第六話 初仕事
午後を少し過ぎたころ、俺の家にトッドとエミリーがやってきた。
「よう、トッド。それに……エミリーまで?今日はどうしたんだ?」
「もう、頭にきたんだから!」
開口一番、エミリーは真っ赤な顔で怒鳴った。
「え、え?」
「ちょ、ちょっと!落ち着いてエミリー。アレスが困ってるよ」
トッドが慌ててなだめに入ったが、エミリーは止まらない。
「これが落ち着いてられるの? あのイカれたやつれ鳥頭!」
「やつれ鳥頭……」
妙なあだ名で、誰のことかは何となく察しがついた。
「マイルズのことよ! あのバカ、広場でアレスのこと家畜泥棒だのエセ猟師だの、好き放題言いふらしてたんだから!」
「あー、やっぱり殴ってもよかったかな……」
「すぐ自警団が来て一応は収まったみたいだけど、アレスは大丈夫だった?」
トッドは不安そうに俺を見つめる。
「実は、朝来てたんだよね、マイルズ」
「「えっ⁉」」
二人は声を合わせて驚き、ずんずん詰め寄ってきた。
「なんでそれを先に言わないのよ、アレス!」
「そうだよ!何かされた?何か言われた⁉」
「う、うるさいうるさい、二人とも落ち着けって!」
騒ぐ二人を何とかなだめ、俺は朝の出来事を簡単に説明した。俺が何か言う度に、エミリーの眉間にピクピクとシワが寄っていた。
「――というわけで、特に何もされてないし、パウロさんのおかげで大丈夫だったから」
「むぅ……」
エミリーはまだ釈然としない様子だけど、渋々納得してくれたみたいだ。
「それはそうと、トッドやエミリーの方こそ大丈夫だった?」
「何が?」
「いや、二人とも俺とよく一緒にいるから、何か言われたりしてないかなって」
「ふん、そんなの大丈夫に決まってるじゃない。ああいうのは、勝手に言わせておけばいいのよ」
「僕も、何か言われたりするのは慣れっこだし、なんともないよ」
二人とも、俺のことになるとあんなに感情的になるのに、こういう時は案外冷静だ。
そのギャップが、なんだか妙に心強くて、少し笑ってしまった。
「何笑ってんのよ」
「いや、二人とも良い奴だなーって思って」
「えぇ……急にどうしたんだよアレス」
不思議そうな顔をする二人をよそに、俺はこらえきれずにニヤニヤが顔に浮かぶのを必死に抑えた。
「でも、最近この村……ちょっと変だよね」
トッドがぽつりと呟いた。
「あー、トッドもそう思う!? お店に来る人達の様子もなんか変だし、食料とか仕入れた荷物が無くなったりしてるっておばあちゃんが言ってた」
「え、そうなんだ」
パウロさんが朝言っていた、荷物が無くなる事件のことを思い出す。
まさかウィンストンさんのところも被害にあっていたなんて。
「そうなんだよ。僕の家でも物が無くなってたりしてさ。お父さん達にも色々疑われて大変なんだ」
「トッドのお家は相変わらず意地悪ね!でも、おばあちゃんも言ってたけど、最近みんなピリピリしてるみたい」
「うーん……」
俺は普段あまり村の中には入らないけど、それでも大人たちが妙に苛立っているのが肌で感じられた。
冬支度で忙しいところに、家畜がいなくなったり物が盗まれたりしたら、そりゃあイライラするのも無理はない。
だけど、この感じ――
ただの忙しさや苛立ちだけじゃない何かが、村全体を覆っているような気がした。
その「何か」を思い出そうと頭を巡らせていると、ふと昔の記憶が鮮明に甦った。
まだ幼かった頃、父さんに連れられて森の奥深くに行った日のことだ。
若いシカの群れが、突然襲いかかってきたレッサーハウンドの群れに囲まれてしまった。
遠くからでも、シカたちの目は恐怖に見開かれ、彼らの甲高い悲鳴が今でも耳にこびりついている。
風に乗って漂う獣臭。森に張り詰める緊張感。
あの時の森は、生きるか死ぬかの戦場だった。
捕食者の存在に怯え、弱い者たちが必死に逃げ惑う、そんな雰囲気だった。
今の村の空気は、それに似ている。
誰か、何かに怯えている弱い動物たちのような――そんな緊張感がひしひしと伝わってくるのだ。
何が、村をそうさせているのか。
俺はその正体を、心のどこかで恐れていた。
「おーい、アレス」
はっと我に返ると、いつの間にかパウロさんがそっと近づいていた。
「あ、リーダー次席」
「難しい顔をしてどうした?」
「いえ、すみません。ちょっと考え事をしてました。どうかされましたか?」
「いや、朝の件で話があってな。悪いが、君たちは少し外してくれるか」
さっき来たばかりで申し訳ないが、トッドとエミリーには家で待っていてもらうことにしよう。エミリーに数発叩かれたけど、今は我慢だ。
「すみません、お待たせしました」
「いや、こちらこそ急に呼び出して悪い。マイルズの件は聞いたか?」
「はい、二人から聞きました。ちょっとした騒ぎになったみたいで、ご迷惑をおかけしました」
「いや、君が謝ることじゃない。マイルズのやつをしっかり見張れていればよかったんだが……」
「そんな、リーダー次席が気に病むことじゃありません!俺はもう、全然気にしてないので!」
そう言って、パウロさんに親指をグッと立てて見せた。
「それなら良いんだが。あぁ、そうだ、朝の件なんだが」
そう言ってパウロさんは一枚の紙を取り出し、俺に差し出した。
「リーダー次席!これって……」
「ああ。リーダーから、森への立ち入り許可と調査の指令が降りた」
紙には汚い字でこう書かれていた。
『アレス・ウィル・ハスター。先の者に狩猟会臨時会員として森の調査を命ずる 狩猟会リーダー ダンパー・リコイット』
「ありがとうございます!俺、頑張ります!」
嬉しさに声が震えた。
「……」
「リーダー次席?」
はしゃぐ俺とは対照的に、パウロさんは険しい表情だった。
「あぁ、すまない。お前なら大丈夫だと思うが、十分に気をつけるんだぞ」
「はい!」
「それから、これが森への通行証だ。森へ入る時は必ずこれを持つように」
年季の入った木の札を手渡された。
「……それから、これも」
パウロさんは背中から大きな包みを降ろし、そっと地面に置いた。
「使わないに越したことはないが、万が一の時は迷わずこれを使うんだ」
小さな丸い小瓶二つと、黒光りした矢じりがついた矢が三本。
「これって……」
「ああ。閃光玉と特注の黒鉄の矢だ」
「えぇ⁉こんな高価な物、いただけませんよ!」
「まあ、値段のことは気にするな。ついて行ってやれない代わりに、せめてお守りとして持っていて欲しい」
俺の動揺が見てとれたのか、パウロさんは優しくそう言った。
「うぅ……ありがとうございます。ありがたく使わせていただきます」
「ああ。万が一は命を最優先しろ。何か見つけたら報告も忘れるなよ」
「はい、了解しました!」
一瞬、パウロさんは何か言いかけたが、何も言わずに去っていった。
彼の表情が気になったが、素晴らしい道具を手に入れた以上、結果で示すしかない。
俺ははやる気持ちを抑えつつ、トッドとエミリーの待つ家へと向かった。二人には急な仕事が入ったため、しばらく会えないことを伝え、その日は解散。
エミリーはやっぱり怒っていた。色々言われたけど、最終的にはなんだかんだ心配してくれていた。トッドも少し心配そうだったが、俺抜きでも修行は頑張ると言い、たくましい一面を見せた。
この数か月の修行が、彼にも自信を与えているのかもしれない。でも、心配する二人には悪いが、俺はワクワクのほうが断然大きかった。
何せ、初めての正式な仕事だ!
これで認められれば、いよいよ猟師の仲間入り。
父さんみたいな格好いい猟師になる、第一歩だと俺は信じてやまなかった。