第三話 元気っ娘エミリー
「え、エミリー、いつからいたの⁉」
トッドが目をまん丸にして叫ぶ。
「くだらない話で盛り上がる前からずっといたわよ。必殺技がどうとか、火花がどうとか、ね」
「い、言わないでよ、恥ずかしい……」
トッドは、さっきまでの盛り上がりが嘘のようにしおらしい。
「あのなぁ、必殺技は男のロマンだぞ!それに年下のくせに、相変わらず生意気な口をきく奴だなあ」
「ふん、たった二つしか違わないくせに。アレスのばーか」
エミリーはぺろっと舌を出して、ちょっといたずらっぽく笑った。
そう、彼女はどこか小動物みたいな愛嬌がある。時々びっくりするくらい大人びた目をするけれど、それもまた彼女らしい。
エミリーは、まだ赤ん坊だった頃に森の中へ捨てられていたらしい。乳母籠にくるまれたまま、ポツンと。
偶然通りかかったウィンストンさんに見つけられて、助けられた──という話は、村ではちょっとした昔話みたいに語られている。
結局、彼女の両親は見つからなかった。けれどウィンストンさん夫婦は彼女を見捨てず、自分たちの手で育てることを選んだ。
俺にとって、エミリーは「ウィンストンさんの娘」であり、そしてなにより、ちょっと口の悪いけど大切な友達だ。
「あ、そうだ」
エミリーはポーチの中をごそごそと探り始めた。
しばらくして、手のひらサイズの包みを取り出すと、俺たちのほうにひょいっと放り投げてきた。
「おばあちゃんからの預かりもの。『頑張るのも良いけどほどほどにね』、だってさ」
「うわっ、と」
俺がなんとかキャッチしたすぐ横で、トッドは手を滑らせて大慌て。
その姿に少し笑いながら、俺は包みをそっと開いた。
ふわっと甘く香ばしい匂いが鼻をくすぐる。どこか懐かしくて、胸が少しだけ温かくなるような香りだった。
「それ、新作のビスケット。カリコナッツのオイルとブラウンシュガーを使ってるんだって」
「うわ、なんかすごそう……いただきますっ!」
ひと口かじった瞬間、サクッと心地いい音がした。
そのあと、優しい甘さとナッツの香りがじわ〜っと広がっていく。
口の中でホロホロと崩れて、気づけばすぐにもう一枚を手に取っていた。
「やっべ、これ止まんねぇ……!」
「お、美味しい……!」
俺とトッドは、同時に顔を見合わせて叫んだ。
それからはもう、一気に食べ尽くすのに時間なんてかからなかった。包みに残った細かなかけらすら、丁寧に指先ですくって口に運ぶ。
ふと、目が合ったエミリーは誇らしげに鼻を鳴らしていた。
「どうだった? おばあちゃんの新作。私なんて、朝だけで十枚以上食べちゃったもんね」
「へえ、すごいね……!」
トッドが指をペロっと舐めながら、素直に感心している。いや、全然凄いことはないと思うんだけどな……
そう思った俺は、つい意地悪なひと言を加えたくなった。
「いや、食べ過ぎると今に牛みたいになるぞ」
「誰が牛よ、誰が!」
怒ったエミリーは、怒涛の勢いで飛びかかってくる。小柄な体を余すことなく使った突撃。
「ちょっ、待っ──」
止めに入ろうとしたトッドが、なぜか足をもつれさせて派手に転んだ。トッドは草と土汚れがついた顔をあげて、「喧嘩はダメだよぉ」と一言。
その瞬間、俺とエミリーは堪えきれずに吹き出した。
お腹を抱えて笑いながら、ああ、なんてことのないこんな時間が、こんなにも楽しいんだと気づいた。
そういえば──最近はトッドの修行に付き合ってばかりで、エミリーとこうしてゆっくり話すのも久しぶりだった。みんなで笑い合うなんて、いつ以来だろう?
また、こういう時間を作ろう。
今度は一緒にベリー採りにでも行ってさ。もちろん、ウィンストンさんの新作ビスケットも、たっぷり持って行こう!
* * *
あれから数日後、俺はいつものように森へ狩りに出掛けていた。くくり罠から獲物を回収し、また仕掛け、ベリーや野草なんかを探しながら森をうろつく。
そんないつも通りの日常で、俺は不思議な出会いをした。
村近くの森の中、よく見かける大きなブナの老木の根元。灰色でボサボサとした毛並みで、子鹿位の大きさの獣がうずくまっていた。
「……なんだ?あいつ」
思わず口から言葉が滑り出た。子鹿にしては毛が長く、イタチっぽくも見えるけど森にいるはずはない。
そうしてジっと見つめていると、その獣も俺に気付いたようで、ゆっくりと顔をあげた。
「くぅん?」
その小さな獣は、額に三本の黒い筋がくっきりと通り、瞳は吸い込まれるような深い青色をしている。その瞳に、俺は一瞬ドキッとした。孤独を抱えた俺自信を、まっすぐ映したような気がしたんだ。
「お前も、独りなのか?」
「わぅ?」
「ははっ。ていうかお前、犬……じゃないよな?」
ぴょんと跳ねた耳に、長くつきでた口元がどことなく犬っぽさを思わせる。でも、犬じゃない。妙にりりしい顔立ちや子犬の割に大きな体に、しっかりとした毛並み。少なくとも、俺が知るどんな犬とも違った。
でも、なんで誰もいない森の中にこいつだけがいるんだ?ここらへんは山犬もいないはずなのに。
「よぉし、よし、おいでぇ~」
チッチッチッ、と舌を鳴らしながら身を屈め、手招きしてみる。しかし、子犬は不思議そうに俺を見るだけで近付こうとはしない。
「むっ、さすが野生児。そう簡単には触れないか」
俺は荷物をゴソゴソと漁る。確か、おやつ用に持ってきていたアレがあるはずだ。
「ん……お、あった! ジャジャーン、特製干し肉だ。肉、好きだろ?」
「くぅん……?」
俺は干し肉を取り出すと、ぴらぴらと扇いでみせた。子犬はそれを一生懸命に目で追いながら、やがて鼻をひくひくとさせる。
「ははっ。ほら、食ってみろ」
子犬の鼻先にポイッと投げる。子犬はしばらく匂いを嗅いだあと、ゆっくりと木の根から這い出てきた。そしてガツガツと肉に食らい付き、あっというまに平らげてしまった。
「うぉぅっ!」
子犬は元気に鳴くと、俺の足元にずりぃと頭を寄せてくる。ゆっくり手を伸ばすと、それを察したかのように頭を持ち上げて目を細める。
「撫でてくれってか?」
毛並みにそって額を優しく撫でると、思ったよりもごわついた感触が掌に伝わる。恐らく、誰にも毛繕いをしてもらってないから汚れてしまっているのだろう。どうにかしてやりたいという気持ちに駆られたが、グッと心を抑える。
不用意に野生動物と馴れ合うことは、自然で生きる力を奪ってしまう可能性があるからだ。俺は少し撫でたあと、意を決して立ち上がる。
「じゃあな、一匹狼さん」
そう言って俺はその場を立ち去った。子犬は最初、不思議そうな目をしていたが、やがて諦めたように木の根元へと戻っていった。
俺にはあいつを養う余裕もないし、村に連れ帰ったら何を言われるか、何をされるか分からない。あいつは今までもこれからも野生、これでいいんだ。
俺はカバンに残った干し肉を全てばらまくと、無理矢理自分を納得させるように、何も考えないように、急いで村へと戻った。
その日以来、あの子犬……みたいな獣に会うことはなかった。胸の奥で妙なざわつきが残っていたけど――あの時の俺は、再びあの妙な獣に会える日が来るとは思ってもいなかった。それも、思いもしない形で。
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