだめだ。

 締切はまだ先だけど早めに提出したいし、もうちょっとエクセルの数式を整理したら、参考資料の数字に近くなる筈だ。定時には間に合わないし、多分残業手当にならないだろうけど仕方ない。明日の俺が、ゆっくり出社する為にも区切りの良い所まで終わらせようと背筋を伸ばすと、後ろから声を掛けられた。

「春日さん、ちょっといいかな。」

声の主が部長だったので、俺は慌てて立って部長に向き直った。

「はい、なんでしょうか。」

「定時以降に仕事をするのは感心しないけど、春日君のことだし区切りが良い所まで終わらせたいんだろう?私は帰るから、警備員さんが巡回に来た時に、ここのフロアの鍵を返しておいてくれないかい?」

「わかりました。ご迷惑おかけしてすみません。」

「いいよいいよ、無理しないでね。じゃあね。」

そう言われた後、俺は部長からフロアの鍵を渡された。

 ホラーゲームなら、ここでテロップが流れて、○○フロアの鍵を手に入れたって表示されているんだろうなと思うとちょっと楽しくなってきた。部長が帰り、フロアは俺は一人になったので本当は良くないが、右耳にイヤホンを付けて音楽をかけた。さて、仕事を始めようじゃないか。


 あれから30、いや40分経っただろうか。警備員はまだ来ない。仕事への興が乗ってまだパソコンの数字と向き合っていた俺は、背後から近づいて来る人物に気が付かなかった。

「春日君。」

左側から聞こえてくる声に驚いて俺は思わず、椅子ごと後ろに飛びのきながら声の方に顔を向けた。

「み、美河さん…?」

「ごめんね。驚かせるつもりはなかったんだけど、びっくりしちゃった?」

首を傾けて俺を見つめる颯軌ちゃんの雰囲気がいつもと違って見えた気がした。俺は気を紛らわせるように体をパソコンに向き直した。

「あー、うん。驚いたよっ、どうしてここに?」

「今度、ここの部署と私の部署、合同で会議するでしょう?会議室予約したの私だからさ。こっちの部長さんに、もう一回だけ日程を確認できないかなって思って寄っちゃった。」

「そうなんだ。部長はもう帰っちゃったよ、残念だったね。」

「うん、本当に残念。」

…全然残念そうじゃないのは、俺の気のせいだろうか。

その時、今日は時間が取れず、メールを送る勇気もなく、明日飲みに行こうと颯軌ちゃんを誘えなかったことを俺は思い出した。二人きりの今、チャンスなんじゃないか?勇気をだせば、もしかしたら………、いや絶対、上手くいく!!

そう思った俺は、意を決して明日の予定を聞こうとした。

「あのさ、美河さん。明日の夜っt…」

時間ある?と聞こうとして言えなかった。


 なぜなら、後頭部を強く殴られたからだ。

俺は、殴られたところを左手で抑えながら、右手でデスクに力を入れて体を支えつつ、殴ってきた方向を見た。

予期しない状況に俺は混乱する。俺は誰に、何で、どうして、攻撃されたんだ?

俺は、見ている情報を一つ一つ整理した。


誰に?

颯軌ちゃんに。


何で?

バールで。


どうして?

わからない!!!


俺が見た颯軌ちゃんは、血まみれのバールを両手で握り、朝の様にとろんとした目をしながら恍惚とした表情で俺を見つめていた。

「やっと二人きりだね、春日君。」

「なんでっ、こんな…こと…………。」

「決まってるじゃない、一緒になりたいからだよ。私と一緒になってほしいの。」

 いっしょになる? いっしょになるってなんだ?

「ぃみが…、意味がわかんないよ」

 本当に意味が分からなくて、いつの間にか声に出していた。

そんな俺に、彼女はさっきと変わらない表情で笑いながら、一歩踏み出す。

「大丈夫だよ。痛いのは一瞬だから。」

ダメだ、話が通じない。俺は彼女から逃げようとするが、体勢が悪く椅子から転げ落ちてしまった。

頭が痛い。

思考がまとまらない。

身体が上手く動かない。

もうパニックだった。


 彼女が、バールを再度握り直し大きく腕を振り上げる。もう逃げる気力を失ってしまった俺は、目をつぶった。

最後の薄れゆく意識の中で、彼女の


「ね ぇ 、い っ しょ に な ろ う!」


の言葉が頭の中でぞわりと響いた。


 あれから三日後、俺は病院の一室で目が覚めた。

医者と警察が代わる代わるにやってきて、状況を説明されたり、俺に非があるんじゃないかと疑われたり、去年と同じ状況に眩暈がした。

 あの日、俺を助けてくれたのは、見回りの警備員さんだった。鍵が返されていないフロアをよく調べていてくれたおかげで、発見が早かったのだそうだ。もし、警備員さんが少しでも遅かったら、サボって来てくれない状況だったら…想像するとゾッとした。退院したら、警備員さんには菓子折りを持っていこう。うん、そうしよう。

 今回、面会に来た警察の2人組は、前回とは違う人達でそこそこベテランそうなサラリーマン風の男達だった。前回の若い警官のようにあからさまな態度には出していなかったが、俺を見る四つの目がまるで「お前が加害者を追い詰めたんじゃないのか」と言われている気分になった。その視線から苦手意識を感じ、目を逸らしながら話していたのが良くなかったのかもしれない。前回は2、3日で警察の面会が終わったのに、今回は一週間以上、何回も会いに来たのだ。同じ質問を何度も何度も繰り返す警察には本当に参った。

 加害者をネット依存させる程の違法サイト?俺が作ったんじゃないかって?ふざけるのも大概にしてほしい。

だいたい、なんで自分が作ったサイトで精神操作させて自分を襲わせるんだよ。しかも、会社はIT系専門だけど、俺の仕事はデータベースエンジニアで、会社の膨大な情報を設計・運用・管理する仕事なんだよ。お前らが行ってること実現できんのって、強いて言うなら、システムエンジニアとかだろ。どこの二次創作設定を基に構築されたプログラミングなんだよ。IT系で全部まとめんな、ふざけんじゃねーぞ。

 本当は、そう怒鳴って追い返したかった。でも、できなかった。

警察の質問に答え続けることが、颯軌ちゃんの様子がわかる唯一の方法だったからだ。

あれから颯軌ちゃんは放心状態になり、時折譫言を呟いた後、半狂乱による暴走を繰り返しているようだ。最近、症状の安定化を目的に精神病院に送られたらしい。

 誰だよ。なんでそんな変なサイト作ったんだよ。

颯軌ちゃんと出会った時の俺は思ったことがすぐに声に出る割に基本口下手で。仕事のことと、ゲームの話題しかスラスラ出てこなかった。颯軌ちゃんは、中々他の同期と馴染み辛かった俺にも避けずに話しかけてくれて、同期と打ち解けるきっかけをくれてた。誰にでも公平に接していたあの颯軌ちゃん…いや、美河颯軌さんに俺は救われていた。

 次に警察が来た時、一緒に被害届を取り下げる手続きについて来てもらった。慰謝料なんていいから、優しい美河颯軌さんに早く戻ってくれることを一心に願った。そして、捜査の手助けになることもできない、誰がサイトを作ったのかも、原因を調べる気力もない、そんな何もできない自分を軽蔑した。

 こうして、俺の入社時から続いていた長い春は終わりを告げたのだった。


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