第二話 悩めるトッド
「ふー、食べた食べた。ごちそうさま、アレス!」
昼食に出したリスのハーブシチューを、トッドは一滴も残さず平らげた。
皿を置くその手から、満足感がにじみ出ている。さっきまで青ざめていたのが嘘のようだ。
「どういたしまして。やっぱりウィンストンさんのレシピは間違いないな」
ウィンストンさんは夫婦で雑貨屋を営んでいて、俺のことを何かと気にかけてくれる。
火薬や矢尻、縄や保存食……狩猟に必要な道具は大抵そこで揃うし、奥さんの作る飯は村でも一、二を争う美味しさだ。
中でも、こっそり教えてくれたこのレシピは俺のお気に入り。香草の香りとリス肉の淡白な旨味が絶妙に合う。
「さて、美味しいお昼も食べたことだし、午後からは何をしようか」
気軽にそう声をかけた俺だったけど、次の瞬間、空気が変わった。
トッドの表情がサッと固まり、箸を置いたまま黙り込む。さっきまでの笑顔が、まるで霧のように消えていく。
「なあ、アレス……ちょっとお願いがあるんだけどさ」
「なんだよ、改まって」
「僕と、修行をしてくれないか?」
「は……え?」
一瞬、耳を疑った。
だって、トッドが修行なんて言葉を口にするなんて想像したことすらなかったから。
けれど、彼の表情は驚くほど真剣だった。
「修行って……一体何の?」
「えーと、その……いわゆる武術ってやつ、かな?」
「なんでそこで疑問形なんだよ……」
「い、いやあ……自分でも、何から始めればいいか分からなくって……」
俯き加減にそう言った彼の声は、小さく、でも確かだった。
争いごとを避け、のんびり屋で、筋力も無いトッドが。そんな彼が、自ら“変わりたい”なんて言うとは――
「どうしてまた急に? お前、そういう体使うの苦手だろ?」
「うん、そうなんだけどさ……来年になれば僕も十三歳だろ? ほら、僕も家のこととかあるし……」
その言葉に、俺はハッとした。
この村では十四歳になると“大人”として認められ、家業を継いだり、それぞれの仕事を持つようになる。
俺はもう何年も前からそれを背負ってきたつもりだけど、他の同年代にとっては、たぶん、それは大きな“壁”なんだろう。
「たしか、お前んちのご先祖様って、すごい武人だったんだよな」
「そう。代々武術の才があるって言われてて……父さんも兄さん達も、みんな強いんだ。でも、僕だけが……」
トッドは空になった皿をじっと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「……あの時の力比べ大会、お兄さん、圧勝だったもんな」
「そう! あの時の兄さんはほんとにすごかった……誇らしいよ。でも、そのぶん、自分が情けなくなっちゃって……」
きっと今まで、たくさん比べられてきたんだろう。
「お前だけ何もできないな」とか、「なんでそんなに弱いんだ」とか――。
けれど、そんなことを一度も口に出さずに、笑って過ごしてきたトッドが、今、勇気を出して“何かを変えたい”って言ってる。
――だったら、俺に断る理由なんてどこにもない。
「……よし、分かった! 俺にできることなら、なんだってやろう!」
俺は、ドンと胸を叩いて、力強くうなずいてやった。
「本当かい、アレス!? ありがとう、ほんとにありがとう!」
トッドはまるで野ウサギみたいに飛び跳ねながら、両手をぱちぱちと打って喜んでいる。
やれやれ、ホントに大げさな奴だ。でも、ちょっとだけ嬉しい。
「まあまあ、落ち着けよ。やると決めたからには、きっちりルールも決めるぞ」
結局その日は、夕方近くまで二人で修行メニューの話し合いを続けた。
父さんの残してくれた荷物の中には、武術の指南書も山ほどあった。
それらを読み込んで、トッドでも続けられるようなメニューを、夜遅くまで考え込む。
――あ、そうだ。修行用のダミー人形と木剣も作らないと!
なんだか、やることがどんどん増えていくけど……不思議と嫌じゃない。
さあ、明日からまた、忙しくなるぞ!
* * *
トッドと修行を始めてから、およそ二か月が過ぎた。
目立たないようにと、村から少し離れた裏山で、毎日こつこつと体を動かし続ける日々。
正直、誰にも見られないってだけで、ずいぶん救われていた。あのめちゃくちゃな動きを他人に見られてたら、笑い話では済まなかっただろう。
それでも、俺にとっては貴重な経験だった。
色んな武術の形に触れることができて、どれもが新鮮で、楽しかった。
……同時に、痛感したのは「教える」という行為の難しさだ。
俺自身、誰かに何かを教えるなんて初めてだったから、戸惑いっぱなしだった。
そして、肝心のトッドはというと―――
「さて、トッド。この二か月、簡単なものばかりとはいえ、今できる武術はあらかた試してみたと思う」
「うん」
「そのうえで改めて思うのは……」
「……うん」
「本っ当に、得意なものがないってことだ」
言いながら、俺は思わず頭を抱えそうになった。
まさかここまでとは――と、何度も思った。
走れば転ぶ。弓を射れば、矢が空に向かってピューンと飛んでいく。
剣を持たせたら、手を滑らせて宙を舞い、まるで投げられた石ころみたいに、ガチャンと音を立てて木に突き刺さる。
どんな技でも、一度は笑える事故を起こしてくれる。それがトッドだった。
本人も、さすがに分かってるらしく、申し訳なさそうに肩をすくめて視線を落とした。
「……その上で、唯一可能性を感じたものがあるとすれば、”槍術”だ」
「槍術?」
「ああ。槍を使った武術だ。俺から見ると、トッドには向いてると思う」
――まあ、本当の理由は“唯一、武器がぶっ飛ばなかった”ってだけなんだけど。
でもそれを言ったら傷つくだろうし、何より、やる気を失ったトッドの相手をまた一からするのは俺だ。
だったら、せめて前向きなことだけ言っておくに限る。
「そう、かな。アレスがそう言うんだったら、槍術の修行、続けてみようかな」
「おう!」
そんなわけで、ひとまずはトッドの修行方針が決まった。……俺がすすめちまったからには、最後まで面倒見る覚悟はしておかないとな。
「さて、今後の方針も決まったし、もうちょい本格的な修行内容を考えないとな」
「そうだね。基本的な体力づくりはこれからも続けるとして……どんな訓練がいいかな?」
「たしか、前に読んだ本にそのへんのことも載ってたと思う。ちょっと調べ直してみるよ」
「それから、その……やっぱり、さ……必殺技とか欲しいよね」
「……トッドお前、それはな……あったりまえだろ!めっちゃかっこいい技!火花が出るようなやつじゃなきゃ嫌だろ、そりゃ!」
「うわぁ、それ最高だね!」
俺とトッドは、それはもう無邪気に、そして熱く語り合った。なぜって?必殺技が嫌いな男の子はいないだろう?
ついつい話に熱中していると――
「あんた達、二人で何の悪だくみしてんのよ」
不意に背後から声が聞こえた。突如声をかけられた俺たちは、文字通りビクッと肩を跳ねさせた。
「え、エミリー⁉」
まるで風のように現れた彼女は、エミリー・ウィンストン。雑貨屋のウィンストンさんちの一人娘で、俺の数少ない――いや、ほんとに数えられるくらいしかいない友達のうちの一人だ。
彼女は金色の髪を太陽の光にきらきら反射させながら、いつものように、いたずらっぽい笑顔を浮かべていた。
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